たとえたとえられたとてただたとえばのたとえばなし

小鳥遊咲季真【タカナシ・サイマ】

1 たとえば両親がいなかったら

1.1 顔面の偏差値同様、いささか見るに堪えない

 失言によって失われたのは言葉ではなく己の信用である。



 うっかり言ってはいけないことを言ってしまうことだ、と辞書的に反論する人間はこの際無視することにするが、信頼ではなく信用であることは絶対だ。



 信頼は信じて頼るという文字通りの意味であり、信用は信頼における最初の信じる度合いである。信用が前提となって信頼が生まれる。よって人の社会における他人からの信用は人間関係において非常に重要であることは、賢しいだけの老若男女の諸君にはお分かりであろう。しかし、私が信用と信頼の関係及びそれに伴う言葉の重要性を実体験によって思い知ったその時、私の年齢は既に十四であった。



 失言の内容はこうである。



「え? 両親がいなくて寂しくないのかって? そりゃあ、寂しいさ。でも、二人が唯一残してくれたものである僕自身が悲しくっちゃあ、そりゃ二人も悲しいだけだからね。僕は元気に生きるんだ。マミーとパパーのためにも、僕は頑張るのさ」



 この発言はもはやこの頃における私の決め台詞みたいなものであった。教師や近所の大人たちにこれを言えば大抵は共感してくれるか憐れんでくれるかの二択で、いずれの場合も最終的には支援や激励の言葉を与えてくれる。



 親がいないというだけで特異な目で見られてしまうことは、小学生の幼き心のときでさえ理解するのは容易く――いや、敏感に繊細に物事を捉える年齢だからこそ、受け入れられずとも呑み込むしかなかったともいえる。どちらにしても、この頃にはもう泣き出すための涙がとうに枯れてしまっていた。



 話を戻そう。



 中学二年生の時に私はこの言葉を初めて同級生に対して使った訳なのだが、ここで彼ら彼女らが〝異である〟と感じて区別線を引いたのは私の社会的待遇における遺児に対しての偏見ではなく「マミー」「パパー」というこの二言であった。



 私は遺児であるというこの境遇が、いつかは友人関係に亀裂を与えるものだと思って生活をしてきた。我ながら達観した考えの持ち主だと振り返れば思えるが、しかし、いずれ起こるだろう出来事を想像し、これに対して備えているという点では実に私らしい。私はそう言う性格である。



 だが、当時これが良い方向へ作用しなかった。



 この慎重な性格が平坦な顔よりも先行する私は、友人関係を築く時でさえも折り紙を折るように慎重であった。複雑怪奇な感情を持ち合わせた青春の中学時代はこれが殊更に顕著であり、これによって人間関係の情報網など私には皆無であったのである。



 同級生の彼ら彼女らが私に抱いた〝異である〟点が私の発した「マミー」「パパー」であったことなど、一年の歳月が経過した後に美術の教室へ移動する時、誰にでも話しかける気さくな性格から私が気になり始めていた同級女子に言われた



「マミーはちょっとないかな。それにパパを『パパー』って伸ばすとかさ、大人っぽいのになんかかわいいよね」



 という文言でようやく知ったぐらいだ。



 しかし冷静によく考えればわかるはずなのだ。同級生のすべてが同調強圧するわけではないということは、少し大人びて考えればわかることなのだ。子供の生活から切り離されて生活させられてきた私であれば、無駄に気取った達観で簡単に推察できたはずなのだ。察する文化の民族であるならなおさらのこと。私が皆を避けていたのではなく、皆が私を避けていたという事実から目を背けていた私は如何に愚かなものであったか。顔面の偏差値同様、いささか見るに堪えない。



 彼女に悪意はきっとなかったはずである。おかしいと思いつつも周囲の目を気にしながら同じように呼吸をする。それでたまにこうして私へ耳打ちをしてみるという人間だったというそれだけである。おかげで私が乖離されていた原因を周知することができたわけだが、それでも私は理解することはできなかった。



 「マミー」と呼ぶ対象は母親であり、「パパー」と呼ぶ対象は父親である。二人ともとても優しい性格であり、私に対して常に気遣ってくれた。私が二人をこのように呼ぶのは、それこそ与えられた愛情からである。私は二人とも大好きであった。幼い時の呼び名のまま失った両親の呼び名を今さら変える必要があるとはどうしても思えず、それを理由に一方的無視を行う彼らの心情性格環境家庭境遇顔面はそれこそ理解することができなかったのである。当時は考えもしなかったが、失った今ではそれが愛情なのだと理解して受け止め、大切な思い出として私の胸の中へしまっている。今はそれだけでいいと、素直にそう思う。



 そして大切な思い出ほど赤の他人は覗きたくなるものであることを、私は十七でようやく悟り始めていた。もはやこれが三年も前の出来事であるにもかかわらず、我が高校の上級生はこれを掘り返すことに必死であった。そしてこの尋問に対し、意図的に開けられた胸元から覗くピンク色の下着によって三秒で屈してしまった私は非常に情けないことこの上ない。すまない。許せ。過去の私。



「たぶんだけど、〝マミー〟は本当にそんなこという人がいるんだと現実離れした乖離が、〝パパー〟は君が男の子だから意外性からの乖離かな。どちらにしても、君の通っていた中学生はありきたりな奴らしかいなかったって事だね」


「高校生であれば、いえ、うちの高校の生徒はありきたりではないというのですか」


「いやいや、そうじゃないよ。知識の増長と人間と触れ合った経験数は多様な考えの許容を生み出すって事さ。ダイバーシティだよ、カルタナ議定書だよ」


「カルタナ議定書は生物多様性についてです」


「そうだっけ? まあ、君の昔話を聞けただけ儲けものかな」


「私は先輩には敵いませんから」



 とくにその多様な感性よりも豊かに育った胸部には敵わない。私はおそらく老いぼれて杖を使用して歩けなくなってもこれに屈服するであろう。そしてそれに触れる勇気はないのである。すまない。許せ。未来の私。



「またまたー、そんなにおだてても何も出ないよ?」

「ご冗談を」

「ではそういうことで」

「仰せのままに」



 先輩が某公立高等学校の中庭の芝生で寝転がって見上げている空からマクロ的に私を見れば、きっと日本地図を構成する点の一つにさえなれないだろう。高等学校の中庭にまで観点をミクロ的にしなければ私という人間はアイデンティティさえ持ち得ないのである。



 確かに先輩の言う通り高等学校へ進学してからの私は、乖離もとい一方的無視をされることはなくなった。おそらく、この先輩が私から「マミー」と「パパー」を、それこそ失言をさせられたとしか言いようがない状況で誘導尋問的に聞き出されるまでは一度も口にしなかったからだろう。それでも笑いのネタにして〝おしまい〟にしてくれる友人関係を一人でも持てた私は幸せ者である。先輩だけではない。私の家庭的事情を入学当初に担任から暴露される悲劇に見舞われてもなお、上下同級生の皆は友好的に接してくれた。それは同情でも、憐れみでもない。奨学金手続きの時に見たおばさんの無理やりな共感でもない。彼ら彼女らは友人として、たった一年から三年だけの間柄だとしても、一人の人間として接してくれる。そこに私から作用した権力はない。本当に環境に恵まれているといえるだろう。感謝しかない。



「そういえば、クイズの答えわかった?」

「いえ、まだです」

「今日の回答権は?」

「未使用です」

「では、どうぞっ」

「……白で」



 私は生唾をのみ込んだ。ごくっと飲んで、それからごくごく飲んだ。



 さて、小賢しいだけの老若男女の諸君にはまだこのクイズの問いが何であり、また、それに対する解が「白」である意味も、私が生唾を風呂上がりの牛乳を飲み干すが如くごくごくと飲んでいる意味も分かるまい。それでよいのだ。私だけ悩み苦しみ続けなければいけないのは良くない。非常によろしくない。よって、この問と解の意味は十数行先まで引き延ばすこととする。せいぜい淫らでふしだらな妄想を通わせておくのだな。

 


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