女王の遺書


 私の息子――息子を返して。



 サラの息子、ジェルトは、七歳になったばかりだ。


 生まれつき目が見えず、街の病院に行ったり、ジェラという遊牧民の呪術師ラムジェのもとに通ったり、噂で耳にした聖なる水を手に入れてまぶたに塗ってみたり、運気を上げる座学に通ってみたり、ありとあらゆることを試した。でも、うまくいかなかった。


 そのうえ、「孤塔に入る」と言って出掛けた夫とともに行方不明になった。きっと軍隊に連れ去られたのだと血眼になって探したが、息子がいると分かって駆け付けた先は軍病院で、息子は病室のベッドの上にいた。目を閉じたまま動かず、目が見えるようになるどころか、唇をひらくことも、指を動かすこともなかった。「お母ちゃん」と、サラに気づくこともなかった。


 これなら、目など見えなくてもいい。

 返して。あの子を返して――。


 孤塔への侵入を咎められた夫のベベルは軍病院に監禁されていたが、サラは違う。夫と目を覚まさない息子のそばにいたいと懇願したが、許されなかった。息子の小さな手を取り泣きじゃくっていたが、「面会は七日に一度、十五分だ」と、追い出されたのだった。


 軍病院を出たサラは、憑りつかれたように砂漠へ向かった。行き倒れても仕方のない簡単な準備だけで砂の上を歩ききり、前に訪ねたジェラ族の呪術師ラムジェに助けを求めた。


 サラが訪ねていくと、ジェラ族の宿営地は、黒い布で染まっていた。天幕に黒の布を飾るのは、里をあげての葬礼がおこなわれている証だった。


「厄介なことになったようだな。まこと、にっくき新参者どもが――」


 助けを求めた呪術師ラムジェは老いた爺で、名をグルという。


「横暴者の銃で、わが友も殺されたのだ。何十年にもわたってジェラを導いてきた偉大なる族長ジェルトーラが……」


 呪術師グルは、憤りを隠さなかった。


「なにが『女王』だ。新参者の乗っ取り女がよくいうわい。あの湖も孤塔も、もともとはジェラのものだというのに――」


 知っているか?

 かつて、あの女の命を助けてやったのは我々ジェラだ。

 大勢の人が死に、家族も殺され、もう逃げるしかないと、幼い少女がたどり着いたのがあの湖だった。それで、我々はあの少女を塔へと連れていったのだ。あの塔は母なる塔。きっとおまえにも加護があるだろう――と。それなのに、命を繋いで都へ戻っていったあの女は、軍隊を連れて戻ってきた。湖を包囲し、ジェラの街を奪い、我々を追い出した。家は破壊され、連中が作った家が建ち、人が来て、母なる塔すら軍で囲み――恩を仇で返すような真似をしよって。


 と、グルは、怒りにふるえながら昔語りをした。ここに来るたびに何度も聞いた話だったが、今ほど腹が立ち、グルに同調したことはサラにはなかった。


「まったくです。女王とは名ばかりの乱暴者の集まりです。私から息子を盗んでしまうなんて!」


 女王やエクル王国の兵は、サラにとっても夫と息子を奪った憎い相手だ。ただ捕らわれただけならまだしも、息子のジェルトは死んだように眠り続けている。


「きっと、あいつらがジェルトに何かをしたんです。かわいそうなジェルト。あの子はまだ七歳で、これからいろんなことを知っていく力にあふれた幼い子供です。なのに――あんな小さな子供から自由を奪ってしまうなんて、あいつらは人間じゃない! 呪いをかけて殺してやりたいくらい!」


 怒りで肩を震わせるサラの身体を、グルはそっと抱いた。


「しかし、塔に入った後で目が覚めなくなったとは、不思議なこともあるのだな。目が覚めないのは、あの子の魂がさすらっているからかもしれんなぁ。どうだろう、私が探してみようか」


「できるのですか」


 サラは、ぱっと目を輝かせた。


「お願いです、呪術者ラムジェ様。せめて、あの子の目を覚ましてください。一生目が見えなくても構いません。これまでも見えなかったんです。どうにかなります。あの子は器用で、目が見えなくても気を強くもって、楽しく暮らせるよう努力していました。どうかあの子に、もう一度生きる喜びをお与えください――」


 懇願の最後のほうは嗚咽交じりになった。「落ち着きなさい」と背中をさすりながら、グルは「大丈夫だ」と繰り返した。


「それはそうと、あの子はを持って塔に入ったかね。ほら、私が渡した黒い石だが」


「はい。――あぁ、すみません。あの時のお代をまだ払っていませんでした」


 前にここを訪れた時、グルはジェルトの目を診て、親指ほどの大きさの黒い石を渡した。


『これはジェラの中でも選ばれた子供が持つもので、これを持って塔に入れば、母なる塔はおまえをジェラの子供として受け入れてくれるだろう』

 

 ジェルトは喜んで、それ以来肌身離さず持ち歩いていて、夫と孤塔に入った時も大切に衣嚢ポケットに忍ばせていたはずだ。しかし、支払うべき対価はまだ持ってこられていなかった。


「あの、呪術者様、代金は必ずお支払いします。もう少しだけ待ってください。きっともうすぐ夫が解放されます。夫と私の二人で身を粉にして働きます。ですから――」


「いいんだよ。あなたの幼い子供をどうにかするのが先じゃないか」


 グルは目を細めて笑った。


「一族の者を集めよう。祈りは多いければ多いほどいい。まずは、魂になってさすらっているあの子を探してやらねばな」


 グルが弟子を呼び、ジェラの言葉で何かを告げた。


 「さあ、祭壇の前に行こう。すぐに人が集まる」と、グルはサラを立たせて、天幕を出るように促したが、砂漠に面した広場にいくと、サラは驚いた。グルが弟子に人を集めるようにいったのはほんの少し前のはずなのに、すでに人が大勢集まっている。グルと一緒にサラがたどり着くと、集まっていたジェラ族は輪をつくるようにぞろりと動き、無言のうちに手をつないだ。


「ジェルトのために集まってくださったのですか」


 こんなにも大勢の人が息子のために――。軍病院で受けたひどい仕打ちの後で、涙腺が緩くなっていたのか。サラは泣き出してしまった。


「あなたも息子さんもジェラだろう? ジェラは血を尊ぶのだよ、街で暮らしているうちに忘れたのかい」


 グルはにこりと笑い、手をつないで輪をつくった同族に場所を空けるようにいい、サラの手をひいて輪の中央へと向かった。


「では、〈母〉へ祈りを捧げよう。サラさん、あなたにも手伝っていただく」


「私が?」


「ああ、私の肩に手を置いて。息子さんのことを熱心に思い浮かべなさい。魂になった誰かを探すのは容易ではないのだ。相手をよく知る誰かの強い記憶が必要で――あなたは誰よりも息子さんに詳しいだろう?」


「もちろんです」


 グルが砂の上にあぐらをかいて座るので、サラはその後ろに両膝をつき、グルの肩に両手を置き、目を閉じた。


 私のかわいいジェルト――。

 お願い、戻ってきて。


 人の輪が、回り始めた。ジェラたちは〈母の歌〉という、サラもよく知る歌で祈りを捧げ、節の合間に演舞ダンスをするように時折身体を揺らした。


 ――セイラゼス・ナ・ジェラ・イス・ジートル・ド・ネス・ジャス・ドー。


 グルは、サラの知らない言葉をジェラの言葉を一心に唱えていたが、ある時、サラを振り返って注文をつけた。


「もっと息子さんを思い浮かべて。――こうしよう。きっと息子さんもあなたを探している。あなたの気配を私に乗せて飛びましょう。もっと息子さんを呼び寄せなさい。あなたはここにいると、息子さんに呼びかけなさい」


 祈りの激しさからか、グルの額には脂汗が浮いていた。苦し気な表情に引き込まれるように、サラは大きくうなずき、汗ばんだグルの背中に額をつけるようにして、ジェルトを呼んだ。


 ジェルト、母さんはここよ。

 ここにいるわ。あなたの母さんはここよ。

 おいで、ここよ。あなたを探しにきたわ!


 ――イス・ジートル・ド・ネス・ジャス・ドー。

 ――イス・ジートル・ド・ネス・ジャス・ドー。


 グルが額や首筋に汗の粒を浮かばせて繰り返す祈りの言葉が、いっそう激しさを増していく。時々、悲鳴をあげるようにして、身体をこわばらせることもあった。


「そうだ、ここだ……ここにおいで……」


 祈りの言葉の合間に、熱に浮かされたような呟き文句が聞こえる。


 グルの祈りに同調するように、サラの呼び声も大きくなった。


「もしかして、ジェルトが見つかったんですか。ジェルト、母さんはここよ! ここにいるわ。おいで、怖かったね、迎えにきたから、こっちにおいで。ジェルト!」


 ――イス・ジートル・ド・ネス・ジャス・ドー。

 ――イス・ジートル・ド・ネス・ジャス・ドー。

 

 しばらく経ったある時。グルの唇が閉じ、祈りの文句が途絶えた。


「そうだ……おいで、そうだ、私は、母さんだ――おいで、生贄ネスよ」


 祈りの文句に代わって呟かれた言葉は、声がかすれている。祈りで疲れたせいか、別の何かか。目の前の獲物につられて唾を垂らしながら牙を剥くような、幼な児を好んで食らう下等の化け物を思わせる不気味さがあって、サラは一瞬面食らった。


「呪術者様、大丈夫ですか」


 きっとお疲れなのだ。熱心に祈ってくださったから――。


 労いの言葉をかけると、グルは長い深呼吸をして、閉じていた目を開けて、また閉じる。そうかと思えば、また開けた。


「息子さんは、見つけたよ」


「本当ですか」


「ああ。今、私の目には息子さんが見ているものが見えている。乗り移っているのだ」


「乗り移る――そんなことができるのですか」


「ああ。実は、よくやるのだ。子供はよく迷子になるからね。息子さんの魂も塔の中で迷子になっておったよ。帰り道を一緒に探してみるから、今日は街にお戻りになるといい」


「街に? でも――」


「帰ったほうがいい。十日か二十日か、もっとかかるかもしれんから」


「そんなに?」


 サラは落胆した。いますぐ抱きしめたいくらいなのに、十日も二十日も待っていなければいけないなど――。糸口が見つかったと思えたのにまた独りで帰途につかねばならぬなど、息子のことを想うと気苦労で身がすり減ってしまいそうだ。


「一度飛び出てしまった魂を身体を戻すのは、あなたが思う以上に大変なのだよ」


 グルはもっともらしくいい、丁寧に帰宅をすすめた。

 

 帰り際に、サラは気になっていたことを尋ねた。


「あの、先ほど唱えていらした呪文はどういう意味なのでしょうか」


 サラもジェラ族の出で、ジェラ語もある程度は理解できる。ただ、父の代から街で市民権を得て暮らしているので、知らない言葉もあった。グルは、笑った。


「ああ――セイラゼス・ナ・ジェラ・イス・ジートル・ド・ネス・ジャス・ドー。『〈母〉よ、あなたのもとに使者を贈ります』――私のことだよ。魂になった私が塔に入ることをお許しくださいと、そう祈ったのだよ」



+ + +



『なぜ、孤塔の破壊命令が出されたのか。謎だらけとはいえ、未来に残すべき古代遺跡だ。制御は本当にできないのか』


 世の中にそういう意見があることを、マリーゴルド三世は知っていた。


 だから、クロク・トウンでの滞在先になった離宮に、かねてから付き合いがある重鎮の学者が王都から訪ねてきた時は、学会を代表しての直訴か、説教をされるのだと、厄介に思っていた。


「女王陛下、お久しぶりでございます」


 やってきた学者はセイジスといい、百歳近い老体だ。仮の謁見の間になった広間にも、弟子の手を借りてよろよろと歩いてやってきて、女王よりも先に椅子に座った。喋り方も噛んで含むようにゆっくりとしていたが、膨大な言葉の中から文脈にふさわしい単語を見事につないでいく様は、尊敬を集める偉大な学者にふさわしかった。


「ご無沙汰しております、セイジス教授。わざわざクロク・トウンまでいらっしゃるなど、どういう風の吹き回しでしょうか」


 セイジスは、かつて女王に歴史学を教えた恩師だ。学者になる前は政治家で、祖母と母――マリーゴルド一世と二世を助けた人物でもある。

 

 ふ、ふ……と笑い、セイジスは丸眼鏡の奥でつぶらな目を細めた。


「孤塔を壊すと聞き、見学にまいったのです。あの孤塔が壊れるのを、この目で見るまで、死ねませんから」


「――教授は、破壊に賛成なのですか」


 塔の破壊に反対しているのは、主に学会だ。彼らの言い分はこうだ。人類の遺産を破壊し、未来に残さないのは、子孫に対する横領行為だ、と。だからきっと恩師も――と身構えていたのだが。


 セイジスはうなずいた。


「私は、賛成です。塔師の諸君には、存分に力を発揮していただき、一刻も早く入口を閉ざすべきです。――そもそも、塔師局ができたのも、ジェ・ラームの塔を壊すためですから」


 塔師局が開局したのは、六十五年前。〈赤戦争〉を終わらせるために即位した、マリーゴルド一世の御代のことだった。女王は慎重に顔をあげて、セイジスを見つめた。


「セイジス教授、それは――」


 セイジスはそれ以上話さなかった。


「あと十日は街に滞在するつもりです。またお目にかかりにまいります」


 女王にとっても、好都合だった。気にかかっていたことの糸口が見えた気がしたものの、誰かに相談したいとはまだ思えなかった。


 短い謁見が済んで、寝所となった奥間へ戻ると、人払いをした。王都から運んできた荷物の中でも、特に目を光らせて守らせている宝飾箱を運ばせ、箱を開けると、すべての宝石を取り出す。底は、二重底になっていた。重なり合った底面を慎重に外していくと、中に隠していた古い手紙を取り出した。


 もう四十年以上前に書かれた手紙だ。女王が受け取ったのは、即位した二十年前だが、もとは先代のマリーゴルド二世の持ち物で、そのさらに前は――。


 時を経て、紙は表面が黄ばみ繊維が細かく毛羽だっている。脆くなった紙を丁寧にひらいて、墨汁インクで書かれた字をたどる。手紙には、こうあった。



 ジェ・ラームの塔への国民の出入りを禁じるべし。

 また、かの塔を破壊せよ。

 破壊者となる塔師は王直属とせよ。

 女王家の威信に関わる大事である。  

              マリーゴルド



 その手紙を先代から預かったのは、即位を目前にした少女の頃だったが、先代は手紙を手渡しながら、このように教えた。


『これは、マリーゴルド一世が残した秘密の遺書ですよ』

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