第16話 孤児

 3時間目が終わって、あー次は理科室か・・・ 環境変わるのは悪くはないけど、どうも化学は好きになれん、ヒナタは溜息をつきながら声を掛けた。


「オフジ~行こう」

「はいはい、アンタ勉強好きやなあ。不思議やわ」


 立ち上がった所に、担任の田上先生が飛び込んできた。


「掛川!おるかー、おお、掛川、すぐ荷物まとめて職員室に来い!」

「はあ?今から理科室ですけど」

「あほ、それどころやないねん、とにかく5分以内に来い」


 そう言って田上先生はまた飛び出して行った。


「何やろ・・・」

 

 ヒナタは心当たりがない。オフジも不思議そうに


「ヒナタ、何したん?先生のあの顔は普通やないよ」

「うん、全く解らん。まあでも行ってみるわ」


 手に持った理科の教科書やノートをスクバに戻し、ヒナタは職員室に向かった。職員室の前の廊下で田上先生が待ち受けていた。


「オレの車に乗れ。理由は道々話す」


 有無を言わせない話し方だ。只事じゃなさそうだとヒナタも覚悟した。田上先生は助手席にヒナタを乗せるとすぐに車を出した。


「あのな、落ち着いて聞けよ。さっき掛川の団地の管理人さんから電話あってな、掛川のお父さんとお母さんが乗った車が事故に遭ったそうや。トラックにぶつけられたらしい。救急で運ばれてるから今からその病院へ行く」


 全く予想もしなかった話が先生の口から出た。ヒナタの全身が凍り付いてゆく。そんな話あるのか。現実に、自分の身に降りかかるのか。ヒナタの頭はフリーズ状態になった。


「落ち着いてな。と言うても無理かもしれんけど。状態はあんまりよくないみたいや。でも身内は君しかおらんみたいやし、行くしかない。先生も付いてるからな」

「は・・・い」


 どこをどう走ったか全く判らない。気がつけば市民病院の廊下にヒナタはいた。先生が駈け回って看護師を連れて来た。


「娘さんです」


 看護師は、こちらへ と案内する。案内されたのはICUだった。


「声を掛けてあげてください」

 

 目の前には父と母が包帯でグルグル巻きになった上にチューブまみれで横になっていた。


「お・・・父さん お・・・母さん」


 それから後の事をヒナタは覚えていない。気がつけばヒナタ自身が病室のベッドで寝ていた。周囲には田上先生とコカゲ、コカゲの両親が座っている。


「あ、気がついた」


 真っ先にコカゲが声を上げた。


「コカゲ・・・あたしどうしたんやろ」


 ヒナタは一瞬何が何だか判らなかった。


「ヒナタちゃん」


 コカゲの母・莉がヒナタの手を握りしめた。その横で田上先生が静かに言った。


「掛川、気の毒やけどお父さんとお母さんは駄目やった」


 それから先のことは中2のヒナタには余りにも重過ぎて判らないし思い出したくもない。まさか自分が孤児になるとは思っても見なかった。祖父母はとうに鬼籍に入り、両親の兄弟もないヒナタは、いきなり全くの一人ぼっちになってしまった。


 団地の部屋の整理は市役所の人がやってくれた。担当は渡辺さんという女性だ。渡辺さんは管理人の大野さんと一緒にヒナタの家の各部屋を隅々まで見て回り、ヒナタの話を聞きながら、当面ヒナタにとって必要なものとヒナタが手元に置きたいものを分けてくれた。ヒナタはキャリーケースにそれらを詰めて、一時的に市の児童相談所に入所した。


「残りのものはヒナタちゃんにとって役に立つよう考えるから心配せんでええよ。一旦リストにするからそれ見てもらって、やっぱり置いておきたいとか、もう要らないとか区別してもらって、それで換金できるものはそうしてヒナタちゃんの生活で使えるようにするから大丈夫よ」


 渡辺さんは、自分にも中学生の子供がいるからヒナタが如何に辛くて大変な思いをしているかよく判ると親身に言ってくれた。


 1週間後、渡辺さんが児童相談所にやって来た。ヒナタがあてがわれた部屋で、ヒナタに品目リストを見せた。それは写真入りの膨大なページのものだった。


「ヒナタちゃんのこと思うとちょっと力入ってしもて、大作になったわ」


 渡辺さんは笑った。柄にもないと思いながら毎日夜になると涙をこらえる事が出来なかったヒナタにとって、それは神様の微笑みにも見えた。

 渡辺さんはもう一つ大きな知らせを持ってきてくれた。


「お友達に松永さんっているでしょ?その松永さんのお父さんとお母さんがね、中学校の卒業までは里親になってあげるって言うてくれてはるねん。ヒナタちゃんに一緒に暮らしましょうっていう事やねん。どっちにしてもヒナタちゃんはこれからそう言う人を探すことになると思うから、それやったらいっそ知ってる子と一緒の方がええのと違うかなって思うけど、どう?」


 ヒナタは品目リストを繰る手を止めて渡辺さんを見た。


「それって松永さんの家で、あたしが働いたらいいってことですか?」


 渡辺さんは一瞬笑い、そして目に涙を浮かべた。


「違うよ。子どもとして暮らすってことよ。そうか。ヒナタちゃんはそう考えたんや。何か、切ないな」


 カバンからハンカチを取り出して涙を拭うと、渡辺さんは両手をヒナタの肩に掛けた。


「辛い目に遭ったばかりの女の子に、これ以上辛い思いはさせへんから大丈夫。松永さんって友達と仲いいのかどうか私は知らんけど、こんなすぐに里親になるって人が出てくることも滅多にないから、ヒナタちゃんがその友達と一緒に暮らすのが嫌でなかったら受けた方がいいと思うけどな」


 コカゲと一緒の生活。お嬢様の家。ヒナタは内心少しビビった。コカゲの話の端々から見える、ヒナタの家との違い。自分はそこでやって行けるのだろうか。さげすまれたりしないのだろうか。コカゲは何と思うのだろうか。


「あの、松永さんって友達は、コカゲって言うんですけど、コカゲは賛成してくれてるんでしょうか?」

「勿論よ。お父さんかお母さんかどっちかが言い出さはって、そのお友達も大賛成やって。まあ言うても取り敢えずは中学卒業までやから、その後どうするかとか私も入れて時々話し合いしながらやけどね」

「余計なお金かかりますよね。それは大人になったら返すとかしたらええんですか」

「そんなんは市役所が何とかする話やから、ヒナタちゃんは心配せんでええのよ。返す事なんかないから大丈夫。普通にその家の子どもになるって感じやから。ほんまに、そんな心配せんでええのよ」


 そう言って渡辺さんはまた目にハンカチを押し当てた。


 こうしてヒナタは、小さな位牌と写真を2つずつと身の回りのものを持ってコカゲの家に身を寄せることになった。学校はこれまで通りに通えると言う。

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