カノア 005


<カノア>


 「殿下は」

 あたしが聞くと、ロジャーは仏頂面で首を横に振った。

「何よそれ」

「レ・オロの村へ散策に」

「護衛は?」

「キティー」

 あたしはロジャーに腹を立てる。

「あのね、海兵隊が早撃ちで負けたからってその態度は無いじゃない」

「違う」

「じゃあなんなの」

「実力を認めただけだ」

 嘘をついてる、とあたしは思った。

 でも、それを正直に言うほど初心じゃない。

 ロジャーの背後のホロモニターでは、各局が流した<ドーンタイムビル襲撃事件>の映像が再生されている。

 あたしたち<日本語解放戦線>の支部が入っていたフロアの一階下で爆発火災が起こり、上層階に向かって炎上。

 最終的にビルが倒壊したので、未だに正確な被害は判明していない。

 仮想現実VR生成のアナウンサーが淡々と読み上げる。

「レイニーからニューハワイキに亡命し、仮処分中として該当のビルで軟禁されていたゾーイ・ユーラノート氏とも連絡が取れておりません」

 ドーンタイムビルに勤務していた<日本語解放戦線>のメンバーとは、一夜明けても誰とも連絡が取れなかった。

 レイニーの通信網も不具合が続いている。

 今朝の殿下のお言葉は頼もしかった。

 尊大じゃないし、頭が切れる。

 メンバー全員に伝達すると、みんな鼓舞された。

 今は、各々が各々の得意分野で殿下とジャパニーズ・オリジンの為に出来ることに取り組んでいる。

 やることは沢山あって、例えば殿下がお乗りになったヘリの修理は急務だし、銃火器の点検も必要で、ニュースで流されるにふさわしい声明文の作成に奔走している人もいた。

 ロジャーは射撃シミュレーターを使って、手の空いたメンバーの腕を高めようとしている。

 ギヴン支部は確かに平和過ぎて、最近なまってたかもしれない。

 あたしはちょうど、時間が空いていた。

 ピエロが他の場所をうろついていないか、街角の監視カメラをハッキングしていたけど空振りが続いて集中力が切れちゃったところ。

「やっていい?」

 シミュレーターを指さしたあたしの腕を掴んで、とても真剣な声でロジャーが言う。

「真似をしようとするんじゃない」

 あたしはムッとして、ロジャーの手を振り払おうとした。

 でも彼の指先は巨大なペンチみたいにあたしの腕を掴んだまま、びくともしない。

「あたしがキティーの真似をしようとしてるっていうの?」

「素人が銃を持つのは危険だ」

「殿下をお守りするために必要でしょ」

「暴発させたら元も子もない」

「そのために勉強するって言ってるんじゃない。何のためのシミュレーターなのよ」

 だんだん、あたしはヒートアップしてきた。

 太い眉毛の下のロジャーの瞳にも険がある。

 こんな時に喧嘩なんてしてる場合じゃないのに!

 ロジャーは言った。

「いいか。どれだけ顔が良くてもあいつは殺人者だ。今朝の言いようを聞いただろう」

 その言葉で、あたしの怒りに油が注がれる。

「ロジャー! いい加減にしてよ。あたしがそんな馬鹿な小娘に見える?」

「カノア。そうじゃない……」

「もういい離して!」

 腕にかけられた力が緩んだ。

 あたしは今度こそロジャーの手を振りほどくと、背を向けて走り出す。

 後ろから名前を呼ぶ声が追ってきたけどあたしは振り返らない。

 行き先なんて決めてなかった。

 ただむしゃくしゃしてる。

 柔らかい砂を踏んづけ、草むらを突っ切った。

 あたしたちのホロ・パックス群を下って行くとその先はレ・オロの村「ギヴン」で、さらにその先は砂浜が広がる。

 で、どこをどう走ったんだか、林に突入したあたしは気づくとギヴンの外れに出ていた。

 すぐ目と鼻の先に高い断崖があって、そこで砂浜は終わっている。

 そびえたつ屏風みたいな赤茶けた岩肌があたしを圧倒した。

 どうやらレ・オロの人々にとって、ここは大切な場所らしい。

 崖の下に木を削ってできたポールのようなものが立てられている。

 そのポールには細かい溝が刻まれていて、左右に二対の棒が刺さっていた。

 ポールの下には様々な花や食べ物、木彫りの小像が置かれている。

 彼らの文化に詳しいとは言えなかったが、これは恐らく祭壇かなとあたしは思った。

 崖のせいもあるだろうけど、何だかここに吹く風はちょっと様子が違う。

 長居するのはあんまり良くない。

 あたしは、ジャパニーズ・オリジン風に手を合わせて、頭を下げて踵を返した。

「今のは祈りの形だな、ムーンジャガー?」

 さくさくと砂を踏みながら、金髪にアロハに赤い瞳というド派手なハッカーがこちらにやってくる。

「ええと、リチャードさん?」

「如何にも」

 その後をちょこちょことロコがついて来ていた。

「おはよう/ムーンジャガー」

 絶対にリチャードさんが教えたんだな、と思ったが、ロコが嬉しそうに言うのであたしは無下に否定できない。

 ロコは両手に花を束ねて持っている。

 どうやら祭壇に用事があってきたようだ。

 あたしが横にどくと、ロコはポールの祭壇の前に花を捧げて、複雑なお祈りを始める。

 彼女の黒く薄い翅が開いて、独特なリズムでぱたぱたと砂を跳ね上げていた。

 あれもきっとお祈りの一形式なんだろう。

 人間にはできないな、とあたしは思った。

 静かに後ろに下がってリチャードさんと並ぶ。

 殿下も長身だが、こうするとリチャードさんも同じくらい背が高い。

 ふたりとも百七十センチ後半はあるんじゃなかろうか。

「ロコたちとは仲良くなりましたか」

「何かの手違いで崇められている。ここの神ではないのだがな」

 あたしは、ぶっ、と噴き出す。

 何だ、リチャードさんはレ・オロ語が分かってたわけじゃないんだ。

 昨日の異様なテンションに導かれるまま、彼らの村に行っちゃったってところかな。

 面白半分で首を突っ込んでる奴、ってキティーの言葉があるから余計に納得できる。

「彼らの言葉では、雷と神様という単語は同一です。レ・オロの人々にとっては、嵐を引き連れて降りてきたヘリは神様みたいに見えたのかも」

 リチャードさんはロコの祈祷姿から目を離して、あたしの顔を覗き込んだ。

 赤い瞳がふとすぼめられ、見られたあたしの背筋がぞわっと粟立つ。

 脳内インプラントの中で文字通り電撃的にイメージが駆け巡った。

 あたしの体が宙に浮く。

 過ぎて行くのは。

 黒雲。

 稲光。

 宇宙。

 風が吹く。

 あたしの傍らを大きく長い金色の生き物が通過して飛び去る。

「わあっ!」

 その生物の風圧に押されてあたしは砂浜に尻もちをついた。

「ふ、感受性が良いな」

 まだ目の前がくらくらしていたが、差し出されたリチャードさんの手を取る。

「今のは」

「アルマナイマ星の創世神話」

「そういう――作品のクリエイターをなさっているわけですね」

「まあ、作品と言えば作品か」

「あたし、殿下の訳されたもので読みました。今のは、ええと何だっけ、そう<黄金の王>アララファルのシーンのAR投影のデモですか? あっ、もしかしてリチャードさんのカラーリングはそれをイメージされてる?」

 一気に喋り過ぎたのか、眩暈がひどくなってあたしの目の前がくるんと一回転した。

 リチャードさんが、

「成る程、他言語によって拡散されることによる信仰変化。小娘の言う通り」

 とぶつぶつ言ったような気がしたけれど、視界がぶれてて本当に言ったのか幻聴なのか判然としない。

 そこに、

「ムーンジャガー/頭/痛い/!」

 駆け寄って来たロコが拒絶を許さない素早さであたしの口に例の葉っぱを突っ込んだ。

 止めてよリチャードさん!

 口の中がガサガサして気持ち悪く吐き出したかったが、地面についた手を離すと倒れてしまいそうだったので、必死に舌で葉っぱを押し出す。

 そのうちに唾液が成分を拾ったのか、あたしの眩暈はぴたっと収まった。

 疑ってごめん、ロコ。

 先人に知恵は偉大ね。

「ありがとう」

 とあたしが言うと、ロコは薄い翅をすり合わせて音を出した。

 多分、喜んでいるはず。

 改めてリチャードさんがあたしに手を差し出した。

 それにすがってあたしは立ち上がり、ズボンのお尻についた砂粒を払う。

 その時、間の悪いことにロジャーがあたしを探しにやって来た。

 ロジャーはこちらの姿を見て多大なショックを受けたらしく、魂が抜けたみたいな顔をしている。

 誤解だから!

 これは決して、金髪のイケメンと人気のない砂浜にしけこんでお尻汚したみたいなシチュエーションじゃないから!

 と、あたしは全力で弁明したかったけど、さらに悪いことにロジャーの後ろから殿下とキティーもやって来たので大声を出すことがためらわれた。

 何故かリチャードさんは無言であたしの手を握っている。

 この人、変かも。

 ホロ芸術家とかハッカーとしての腕はすごーく良いんだろうけど、ちょっとズレてる。

 ちょっとズレてるのが才能の源泉ってタイプかな。

 殿下の仰ったリゾートトラベル斡旋会社の社員ってのは多分、表か裏か、彼の顔の半分に違いない。

 才能があるハッカーは引く手あまただもん。

 それは兎も角、誤解が深まってる。

 あたしが流石に弁解しようと思ったとき、

「ムーンジャガー/雷(神)/好き」

 ロコがあたしたちの周りをくるくる回ってそう言ったので、ロジャーは直立不動の態勢から卒倒した。

 決定打を入れないでよ!



 ロジャーをリチャードさんが背負ってホロ・パックス群まで運んでくれた。

 細っこいけど力持ち。

 道すがら、あたしは昨日のハッキング対決の事を沢山質問した。

 リチャードさんが説明する電子の世界観は独特だったけど、あたしは何とかついていける。

 専門用語を神話めいた言葉で変換してるのが面白い。

 ブックリーダーで配信したら、結構ブームになるんじゃないかな。

「迷宮に蛇を放つ。蛇は侵入者の痕跡を追い、彼の神の居所へ誘い込む。さすれば神は拳を振り下ろして何もわからぬ侵入者を打ち砕くだろう」

 こんな調子だから。

 リチャードさんは歩幅が広く、あたしたちには構わずにずんずん進んでいく。

「くそったれだろ」

 と、キティーが笑う。

「リチャードさんの神話学は為になるよ」

 と殿下が言い添えた。

 半分は冗談かもしれない。

 殿下ジョーク。

「まあ、やろうと思えばリチャードさんはチャラくもなれる。リゾートを求めるマダムたちに腰を低く接する演技も出来るんだけどね」

「ショタイメンの最初の五秒くらいはそうだったな」

 キティーが鼻で笑った。

「あんたの教えてくれた言葉を言ったらヒョウヘンした」

「憧れてるからね」

 と、殿下。

「何にだ」

「アララファル――アルマナイマ星の創世神話に出てくる龍さ。金色の鱗、赤い瞳、嵐の王。僕の訳した文章のもとになった原稿は、リチャードさんが持ってきてくれたんだ」

 最後の言葉はあたしに向けられていた。

 殿下の優しさが、今は心にしみる。

「さあ、リチャードさんに追いつこう!」

 ホロ・パックスにつくと、何だ何だってメンバーたちが集まって来る。

 あたしが説明しようとする前に、

「横恋慕からの卒倒」

 ってリチャードさんが言ったもんだから、みんな爆笑しちゃった。

 可哀想なロジャー、こんな調子なら起きた早々また卒倒することになるんじゃない。

 誰か生真面目な人を横につけといた方がいいわ。

 心の準備の為にね。

 あたしが家出している間に、声明文が出来上がっていた。

 肉声でお読みになるということで、殿下とキティーはその練習の為に別のホロ・パックスへ。

 あたしはリチャードさんに教えて欲しいことがあって、頼み込んで一緒にヘリを見に行くことにする。

 昨日ヘリの内部機能に潜ったとき、あたしはリチャードさんのアバターに急襲されてあっという間に負けた。

 侵入者を探知する機能はあってしかるべきだし、それに対する反撃があるのも当然。

 問題は、リチャードさんがどの経路でアバターを送り込んだのかってところ。

 あたしは攻撃プログラムの起動を警戒するモードをフルオープンしていた。

 それなのに、リチャードさんのアバターはあたしに強烈な一撃を加えるまで、まったく探知されなかった。

 起動も無ければ演算もしてないってことになる。

 謎。

 どこかに裏をかく方法があるはず。

 企業秘密じゃないなら、それを教えてほしかった。

 ヘリは昨日と着陸した広場で大人しく修理されている。

 四角いボディーの上部に翼が張り出し、ローターが左右の端に乗っかっているタイプ。

 ありふれた機体だけど、スコールと張り合った昨日の大冒険のせいで、随分と個性的な焦げ塗装になってしまった。

 立ち働いている一団に手を振ると、みんなが揃って手を振り返す。

「よおムーンジャガー! 名前と彼氏を一新したか!」

「違ーう!」

 あたしは怒鳴り返した。

 リチャードさんは妙にウケて、くつくつと笑いながら、

「ああそういうことか」

 あたしはその顔を見上げて言う。

「無視してくださいね」

「し難いな」

「そこをなんとか……」

 ふたりで、機体の周りをぐるりと歩いた。

 ヘリの装備についてリチャードさんは事細かに知っている。

 それに対する個別ハッキングの方法も惜しげもなく教えてくれた。

「すみません通して下さい」

 あたしはヘリの脇に立ったメンバーに声をかける。

 こっちに気付かないくらいせっせと作業してて悪いなとは思ったけど、そこが搭乗口(キティーが撃ち壊して出てきたんだった! わお!)の前だったから。

 でも、その人は振り返らない。

「すみません、あの」

 と、声を掛けたところで、あたしは悪寒を覚える。

 この人誰だ。

 あたしたちの服は自前のもの。

 制服があると過激に見えるって理由でテーマカラーもシンボルマークもなし。

 で、分厚い作業着だからぱっと見で分かんないのかなって思ったけど、そうじゃなかった。

「どなたですか」

 くるりと振り返ったその人の顔を見て、あたしは悲鳴を上げる。

 

「熱心な追っかけをありがとう、レイディ。そしていくつかの私を殺した男」

 作業着姿のピエロ、ドクター・ヒューゴはにこりと笑って、機体の外壁に取りつけてあったスイッチを肩で押す。

 あたしの脳内で警告音が鳴った。

 リチャードさんの体があたしに覆いかぶさる。

 間髪入れずヘリが大爆発した。

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