血の道 002

 降下してきたのはピクシー1、ピクシー2に比べると角ばって野暮ったい機体。

 その声を響かせるには美しさが足りない、と僕は呆けたように思う。

 先ほど隊員は「ブリーズ3」と呼び掛けていたが、ならば彼らの仲間であったはず。

 何故それにキティーが?

 僕がぽかんとした隙にドクター・ヒューゴ(#3)は恐るべき素早さで僕の首に腕を絡ませた。

 ぎりぎりと筋肉が盛り上がって僕の首を圧迫する。

 ひゅう、と僕の口から息が漏れた。

「ピクシー1全射撃、撃ち落とせ!」

 <すぐに行く目細、信じてろ!>

 ブリーズ3の腹から、ぼん、と音を立ててミサイルが発射された。

 空中に解き放たれたミサイルは真っすぐに、初撃でローターを削り取られたピクシー2に命中。

 隊員たちが蜘蛛の子ように散り散りに逃げ出し、何人かが逃げ遅れて爆発で吹っ飛ばされる。

 ドクター・ヒューゴ(#3)は僕の首を絞めたまま、ピクシー1のスロープへじりじりと進んでいた。

「お前がいる限り子猫は撃てない。私は子猫を殺す気はない。ゾーイ・ユーラノート、どう振舞えばいいか分かるな。せいぜい役に立て」

 ピクシー1の機関銃が直上への発砲を開始。

 ロケットキャノンが別角度から打ち上げられた。

 頭上のブリーズ3は急速旋回し、その攻撃を巧みにかわす。

 反撃の銃弾がピクシー1のヘリに縦一文字の穴を開けた。

 ブリーズ3の後部キャビンが開いて、ロープがひゅっと風を切る。

 その不安定な綱につかまり、没入現実映画ヴィジョンでの姿そのまま、くるりと前転しながらキティーが屋上に着地した。

「私を盾にしろ」

 ピクシー1チームの生き残り三名がドクター・ヒューゴ(#3)の背後からキティー目掛けて射撃を開始。

 構わず撃て、と言いたかった。

 僕の腕や足が一本でキティーの命が守られるならば、いくらでも僕を誤射すればいい。

 でも、僕の口から出るのは弱っちい呼吸音だけだ。

 立ち上がりざま横っ飛びにポジションを変えながら、キティーは発砲した。

 ただ一発。

 そこに爪の先ほどの惑いも無ければ、ためらいも無かった。

「うあっ」

 と悲鳴を上げて、隊員が崩れ落ちる。

 ドクター・ヒューゴ(#3)が首を抱えたまま、僕を振り回した。

 これでは部下も撃ちにくいだろうに――と思ったが、彼らこそ僕を躊躇なく誤射してもいい立場である。

 今はただキティーが不利なだけだ。

 歯がゆくも、僕にできるのは遠心力に逆らうために腹筋に力を入れる程度のいささかの努力である。

 まだ視界はしっかりしていたけれど、次にキティーの腕がどう動いたのか僕にはちっとも見えなかった。

 不意にキティーの体が沈んだと思ったら、残り二人の隊員が立て続けに足を撃ち抜かれて転がる。

「くそ」

 ドクター・ヒューゴ(#3)は、激昂のあまり僕の首をぐいぐいと締め上げた。

 もう片方の手にはピストルを持っている。

「動くなキティー。この男を絞め殺されたくなければ」

 僕の視界が回り始めた。

 それでもわかるくらいの轟音と風圧で、しぶとく頑丈なピクシー1のローターが始動したのが感じられる。

「よう」

 久しぶりのキティーの声、マイク越しでも立体映像ホログラムの向こうでもないその声に、不覚にも僕は首を絞められながらも泣いてしまった。

 キティーはそこにドクター・ヒューゴ(#3)などいないかのように、言う。

「目細野郎、動くなよ」

「動くなと言ったのは私だ!」

 銃声が交差した。

 僕の耳元をかすめて、何かが飛んだ。

 視界が傾き、首にかかっていた圧力が急に消える。

 濡れた屋上にごろりと転がり、ドクター・ヒューゴ(#3)の腕を振り払って、僕はむせ返りながら酸素を吸った。

 視界はまだ回っている。

 それでも僕は立った。

 ドクター・ヒューゴ(#3)の頭は、真っ赤な花束のようになってそこら中に散っていた。

「目細、来い!」

 旋回したブリーズ3がこちらへ向かってくる。

 そこから吊り下げられたロープへ曲芸みたいに軽々と身を移したキティーが捉まっていた。

 片手を出してこちらを招いている。

 僕は走り出す。

 ピクシー1の機関銃座が僕たちの方へ回転。

 それに対して、ブリーズ3の腹に抱えられていた二発目のミサイルが撃ち出される。

「早く!」

 僕は悩む間もなく屋上から飛び出した。

 ミサイルの炸裂音と共に熱風が押し寄せてくる。

 キティーの手が僕の手首をがしっと掴む。

 僕は信じられない気持ちでその整った顔を見た。

「……キティーだね」

「それ以外に見えるのかくそったれ」

 ブリーズ3は急速にドーンタイムビルの屋上を離れていく。

 ビルの中ほどから激しく炎が噴き出し、傾き始めているのが見て取れた。

 ミサイルが駄目押しになったかもしれない。

 僕は事態の大きさに改めて戦慄した。

 キティーが合図するとロープはしずしずとヘリの中に巻き上げられる。

 機体のキャビンに転がり込んで、大の字になり、荒い息を整えた。

 僕がよろよろと体を起こすと仁王立ちのキティーがそこにいて、何も言わずに僕の鼻っ柱に拳を叩きつける。

 すこぶる痛かった。

 鼻血が垂れて、僕のシャツを前衛芸術みたいな赤い水玉模様にする。

 実はすごく高いシャツだった。

 でも、僕は受け入れている。

 笑ってすらいる。

 僕は殴られても仕方のないことをキティーにした。

 そして、僕はキティーに再会して本当に幸せだったんだ。

「笑ってんじゃねえぞ目細野郎」

「うん」

「ちょっとは怒る練習をしろ」

「うん」

 キティーは拳を解いて、ついてこいと言うように僕に背中を向けた。

「このヘリはどうしたの」

「キザ金髪がつかまえた」

「捕まえた?」

 僕は鼻を押さえながらキティーの後に続き、とは言っても十歩も歩かなかったけれど、コックピットに入る。

「ええ」

 そこに座っている人の姿に、僕はまた新たな驚きを得た。

「リチャードさん? 軍用ヘリの操縦免許を?」

「儂にとっては――」

 僕は耳を疑った。

 リチャードさんの一人称は「儂」ではなかったと思ったけれど。

 キャラクター変わったのかな。

 キティーとの間に何かあったのだろうか?

「そう、儂にとっては、地を歩くよりは空を飛ぶ方が容易い行為だ」

「は……はあ……そうですか……?」

「空を飛ぶものは我が眷属。呼べば懐く」

「目細、さっさと座れ。こいつはヒトカワ剥いたらただのヘンタイだ」

 リチャードさんはにやりと笑って言った。

「小僧の言う通り。手早く座れ」

 僕とキティーは焦って後部座席に滑り込み、シートベルトをつける。

 視界が暗くなったので前を見ると、ヘリはスコール雲に突入するまさにその瞬間だった。

 墨を流したように真っ黒な雲が眼前に横たわっている。

「嘘でしょう」

 僕は思わず口に出した。

「現実は直視するものだ。なかなか活きの良い嵐であろう」

 リチャードさんは、何だか僕の方がおかしいことを言ったとでもいうように、まるで無頓着に手元のスイッチを入れたり切ったりしている。

 窓の外を、雷が金色の蛇の如くうねりながら過ぎ去って行く。

 僕はその光景を、恐ろしくも美しい、畏怖の心に打たれながら見ていた。

 キティーは観念しているといった表情で軽く目を閉じている。

「リチャードさん、これから僕たちはどこへ?」

「この嵐の先だ」

 ごうごうと唸る疾風の向こう側に、僕はまた別の声を聞いた気がした。

 それは咆哮。

 人ならざる、大いなる者の声。

 力強い稲光が黒雲の彼方から飛来する。

 それはまさしく蛇の口だった。

 こちらを丸呑みするように手前で二股に分かれて、ばくりと顎を閉じる。

 激しく叩きつける雷の只中をヘリは不思議と安定して飛行していた。

 僕は知らずのうちに、胸に下げた<龍の歯>を握りしめている。

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