第9話 信じて、前を向いて

 しかし、アリスティアはそれから数日間、生死の境を彷徨った。

 無理もなかった。普通ならそのまま死ぬくらいの重傷を負ったのだ。必死に呼びかけた少年と涙ながらに縋った魔物達によって、かろうじて死の淵で引き留められたようなものだった。

 心の中に秘めた苦悩や今まで耐えていた悲しみや疲れもあったのだろう。何日も意識不明の状態で高い熱にうなされ、苦しんだ。ドルイド爺とメデューサ婆は交代で必死に回復魔法を掛け続ける。

 たまに意識が戻るとアリスティアはかすかに微笑んで見せたが、ほとんど昏睡状態だった。いつ容態が急変し亡くなってもおかしくない。

 魔物達はアリスティアを心配し、毎日泣いてばかりいた。


(何とかしてあげなくちゃ……)


 再び一行に加わった少年はティーガーの上に腰を下ろした。どっかとあぐらをかくと、膝の上に腕を乗せた。その腕で顎を支えて考え込む。

 魔物達はチート勇者がこの異世界に現われてからというもの、いつ襲われるかと怯え、見つからぬよう逃げ隠れする惨めな毎日だったのだ。その上、目の前で聖母のように慕う王姫が凄惨な拷問を受けて……

 少年の目には、嘆き悲しむ魔物達の姿が余りにも哀れだった。


(だけど、泣いてばかりじゃいけない)

(みんなを立ち直らせないと……)


 だが、そう思う自分も元はといえば暴力を振るわれていたいじめられっ子なのだ。少年はため息をついた。

 偉そうに励ませるような強さなど本来なら持ち合わせてなどいない。異世界にいる今でさえ魔法ひとつ使えない無力な身なのだ。

 少年は首を振った。


(いいや、泣きごとなんか言ってる場合じゃない)


 王姫を酷い目に遭わせた卑劣漢を泣きながら殴り倒し、子供のように駄々を捏ねて彼女を死から引き留めた。無我夢中で、傍目にはさぞかし格好悪く見えただろう。

 だが、そんなもの今はどうでもいい、と彼は思った。格好悪かろうが、みっともなかろうが、自分の力で出来ることをと少年は懸命に考える。

 そして翌日、魔物達を集めると「話があるんだ。みんな聞いてくれ」と、静かに諭し始めた。


「みんなが辛いのはよく分かるんだ。でも泣いてばかりいるとアリスティアがもっと辛くなるんじゃないか。彼女の容態をますます悪くするかも知れない」


 魔物達の顔色が一様に変わった。


「まさか……そんなことになってしまったら!」

「でもね、テツオ。アリスティア様は私らを庇ってあんな酷い目に。本当にもう、おいたわしくて……わたしらの気持ちもどうか分かっておくれ」


 泣き腫らした顔のおばさんオークが訴えると、諭すつもりでいた少年も思わず目を潤ませて「そうだね」と、同情した。

 幼いオークの子がその心情を汲んで自分を探し訴えたほど、皆に慕われる心優しい少女なのだ。

 目元を拭ったおばさんオークの背中を少年はそっと撫でて慰めた。


「僕には家族がいないけど今どんなに苦しいのか、その気持ちはすごく分かるよ。元いた世界では辛いことばっかりだったから……」


 魔物達はシンとなった。雨の中インスペクターに鉄拳を振るい涙と共に叫んだ少年の寂しい生い立ちを、彼等も聞いていたのだ。

 静かに語り掛ける彼の言葉に、魔物達はあらためて耳を傾けた。


「今は彼女の治療と看病をドルイド爺さんとメデューサ婆さんに任せよう。心配ばかりしていても、却ってアリスティアの為にならない」

「……」

「きっと治る。そう信じて、今はそっとしてあげよう」


 彼の呼びかけに、一匹のドワーフがゴツいコブシで涙を拭ってうなずいた。


「テツオの言うとおりだ。姫様は『生きる』と約束して下さった。我ら臣下が信じなくてどうする」


 その言葉を聞き、魔物達は無言でうなずき合った。

 だが、そうは言っても信じるだけで何もしないだけでいいのかと誰もが思った。うなずいたドワーフの横からオークが身を乗り出して問いかける。


「テツオ、アリスティア様は二人に任せるとして我々はどうしたらいい? 今、我々に出来ることは何かないだろうか」


 少年の目が輝いた。自分の言葉に、彼等の気持ちが前を向こうとしている。


「それだよ。今、僕達で出来ることをやろう」


 魔物達は少年の顔を見た。一言でもその言葉を聞き逃すまいと耳を澄ませる。


「アリスティアは今まで色んな苦労をして来た。きっと疲れてもいただろうね。そんな彼女の重荷を、これからは僕とみんなで先回りして代わってあげよう。天気の心配、水とか食べ物とか……」


 魔物達の表情に、次第に生気が蘇り始めた。


「彼女が心配する前に気がついて力になってゆこう。みんなでだ。みんなで分け合えば重荷だって一人あたりの負担は軽くなる。心配が減って楽になれば、それだけアリスティアは元気になってくれる……だろ?」

「おお!」


 魔物達が一斉に声を上げると少年はニコリとして頷いたが、すぐ厳しい顔に変わった。


「それともうひとつ……大事なことがある。アリスティアは今、絶対安静だ。回復するまでここから動かせない。そんなところへもしチート勇者がまたやって来たとしたら……」


 言葉を切った少年は、真っ青になった魔物達を見回した。


「分かるよね、この森の中へ入れちゃいけない。戦うのは森の外でないと。その為に大切なのは……」

「見張りか!」

「よく気が付いたね! その通りなんだ」


 思わず口を挟んだゴブリンは少年に褒められ、嬉しそうになった。


「森の端々に交代で見張りを立てよう。皆は異変があったらすぐ知らせてくれ。敵が来たら僕はティーガーと共にすぐに森を出る。アリスティアから少しでも危険を遠ざけて戦う」


 魔物達は一様に頷いた。


「また旅を始める時に備えて食料や水を少しづつ貯め込んでおこう。アリスティアが早く元気になれるように、何か栄養がある食べ物も探さなくちゃ」

「わかった。食べ物は手分けして探そう」


 一匹のオークが答えた。


「しばらくはここに潜んでいよう。でも、ずっと長居するのは危険だ。アリスティアが元気になったら、また旅を始めることになる。それまでは皆も充分休んで元気をつけておかなくちゃ。いいね?」


 聞かされているうちに魔物達の瞳に、次第に明るい輝きが宿り始めた。

 信じることで気持ちが前向きになり、希望が甦ってきたのだ。

 そのまま自然と話し合いが始まり「見張りは二匹一組で」「果実を水につけて柔らかくしたらアリスティア様が食べやすいかも知れない、試してみよう」「水が貯める容器になりそうなものをもっと探そう」など、様々なことを決めた。

 やがて話し合いはあらかた終わったが、少年は「待てよ」と、呟いた。

 腕を組んで、何やらブツブツ独り言を始める。


「全員をティーガーに載せられなかったから、今までは半数ずつ交代で歩いていた。だけど、それだと移動が遅いからチート勇者に捕まりやすいだろうな。第一、乗り心地の悪いティーガーにアリスティアを乗せるのも彼女の負担になるし。だったら荷車かトロッコみたいな乗り物を作った方がいいな。でも僕みたいな素人に作れるかなぁ……」


 顎に手をやり、独りで悩んでいた少年は、ふと視線を感じて顔を上げた。魔物達が彼を取り囲んだまま、じっと見守っている。

 皆、笑顔だった。

 彼等は、チート勇者と同じ人間と知った今もこの少年には信頼を寄せていたが、その彼が自分達を諭し励まし、今も何か懸命に考えてくれているのが嬉しくて、何となく離れ難かったのだ。

 そんなことに気づけない彼は、怪訝な顔になった。


「みんな、どうしたの?」

「い、いや……とりあえず何から始めようかってな。その……」


 困ったような顔で一匹のドワーフが誤魔化すと少年は苦笑した。


 「じゃあ君は、食料を探す役だ。君は水、君は見張り、君は……」


 適当に役目を割り振ると彼は「さあ、みんな。働いたり、働いたり!」と、パンパン手を叩いて明るく急かした。

 ようやく魔物達は動き出し、それぞれの役割へと散らばってゆく。

 それでも、彼等は時折戻って来ては、地面の上であぐらをかいた少年が木の枝で描いたトロッコの設計図を前にああでもないこうでもないと唸ったり頭を抱えて悩む様子を嬉しそうにこっそり盗み見るのだった……



**  **  **  **  **  **



 岩屋の中で、看病疲れで居眠りしていたメデューサ婆はハッとなって目を覚ました。

 岩肌には青緑色に光る苔が貼りついて爽やかな香りを放っている。それが気持ち良く、とうとう眠ってしまったのだ。

 短い間だったが、ぐっすり眠ったために疲れが驚くほど消えていた。

 よっこらしょ、と身体を起こしたメデューサ婆は「姫様も、これくらい元気になって下されたらのう……」と、独りごちた。

 そしてふと見ると……そのアリスティアは、瞳をぱっちり開いてこちらをじっと見つめているではないか。熱にうなされている顔ではなく、意識がはっきり戻ったような表情を浮かべている。


「ひ、姫さ……!」


 思わず叫びそうになったメデューサ婆の唇に指を当てて止め、アリスティアはいたずらっぽく笑った。


「起きていらしたんですか」


 声を潜めて尋ねると、かすれたようなささやき声が返ってきた。


「おばあちゃん、とても気持ちよさそうに寝てたから、嬉しくてそのまま見ていたの……」

「そうでしたか」


 傷ついた今の身体では、小さな声で話すので精一杯らしい。

 それでも一時は生命が危ぶまれたアリスティアの容態がようやく峠を越えたのだと分かったメデューサ婆は、目尻の涙を拭って「よかった……姫様、よう頑張りなさいました……」と声を震わせた。


「皆に知らせて参ります。まだ起きてはなりませんよ。しばらくは静かにお休みになっていただきませんと」

「みんなは大丈夫だった? 誰か怪我はしなかった?」


 我が身より魔族の民を真っ先に心配するアリスティアの言葉を聞いてメデューサ婆は感動した。


(この方は紛れもなく王族の高貴な血を受け継いでいらっしゃるのだ……)


 一族を統率する長としては当然の配慮かも知れないが、瀕死の間際にあってもなお民の安否を気にかけるなど、凡庸な者にはなかなか出来ないことなのだ。


「無事ですよ。怪我をした者は誰もおりません」

「そう、よかった……」

「ええ」


 姫様がただ一人その御身で皆を庇われたのですから……言葉にはせず、メデューサ婆は微笑んだ。

 だが「ドルイド爺を呼んでまいります」と、岩屋を出ようとしたメデューサ婆の袖をアリスティアはそっと引いた。

 もうひとつ、聞きたいことがあるらしい。


「姫様?」

「テツオは……テツオはいるの?」


 恥ずかしそうな声に、メデューサ婆の顔が思わず綻んだ。


「いますよ。アリスティア様のご回復を信じて頑張ろうとテツオ様が皆へ説かれて、それから皆が元気になりました。今は見張りや食料集めなど、めいめいが役目を負って働いておりまする」

「まあ」

「テツオ様は、何でも神獣に曳かせる台車を作って皆を乗せるのだと張り切っておいででした」


 皆を乗せる台車を作るということは、曳かせるべきティーガーが前提になる。彼はこれからの旅路を魔族と共にしてくれるのだ。

 皆に姫様のご無事を知らせてきます、と立ちあがったメデューサ婆を見送りながらアリスティアは小さな喜びを噛みしめた。


(生きてくれ、頼む……)


 黄泉路へ彷徨いかけた自分を引き留めた彼の言葉を思い出す。

 自分の生をひたむきに願ってくれたことが嬉しかった。

 まだ初恋を知らず、恋の言葉すら贈られたことのなかったアリスティアは、自分を真剣に思ってくれた異性の言葉がこんなにも胸をときめかせてくれるのだということを、このとき初めて知ったのだった。


(これからの旅路に、テツオが一緒にいてくれる……)


 嬉しさと安らぎに心が緩むと、疲労感が思い出したように彼女を心地よい眠りへと誘った。

 離れた場所では、アリスティアが生命の危機を脱したと知らされた魔物達が大歓声をあげている。

 遠くからかすかに聞こえる嬉しそうな歓声が耳に快く、瞳を閉じた彼女は再び夢の中へと落ちていった。

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