八階の草原 (1)


「向こうのほうが草の割合が多いな。水源はあっちかな」


 八階では、全方位に地平線が見えている。高い山も丘もなく、見渡す限り平坦だ。


 肩車をしあって双眼鏡を覗いたギズとマオルーンは、進む方角を決めたらしい。


 遮るもののない草原では風がよく育ち、風の音は、怪物の雄たけびに似た重い轟音になる。ちょうど風に向かって進む形になったので、遠くから重い風の音が響いて突風が来そうになるたびに、足を止めて身を庇った。


「ひどい場所だな。こんなに風が吹くってのは聞いてねえぞ」


「レサルよりましだ。あそこは上に登れなかった」


 黄土の平原を歩きながら、ギズとマオルーンが話したのは、カシホの故郷のことだった。幼い頃から遠くに眺め続けた、「針の黒塔」と呼ばれた遺跡のことだ。


「レサルの孤塔はどうだったんですか。たしか、お二人が孤塔に登ったのは百三十二次調査でしたよね」


「ああ、レサルの磁嵐の後にな。――そういや、おまえの出身はレサルだっけ?」


「はい。家はレサルの中心部なので、孤塔とは少し離れますが」


「街には孤塔の監視所があるな。あそこは何度か寄ったよ」


「レサラス山の麓にある建物ですね」


「よく知ってるな」


「はい。あそこで塔師科を受験する許可をもらったので。――それで、レサルの孤塔はどうだったんですか? レサルの磁嵐の原因はわかったのでしょうか。中はどんな感じでしたか」


「質問が多いな。しかも、どれも簡単に答えられる質問じゃない」


 マオルーンが笑う。ギズは苦い思い出を語る風に答えた。


「レサルの孤塔ねえ――。おれらは、磁嵐の後に調査に入った五隊のうちの四番目だったが、孤塔が迷宮状態になるいわゆる高層階が始まったのは九階だった。そこから迷路がしばらく続いて、次に行けたと思ったら、湖のど真ん中に当たっちまった」


「ああ、湖。辿りついた場所は、湖の真ん中に浮かぶ小さな島だった。舟があるわけでもなく、それ以上進めなくて、撤退したよ。――今なら、次に行く出口は必ずあると信じて少人数で調査を続けるがな。ただ、あの五回の調査で孤塔の内部が常に変化するってことが分かったし、対磁弾の性能や使い方、脱出方法も定まった」


「造りはジェ・ラームの孤塔とほとんど同じで、壁の色が違うだけだった。それから、なんだっけ。レサルの磁嵐の原因はわかったのかって訊いてたっけ? ――まったく、だ。さっぱりわからねえ。災害の原因を突き止めるのは、そもそもおれ達じゃねえしなあ。レサルの磁嵐が起きたのが三年前、孤塔の調査が二年前だから、おれ達が持ち帰った記録がそろそろ解析されて、そのうち塔師局が報告するんじゃねえか?」


「そうですか――」


 雑談ができるのは、強風が吹かない間だけだ。


 突風の気配を感じるたびに、吹き飛ばされないように待機しなければならなかったので、結局、一日かけてもあまり進めなかった。行く手に、男の背より高い巨大な岩の塊が見えて、空から光が薄れ始めると、そこを中継地にすることにした。


「いい風避けがある。今日はここで野宿だな」


 地面と同じ黄色の岩で、幅は大人が二人並んで両腕を広げられるほど。高さも背丈以上ある。


 岩の手前に荷物を置いて、食事の支度を始める。食事は、七階で森に出くわすまでと同じ質素なものに戻った。干した肉と焼き菓子を、ゆっくり噛んだ。


「ちゃんとした水場が見つかるまでは水を節約しねえとな。食糧と水と弾が尽きかけたら撤退準備だ」


 短い食事が済んで、風に飛ばされないように荷物同士を結んで、背嚢リュックから寝袋を引っ張り出し始めると、ギズがそっと立ち上がった。


「悪い、ちょっと――」


「ああ、いってこい。ついでにサスって奴がどうなったか聞いてくれ」


「あいよ」


 ギズは、「悪いな」という風に苦笑を浮かべて、マオルーンとカシホに目配せを送った。岩のそばを抜けて、時折砂が舞い上がる夜の草原に歩いていく後ろ姿を、カシホはぽかんと見送った。


「ギズ教官は、またですか」


「ああ、だな。実はな、地上にあいつの女がいるんだよ」


 「あいつは地上と通信できるだろ? あの特技を生かせば遠距離恋愛に差支えがないらしいぞ」と、マオルーンは冗談を言った。


「でも――今のギズ教官、少しおかしくありませんでしたか」


「どこがだ」


「笑っていました」


「あいつだって笑うよ。むしろ、よく笑うほうだと思うよ。よく笑い、よく怒る。至極素直で健康な奴だよ」


「でも――ギズ教官はわたしにも笑いました。これまでは、ギズ教官が笑う相手はマオルーン教官だけだったのに」


 「恋人さんとお話ができるから上機嫌だったのかな」と不思議がっていると、マオルーンは「なんだ、そんなことか」と笑った。


「おまえがよくやってるからだろ。同じ塔師仲間だって、あいつがおまえのことを認めたんだろう」


「そう、でしょうか」


 「そうだったら嬉しいですけれど」と、カシホは言葉を濁した。正直なところ、嬉しいのか、どうなったら誇らしいのかがよくわからなかった。


(わたしは塔師になりたい――んだよね)


 カシホは塔師になりたかった。でもそれは、若くして亡くなった幼馴染の夢を継ぐためだ。彼の代わりに、彼の夢だった塔師を目指すことでしか、彼の死を受け入れられなかったから――。


(実地試験が終わって本当の塔師になれたら――その後、わたしはどうするんだろう)


 憲兵学校に入ったのも、勉強に励んだのも、ただ、リイトを感じていたかっただけだ。塔師になれたら、もっと彼に近づける気がして。でも、到達点ゴールが見えてくると、その向こう側の景色も見えてくる。想像していたよりも、その景色は殺風景だった。――そこにリイトの姿はなかった。


(塔師になってもリイトは戻らない――リイトは、いなくなった)


 闇にまぎれて消えゆくギズの後ろ姿を、ぼんやりと見送った。


 ギズの影は右腕を浮かせていて、通信機らしき角ばった影を耳に当てていた。それから、自分の姿をカシホ達から隠すように、別の岩陰に隠れた。



 + + +



「ああ、気をつける。――ん、ああ、電話を切ったらマオルーンのところに戻るよ。――わかった。引き続き後方支援を頼むよ。……頼もしいね。助かるよ。おやすみ――」


 今晩の拠点となった大岩と少し離れた場所にも、風よけに都合のいい岩があった。寝椅子ソファーの背もたれに背中を預けるように地べたに腰を下ろして、恋人とのやり取りを済ませたギズは、筒服ズボン衣嚢ポケットに通信機を滑り落としつつ、別の衣嚢ポケットに手を差し入れた。


 風は弱まっていたが、どこかでは強く吹いている。夜の草原には、遠くで吹き荒れる風の音がうっすらと満ちていた。


 手のひらで囲いを作りつつ、衣嚢ポケットから取り出した煙草に火をつけて、フウッと煙を吐く。


 しばらく、煙草を吸った。


 また、しばらく経った。


 時間が経っても、無言でいても、何も起きる気配がないので、ギズは辟易とため息をついた。


「おまえ、何やってんだ」


 ギズが岩場にやって来たのは、先客がいたからだった。


 少し離れた岩影にうずくまる少年の影があった。少年は、膝を抱え込んでいる。


 齢は十五、六くらいで、目と髪は琥珀色、白肌と、中央の穀倉地帯系――カシホと似た顔つきをしている。


 ギズがその少年に会ったのは、初めてではなかった。前に出くわしたのは、七階の森の奥だったが、数日見ないうちに、少年が身にまとっていた白い服は砂だらけになり、髪は風に煽られてボサボサに乱れて、頬にも首にも涙の痕らしい筋をつけていた。


 少年は、話しかけた後もしばらく動かなかった。


「あ、そう。用がねえなら帰るぞ。吸い終わるし」


 風の音がびゅうびゅうと何度か強く唸る。


 「じゃあな」と腰を上げかけたギズを引き留めるように、ようやく少年は、青白い顔をゆっくりと傾けた。


『ギズさん――。お願いです……僕を、消して――』


「女々しく泣きやがって。鬱陶しいなあ。――あぁあ、いやな予感が当たりやがったし」


 「やっぱり居たよ。だからカシホは先に戻しときたかったんだ」と、ギズはぽりぽりと首元を掻いた。


 それから、その手を筒服ズボン衣嚢ポケットに忍ばせる。少年は、衣嚢ポケットに差し入れられるギズの手を暗い顔で見つめていたが、やがて、ギズの手に取られたものが煙草の紙箱だとわかると、眉山を寄せた。


『次の煙草を吸うの? 前に僕を撃った拳銃は反対側の衣嚢ポケットに入ってるの? それを吸い終わったら、僕を消してくれる?』


「どうだかなあ。てめえは不死身みたいだし、撃っても効かないんじゃ、撃つだけ弾が勿体ねえしなあ」


『弾は使わなくてもいいんだろ? 最高峰の塔師は銃弾を使わなくても僕を消せるって、そう言ってたじゃないかよ』


「普通はな。てめえは普通じゃねえんだよ。――あぁあ、風向きが変わっちまった。ちょっと向こうにずれろよ。風のせいで火がつかねえんだ」


 少年を奥へと追いやって、ギズは少年の隣に腰を下ろした。紙箱から引き抜いた二本目の煙草の先に火を着け、口元に運んだ。


「ふう」


 煙草をゆっくりと唇に近づけたり、離したり――。近づいたくせに、目も合わせずに煙草を吸うギズを、少年は瞬きもせずに見つめていた。頼みを聞いてくれたのか、何かを考えているのか――と、じっと探る風だ。


 やがて、ギズの指にある煙草が短くなると、少年は焦った風に話しかけた。


『ねえ。それを吸い終わったら僕を消してくれる?』


「そうだなぁ。どうするかな」


『ねえ。僕がここにいるって、さっきからわかってたの?』


「まあな。エクル最高の塔師をなめんなよ」


『――どうして? 僕に磁波があって、それに気づいたの』


「まあ、そういうことだ」


『実力がある塔師なら、みんな気づくものなの?』


「人によるかな。おれは敏感なほうだ」


『――向こうで待っている二人の塔師は、僕に気づいてない?』


「マオルーンは気づいていない感じだな。もう一人は、どうだかな。今回の調査で初めて会った奴だからよく知らねえし、おれにはわからんね」


『そう……』


 少年は肩を落とした。


 ギズは唇から白い煙をふっと吐き、少年の横顔を見下ろした。


「おまえ、カシホの関係者か」


『――』


「答えたくねえ? 別に、いいけど」


 「知りたくもねえし」と吐き捨てるように言って、ギズは、指先に挟んだ煙草をもう一度口元へと寄せた。


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