第3話

 なにか言わなければ、と強く思った。そうして頭のなかの言葉をありったけかき集めていると、いきなり重く鈍い大音量とともに、厩舎が揺れた。

「ああ、エヴァランだ」

「エヴァラン!」

「また来てくれたのか!」

「どうか助けて、エヴァラン!」

 ユニコーンたちが騒ぎ出す。何事かと音のする方を見ているウィルに、「人間の王子よ」と、長老が語りかけた。

「いま、この騒ぎを引き起こしているのは、唯一人間の手を逃れた、我が群れの若く気高い勇士エヴァランだ。人間の王子よ、我々のために働く気があるのなら……」

 ユニコーンの長老は、長く息をついてから、続けた。

「彼を止めてほしい」

 ウィルだけでなく、ほかのユニコーンたちも驚愕した。

「どうして!」

 ウィルは、柵いっぱいに身を乗り出して、長老に語りかける。

「そのエヴァランってユニコーンが来てくれれば、みんな助かるのに!」

「確かに、我々のエヴァランは偉大だ。しかし、若さと怒りゆえに血にはやっている。あれほどの多勢相手の魔法を、打ち破ることはできない」

 長老の冷静な言葉に、他のユニコーンたちの瞳に、一瞬だけともった希望の光が、たちまちに消えていった。

「ユニコーンは魔法を使えるんでしょう!?」

 ウィルは叫んだ。

「そうだよ。そのエヴァランってユニコーンだけじゃない。ここにいるみんなで歌声を合わせればいい。どうして魔法を使わないの?」

「人間の王子よ、その言葉こそが我々と人間の違いを明らかにしている」

 長老は沈痛な面持ちで言った。

「いま話しても、絶対に理解できない。おそらく、一生わからないままだろう。だから人間の王子よ、せめてもの願いだ。エヴァランを止めてほしい。彼だけでは太刀打ちができない。だが、彼さえ生き延びれば、我々の血は途絶えずに済むのだ」

 でも、と口ごもったウィルを見て、長老は立ち上がると、ゆっくり柵に近付いた。

「それとも、あの兵士たちの前に出ていって、自らは王子だと、ゆえに我々ユニコーンを開放しろと、命じることができるのかね?」

 ウィルの顔が青ざめたのを見て、長老は嘆かわしそうに首を横に振った。

「人間の王子よ。我々を哀れと思うな。哀れまれたそのときこそ、我々の誇りが汚されるときなのだ。我々は運命を拒まない。これは、私が迂闊で愚かだったことの報いなのだ。群れを滅びの道から救えなかった。あくまで、私と、私の群れの運命だ。人間にもたらされる滅びでも、人間の、ましてや王子から哀れまれる謂れはない」

 言いながら、長老の目には、長としての尊厳が少しずつ戻ってきた。

 ウィルは、改めて目の前のユニコーンを見上げた。確かに、老いている。だが、ただ力弱くなったのではなく、時をわたり、知恵を蓄える年の取り方をしたもの特有の強い存在感があった。

「何も知らない人間の王子よ、哀れなのはむしろそなただ。なんの力も持ちはしない」

 そう言われたとき、ウィルは心臓を握られたような心地がして、頬がかっと火照るのを感じた。何も言い返せないと思ったからだ。

 なんて惨めなのだろう、と唇を噛みしめると、強い声に頬を張られたような気がした。

「行け!」

 魔法をかけられたわけでもないのに、ウィルはその声に圧されて、後ずさった。

「行け! そしてエヴァランに伝えよ! もうここへは来るな、生き延びろと!」

 ウィルは後ろを振り向く。まるで物のように積まれた、無残なユニコーンの死体たち。いま生きているユニコーンたちの弱りようをみれば、早晩あそこに並ぶことになるのは目に見えている。

 しかし、「行けぇぇっ!」という長老の雄叫びが、ウィルの躊躇など振り払い、脚を無理やり動かした。まるで、魔法のように。

 ウィルは、震える声でようやく歌うと、また雲雀になり、飛び込んだ窓から外へと出て行った。


 注意深く茂みを移動したレイラとシルヴィアは、急に騒がしくなった駐屯地の目の前まで戻ってきた。

 駐屯地はいくつかの建物に別れている。その中の一つ、粗末な木造のおそらく厩舎だと思われるところが騒ぎの中心だった。

「ユニコーン……!」

 シルヴィアは小声で驚嘆した。

 二人の目の前では、大勢の兵士たちを前に、猛々しく両前足を上げたユニコーンがいた。兵士たちの剣や槍といった武器は、そのひずめに当たると、粉々に砕け散る。


蛇のように その身を縛れ!


 兵士たちが歌うと、次々に捕縛の縄が放たれたが、ユニコーンはその大きな身体のわりに信じられないほどの素早さで、すべてを避ける。

 そうして、兵士たちの横を巧みにすり抜けると、角をたてて厩舎のほうへまっしぐらに向かって行く。

 だが、鈍く重い音がして、ユニコーンは阻まれる。それで、レイラとシルヴィアは先ほどの音の正体を知った。

 あれは、ユニコーンが結界を破ろうと体当たりをしている音だったのだ。

 結界にはじかれ、よろめいたユニコーン目掛けて、また縄が放たれる。それを、すんでのところでユニコーンは避ける。

「ひどいわ!」

 シルヴィアが立ち上がったのを、レイラは慌てて茂みに引き込んだ。

「なんてことをするの、シルヴィア!」

「じゃあ、レイラはあれを見て冷静でいられるの?」

 シルヴィアは素早くユニコーンと兵士の戦いを指さした。

「あんな一方的なやりかた、ひどいわよ。無理やり縄で縛ろうとするなんて」

「でも、あんなに荒れ狂っているユニコーンを捕まえるには、ああでもしないと……」

 レイラが困惑の表情を浮かべたとき、いきなり声が轟いて、二人はぎょっとさせられた。

「そこをどけ、人間ども! 私の仲間を返せ!」

「シルヴィア!」

 レイラは思わず、シルヴィアの腕に抱きついた。

「今のを聞いた?」

「ええ。ユニコーンが、しゃべっていた……?」

 二人の疑念を打ち消すように、そのユニコーンは兵士たちに立ち向かいながら叫んだ。

「今日こそ、我々が受けた屈辱を、倍にして返してやる!」

 ユニコーンはいきり立ち、魔法をよけながら、兵士をなぎ倒していく。その様子を見るだけで、はっきりと意思を持った生き物だということがわかった。

「ユニコーンは、動物じゃないんだわ……」

 シルヴィアは、驚きのあまり口元を覆いながらつぶやいた。

。感情があるの。あのユニコーンは、仲間を奪われて、怒っているんだわ!」

「まさか、そんな……。伝説では、魔法が使える、としかなかったはずなのに……」

 信じられない思いでレイラはつぶやいたが、目の前で繰り広げられる光景を見れば、シルヴィアの言うとおりだと認めざるを得なかった。

 ユニコーンは力強かったが、なにぶん兵士たちは数が多かった。いくら打ち倒しても、次から次へと建物から新手が出てくる。

 次第に、ユニコーンに疲労が見えてきた。

「どうにかしないと! このままだと、あのユニコーンまで捕まってしまう!」

「待って、シルヴィア。無茶はやめて! いったい私たちになにができるっていうの?」

 いまにも飛び出しそうなシルヴィアを、レイラは必死に引き留める。それを振り払おうとしていたシルヴィアは、不意に聞こえたいななきに、はっと声を上げた。

 駐屯地から少し離れたところに、ユニコーンがもう一頭いた。目の前のユニコーンよりも、毛に艶がなく、くたびれて垂れ下がってしまっている。

「長老!」

 魔法を避けたユニコーンも、その姿を見とめて驚きの声を出した。同時に、兵士たちがざわめいた。

「群れの長だ!」「どうしてあんなところに!」「いったい、どうやって抜け出した?」

 兵士たちの一部がそちらへ向かおうとしたところに、ユニコーンはまっすぐに突っ込んでいった。薙ぎ払われた兵士たちは成す術もなく、地面に放り出される。

 長老と呼ばれたユニコーンは、自分に向かって来て走ってくるユニコーンを見ると、駐屯地と逆の方に走り出した。

「追うわよ、レイラ!」

「でも、ウィルは?」

「そんなこと言っている場合じゃないわよ!」

 言うが早いか、シルヴィアは雲雀に変身すると、二頭のユニコーンを追って飛び立つ。

「待ってよ、シルヴィア! 落ち着いて!」

 レイラは叫んだが、シルヴィアは聞く様子もなく飛んでいく。しかたがなくレイラも雲雀に変身すると、シルヴィアを追いかけて行った。

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