7-5 舞台裏 前編【動画じゃないな】廃病院編直後





 一号は、僕より随分背が高い。


 僕だって男性の平均ぐらいはあるけれど、それでも一号と話すときは首を上げないといけない。

 一号はいつも少しだけ腰を曲げて、僕と目線を合わせてくれていた。

 そのことに気がついたのは、僕より背が低い三号くんと行動を共にするようになってからだ。

 僕が何もしないでいると、三号くんの声が届きにくいから自然と腰を曲げるようになった。

 身長が違うって、こんなに喋りにくいことだったんだ。

 今まで知らなかった。

 一号の細やかな心配りや気遣いを、僕は今までまるで当たり前のように受け取って捨てていた。

 だから、一号は自分で全部背負い込んで僕に相談してくれなかったんだろう。



『絶対、コッチに来るな!!』



 一号が羅睺らごうに連れ去られた時、最後に聞いた言葉を思い出す。



『浅葱!』



 あまりの恐怖で動けなくなった僕の肩を掴んで後ろに突き飛ばして、自分から羅睺らごうに向かっていった一号。



『じゃあな!』



 僕のよく知る一号の姿が、少しずつ壊されて飲み込まれていく姿。



『お前は、しあわせになれよ!!』



 ああ、ごめん。

 ごめん、一号。いや、大数だいす

 きっと僕がしていることは、キミが望むことではないんだろうと薄々気がついていたよ。

 でも、でもね。

 僕のしあわせには、キミが必要だったんだ。

 だから、ちょっとだけ、無理しちゃったこと、ゆるして、ほしいな……。




*** 




「……ッ!!」



 重い瞼を上げると、僕の顔をのぞき込んでいる三号くんとラフィが居た。



「あ、目が覚めました?」


「オハヨウ」


「あ、あれ……ごご、どご……ッゲホ!!」


「わ……じゃなくて、三号の家ですよ」



 急に意識が現実に戻ってくる。

 同時に、背中と腕に猛烈な痛み。

 痛いというより、熱い。

 だけど指先は冷え切って凍えるぐらいに寒い。

 あぁ、確か4本目の動画で三号くんが刺されるとそんな感じがするって言ってたな……本当にその通りだったよ。

 めっちゃ刺されたもん……ラフィに……。


 ……ラフィ?


「ゴホッ! ゲホッゲホッ……!!」


「まだ熱が下がってないんですから、急に起きあがらないで下さい」



 声が全く出ない。

 嘘みたいに身体も重い。



「ラッ、ラブィ……!!」



 残っているありったけの力でラフィの胸板を押した。

 ビクともしない。

 でも……、でもッ!!



「ざんごうぐんに、ぢがづくなっ……!!」



 三号くんを隠すように両腕を広げる。

 よく見たら腕も包帯まみれだ。

 指先の震えが止まらない。

 だけど退くわけには……っ!



「……正直、三号は浅葱さんに離れて欲しいですけど」


「なんでぇっ!?」


「熱、うつりそうなんで」


「ぞ、ぞんなごどいっでる、ばあいじゃ……ゲホッゴホゴホッ!!!」


「ほら、やっぱり」



 よく見ると三号くんはいつもの黒いキャップを被っていなくて、代わりにラフィが被っていた。

 それになんとなく、雰囲気が違う気が……?



「ひどい声ですね。これでも飲んで下さい」


「あ、ありがどう……」


「清酒に塩をしこたま入れたものです」


「ブハッ!!! 嘘でしょ!?!?!?」



 一口だけ口に含んだもののすぐに全部吹き出してしまう。

 唐突な刺激にしばらくせき込んでいると、だんだん頭が冷静になってきた。



「ハァ、ハァ……あれ? 声が、出る……!」


「落ち着きました? 随分霊で穢れていたので、浄化のためです」


「う、うん……」


「ハイ、鏡でも見て下さい」



 三号くんが掲げた鏡をのぞくと、そこにはひどい顔の僕がいた。

 頭には包帯がぐるぐる巻きで、右頬は腫れて大きなガーゼが貼ってある。


 ……いや、でも頬っぺたは三号くんにひっぱたかれた時の腫れだけどね。



「ラフィのことなら、今はひとまず安心して良いですよ。廃病院でぶっ倒れた浅葱さんを、ここまで背負ってきてくれたのはラフィなんですから」


「そうダネ」


「えっ? えっ?」


「……まぁ、急に言われても分かりませんよね。とりあえずコレを見て下さい」



 三号くんが見せてくれた動画の中には、懐かしい顔があった。



「い、一号……! どうしてラフィと一緒に……って、アレ?」


「そういうことです」



 動画の中のラフィは今まで僕が見てきた姿とあまりにも違っていたし、一号は一号でいつも通りだったからますます混乱してしまう。



「……いち、ごう」


「分かっタ? そろそれ気が済んだデショ? これに懲りたら、もう事故物件YouTuberなんて……」


「でも、三号たちは今まであの白い部屋で動画を公開してました。あそこに溜まったケガレはどうするんですか? なかったことになんてできないのでは? だから、簡単に諦めるなんて……」


「途中でテープが切れて動画には入りきらなかったケド、事故物件の羅睺らごうってなかなか現れないんだヨ」


「どういうことですか?」


「今まで羅睺らごうに出会ったのは、自殺の名所だけデショ? 事故物件じゃナイ」


「廃病院は?」


「アレはワザとだから、ただの野良幽霊を身体に入れただけダヨ」


「そうは見えませんでしたけど」


「ボクは演技派だからネ。本気でやらないと、キミたちだって気が済まないデショ」


「……まぁ。そう、かもしれないですけど」


「事故物件の悪霊は、基本的に物件から出られないノ。心霊スポットや自殺の名所だと、悪霊がたくさん集まりやすくて羅睺らごうになりやすいケド。だから、ボクは事故物件を主に活動していたんダ。強すぎる羅睺らごうはボクの手に負えないこともあるからサ。事故物件はやりやすいんだヨ」


「じゃあ、なんで兄ちゃんは……」


「一号は、動画を公開する場所を選んでいたデショ? 二号?」


「………」


「浅葱さん? さっきから黙りこくってどうしたんですか? 具合悪いならまだ横になっていていいんですよ」


「あっ、いや……ちょっと、ショックが大きくて……」


「それが正常ダヨ。ねぇ、どこで動画を公開していたか覚えてル?」


「えっと………織原おりはら間谷川まだにかわ恵国学園えくにがくえん桃上ももがみ新鳴滝しんなるたき根丸木ねまるぎ……だったかな」


 なぜか一号は毎回動画の公開場所を変えていた。

 もっと近いところに安い貸会議室があると言っても聞く耳を持たなかったから、ひょっとしてこれにもなにか意味があるのかもしれないとは思っていたけれど……。


「その地名の最初の頭文字を繋げてミテ」


「お……ま……え……も、し……ね……?」


「嫌な雰囲気の言葉ですね」


「正解だヨ。一号は教えてなかったみたいだケド、この世には『地脈』や『霊脈』と呼ばれる霊の流れがあるんダ。地名をよく見れば分かル。そこは普通より悪いことが起きやすいから、一号がそれをなぞるようにケガレを溜めて、羅睺らごうが出現したってワケ」


「確かに、一号が消えた白い部屋は根丸木ねまるぎにあるけど……」


「あそこは霊脈のどん詰まりだからネ。また羅睺らごうを呼び出したかったら、霊脈を辿りながら動画を公開し続けたらいいケド……もう、そんなことする必要ないんじゃナイ?」


「諦めろって、ことですか……」


「諦めるしかないヨ。死んだヒトは戻らナイ。白い部屋に溜まったケガレは確かに消せないから、ボクがどうにかしてアゲル。もうあそこには帰らない方がイイ。この短期間でチャンネル登録者数9900人なんて、良くやったと思うヨ。おかげでケガレが溜まるのも早かっタ」


「そっ、そんなことをしたらラフィの寿命が削れるってさっき一号が……!!」


「ハァ〜〜〜〜〜〜、モォ〜〜〜〜〜〜〜」



 真剣な話をしているはずなのに。ラフィが盛大なため息を吐き出した。

 立派に整えた髭をさすりながら、低いトーンで言う。



「キミたちはどうも、独りよがりの自分勝手で他人に頼るのが下手くそだネ」


「えっ……」


「たとえ土下座で頼まれても、ボクは本当に嫌だったら断るタイプだってことぐらいわからないノ?」


「でも……」


「ボクは無関係ダッテ? こんなに関わって、動画にも出てるノニ? 薄情なのは兄だけにしときなヨ」



 ラフィは目を細めて遠くを見た。

 僕たちを見ていない。

 きっと、一号のことを思い出しているんだろう。

 その姿は、今までの狂気に満ちあふれた様子とはまるで正反対だった。

 膝の上に手を置いて呼吸をする姿は慈悲深く、全てを包み込むような印象を受ける。



「これでも、ボクだって後悔しているんダ。なんだかんだ言いながら、最後は友達であるボクを頼ってくるだろうと思っていた。いつもならそうだったカラ。なのに、本当に全部背負って逝ってしまうナンテ」


「ラフィ……」


「信用するって、頼るって、どういうことだと思ウ?」



 ラフィの問いには、すぐに答えられなかった。

 きっと僕たちの想いはみんな一方通行で、僕は一号に本当の意味で信用されていなかったんだろうし、僕だって三号くんのことを信用していないのかもしれない。


 ただ大事だから、失いたくないからという理由で心配して、守ろうとして、庇うことだけ考えて……。


 だから相談しなかった。

 相談できなかった。

 自分が頑張るしかないと、頑なだった。


 今なら分かる。

 庇護することは、信頼とは違う。


 ……いや、僕は力不足だから、全力で守ろうとした三号くんも結局守りきれずにこんな状態になってるわけだけど……。

 結構普段から、三号くんには精神的にも肉体的にも助けてもらってるけど……!!

 年下にこんなに頼ってしまうなんて。

 申し訳ない。


 そういえば、僕は一号にもいつも頼りっぱなしだった。

 YouTuberの件に関しては依頼から動画の場所取りまで一号に任せっぱなしだったから、自分で依頼や場所の交渉をするようになってから大変さに驚いた。


 一号への負担が多すぎた。

 なんで相談してくれなかったんだ? と思うけど、こんな頼りない僕じゃあきっと相談することもできなかったんだよね。


 本当にごめん。


 だから、僕は変わりたい。

 もうこれ以上、自分で自分を嫌いになりたくない。

 それは羅睺らごうの餌食になりたくないっていう理由もあるけど……それよりも、心の底から変わりたいんだ。


 一号や、三号くんの相棒になりたい。

 信じて、背中を預けてほしい。


 こんな僕だから、まだまだ無理かもしれない……でも、一歩は踏み出せたかな?

 今回はすごい空回った気もするけど……。



「信じるってことは、心配しないで任せることだヨ」


「任せて……いいんですか?」


「もう事故物件YouTuberを辞めるって言うならネ」


「……ッ! そ、それは、嫌、です」


「ナンデ? 拘らなくても良いじゃナイ。一号はキミがYouTuberするなんて望んでなかったデショ」


「辞めるってことは、本当に諦めるってことでしょう!? それに……っ!」



 三号くんは何故かチラリと僕を見る。

 でもまたすぐに視線を戻して叫んだ。



「とにかく、嫌なんです!!」


「さ、三号くん落ち着いて……」



「だって……!!! 死ぬ前に分からなかったことは、死んでからも分からないんですよ!? 兄ちゃんが、そんなに全部背負い込んでいたなんて知らなかった……わたし、こんなに、兄ちゃんのこと大好きなのに!! 兄ちゃんの力になりたかったのに!!! どうしてなにも相談してくれなかったの!? 弟のことだって!! なんで! にいちゃん……なんで、なんでもっとわたしに頼ってくれなかったの!? にいちゃん!!! もう一度だけ、会いたいんです!! 会って伝えないと、ずっと伝わらないままだから!」



 もう居ない兄に向かって、三号くんが叫ぶ。

 いつもの冷静さが嘘みたいに感情的だ。

 長い睫毛を何度も瞬かせて、黒いマスクに何本も涙の筋が伝っていく。


 さ、三号くんが泣いている姿なんてはじめて見た……。


 泣き顔を見られたくないのか、三号くんは自分が泣いているのに気づいた後は俯いて何度も手の甲で目を擦っている。

 小さくなって鼻を啜っている姿を見ると、ますます年相応に見えてしまうから困る。

 こんな子供に頼りっぱなしでいいのかという……。

 いや、ここで盲目的に守ろうとするから毎回すれ違うんだ。

 ここからは、ちゃんと本音で話そう!!

 僕は三号くんを信じたいし、三号くんも僕を信じて欲しい。



「さ……!」


「……そう言うと思ったヨ」


「……悪かったですね……ぐすっ」



 あっ……!

 いま良いタイミングで良いこと言えそうだったのに……!!



「そういう意味じゃなくてネ。ホラ」



 ラフィがパソコン画面を僕たちに向けた。

 いつも動画の編集をする時に使っているパソコンだ。


 そこには


『一号らしき人物を事故物件で見た』

『一号さん、ソロで活動始めたんですか?』

『絶対に一号だったのに、声かけたら無視された!』


 という内容が記されていた。



「こ、これ……!」


「『ゴーストイーター』宛のお手紙。勝手にのぞいてゴメンネ。残念だけど、一号はもう【羅睺らごうの器】になってしまったヨ。身体を乗っ取られて、悪霊達の無念を晴らすためだけの存在。でも、ただ会いたいだけなら……会いにいけバ?」


「止めないの……?」


「止めても無駄な家系みたいダシ。それに、羅睺らごうの言いなりになっている一号なんて……見たくないデショ。助けたいと思うデショ」

 

「もちろんです!」



 まだ涙で目尻を濡らしながら、三号くんは勢いよく頷いた。



「キミたちのこと、試したんだ。本気なのか、暴走してるだけなのか。ボクは一号からキミたちの監視を頼まれたけど、キミたちの意志を尊重するように言われているからネ」


「協力……してくれるってこと?」


「ボクは最初から、そのつもりだったケド?」


「嘘でしょ……」



 流石にそれは信じられないんだけど……。

 ラフィの動画見た後、とんでもなく吐いたし……。


「ダッテ、ボクが出した一号の動画見てスッキリしたはずだシ、ボクの銀のナイフは霊障によく効くんだヨ? キミはずいぶん白い部屋に苦しめられていたようだったカラ」


「そういえば……? いや、それにしても荒療治すぎじゃない?」


「それだけ危険な状態だったってことだヨ。ボクを仲間に入れてくれるなら、白い部屋は引き受けてアゲル。後は気が済むようにやってヨ。自分が思うように行動しないと、絶対に後悔するカラ」


「仲間って……なにをすればいいんですか?」


「信頼して欲しいヨ。それだけ」



 信頼、か……。

 僕たちが、あまり上手にできないやつだ。

 でも、やってみよう。

 今からでも。



「キミたちだけじゃ霊を呼び出す力が弱いから、YouTuberはまだ続けたらいいんじゃナイ?」


「僕たち、基本霊を信じてないもんね。無責任に霊を信じる不特定多数の人間がいるってことかぁ。それって……ケガレは大丈夫なの?」


「同じ場所で公開しなければイーヨ」


羅睺らごうを呼び出すためにYouTuberやるんじゃなくて、今度は羅睺らごうになった兄ちゃんを探すためにYouTuberやるってことですか」


羅睺らごうになった一号を、放っておくわけにはいかないもんね」


「死んだヒトは戻らナイ。でもキミたち霊感もちにしか、できないことがあるデショ? 

今までずっと、動画でやってきたことダ」


「魂の、解放……」


羅睺らごうに取り憑かれた者に声が届くかどうか分からないケド、やってみる価値はあると思うヨ。ボクがシてもイイケド……キミたちの方が適任ダ」



 一号のために身代わりになるっていうのは、ただの思考停止だった。


 僕はずっと、一号によりかかっていた。


 一号を追いつめたのは僕だ。


 だから、だから……僕が、彼を解放してみせる。


 今まで心配してくれてありがとう。

 やっと僕は、一号に寄りかからずに歩こうとしている。

 上手くできるかどうか分からないけど……それでもやってみようと思う。



「じゃあ、とりあえず……今回の動画、作ろうか」

「ちょっと待っててください……顔、洗ってきます。……いない間に、その辺のタンスの中とか見たらまた引っ叩きますからね……」

「なぜ!?」

「わかんないなら、いいです……」




 三号くんに言われて辺りを見渡すと、ここは単身者向けワンルームだった。思ったよりファンシーな色合いで、綺麗に整理整頓されている。


 一人暮らしなんだな……。

 何か、三号くんについて大事なことを気を失う前に気づいたような気がするけど……なんだろう、思い出せないや。そのうち思い出すでしょ。


 気持ちも新たに編集画面を開くと、パソコンに嫌な新着メールが届いていた。





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