龍を喰った女

 ヴァーラーンで最も大きな街へと至る街道から少し逸れた原野で、彼らは火を囲んでいた。春でも、夜は冷える。

「なあ、落ち着いて考えてみないか、アイシャ」

「わたしは、またアイシャさんが空に出るのは、とても嬉しいです」

「おい、リーラン。お前まで」

 空に出ると言って、アイシャは聞かない。事態は、国と国との最終決戦へと舵を切ろうとしている。その中、アイシャ一人がまた空に帰って、どうすると言うのか。それが、カシムの意見であった。

 アイシャに引きずられるようにしてここまで来たが、もう一度話し合わないか、というわけである。

「それは、分かってる」

 アイシャは、平然としている。承知の上で言っているのだ。

「死にに行くようなもんだ。人一人が足掻いて、どうなるわけでもない。お前の言うユーリって奴も、だから、バルサラディードに依ったんだろ」

 カシムは、アイシャがユーリという者と並ならぬ関係であることを察し、面白くないらしい。

「お前が、とてつもなく大きなものを背負っているのは分かる。ここにいる国境無き翼の連中も、皆同じだということも分かる。だけど、それに支配され、取るべき道を間違えれば、そこには死があるだけだ。俺は、お前に死んでほしくないんだ、アイシャ」


 それには、リーランも同意した。空にあるアイシャは好きだし、アイシャにはやはり鐡翼が似合う。だが、アイシャに死んでほしくないと思う。

 アイシャさんに、幸せになってもらいたい。などと、彼女は言わない。そういうことを口に出来る価値観を人が持つほど、穏やかな時代ではないのだ。

「ねえ、アイシャさん」

 だが、彼女は別のことを問うた。

「国境無き翼が壊滅したとき、ユーリさんが、手引きしたと思っているんですね」

 アイシャは少し沈黙し、頷いた。

「それ以外に、あり得ない。ユーリは、はじめから、それをするつもりだったのよ。何故なのかは、分からない。だけど、彼がバルサラディードと組み、あの龍の侵攻を計画した」

 そして、その見返りとして、自らがバルサラディードで生きてゆくことを得た。これから、力の均衡を大きく自らの方に傾けようとするバルサラディードにしてみれば、国境無き翼は脅威である。ユーリが内通し、あの惨事を引き起こしたのだとすれば、バルサラディードの者として生きてゆくということは、報酬としては少なすぎるくらいである。


 力の均衡。それを、国境無き翼は求めてきた。

 バルサラディードのシュナーが求めているのは、何なのか。

 アイシャはそれを知らぬが、ユーリが加担したということから、推測は出来る。

 かつて、ゼムリャがアイシャに求めたもの。


 この地上から、全ての武力を消し去ること。

 ユーリはそれを求め、同じものを求めているシュナーと手を組んだ。そういう風に考えられる。

 考えるより、直接問うた方が早い。彼は、空にある。だから、アイシャも空にゆく。言ってみれば、それだけのことであった。


 そこが、カシムやリーランには、分からないらしい。だから、アイシャは、それを納得させなければならなかった。

「わたしのことを、話さなければならないようね」

 少しずつ、アイシャはリーランやカシム、他の国境無き翼の者に、自分のことを話すようになっていた。だが、彼女が彼女たる最も大きな話題については、触れぬようにしてきた。これまで、その必要に駆られなかったからだ。


「わたしは、龍なの」

 ぽつりと、言った。なるほど、空にあって自らの前を飛ぶ敵をことごとく滅ぼすなら、龍であろう。しかし、そういう比喩的な意味ではないらしい。

「わたしは、龍なのよ」

 原野を照らす火にその姿を染めながら、もう一度言った。

「——どういう意味だ」

 アイシャが只事ではないことを言おうとしていると察し、カシムが真剣な顔をした。

「わたしの身体には、龍晶が入っている」

「入っている、って、どういうことですか、アイシャさん」

 他の国境無き翼の構成員も、アイシャの言葉の続きを求める顔を向けている。

「ユーリも、そう。ゼムリャがわたしたちをの」

 アイシャは、そのことを説明し始めた。


 国家や勢力の利害に依らず、ただ純粋に戦いを見つめ、その終結を目指す。ゼムリャは、国境無き翼を、そのために作った。それは誰でも知っていることである。

 そして、その方法を、ゼムリャは知っていた。

 彼は、かつてヴァーラーンにいた。

 そこで、龍を呼ぶわざに触れた。

 ヴァーラーンで研究が進められていた、龍の新しい使い方。

 その被検体に、ゼムリャは自らなった。

 そして、軍を脱した。


「その技術の完成が、彼の夢だった」

「完成、って――なんだよ、その技術」

「龍を呼ぶのには、莫大な量の龍晶が要る」

 カシムは知らぬかもしれぬが、国境無き軍の者は、全員がそのことを知っている。

「人の苦しみを。叫びを。その肉体を、龍晶に喰わせて。そうして、人であったものは、龍になる」

 ヴァーラーンで研究が進められていたのは、その技術の応用である。

 龍晶に人を取り込ませるのではなく、人に、龍晶を取り込ませる。それが実現すれば、龍を呼ぶのに比べて遥かに少ないで、龍を呼ぶことが出来る。

「狂っていやがる」

 カシムの褐色の肌から、汗が流れた。戦いは、人を狂わせる。いかに消費を少なく、効果を増やすか。それを求める人の心が、文明を生んで育て、人を導いてきた。そしてその過程において発生する戦いというものにおいても、人はそれを追及したのだ。


 ヴァーランの実験は、成功はしなかった。被検体となったゼムリャは、ごく小さな龍晶で、龍になるはずであった。しかし、苦痛と共に龍晶をその身体に取り込んだ後も、姿は人のままであった。結局どういう状態なのかは分からぬが、ゼムリャが、龍を喰ったのかもしれない。

 そしてゼムリャが気付いたときには、周囲には百を超えるヴァーラーンの学者や軍人の死体があったという。

 もの言わぬ身体となった彼らが想定した形とは違ったが、ゼムリャは龍となった。

 そして、国境無き翼を創った。その中でも、彼は密かに、龍晶を受け入れることが出来る人間を探し続けていたらしい。その歳月の中で見出したのが、アイシャとユーリ。二人には戦いの才能があり、苦しみや怒りを抱えていた。


 ゼムリャは、ユーリに先に龍晶を植え付けた。ゼムリャの思想にユーリは共鳴を示し、自らが龍となり、この戦いを終わりに導くため、彼はそれを受け入れた。

 そして、アイシャは、それを拒んだ。人の造った戦いを終わらせるために、人であることを止めるのは御免だと言ったのだ。人ではないものが人を殺め、人の営みを奪い、戦いを治めるなど、不可能だと言った。

 しかし、ゼムリャは、アイシャという人間が生まれてから経てきた時間の全てを、喰わせた。その怒りも、苦しみも、喪失感も、悲しみも、全て。アイシャは、それを激しく拒んだ。

 だが、アイシャが気付いたとき、その足元には瀕死のゼムリャが横たわっていた。アイシャは、龍となったゼムリャをも屠ることが出来る龍に、望まずしてなった。アイシャもまた、龍を喰ったのだ。


 見た目は、完全にそれまでと変わらない。だが、彼女は、確かに龍になった。銃の扱い、身体の強さはそれまでの比ではなくなった。鐡翼に乗り込んでも、飛行し激しく移動する標的と自分とを確実に結び、墜とすことが出来た。

 彼女は龍となったが、両の背から生える翼は持たなかった。だが、その代わりに、鐡の翼を用い、空を舞った。そして紅い火ティニラエドでもって、龍を焼き、墜とす。

 だから、彼女は、龍なのだ。

「――それ、ほんとうなんですか、アイシャさん」

 リーランの眼に、涙が光っている。

「望んでもいないのに、強いられ、人ではない力を持たされ、戦い続けているなんて――」

「べつに、泣くようなことじゃないわ」

 アイシャは、恬淡としている。彼女は、そのことを振り返り、悲しんだりするような心の構造を持たぬらしい。

「ただ、わたしは、確かめたいの」

 ユーリが、自分の意思で、アイシャと共に築き上げてきた全てを打ち壊したのかどうかを。

「確かめなければならないの」

 南の空を、見た。

 その先には、バルサラディード。

 火の粉がそれへ向かって舞い、闇に力を奪われ、溶けて消えていった。

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