第8話 防壁

 ──そこ口の中は、とても獣臭かった。ボクはわああああああ!!と叫んで必死に手足をバタつかせたけれど、大きな舌と上顎にぎゅっと挟まれ、すぐに口と身動きを封じられる。

 ……無限にも感じた、たった数秒のその圧迫で、ボクは自分の無力さを悟った。そしてそれ以上抵抗する気力を失ったボクは、全てを諦めてだらりと脱力したのだった。


 ……ボクの耳にはみんなの悲鳴が聞こえた。大きなライオンの口から、ぷらんと足を垂らすボクの姿は、どう見ても哀れな獲物ただのエサだったに違いない。



「もう、スクートさんは〜!新入生を怖がらせないでください〜!」


 キコ先生がプンスカ抗議すると、ライオンは首を振ってボクを正面にポイッと吐き捨て、唸るような声で喋り始めた。


「いや、このくらいが丁度よいだろう。……皆、よく覚えておきたまえ。猫をイジメる悪い子は、我輩がペロリと喰ってしまうぞ」

 ライオンはそう言うと、大きな舌で見せつけるように舌なめずりをして、その場に伏せる形で座った。

「何、安心したまえ。良い子にしていれば取って喰いはしない。我輩は猫、名をスクートという。よろしくな」



 どうやら、キコ先生にスクートと呼ばれたこのライオンが、学長の言っていた“デカい男”みたいだった。みんなガタガタ震えている。チビっ失禁している子もいるみたいだった。あんなの、お父さんに比べたら全然、怖くなんてなかった。……ボクの服が湿っているのは、もちろん先生ライオンの唾液のせい……だ。


「みなさんの着ている服はですね〜、ぱたぱたぱたとはたくと〜汚れがとれるようになってます〜。もし汚れちゃったらやってみてくださいね〜」

 耳寄り情報に飛びついたボクは、早速唾液まみれのローブと、ついでにパンツもパタパタしてみる。べたべたな感じがふわっと消えた。すごい、これで証拠は残らなかった。頭はちょっとべたついたままなので、手でばばばばと払って自然乾燥にお任せする。……ちょっと臭い。




 いつの間にか一箇所に集められていたボクたち新入生に向けて、キコ先生が説明を始めた。

「39,40,41,……は〜いみなさん聞いてください〜!ここはですね〜、グドラシエの“一番下”にあるお庭です〜!遊ぶときはここで遊んでくださいね〜」


 そう言うと、キコ先生はライオンスクート先生のたてがみに登って遊ぶ猫たちを指さしてこう続けた。

「ただし!ここに住むにゃんこたちは〜、ファー・イヤー・ウォールけもみみの防壁といいまして~、下から登ってくるネズミさん等をやっつけるお仕事があるんです~。いじめたり、おやつをあげたりしないでくださいねぇ~」

「おやつはいつでも歓迎し……」

「ダ・メ・で・す~!おやつに味を占めちゃうと~、ネズミさんを捕ってくれなくなるので~。絶対、ダメですからね~?」


 ……どうやらスクート先生は、猫たちに甘いようだ。いや、もしかしてスクート先生自身もおやつが欲しいということだろうか?

 なんだか、先ほどまでの恐ろしげな印象からの落差に、ちょっとほっこりした。



 

「気を取り直して~、まずは朝ごはんにしましょう~」

 キコ先生はそう言うと、ふわりと中央の幹の上へと飛んでいき、大きなピクニックバスケットを両手に1つずつぶら下げて戻ってきた。

 籠のフタをあけると、でてきたのはお肉や野菜をパンで挟んだものサンドウィッチだった。みんなに順番に配られたそれに、ボクは夢中でかぶりついた。

 ふわふわなパンに挟まれた、シャキッとした葉っぱ、トロトロの卵、そしてじわっと旨味が滲み出るお肉。──ボクはこのとき初めて、”幸せ”というものを噛み締めた気がした。


 配られた2つのサンドウィッチをあっという間に食べ終わると、まだ残ってないかなと?思ってバスケットを覗きに行ってみた。……そっと蓋を開けてみると──中には猫が2匹入っていた。

 ……ボクと目が合ったその猫たちは、抗議するようににゃあにゃあと鳴いた。ボクは、おじゃましました、と言ってそっと蓋を閉じた。




「ちょっとレクリエーションの準備をしてきますので~、みなさんはしばらく休憩しててくださいね~」

「あっ私も!私もお手伝いしまーす!」

 キコ先生と、いつの間にか枝の上に避難していたうさぎ先生はそう言って、中央の幹に開いた穴に飛び込んでいった。

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