序章 レサルの磁嵐 (2)


「ああ、ギズ。いま通りに着いた。新居は――」


 塔師局にジェ・ラームの孤塔の破壊命令が伝えられた晩のことだ。


 携帯通信機を耳に当てながら、マオルーンは石畳の路を歩いていた。通りに面した建物は白煉瓦造りばかりで、窓の位置も屋根の高さもほとんど変わらない。「おまえの家はどこだ」と友人に尋ねて、特徴を告げられてようやく、マオルーンは苦笑した。


「黒のドア? ……ああ、見つけた。目立つな」


 通りには、一軒だけ、黒鉄製のドアを据えた建物があった。見つけてしまうと、白色を帯びた街ではそのドアは黒い染みに見える。


 友人、ギズは、ドアを開けてすぐの居間でくつろいでいた。使い込んだ革張りの長椅子に背を預けていて、手には厚硝子製の手杯コップがある。風呂に入った後のようで、短く刈り込まれた黒髪はまだ濡れていた。


「突然来るなんて珍しいな。何かあったのか」


「なんだと思う?」


 目が合うと、ギズは手杯コップを傾けて目を細めた。


「ジェ・ラームの孤塔の破壊が決まったな。あんたは今、局に呼ばれてたんだろ?」


「ああ」


「あの孤塔には、あんたが行くのか」


「ああ」


「おれも行くんだろ?」


「ああ」


「別に、珍しくもなんともない。世界最強の孤塔に、一番実績のあるおれとあんたが行く。普通すぎて祝う気も起きねえよ。気になるといえば、そうだな――面子は?」


「実は、一般人が同行することになった」


「一般人? なんで」


「壊す前に学術調査をさせろということになって、学者が途中まで登ることになった」


「ハア? 学者――何人だ」


「六人」


「――アホらしい、遠足に行くんじゃねえんだぞ。塔師は何人だ」


「俺とおまえと、それと――」


「おれら以外にもいるのかよ? 前回の調査で、孤塔を攻略するには二人がいいって報告したはずだぞ。軍隊じゃねえんだ。数が多けりゃいいってもんじゃねえんだよ。足手まといになるから、最高峰が二人いりゃいいっつったのに」


「俺もそうウースーにいったよ。だが、二人がいいっていうのは俺とおまえの意見であって、上からしたら大人数の編隊を組む選択肢を棒に振るってことだ。だから――」


「はん、何が。連中が推した、二十人編成の調査は全部失敗に終わってるじゃねえかよ。調査の目的を果たして成果をあげたのは、百四十三次調査と百四十六次調査の二回だけだ。つまり、おれとあんたの小編隊だけだろうがよ」


「悪い癖が出てるぞ、ギズ。まずは話を聞けよ。その癇癪をどうにかしろ」


「癇癪じゃねえよ。おれは素直なんだ。上司が嫌いなんだ。とくに、部下の手柄を横取りして偉くなったくせに、デカい顔してふんぞり返ってるデブでハゲの上司がな」


「――困った奴だな」


 マオルーンは微笑した。ギズの手から手杯コップを受け取ると、口元に運んで砂糖酒を少し舐めた。


「まあ聞けよ。結局のところ、ウースーは俺の意見を飲んだ。だが、学者連中を連れていくなら、引率用の塔師がもう一人要るだろう? もう一人欲しいといったら、局長が選んだ奴を行かせることが小編隊出動の条件になった」


「条件? なんでそんなものを飲む必要が――」


「大人の事情があるんだ。もういいだろう? とにかく、俺達のほかにもう一人行くことになった。実は、そいつも今一緒に連れてきている。――おい、もう入って来ていいぞ。さっき話した通り、当代最高の塔師、ギズ・デンバーは不機嫌だ」


 黒い扉に向かって呼びかけてしばらくすると、鉄扉の取っ手がガシャリと回る。ドアが開くと、塔師の制服を身にまとった小柄な少年が立っていた。かつて近衛兵団から派生した塔師の制服は、王の警護を任とする近衛兵団と同じ形をしている。近衛兵団の制服は、夏に獲れる豊穣の実〈カリス〉の鮮やかな青色だが、塔師の制服は深い緑色。森の色だ。同色の背広と筒服ズボンには、肩から手首、腰から足首まで金糸の古典文様が入っていて、腕のあたりには塔師局の印章の刺繍もある。


 玄関に立った少年は、かなり細身だった。制服は、作られている中でも一番小さなものだろうに、ぶかぶかで、腕も足も生地が余っている。金刺繍に彩られた立ち襟の上には、白い顔がある。身体と同じく顔も小さく、髪は太陽の日差しの色に近い小麦色。肩につくかつかないかという長さの髪は、波模様に似た愛らしい巻き毛だった。


 やってきた塔師の顔を見るなり、ギズは背もたれから半身を浮かせた。


「男じゃねえ。こいつは、女じゃねえかよ――」


「ああ、彼女の名はカシホ・オージユ。名前は知っているだろう? 今期入局したばかりだが、入局試験では筆記試験も実技試験もほぼ満点で、歴代最高をたたき出した」


「連絡記事で見た。だが、そいつが試験を受けたのは三か月前だろうがよ。入って三か月じゃ、まだ研修中だろうが」


「今日付けで局内研修は終わった」


「終わっただと? 半年かかるはずだろ?」


「終わったらしい。成績優秀者によくあるやつだ。ギズ、おまえも二か月飛んだろう。俺はきっちり半年受けたがな。一応付け加えておくと、カシホは憲兵学校でも一年飛んでるよ。というわけで、次は実地研修に移るそうだ。――ほら、カシホ。挨拶しろよ。この男がおまえの教官になる」


「はあ? おれがそいつの教官だと?」


「ああ、俺も教官の一人だ」


「教官って――おれに実地研修の面倒を見ろっていうのか。ていうか、ジェ・ラームのあの孤塔を新人研修に使うってのか? 現場を舐めてんのかウースーは!」


「――ほら、カシホ。大丈夫だ。ギズはいつもこうだから」


 促されると、カシホと呼ばれた少年――いや、男性用の制服を身にまとった少女は、深く頭を垂れた。


「カシホ・オージユ塔師見習いです。どうかご指導よろしくお願いします、ギズ教官」


 男装をしているが、声は少女そのものだ。声は細くて高く、言葉づかいも少女らしい。


 ギズは、指から落としそうになった手杯コップをかろうじて煙草箱の上に乗せて、わなわなと手を離した。


「ふざけんじゃねえよ、ウースーの奴……あの、デブハゲ狸のクソ野郎が。こんな足手まといを連れていかせるだと? おれを迷宮に閉じ込める気かよ」


 長椅子の上で片膝を抱え込み、ギズは大きく息を吐いた。


「マオルーン、今回の調査の目的はなんだ。本当に命令は孤塔の破壊なのか? おれたちに失敗させて、孤塔を残したい連中でもいるんじゃないのか」


「考えすぎだろ」


「なら、どうして新人が行くんだ」


「それはな――」


 マオルーンはいいかけて、カシホを気にした。


「カシホ。いったん外に出て通りで待っていろ。俺が話をするから」


「はい、マオルーン教官」


 いわれるままにカシホは玄関口まで戻り、カチャリと金音を立てて扉の向こう側へ姿を消した。再び二人になると、ギズは、片眼を細める。


「あいつに聞かれたくない話か」


「まあ、そうだな。入局したばかりで、夢が色褪せるとかわいそうだから」


 マオルーンは、塔師見習いが今回の作戦に参加することになったいきさつを話した。それは、少し長い話になった。


 話している間、ギズはうなずいたり首を振ったりした。最後には額に手のひらを当てて、つぶやいた。


「無理だ、マオルーン。それでも――おれには、まずい状況しか頭に浮かばない」


「俺も同じだ」


 マオルーンは砂糖酒をぐびりと飲み、ふんと笑った。


「その時はその時だ。孤塔に入ってしまえばこっちのものだし、任務が達成できれば、ウースーも文句はいわないだろう」


「それって――」


 ギズが顔を上げる。その目と目を合わせて、マオルーンは寂しげに笑んだ。


「少しくらい無理するさ。なにせ、次はおまえの最後の仕事だ――そうだろう? 孤塔の上は、俺とおまえが目指し続けた人類未踏の地じゃないかよ。あそこがどうなってるのか、一緒に見に行こう、ギズ」

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