第17話 思考は言葉に出来ないと損。



『十六時半……そろそろ来るんじゃね?』


 浮島のターミナルビル二階、第三ゲート正面に広がるホールの中ほどには、待合用のソファが並んでいる。合間には背の高い観葉植物が配置され、適度な物陰と視野が確保されたそのソファ群の端に、スーツを着込んで極普通のビジネスマンを装ったヤマトこと、山寺は座っていた。ちなみにヤマトとは彼の「闇刺名」という、所謂コードネームである。ハル、マキノも同様で、彼らにも本名が別にあるが、何故か山寺のみ本名・闇刺名共通の愛称「ヤマさん」で通ってしまっていた。


「ああ。既に仕掛けは完了してる。そっちはどうだ、隊長殿」


 別の場所で待機している上司と連絡を取り合いながら、山寺はホール入り口に並ぶエレベータを注視していた。ターミナルビルとは、名称どおり軌道エレベータ「天の浮橋」の地上側終着駅を中心とする巨大建築である。「天の浮橋」は一本の支柱を五本のチューブが取り巻く形で形成されており、ターミナルビルはそのチューブを更に覆うように正五角形に建てられていた。おのおののチューブには一から五までの番号が振り分けられており、それぞれ別個のシャトル昇降口を持っている。その昇降口の事をゲートと呼んでいるのだ。


『問題ねーよ。場所は確保してあるし、職員連中も丸め込んだから邪魔は入らねぇ。さすがに監視カメラまでは手が回んなかったけどな』


 高く柔らかい女の声が、がさつな口調で返した。人目のある場所で素顔を晒す事を酷く嫌う山寺の上司は、よく好んでこの「女性型」を使う。「女装」ではなく、見かけ上完全な女性の肉体へと変身すること――これは、「金狐の禾熾」の持つ特殊能力の一つだった。本人曰く、「なんつーか、複数の身体が別次元に収納されてて、それを出し入れしてる感じ?」らしい。確かに通常彼がとっている「男性型」の時と「女性型」に変化した時では、服装からして全く違う。一つの肉体が性別転換を起しているというよりは、まったく別の身体を呼び出しているといった方が正確なようだ。


「まあ状況的にやむなし、だな」


 アキツの中で、葛葉の自由にならないものなどない。そう言われており、時間的、人員的な余裕があれば実際その通りだが、たった二人で動いているのだ。基本的に表に出てはいけない存在である闇刺が直接ターミナルの警備システムを接収する事も出来ず、セキュリティシステムに裏口から侵入して操作が出来るようなスキルを持った者もいない。数日前からこの場所を使う事が決まっていれば手の回しようもあったが、半日足らずではそれも不可能だった。


「……向こうさんは、どういうつもりなんだろうな」


 渋い表情で山寺はこぼす。うん? と、不思議そうな相槌が携帯から返ってきた。


『どう、なぁ』


「あのCMドールを俺達に引き渡すつもりだったのか、それともあのCMドールで、俺達を叩くつもりだったのか、って事だよ」


 もしも『パーツ狂のアサキ』が、イソタケにたむろしている大多数同様、一介の違法AHM技師であれば前者の可能性が強い。このアキツにあって、葛葉の、しかも『金狐の禾熾』の名を出されて抵抗を試みる者など存在しないに等しい。何の後ろ盾もない個人業者ならばなおのことである。


 しかし、かの女技術者は似すぎているのだ。山寺らが追っている人物に関わる存在に。そしてもし、その人物に連なる者であれば、単独で動いているとは考えづらい。


「確かにこの一週間、あのアサキという女が何処かの大きな組織と連絡を取ってる様子はなかったが……だからと言って、背後組織の線が消えたわけじゃないだろうが」


 先日、キール電子部品店の様子を窺いに行った際(目標のCMドールと戦闘になったあの時である)、敷地侵入の段階で家屋と店舗の警備システムを黙らせると同時に、逆にその警備システムの入手する情報をこちらに横流しするプログラムを仕込んでおいた。よって、その後の人の出入りの様子は把握しているが、特別組織の者らしい人物は来訪していない。また、家主らしき女の外出もなく、定期的に外出をしていたのは例の人間にしか見えないCMドールだけだった。見た限りではどうも、HPドールの真似事をしていたらしい。


『まあ、どっちにしろもう電源落としちまったんだし、問題ないんじゃね? それとさあ、もしかしたら……あの、サクとかいうCMドールが、勝手に家出して来たんだったりしてな』


 楽しそうに上司が返す。明らかに、「だったら面白い」と思っている事がありありと分かる口調だった。


「あのな、アレはAHMだぞ。マスターの指示もなしに勝手に動くか」


『あいつなら動きそうじゃね?』


 あまりにも常識を外したその無責任な物言いに、盛大に反論しようと山寺が口を開ける。その反論が口から飛び出る前に、禾熾が言を繋いだ。


『なーんか、引っかかるんだよな。普通じゃないってかさあ。あいつ、オカシイ』


「そりゃあれだけ精緻に人間偽装してるんだ、普通のドールじゃないだろうよ」


「まあ、そうなんだけど、それだけじゃないっていうか……何か分かんねえんだけど、収まりが悪いんだよなぁ」


 携帯の向こう側で口を尖らせているのが分かるような口調で、禾熾がぼやく。どうやら本気で何か不可解な部分が気になっているようだ。


 こういう時の、この上司の勘というのは本当に馬鹿に出来ない。


 経験からそう知っている山寺は、口を噤んで上司の言葉を反芻した。この上司はどうしてなかなか良い観察眼を持っている。頭の回転も早く、ナニも考えていない馬鹿のように見えて、しかし誰よりもすばやく事態の本質を見抜き、それに最もふさわしい行動に出る事が出来る人物なのだ。


 ただ惜しむらくは、その見抜いた本質というものについて、自分でもはっきりと自覚できていないらしい事だった。「どうすれば良いのか」という結論だけが脳内で焦点を結び、その根拠なり何なりは全く焦点を結ばず、言葉にも出来ないらしい。そのことで相手の信頼を得られず損をする事もあるのだろうが、本人は大して気にしていないようだった。


 ともあれ、根拠や理由を知りたければ、周囲が問いを投げて誘導してやるしかない。


「普通じゃない、か。確かに飛び抜けて優秀なCMドールだろうが……まあ、そんなCMドールが民間人の家にある時点で普通とは言い難いだろうな。しかし、それなら理由ははっきりしてる。ルーカス・エリクソン博士の所から流出したんだからな」


『うん、そりゃまあ分かるんだけど……何だったかな。あー……そう、やりあって見た感じが変だったと言うか、何か引っかかるんだよ……』


 その言葉に山寺は、CMドールと禾熾の戦闘の流れを脳内で辿る。


「ブラオの下っ端が邸内に侵入して、そこへあのドールが飛んできて、速攻で下っ端どもを制圧して……」


『そうそう。俺が横槍入れに入って、遊ぼうぜ、って言ったら振られて、けど俺、コンバットシステムごときじゃ……』


「それだ!」


 禾熾の洩らしたキーワードに、山寺は膝を打った。


『ん?』


 良く分からないらしく、上司は可愛らしい女の声で、間抜けな相槌を打った。


「あれだけ高性能のCMドールが、半被覆ハーフフェイス型のペルソナだってのが引っかかったんじゃないのか?」


 コンバットシステムはノイマン型電算回路で動く、言ってしまえば単純なプログラムだ。AHMに設定されている「人格」は仮面ペルソナと呼ばれるが、これはその原型であるAHCMの頃の呼称に由来する。このペルソナはニューラルネットワーク式の電算回路上で動き、高度な学習やあいまい事項の判断を行える。半被覆型のペルソナというのは、戦闘時にはこのペルソナからコンバットシステムに制御が切り替わってしまうタイプのものであり、これとは逆に戦闘時でもペルソナ人格が最高決定権を持ったままのタイプを全被覆フルフェイス型と呼ぶ。一般に、ペルソナは人間偽装することのみを担当し、戦闘には関与しない半被覆型は安価な低級AHCMに搭載され、戦闘においても学習や高度な総合的判断を行う全被覆型のペルソナを有するのはB級以上のAHCMだった。


「あのドールはどう見たってA級以上の諜報型だ。それなのにコンバットシステムにわざわざ切り替えていたのは確かに不自然だな……」


『あー、そっか。でもさあ、あいつ、CMシステムに切り替えずに銃構えたり俺に頭突きかましたりしてたぜ?』


「……そう、だな。確かに何というか……落ち着きが悪い」


『だろ?』


 普通、半被覆型のCMドールはCMシステム制御下でなければ内蔵武器を扱う事が出来ない。確かに不自然な話ではあるが、そのことが不可解な――はっきり言ってしまえば不気味なサクの言動とどう関連しているのか、山寺の脳内で結論が出る前に、事態は動き始めた。


 山寺の正面に並ぶ四機のエレベータのうち、右から二つ目が扉を開ける。一階から上ってきたらしいそのエレベータのかごから、数人が吐き出されて此方へと向かってきた。その中の一人――長い黒髪を頭頂部でまとめた、長身の女が目に入る。


「おいでなすったぜ」


 山寺は短く上司に報告して立ち上がった。


『了解、回線は繋いだままにしといてくれ』


 返ってきた指示に短く了承の返事をし、山寺は待ち合わせ相手を確認する。


 女性らしくメリハリのある身体に、「美女」という表現が最も相応しい整った容貌。決してきつい顔立ちをしているわけではないが、その眼に宿る光の強さと真っ直ぐ伸びた背筋が、たおやかさや儚さといったものとは無縁の、鮮烈で鋭い美しさを放っていた。


 身につけているのは、濃紺で首の詰まった、かっちりしたシルエットのロングワンピースと、その上に黒の、脇がゆったりと大きく開き、手首に向かって袖が絞られているドルマンスリーブのボレロ。胸元を飾るコサージュも暗色だ。肌を見せない、そして「暑い」という感覚はないのかと疑わしくなるようなその服装は、どこか普段の隊長を思わせる。


以前にも一度顔をあわせた事のある相手だ。そして、それ以前からよく見知った顔でもあった。


「おい、あんたがアサキ・E・キールだな?」


 山寺は軽く片手を上げながら女へ向かって歩く。山寺に気付いた女は、厳しい表情を更に引き締めて山寺と相対した。


「そうだ。お前が電話で此処を指定した男だな」


 アサキの確認に、ああ、と山寺は首肯する。そして、彼女を促して歩き出すのではなく、ポケットから無造作に名刺大の紙切れを彼女に手渡した。


 紙を手渡されたアサキが、不審げに眉を上げながらもそれに目を落とす。


「そいつを俺に返してくれ」


 アサキが紙片を見たことを確認し、山寺は再び手を差し出した。


 無言でアサキがそれに従い、紙片を山寺の手に乗せる。


「行くぞ」


 返された紙片を握りつぶし、山寺はそう言って踵を返した。無言のまま、アサキがその後を追う。


「隊長殿、これからそっちへ向かう」


 通話中のままだった携帯端末へ、山寺は報告を入れた。


『ラジャー。他について来てそうな奴は?』


「今のところ見当たらん。一応、撒く用意はしてあるがな」


 周囲を軽く見回して、上司の確認に山寺は答える。アサキはその後ろを、先程と表情を変えないまま黙々とついて来ていた。




***




 山寺の能力を一言で言い表せば、「視覚を介して相手の脳へ命令を送ること」である。視覚刺激として送られた命令は「画像」として脳内で認識・解釈をされることなく、直接相手の脳へ受け入れられる。山寺はその「命令」を意味不明な――言い換えれば何か意味を持って認識する事が困難な――模様として作成する。そして、紙の上をミミズがのたくり回った跡のような、その不可解な模様を目にした瞬間、目にした者の脳は、山寺が模様に込めた命令に従い始めるのだ。無論、その模様は「画像」として認識されていないのだから、模様を見た者は、そこに模様があった事すら気付かない。


 命令の複雑さに合わせて模様のサイズも変わり、それを用意する時間もかかるのだが、相手を幻覚の中に陥れる事も、ある程度操る事も出来る。そして、本人は操られている事も、何によって操られたかも理解は出来ない。その威力は絶大なもので、葛葉にいる催眠系の能力者のうちでも一、二を争っていた。


 今回、山寺が紙片に書き付けてアサキに渡した命令は「今後何の疑問も持たず、黙って自分に従う事」である。この命令は、山寺が解除コードとなる模様を見せるか、睡眠・気絶などで一旦意識が途切れるか、あるいは、命令の履行が不可能になるまで続く。


 予定通り、アサキを引き連れて山寺はゲート正面のホールを出た。端の非常用階段を使って上階へ上る。ターミナルビルの三階には土産物屋や飲食店が並んでおり、それより上の階には大手デパートが入っている。階段室から出た先は三階の片隅、ちょうど昼食と夕食の間で、閑散としている飲食店街の奥に当たる場所だった。


 階段室を出てすぐのところに、関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉があり、その扉にもまた、山寺が書き付けた「命令」が貼られている。内容は、「此処にある物を認識しない事」。つまり、扉も貼り付けてある命令を書いた紙切れも、そこに存在しない事として他人の脳では処理される。今、ここに扉がある事を認識できるのは山寺だけだ。


 その、今は存在しない事になっている扉を開け、山寺はアサキを招き入れた。扉の向こうは従業員専用の通路になっており、人影はない。入ってすぐに掃除用具や消耗品の入った倉庫があり、そこへ滑り込む。中では女性姿の禾熾がひらひらと手を振っていた。


「よ、ご苦労さん」


 陽気な笑みと共に労いの言葉をかけられる。それに軽く返事をし、山寺はアサキに向き直った。


「そこに寝ているドールの、マスター権限のロックを解除しろ」


 指し示す先には、「サク」と名乗った少年型CMドールが横たわっている。電源が落ちた状態のまま、アシハラにある拠点から急遽運び出したものだ。アサキにロックを解除させ、マスター権限の再設定を行ってこのままツクヨミに連れてあがる事が出来れば、それがベストである。


 短い了解の言葉と共に、命令に従ってアサキがサクの傍らへ片膝をつく。あらかじめ用意しておいた、外部接続用端子を繋いだ端末に触れ、AHMのセットアッププログラムを起動させた。流石は専門の技術者というべきか、コマンドを叩いていく速度に山寺は舌を巻く。プログラムの起動、ドールとの接続、設定変更画面の呼び出し、ロック解除コマンドの入力――恐ろしい速さでキーボードが叩かれ、様々な画面が呼び出される。しかし、その度にエラー音が鳴り、一向にロックが解除されない。


 時間にして、約五分程度経過した頃だろうか。アサキがその手を止めた。


「……不可能だ。やはり私では、このマスターロックは解除できん」


 全く想定外の言葉に、ほんの一瞬、思考が止まる。


 山寺の術中に嵌ったこの状態で、嘘を吐く事は出来ない。つまり、アサキはサクのマスターでは無いという事だ。


 一瞬の空白。その時アサキの指が、あるコマンドを高速で叩くのを、山寺は止める事が出来なかった。

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