第11話

 空の旅は、快適なことこの上なかった。いつも大人たちが望む堅苦しい礼装に押し込められて、リトホロの王城の中で暮らしている三人は、いよいよ解き放たれた気分になって、すいすいと泳ぐように空を翔けては、何度か危うく駐屯地を見失いかけた。

 それくらい、見渡すもののすべてが自然そのままだということは素晴らしかった。人が、魔法が作り出す最高級品ばかりを見て育った三人ではあったけれども、山の峰のうねりや、姿の見えない風が代わりに草々の頭を垂らして吹きすぎて証を残してゆくのを、心から美しいと感嘆することができた。

 なにより、三人だけでどこまでも広がる青のなかを飛んでいると、世界が果てしなく続いていることが、今まで生きていた中でいちばん強く実感することができた。この空が広がる限り、そこには地面があって、そこに人々が暮らしているのだと思うと、くらくらと眩暈がするような、息が高く興奮するような、そんな心地がした。

 ウィルが近道といったのは、間違いなかった。あまりにも楽しい空の旅だったので、時間があっという間に過ぎて、駐屯地に近付いたときにはまだまだ飛び足りないくらいだった。

 しかし、まぼろしのユニコーンを王都へ輸送するという重大任務を負って、警戒を高めている兵士たちに見つからないよう、注意している必要があった。本命の楽しみのために、今の楽しみを我慢するしかなかった。

 駐屯地から少し離れたところに、身を隠すのにちょうどいい樹が一本生えていたので、そこに着地することにした。

「さて、あの邪魔っけな兵士たち、どうしてくれよう?」

 幹から顔を出したウィルは、目をらんらんと輝かせながらつぶやいた。普段、オーウェンをはじめとした、護衛の人々にいたずらを中断させられたり、追いかけまわされたり、注意されたりしているので、個人的な恨みが深いのだ。

「そうだ、せっかくオーウェンになっているんだから、堂々と正面突破しよう。視察に来ただとかなんとか言って、王命だって言えば、通してくれるよ」

「お馬鹿さん」

 レイラが、即座にウィルの意見を切り捨てた。

「どうして、なんの連絡もなく、王都の、しかも殿下付きの近衛兵が視察に来るのよ? それに王命だっていうんだったら、正式な書類が必要よ。あなたのお父様の印がついた、ね」

「そのへんはさ、なんとかなるよ、大丈夫だよぉ!」

 両足をじたばださせてごねるウィルを、シルヴィアは目を鋭く細めた。

「あなたね、日ごろの鬱憤を晴らそうとしているでしょ」

「あ、ばれた?」

「当り前よ」

 だってさぁ、とウィルは顔を引っ込めると、根元に寝っ転がった。

「オーウェンの顔で出ていったら、あそこにいる兵士全員、ひれ伏す勢いで何でも言うこと聞いてくれるよ。ユニコーンのところにだって、あっという間に案内してくれること間違いなし」

「そうしてあなたがいい気になっている間に、オーウェン・メイスフィールド大尉が無事アギタリア駐屯地に到着、という知らせが王都に届けられて、そんなはずはないと大騒ぎになって、本物のオーウェンがあなたを連れ戻しに来るのよ」

 レイラが言うと、ウェンはその様子を思い浮かべたのか、ほんの少ししょんぼりした。

 樹上に、カラスがやってきた。シルヴィアは小さくうめき声をあげた。

「レイラ、またカラスよ」

 レイラは微笑ましそうに、シルヴィアの艶やかなプラチナの髪を撫でる。

「大丈夫。黒い羽根が不吉だなんて、ただの迷信なんだから」

「レイラったら、それでなくてもカラスは鳥のわりに頭がいいのよ? 自分をいじめた人間は忘れないでいて、必ずあとで復讐すると言うし。小動物なんてするどいくちばしでひとのみにしてしまうというし」

 すると、レイラは声をたてて笑った。

「でも、私たちは小動物じゃないでしょう? むしろ私たちの方が大きいのよ。こちらが何もしなければ、襲ってこないわよ」

 ウィルは、ぱちん、と指を鳴らした。

「それだ」

「どれよ?」

 相変わらずシルヴィアをなだめながら、うわの空で返事したレイラだったが、ウィルは地面を這って下からその視界に入った。

「この草原にいそうな、動物になるんだ。それも、ちっこいやつ。そうしたら、ユニコーンがいるところまで忍び込んでいけるよ」

「それはいい考えね。変身した途端、鷹に襲われるかもしれないところを除いたら」

 シルヴィアは皮肉を言ったが、鷹を気にして小声だった。

「平気さ。ここには巣はないみたいだし、羽を休めてるだけだよ。ちょっと待てば、どこかに行くよ」

 ウィルの言った通りだった。鷹は最初こそ、三人の方を気にする素振りを見せていたが、自分の止まっている枝よりはるか下方の人間たちがじっと動かないのを知ると、遠方に目を向けた。その目はどこまでも鋭く、餌になりそうな何かを探している目つきだった。けれども、草原はあくまで静かだった。鷹はしばらくすると、穏やかに飛び去った。

 鷹が空の彼方へ飛んでいくのを見届けて、ようやくシルヴィアは息をひそめるのをやめた。

「鷹を見ていたら、羽があるのは便利だろうなって気がしてきた」

 ウィルは少し考え込むと、変身魔法の歌を歌うと、小柄な鳥になって枝にとまった。それは、雲雀だった。

「なるほどね」

 レイラは立ち上がると、黄色い羽根を持つ蝶になり、シルヴィアのまわりをくるくると飛び始めた。

 シルヴィアは指をたてて、蝶になったレイラをとめると、「私、さっき散々飛んだから、違うものにするわ」

 何にしようかとあたりを探そうとしたとき、樹の穴からリスが顔を出した。鷹が行ってしまうのを待っていたのは、シルヴィアだけではなかったのだ。けれども、頭を出すなり、シルヴィアと目の合ってしまったリスは、あわてて穴に戻ってしまった。

「これは失礼」

 微笑みながら言ったシルヴィアは、目を大きく開いた。そっとレイラを飛び立たせると、自分はリスに変身した。そして、樹の幹を這って穴の淵まで行くと、鳴き声をたててお詫びをした。すると、リスはきょとんとした顔で再び顔を出した。

 まず、雲雀になったウィルが駐屯地の方へと向かった。浮かび上がったり地面すれすれに滑空したりと、相変わらず飛ぶことを楽しみながら。

 つぎに、それを横目で見ながらふうわふわりと優雅に蝶のレイラが続いた。シルヴィアは、尻尾の毛並みを整えると、小さな手足を細かく動かして樹を下りて、頭上の二人を確認しつつ、後をついて行った。

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