第3章 楽屋より愛を込めて

「やっほー! 未散ちゃんご機嫌いかがー?」

「たった今、アンタの顔を見た途端、ご機嫌悪くなったよ!」

 いつものように、5th STREETの受付で美島と未散がじゃれ合っている。

「素直じゃないなあ、未散ちゃんは。本当は俺の事大好きな癖に!」

「この吸殻入った水飲みたいか?」

「死んじゃうから!」

「死んでしまえ!」

「はいはい、2人ともそこら辺で」宗崎が割って入る。

「佳太、何か用事があって来たんじゃないの?」

「そうそう、達ちゃんにお願いがあってね」

「変なお願いじゃないだろうね?」宗崎が警戒する。

「いやいや、お互いメリットのある事だよ。実はさ、今度通信カラオケに参入しようとしてる会社があってさ。打ち込み音源作ってくれる人間を大量に募集してるんだよね」

「あー、バンドで打ち込みやってる子たち多いからね」

「そうそう。なんか最終的には2万曲くらい揃えたいみたいよ。ギャラは完パケで1曲2万円だって」

「ふーん。確かに悪い話じゃないね。最近、そういう話多いみたいね。いろんな会社が手を出してるって話を聞くね」

「だね、今はカラオケバブルだね。弾ける前に、早く食い込めば儲けられると思うよ」

「分かった、心当たりは何人かいるから紹介するよ」

「頼むね。こっちも企画書とかフォーマットとか用意しとくから。ウチの曲もそこでいっぱい扱って貰えれば、著作権収入がバカにならないしね」

 美島はビュースター系列の音楽出版社の管理楽曲をそこに売り込んでいる。

 カラオケに入れば、音楽出版社に著作権使用料が支払われる。それは不労所得なので効率が良いのだ。


「打ち込みと言えば、この前ウチに出たバンドで凄いのいたよ」

「どんな?」

「ライブの3日前にドラムがバイトで車運転してて、信号機に激突して左手折っちゃってね」

「えー!」

「で、ライブの前日に徹夜して、ドラムマシーンにスネアの音だけ打ち込んだらしいんだよね」

「え? ライブやったの?」

「やったね。見事にスネア以外の音は自分で叩いてたよ」

「そりゃあスゲエな!」

「でも『信号機壊しちゃったんで、これからいくら請求が来るのかわかんないんですよね』って言ってた」

「いや、その子だったらそれくらいの困難は軽くクリア出来ると思うな」

 美島が何の根拠もなく無責任にそう言い放った。


 翌日、美島が出社すると、デスクの野中阿佐美が待ち構えていた。

「美島さん、早く出張費の仮払い、精算してくださいよ!」

「あー、悪いね阿佐美ちゃん! 今週末までには必ず!」

「お願いしますよー。私が経理に怒られますからね」

 美島は精算関係が遅く、いつも阿佐美に怒られる。

「こんな短大出たての小娘に怒られるの嫌でしょ? 早くお願いしますね」

 念を押されてしまった。

「美島、ちょっと」

 宣伝部長の多岐川に呼ばれる。

「会議室行こうか?」

 倉敷まどかの事だな、と美島は反射的に理解した。

「後藤も呼んでる」

 後藤敏則は第一制作のチーフで、数々のヒット作品を世に送り出した敏腕ディレクターだ。

「じゃあ、倉敷まどかのディレクターは後藤さんで?」

「他にいねえからな」

 確かに、アメイジングのイチ押しアーティストを扱えるのは後藤くらいだろうな、と美島も納得した。

 大手事務所のアーティストの場合、現場のレコーディングとかよりも、事務所や代理店との折衝が一番キモになるからだ。

 

 会議室に入ると、後藤は既に座っていた。

「お疲れ様です」後藤の方から多岐川に声を掛ける。

「お疲れさん、朝イチで悪いね」多岐川も労う。

「お疲れ様です。お互い、たいへんな現場になりそうですね」美島が心からの言葉を発した。

「まあ、しょうがねえよな。他に任せられるのもいねえし」

 制作部でも芸能行政に一番長けているのが後藤なのだ。

「美島には朗報もある」多岐川が美島の方を向いて言う。

「なんですか?」

「さすがに倉敷まどかのアー担やりながら関東ローカルの局担は無理があるから、千葉と埼玉は坂口か山崎のどっちかに任せる事にした。ただし、横浜はお前、異常に顔が利くからそのままな」

「マジですか! やった!」

 ルーティーンワークの中で、一番時間を取られている仕事が無くなった訳だ。

「その分、倉敷まどかに専念してくれ」

 それを考えると、単純に喜んでもいられないようだ。

「コッカトリスもありますからねえ。忙しくなるなあ」

「ま、美島もバンドものだけじゃなくて泥臭い『ザ・芸能界』の仕事も覚えなきゃな」

 後藤も美島に笑いかける。

「あー、やっぱり避けられませんかねえ」

「いつかは通る道だしな。若い時に苦労したら後々楽になるよ」

「お二人見てるとまったくそうは思えないんですけどね」

「そりゃあ、物理的には無理だよ。精神的に強くなるって事だ」

「うわあ…」

 美島は「友達」の旅行代理店勤務のお姉ちゃんが、お客さんからのクレームを受け過ぎて、どんな理不尽な事を言われても動じない性格になったのを思い出した。

(あーはなりたくないなあ…)

「ところで多岐川部長、社長はどんな反応でした?」後藤が訊く。

「想像通りだよ。『それは良い! 是非やりなさい!』で」

「まあ、社長は現場知らないですもんね」

 ビュースター社長の山谷巌は、親会社である景星社からの出向で、音楽業界に疎い。

 今でもたまにCDの出荷枚数の事を、つい「部数」と言ってしまうくらいだ。

「その内アメイジングと打ち合わせしないといけないが、これまでこっちに伝わってる事だけ伝えておく」

 後藤も美島も真剣に耳を傾ける。

「4月からCMが決まってる。これは新しく発売される清涼飲料水ので、今のところGRPは全国で6000予定だ」

「6000?スゲエ!」美島が驚く。

「飲み物関係だと力入れてる新商品はそれくらいはやるだろ。関東だけで3000ってとこかな?」タイアップに精通してて広告業界にも詳しい後藤が推測する。

 GRPとはテレビ広告の単位で「延べ視聴率」とも呼ばれる。視聴率1%の番組に1本CMを流すと1GRPだ。

 6000GRPというのは、朝昼晩問わず、頻繁にCMを目にするくらいの量で、単純計算だと放送料だけでも6億円掛かる。

「これ以外にも数社CM決まる予定らしい。つまりは代理店絡みも多くなってくる」

「なかなか面倒臭くなりそうですね」

「一応、デビューシングルは来期のドラマの主題歌って事になってるけど、早く人気に火がついたら、場合によってはその前にCMタイアップの曲も有り得るって事だ」

「深夜ドラマの話ってどうなったんですか?」

「4月クールからだな。どうやら新進気鋭のカルト的な人気の脚本家と監督の意欲作らしい」

「売れる予感しかしませんねえ」

「アメイジングが本気で売ろうとしてるからな」

「原盤は当然アメイジングですよね?」後藤が訊いて来る。

 CDのレコーディング代を支払ったところが原盤権を持つ。

原盤印税は、ざっくり言って売上の10~15%くらいだ。

リスクが大きい分、リターンも大きくなるので、大手事務所が本気になって売り出す場合、原盤は事務所が持つ。

 今回は、タイアップを全て事務所が決めてるので、ビュースターとしても異論は無い。

「肝心の歌はどうなんでしょうね?」

 後藤としても一番気になるところだ。

「喋ってる声は良いな。実家がジャズクラブだし、音楽の素養はあるみたいだな。ピアノも弾けるらしい」

「それはデカいですね」

「プロフィール読むと、英語もドイツ語も堪能らしいしな」

「出来過ぎてますねえ。女の子たちの反感を買わないように、逆に彼女たちが憧れるような存在にしないといけないですね」

 宣伝をやる美島としては、戦略的な事も考えないといけない。

「そこら辺はアメイジングも考えてるだろうな。マネージャーも有能なのつけるらしいし」

「やりやすい人だと良いですね」

「とりあえず、来週一回ウチのスタジオで歌って貰う事になってる。二人ともスケジュールはそれ最優先で頼む」

 後藤と美島は目を見合わせた。


 多岐川は部長会議で別室に行ったが、後藤と美島は二人で会議室に残った。

「後藤さん、どうします?」

「なにが?」

「いえ、俺こういった全てが決められてるものをコントロールするのって結構苦手なんで」

「なに言ってんだ、こういうのが一番アドリヴが必要なんだぞ。前の日に決まった事が次の日にゃひっくり返るなんてしょっちゅうなんだからな」

「そうなんですか?」

「そうだよ。他が納得しても、最後纐纈さんがNG出したら全てが最初からやり直しだよ。俺なんて昔、マスタリング済んだ音源をやり直した事もあるぞ」

「うわー!」

 マスタリングはレコーディングの最終工程で、通常はこれが終わると制作終了だ。

「たまたまそのアーティストが歌番組に出てたのを纐纈さんが観てて『歌詞が良くない』って言って、最初からやり直しだよ」

「そこまで遡りましたか…」

「ジャケットの写真だって、纐纈さんがバーで呑んでるところを押さえて、バーテンに金つかませて『纐纈さんの機嫌が良くなった頃に連絡くれ』って頼んで、その場でOK貰ったよ。完全に酔っぱらってて、横向きの写真持って『この縦のが良いな』って言ってたけどな」

「さすがに修羅場を潜ってますねえ」

「他人事みたいに言ってるけど、今度からお前も似たような事やらなきゃいけないんだぞ? ジャケットはお前の仕事な!」

「…そうでした」


 美島は部署に戻ると、坂口と山崎を呼んだ。

「てな訳で、君たちに千葉と埼玉を引き継いで貰う事になった。これからは会社にいる時間が極端に減ると思うから覚悟しておくように!」

「まあ、移動時間が長いのは、楽っちゃ楽ですが…」沢口はまだ戸惑っているようだ。

「甘い! 最初はそう思っても、毎日は辛いぞ!」

「良いところは無いんですか?」山崎もまだ判断しかねてるようだ。

「自社の人間より、他社のプロモーターの方が一緒にいる時間が長くなるから、仲良くなるとコンサートのチケットとか頼みやすくなる。こっちも頼まれるけどな」

「それだけですか?」

「同業他社への転職もしやすくなる」

「ダメじゃないですか!」

「まあ、そう言うな。俺もテレビ埼玉はコッカトリスがあるからしばらくは通うし」

「あそこ最近、ヴィジュアル系に力入れてますからね」

「あそこのディレクター、インディーズバンドで読めないバンド名あると俺に電話してくるんだよな」

「美島さん、宗崎さんのお蔭なんでしょうけど、多分メジャーメーカーの中で一番インディーズバンドに詳しい人ですからね」

「あ、あの女性ディレクターですね。僕この前その電話取り次ぎました」山崎が手を挙げる。

「確かにインディーズのヴィジュアル系バンドって、なんであんな難しいバンド名にするんでしょうね?読めないと何も伝わらないのに」

「解読出来ないロゴとかフォントとかな」

「ゴシックな雰囲気出したいのは分かるけど、せめてカタカナのルビ振ってくれないと、バンド名が読めないんじゃ本末転倒ですよね」

「去年キューンからデビューしたバンドもフランス語だったしなあ。あのバンドがインディーズでやってた時も電話掛かって来たよ」

「ああ、なんとかシェルってバンドですね」

「シエルだ。そこ間違うと怒られるぞ!」

「誰にですか?」

「とにかく、山崎が埼玉な。電話受けたし」

「え? それだけで?」

「これも縁だよ」

「じゃあ、僕が千葉ですか?」坂口が訊いて来る。

「最終的に決めるのは部長だけどな。でもまあ、一人で埼玉と千葉兼務の方が効率良いけどな」

「まあ、そりゃそうですね」

「必然的にそうなるような気がするな。ジョージアMAXコーヒー飲み過ぎて糖尿病にならないようにな!」

「あんな甘いの飲めませんよ!」

「千葉県民の前でそんな事言うんじゃないぞ! 争いの元になるからな」


 夕方、宗崎から美島に電話が掛かって来た。

「とりあえず、優秀なの一人確保したよ」

「どんな人?」

「工学部卒業した人で、キーボードとか打ち込み系だけじゃなくてメカ全般にやたら強いし、ギターもベースも弾ける。自分でレコーディングスタジオ持ってて、ミキシングも出来る」

「完璧じゃん!」

「仕事も早いから、フォーマット教えてくれればすぐにサンプル作るって言ってるよ」

「分かった。じゃあ夜持って行くね」


「未散ちゃん、ご機嫌麗しゅう!」

「麗しゅうじゃねえよ、イタロー!」

 美島はめげない男だ。

「顔の縦皺は良くないよ。ホラ、笑って!」

「どうせ横皺も増えたよ!」

「そんな事一言も言ってないじゃん」

「うっさい! 消えろ!」

「佳太はその通過儀礼を済ませないとここの受付をくぐれない呪いでも掛けられてるのか?」宗崎が呆れて声を掛ける。

「二人とももういい大人なんだから」

「そりゃあ、小皺も増えるよね」

「死ね! いや、殺す!」

「キリが無いから、早く事務所に入りなよ」

 宗崎はあくまで冷静だ。


「じゃあ、これが資料ね。フォーマットとかの詳しい形式も書いてるみたいよ」

 宗崎も目を通してみる。

「読んでもよくわからんなー」

「大丈夫! 俺もよくわかんないけど打ち込みやってる人たちには分かるみたいだから」

「これからはこういうのが音楽やる上でも必須になるのかもね」

「みんな、家にパソコンあるような時代になるかもね」

「もうちょっと安くなればね」

「話変わるけどさ、その優秀な人ってバンドやってるの?」

「うん、来週の火曜日にここでライブやるよ。観に来れば? その人のバンド面白いよ」

 宗崎はそこでちょっと意地悪な顔になったのだが、ちょうど美島からは見えない位置だった。

「そうだね、最優先事項と重ならなければね」

「なにそれ?」

「まどかちゃんの歌を聴くんだよ」

「あー、それは興味あるね」

「いろいろと面倒臭い事も多そうだけどさ、あんな才能に出会える機会って滅多に無いだろうしね」

「そうだねえ…」

 宗崎は(お前だってそうだったんだよ!)と心の中で叫んでいた。


 翌週。

 早速月曜日に倉敷まどかはスタジオ入りする事になった。

 朝からビュースターの部長級以上の役職者が勢揃いしている。纐纈もやって来るからだ。

「15時入りなのに、みんなそんなそわそわしなくてもいいのになあ」

 美島は緊張と言うものを知らない。

「お前がアー担で正解だったかもな」多岐川が疲れた顔でつぶやいた。

「後藤、今日は何を歌うんだ?」

「今はスタジオに通信カラオケがセットされてますから何でも歌えますよ。あと、ピアノの弾き語りもやるそうなんでCP用意しときました」

 CPはヤマハの電子ピアノだ。

 ピアノタッチという、実際のピアノと同じ重さの鍵盤を採用している。

「後藤さん、まだ本人に会ってないんでしたっけ?」美島が尋ねる。

「そうなんだよ、今日が初顔合わせ。写真で見る限り、綺麗な子だよな。実際はどうなんだ?」

「実物の方が写真の何万倍も魅力的ですよ」

「お前がそこまで言うんだったらホントにそうなんだろうな」

 いったい自分は社内でどう思われてるんだろう? 美島はちょっと疑問に思った。


 14時を過ぎると、社内全体がそわそわし出した。

 どうやらまどかは社内の全部署に挨拶回りをするらしい。

 噂が噂を呼び、社内中が浮足立っていた。

 いつもは半数以上が出かけている制作や宣伝、営業の人間もほとんど社内にいた。


 そして14時半過ぎ、纐纈社長のベントレーがビュースターの本社ビルの地下駐車場に到着した。

 山谷社長以下、役員が総出で飛んで来る。

「纐纈社長! ようこそいらっしゃいました」

「おお、山谷社長! ご無沙汰しております」

 型通りの挨拶をして、纐纈が車を指す。

「ウチの倉敷まどかを連れて参りました。今日はこれから皆さんにご挨拶させて頂きます」


 まどかがベントレーから降りてきた。

 その瞬間、そこにいる全ての人間の眼はまどかに釘付けになった。

ビュースターの役員全員が、自社の繁栄を確信した瞬間だった。


「杉さん、今日はよろしくね」

 後藤は一足先にスタジオに入り、エンジニアの杉戸に挨拶をする。

 杉戸はもともと5th STREETに出ていたバンドマンだ。それもあり、美島と仲が良い。

「なんか、えらいべっぴんさんらしいですね」

「そうなんだよ! あれは売れるだろうね」

「しかもエアポケットのオーナーの娘さんらしいですね」

 杉戸も横浜の人間なのでエアポケットは馴染みがあるようだ。

「今日はピアノも弾くらしいんで、それも楽しみだね」

「どんなの弾くんでしょうね?」

「ま、クラシック弾いても意味ないからなあ。弾き語り出来れば御の字だよ」

「じゃあ、ピアノにはゴッパーをセッティングしますか」

 ゴッパーとはSHURE SM58というマイクの事で、ヴォーカルマイクとして高い評価を受けている。

 レコーディング用というよりはライブ向きの丈夫なマイクだが、軽いのでブームという中折れ式のマイクスタンドに立てやすい。

「そうだね。弾き語りのは参考音源だしね」


 ビュースターの本社ビルは、地下がスタジオ、1階が営業部、2階が宣伝部、3階が制作部、4階が総務部と法務部と経理、5階が役員室と会議室になっている。

 総合受付は1階だが、各フロアの入口に内線電話があり、来客はそこから直接来訪先に連絡をする方法を採っている。

 アメイジング御一行様は、まずはエレベーターで5階の会議室に入って荷物を置き、4階から順に挨拶に回る段取りだ。

 アーティスト担当である美島が案内役なので、会議室で待機している。

 そこに纐纈、まどか、そしてマネージャーらしき男性が入って来た。

「おお、美島君! 今日はよろしくね」

 纐纈は上機嫌のようだ。

「纐纈社長、よろしくお願いします」

「紹介するよ、ウチの沢登だ。まどかのマネージャーになるからこれからよろしく頼むよ」

「初めまして、アメイジングの沢登と申します」沢登琢磨は名刺を差し出した。

「ビュースターの美島です。今後ともよろしくお願い致します」美島も名刺を渡す。

見た感じ、なかなか切れ者のようだ。

もちろん、そうでなければアメイジングのイチ押しアーティストのマネージャーにはなれないだろうが。

「では今日のスケジュールをお伝えしますね」

 美島が説明する。

「もう役員とは顔合わせはお済みでしょうから、これから4階の総務、法務、経理、3階の制作、2階の宣伝、1階の営業にそれぞれ挨拶回りをします。最後に地下のスタジオに入ってデモの歌録りです。これはビデオも廻しますね」

「緊張してきちゃった!」まどかが顔を両手で挟む。

「あと、営業からなんですが、ポラロイドを何枚か写したいそうです。レコード店へのサービス用ですね」

「了解しました。問題ありません」沢登が答える。

「まだ早くないかい? CD出るのってまだまだ先だろ?」纐纈が訊く。

「まあ、正式な告知じゃなくてあくまでもサービスですから。レコード店の人って、結構アイドルオタクが多くて、こういった初期のレアものを喜ぶんですよ」

「わかった。その辺は美島君に任せるよ」

「特に倉敷さんの場合、店頭イベントに出るような感じにはならないでしょうしね」

「そうですね。そこら辺は考えていません」

 沢登としても、安売りはしない方針のようだ。

「そうなると、やはり店員さんたちのマニア心をくすぐるようなものも何か仕掛けないといけませんからね」

「もうそんな先の事まで考えてるのかい?」

 纐纈が笑った。

「アイディアはいくらでも湧いてくるんですけどね」

 まどかもクスクス笑っている。

 どうやら緊張も解けて来たようだ。


「初めまして、倉敷まどかと申します。18歳です。これから皆さんにお世話になります。よろしくお願いします」

 どこの部署でも拍手万来で迎えられた。

 それは決して形式的なものばかりではなかったと美島は確信していた。


 宣伝部では山崎と沢口が興奮していた。

「いやー、綺麗な子だったなあ!」

「美島さん、あの娘の担当かあ。心の底から羨ましいなあ」

「なんつーか、立ち姿が美しいよな」

「笑顔も声も良かったよ。挨拶した時に腰が砕けそうになったもん」

「本人稼働の宣伝だとテレビ局担当になるしかないよなあ」

「意外とラジオでレギュラー持つかもよ」

「でも多分AMなんだろうな」

「しゃべりはどうなんだろうね?」

「阿佐美ちゃん、どうだった?」

 沢口がデスクの阿佐美に訊く。

「阿佐美ちゃん?」

 阿佐美は顔を赤らめ、無言だ。

「阿佐美ちゃん!」

「え? ああ、可っ愛かったですねえ!」

 阿佐美は感極まったように声を絞り出した。

「最近一番のヒットですよ!」

 実は阿佐美はアイドルオタクなのだ。

 アイドルに会えるなら、いろんなイベントにも参加する。

 今は「アイドル冬の時代」で歌番組も少ないので、関東圏ならどこにでも出かける。

横浜そごうのサテライトスタジオで公開生放送されているアイドル番組に潜り込んで、丁度別番組の打ち合わせに来ていた美島に見つかりそうになって慌てて身を隠した事もある。

 その後もまどかへの賞賛の言葉はずっと続いた。

 阿佐美のあまりの興奮振りに、沢口と山崎は呆然とするばかりだった。


 まどかたちは挨拶回りを終え、5階の会議室へ引き上げる。

 纐纈と沢登は一旦電話を掛けに部屋の外に出ていた。

「ふー。さすがに疲れました」

 まどかはミネラルウォーターを飲みながらため息をつく。

「お疲れ様、まどかちゃん。疲れてるようだったらスタジオ入り、もう少し後でも良いよ」

 美島がねぎらう。

「大丈夫です。いっぱいの人に会うより、ピアノがある部屋の方が落ち着くと思いますし」

「そんなにピアノ好きなんだ?」

「物心ついたらいつもありましたしね。私、独学で覚えたんですよ」

「え? ピアノを?」

「ええ、周りみんな弾ける人ばかりだったんで教えて貰ったりはしましたけど、先生についた事とかはないんでクラシックとかは弾けません」

「じゃあ、基本はジャズなんだね」

「ですねえ」

 美島は(これはまたちょっと期待値が上がったな)と思っていた。

 漠然と(これはひょっとしてひょっとするぞ! ルックスだけじゃなく、音楽的才能も凄いんじゃないか?)という予感めいたものも芽生え始めていた。


 スタジオのコンソールルームには美島、後藤、多岐川、纐纈、沢登、そしてミキサー前に杉戸がいた。

 後藤がトークバックでスタジオのブースにいるまどかに話しかける。

「それじゃあまどかちゃん、指慣らしでピアノ弾いてていいよ」

 まどかは軽く会釈して軽やかにピアノを弾きだした。

 流れるような優雅なタッチだ。

「こんなに一人の人間に才能を集中させるなんて、神様も意地悪だよなあ…」杉戸がつぶやく。

 美島も思わず頷いていた。

「じゃあ、マイクチェックね」後藤が指示を出す。

「チェック、チェック、ワン、ツー、すみません、私歌い出すと声が大きくなると思いますのでよろしくお願いします」

「OK! じゃあ、そろそろ一曲やってみようか?」

「お願いします」

「何歌う?」

「内緒です」まどかが微笑んだ。

「いつでもどうぞ」杉戸がまどかに伝える。


 まどかがリハとはまったく違う力強いタッチでピアノに指を降ろす。

 まるで打楽器のように。

 聴いた事のあるイントロだ。

「泰葉の『フライデイ・チャイナタウン』か!」

 考えてみればこんなにまどかにぴったりの曲もない。

 まさにまどかは横浜チャイナタウンのすぐ側で育ったのだ。

その無国籍な街の雰囲気がまどかの魅力に影響してる事は疑いようもない。

特徴的なイントロが終わり、歌が始まる。

コンソールルームにいた全員が息を飲んだ。

普段のまどかの囁くような声からは想像も出来ないような、伸びのある声だった。

特に高音部の張りが凄い。

この曲は「出サビ(歌い出しがサビになっている曲)」なので、インパクトがあった。

ノンビブラートだが美しい余韻もある。

(これは、歴史的な瞬間に立ち会ったのかもな)

 美島は感動していた。


 次にまどかは麻倉未稀「ミスティ・トワイライト」をカラオケで歌った。

 ボサノバ調の曲を、18歳の少女とは思えないようなウィスパーヴォイスで色気たっぷりに歌いきった。

「纐纈社長、こりゃあ役者先行はもったいないですよ!」美島はつい言ってしまう。

「いや、私もこれほどとは思わなかったなあ。ただね、役者としても、今度の深夜ドラマの監督から『オレに預けてくれないか』って言われててね」

 どうやら神様はもっと才能を集中させているらしい。

「これはちょっと本格的にやった方が良いですね。サウンド・プロデユーサーつけた方が良くないですか?」後藤が提案する。

「そうだね。誰か思い当る?」

「ピアノの弾き語りでやるんだったら、キーボーディストでアレンジャータイプの方が良さそうですね」

「後藤君、何人かピックアップしといてくれ」

「わかりました」

(これは思ったよりもデビュー早いかもな。忙しくなりそうだな)

 美島は珍しく気を引き締めた。


「いや、達ちゃん !まどかちゃん凄かったよ!」

 今日は未散が休みなので通過儀礼は省かれたようだ。

「そんなに?」

「まだ社外秘だからデモは聴かせられないけど、そりゃあもう、宝の山を掘り当てたようなもんだよ」

「言い方が生々しいなー」

「まあ、商売だし、商品だしね」

「ウチもそうだけど、人間が商品って辛いよね」

「そうだねえ。商品に嫌われる事もあるし、病気になったり、下手したら死んじゃう時もあるしね」

「因果な商売だなあ。佳太もすっかり『メーカーの人』っぽくなっちゃったね」

「そう? どの辺が?」

「だって、やっぱ最初にそろばんはじくでしょ?」

「そりゃあそうだよ、掛かるお金が半端じゃないし。アーティスト1組売り出すのに、何百万、何千万と掛かるしね」

「ウチなんかとは関わる人数違うしなあ」

「俺、入社の面接の時に多岐川部長に食って掛かった事あってさ」

「なんて?」

「『レコード会社は、アーティストに冷たいですよね。2年くらいで見切っちゃって契約切るし』って」

「若い若い」宗崎が笑う。

「で、部長から『我々は売り出すのにリスクを背負っている。一銭も身銭を切っていない人間から批判される筋合いはない!』って言われてさ。確かにその通りだなって思って」

「それでよく受かったね」

「俺もそれ不思議でさ。入社した後聴いたんだよ。そしたら多岐川部長が『あーゆー馬鹿は必要です』って役員に推薦してくれたんだと」

「良い人だね」

「だよね、頭上がんないよ」

 美島は多岐川の期待に応えて宣伝部のホープになった。

 32歳で大手芸能事務所所属アーティストの担当になるのは相当信頼されている証拠でもある。

 多少軽薄とも感じるくらいの人懐っこさと抜群の笑顔、持ち前の好奇心で築いた人脈は、天性のプロモーターとしての才能の賜物とも言えるものだった。


「まどかちゃんがアルバムが売れるようなアーティストだったんで助かったよ」

「どういう事?」

「メーカーって、いくらシングル売れてもそんなに儲からないんだよ。アルバム売れないと」

「そうなの?」

「うん、1曲当たりに掛かる宣伝費や制作費考えたらね。ただシングル切らないとラジオもかかんないし、テレビで歌わないといけないしPV作らないといけないし、宣伝するには必需品だからさ。シングルってアルバム売る為のプロモーションツールなんだよね」

「そんな側面があるんだね」

「ただ、アイドルとか演歌の事務所なんかはシングル売れると営業出来るからシングルに力入れるんだよね。あと音楽出版社もシングルの方が儲かる」

「それ考えたら、演歌とかアイドルの事務所の歌手やってもあんまりメリットないんじゃないの?」

「売上だけ考えたらそうなんだけどね。いろんなしがらみあるみたいだし、全体の宣伝とか考えると、大手事務所の方が力強いから無下には断れないし、つきあう事自体がメリットになる場合もあるし」

「ギョーカイの人だなあ」

「だから、まどかちゃんがアルバム売れるアーティストだとすると、ウチも掛けるお金の額が違ってくると思うよ」

「今度、エアポケットの倉敷さんところに菓子折りでも持ってく?」

「謎の多い奥さんも見てみたいなあ」


「佳太、紹介するよ。飯塚さんね」

「よろしくお願いします」

 飯塚公博は帽子を取って挨拶した。

「ビュースターの美島です」美島は名刺を差し出す。

「こちらに媒体資料や作製時の注意点やフォーマットなんかが入っています。まあ、おれらが読んでもまったくわからないんですけどね」

「確認させて頂きますね」飯塚は中身をめくる。

「大丈夫です。一般的なもので、ややこしい部分はありませんから」

「安心しました。間に何もわからない人間が入ると良くないんで、後はこの資料に書いてる担当者と直接連絡取り合って進めてください。仕上げる曲のリストもその人が管理してて、基本的には早いもん勝ちみたいですから」

「そうですね。簡単なものから奪い合いになるでしょうしね」

「時間が合うようでしたら一緒に先方に行って紹介したいんですけど、生憎当分忙しくなりそうなんで」

「大丈夫です。今回はありがとうございます」

 律儀に深々と頭を下げて、飯塚は楽屋に戻って行った。

 これから飯塚のバンドのライブなのだ。

「なんか、バンドマンとは思えないくらい礼儀正しいねえ」

「そうだね、やっぱりちゃんと働いてるからだろうね」

 宗崎はちょっと意味深な顔をした。

「ただ、ライブ観た後だとちょっと違った感想持つかもね」


「はい、そんな訳で『ちりめんず』のライブなんですけどね」

 飯塚のバンド「ちりめんず」のライブはいきなりMCから始まった。

 飯塚の担当楽器はシンセサイザーというか効果音というかエフェクト担当と言うか、とにかくあらゆるテクニック、機材を駆使して笑いに繋げていた。

 ちりめんずはコミックバンドだったのだ。

 ギターが2人いて「このバンドにギタリストは2人いらない! どっちがリードギターなのか勝負だ!」と宣言した後、何故かステージで「チューブわさびイッキ飲み」が始まった。

 その間、白衣を着た飯塚はずっとコミカルな音を鳴らし続けている。

 寸劇もMCも多く、結局3曲しか演奏出来なかった。

 ただ、ちりめんずは全員がバカテクを持っていた。

 半端ないテクニシャンたちが真剣にお笑いをやっているバンドだったのだ。

 ドラムのスネアにコショウをふりかけ、ドラマーがくしゃみをするタイミングで全員が飛び上がるのだが、どんなにリズムとズレていても、演奏は一糸乱れない。

 それをテクニックと言って良いものかどうかは判断が難しいところだが、尋常じゃ無いのは確かだ。


「…なんかスゲエな」

 美島も空いた口が塞がらないようだ。

「しかもさ、全員30歳超えてるんだよね」

宗崎が「してやったり」の顔をしている。

「素晴らしいバンドだな」

「ああ」

(こういうのがいるからライブハウスは面白いんだよなあ)

 美島は非常に満足していた。


「お疲れ様です! 感動しました!」

 ライブが終わって楽屋に行った美島は飯塚に声を掛けた。

「お恥ずかしい限りです」

「いやいや、凄いですよ!なかなか出来るもんじゃない。あれこそがエンターテインメントですよ!」

 美島は飯塚を気に入ったようだ。

「今度スタジオにもお邪魔させてくださいね」

「いつでもどうぞ」

「場所はどちらになるんですか?」

「浜松町です」

「え? ウチも浜松町ですよ。竹芝桟橋の近くで」

「それは近いですね。ウチは鈴江倉庫の近くなんで」

 美島のマンションから歩いていける距離だ。

「そんな近いところにスタジオがあったなんて! 家から直行の時も直帰の時も凄く便利じゃないですか!」

 つまり、それだけ朝寝坊が出来るという事だ。

「ブースが狭くてドラムも置けないんで、TDとかヴォーカルやギターのダビングで使う人が多いんですよ。その代わり、機材は最新鋭の良いのをそろえてますよ」

「だから知らなかったのかな?」

「これからスタジオまで機材を置きに行くんで、よろしければ僕の車で送りましょうか?」

「え? いいんですか?」

 美島にすれば願ったり叶ったりだ。

 

 飯塚の車はVOLVOの真っ赤なステーション・ワゴンだった。

「中古ですけどね。丈夫だし、機材積めますから」

「いえいえ、おしゃれですよ。いいなあ、やっぱり車買おうかなあ」

「あると便利ですよ」

 関東ローカルのFM局のプロモーターで、たまに車でやって来る人がいて、美島は心底羨ましかった。

 あれだと重いCDいくら積んでも関係ないし、ドライブ気分で仕事出来るのも良い。

(ま、でも担当外れるし)

 都内だとタクシー移動がほとんどだ。

 特にまどかの本人稼働の時はほとんどそうなるだろう。

 美島はじっくり考える事にした。


 飯塚のスタジオは、非常に機能的だった。

 確かにブースは狭いが、ヴォーカルやギターを録る分には問題なさそうだ。

(他のスタジオでリズムだけ録って、後はここで仕上げても良いな)と美島は考えてた。

「早速今度、制作の人間を何人か連れて来ますよ」

「ありがとうございます。僕、営業とかしないんで助かります」

「今はどんな方々が使ってるんですか?」

「ほとんどが知り合いですね。実はウチのメンバー、僕も含めてみんなスタジオミュージシャンなんですよ」

「えっ! それじゃあみんな上手い訳だ」

「なんで、結構面白い機材とかもいろいろ置いてるんですよ。さすがにアナログは少なくてデジタルばかりですけど」

 その方がスペースを取らないからだろう。

「一番大きいのはCDのカッティングマシーンですかね」

「どんな機械ですか?」

「CDが焼けます」

「そりゃあ便利だなあ。放送局にオープンリール持って行かなくて済みますね」

「オープンリールとかDATがあれば直接CDに焼けますから、使いたい時は言ってください」

 パソコンでCD―Rが焼けるようになるのは数年先の事だった。


「僕、エフェクターとかも自作しちゃうんですよ」

「そんなの個人で出来るんですか?」

 美島は人一倍機械音痴だ。

「一度既製品を分解して中を見ればだいたいの構造は分かりますからね。後は秋葉原とかで部品を揃えればほとんどのものは作れますね」

「ひえ~!人間業じゃないなあ」

「パソコンでも、Windowsだったら作れますよ。Macはちょっと無理ですけど」

「俺なんか、扱うのに四苦八苦してますよ!」

「パソコン関係で困った時は言ってくださいね」

「その言葉だけで、ウチの制作連中はここに殺到しますよ!」

(良い人に巡り合えたなあ。達ちゃんに感謝だな)

 美島は心の底からそう思った。


 結局その日、美島は夜中遅くまでスタジオで飯塚と話し込んだ。

 なにせ終電を気にしなくて良い。

 飯塚が話す「これを使うとこんな事が出来ます」というものが美島には驚きの連続だった。

 理屈は全く分からなかったが、そんなのは関係ない。

 結果さえ分かれば充分なのだ。


 そしてその話の中で、美島はある悪戯を思いついた。


「未散ちゃんさ、5th STREETの怪談知ってる?」

 次の日の夜、ライブ終わりの5th STREETに美島は来ていた。

「なんだ、今日はテンション低いなイタロー!」

 いつもと勝手の違う美島に、未散は警戒心を露わにした。

「ライブハウスやスタジオに怪談はつきものだろ」

 未散は煙草を咥えたまま答える。

「そうなんだよね、どうやら『閉鎖された空間でデカい音や電波を発するところ』って出やすいみたいでね」

「ライブハウス歴長いんだからいっぱい知ってるよ」

 珍しく未散は美島の与太話につきあう気らしい。

「一番凄いのは都内の某ライブハウスで、あそこのドラムから手足が生えてたって目撃情報があるらしい」

 未散はその手の話が嫌いじゃないらしい。

「分福茶釜みたいで可愛いね」

「ついでに自分でハケたりマイクセッティングしてくれたら楽なのに」いつの間にか宗崎も加わってきた。

「スタジオでも凄い有名なところあるじゃん」

 音楽業界では知らない人のいない「出る」スタジオとして名を馳せているところだ。

「あー、墓地の近くのね。あそこは有名だけど、地味にもっと凄いところもあるんだよね」

「どんな?」未散が恐る恐る訊いて来る。

(よしよし、喰いついて来たぞ!)

 美島は内心ほくそ笑んだ。

「スタジオの時計が凄い勢いで逆回転したり、レコーディングした音を一つ一つ確認してもどこのチャンネルにもノイズなんて入ってないのに、全部の音をミックスすると、スリッパでペタペタ歩き回ってる音が入ってたりね」

「…!」未散が固まり出した。

 美島はノってきた。

「放送局なんてもっと凄いよ。そもそも都内の一等地であんな広い土地なんて、ほとんどが曰くつきだしね。特に凄いのが某ラジオ局で、あそこ元教会だし」

 未散の顔が青ざめてきている。

 でもそういった話に興味はあるみたいで止めようとはしない。

 普通なら「やめろ!」と怒鳴りつけられてるところだ。

「達ちゃん、ここもそういう話あるんじゃないの?」

「いっぱいあるよ」宗崎は平然と答える。

「ステージ下手のクーラーの前に落ち武者出るのは有名だし、俺も一度ステージ袖にいる時に、後ろから髪の毛がフワッと来たんだけど、振り向いたらドアだった事あるし」

 美島は自分から話を振っててちょっと怖くなってきた。

「極めつけは『ロコモーション事件』だよね」

「なにそれ?」

「知らない? 新聞にも載ったし、ワイドショーとか週刊誌でも取り上げられた『悪魔祓い殺人事件』のバンド」

「え? なにそれ?」美島は少し後悔し始めていた。

(俺が怖がってどーする!)必死に奮い立たせた。

「バンドのメンバーを『お前には悪魔が憑いてる!』って言ってバラバラにして殺しちゃったバンドがいてね。そのロコモーションってバンド、ウチに出てたんだよね」

「そんな可愛いバンド名なのに悪魔憑き?」

「そこはいろんなマスコミにツッコまれてた」

 宗崎はあくまでも淡々と話すのだが、それがまたやけにリアリティを増している。

「で、その殺されたメンバーの霊がウチの楽屋に出るらしいんだよね」

(達ちゃん、ナイスアシスト!)

 美島は心の中で拍手を送った。


 その時。


 楽屋から絞り出すような声が聴こえた。


「ク・ル・シ・イ タ・ス・ケ・テ」

 地獄の底から響いてくるような、この世のものとは思えない声だった。


「なに、今の声!」

 未散は怯えきっている。

「とにかく見て来る!」

 宗崎と美島は楽屋に駆け付ける。


 だが。

 楽屋には誰もいなかった。

 ドラムセットやアンプが無造作に置かれている、いつもの楽屋だった。

 

「そういう事ね」

 宗崎は微笑んだ。

「え?」

「佳太も人が悪いなあ」

「なんで達ちゃん分かっちゃったの?」

 美島は動揺していた。

 楽屋を見ただけでどうして宗崎が全てを理解したのかが分からなかった。


「どうする佳太? 未散ちゃんにいつ真相をバラす気? 下手したらニコチン水飲まされるよ?」

 美島もそこは不安だった。

 いつものように「ま、どうにかなるか!」としか思ってなかったのだが。

「黙ってた方が良いかもね」宗崎は平然と言う。

「へ?」

「黙ってたら『そういう不思議な事もあるよね』で終わっちゃうかもよ」

「最後まで言わないって事?」

「それ以外に佳太の身を守る方法は無いと思うよ」

 宗崎の提案には説得力があった。


「不思議だねえ、誰もいなかったよ」

 宗崎はシレっと未散に報告した。

 未散は青ざめながら訊く。

「え? どういう事?」

「楽屋、誰もいなかったんだよ。いったいどこからあの声がしたんだろうね」

 未散は完全に固まっていた。


「達ちゃん、なんでわかったの?」

「まあ、ちょっとした事で」

「悪魔か!」

「神って言えよ! まあ、ホラ佳太は機材にも疎いからさ」

「え? 俺また何かやらかした?」

 美島は一生懸命考える。

(おかしいな、どこにもミスは無いはずなのに!)


「飯塚さんに作って貰ったの? それとも既製品?」

 美島は観念した。

「そこまで分かってたんだね」

 こうなったら真相を語るしかない。

「中身は既製品。なんか電波法とか面倒臭いからって。筐体って言うの? ガワは飯塚さんの自作」

「FMトランスミッターだね?」

「うん、レシーバーは楽屋のマーシャルのアンプの上に置いてるやつ」

 美島は鞄の中のCDウォークマンを取り出した。

 飯塚のスタジオでレコーディングした「地獄からの声」が入っている。

 いろんなエフェクトを掛けて、この世のものとは思えないような声にしたものだ。

 それをカッティングマシーンでCDにして持ち込んだ。

 そしてCDウォークマンからFMトランスミッターで音を飛ばして、繋いであるアンプから音を出したのだ。


「でもなんでわかったの? レシーバーの筐体にはスウィッチも灯りもついてないし、アンプも電源に繋いでるのが分からないようにランプ部分にガムテープ貼ってスウィッチ細工して電源入れてないように見せかけてたのに!」


「ヴォリューム部分にも目を配らないとね」

「え?」


「佳太はアンプの種類には真空管とトランジスタの2つあるって知ってる?」

「知らない!」即答する。

「まあ、そうだよね」宗崎もそこは流す。

「楽屋に置いてあったマーシャルは真空管アンプなんだけど、これって、真空管が暖まるまで時間が掛かるんだよ」

「それは不便だね」

「まあ、それだけデリケートなものでね」

「で、それが?」

「デリケートなものなんで、スウィッチ切る時にも儀式がいる」

「儀式? 悪魔祓い?」「違う!」

「ツッコミ早いなー」

「あのアンプにはVOLUMEとMASTERってつまみがあるんだけど、VOLUMEってのは音を歪めるつまみで、MASTERが音の強弱のつまみなんだよ」

「なんだかややこしいね。音の強弱がVOLUMEの方がわかりやすいのに」

「まあ、そこは俺もそう思う」

「シンプルが一番だね」


「で、ギタリストやベーシストが真空管のアンプを切る時って、必ずMASTERのつまみを0にするんだよ」

「なんで?」

「そうしないと、真空管に負荷が掛かって壊れやすくなる」

「そんな儀式やらないといけないのかあ」

「そう。でも、佳太が細工したアンプは、つまみが0じゃなかった」

「あ!」

「普通は電源切れてる真空管アンプはMASTERが0になってないとおかしいからね。少なくとも、ウチの子たちにはみんなそういう風にするように教育してるし。あれを見た時、ああ、これは使用中のアンプなんだなって気付いた」

「そういえば、スウィッチ入れる時につまみを上げた覚えが…スウィッチを上にパチっとするだけじゃいけないのか!」

「そう。入れる時も0にしたつまみを徐々に上げるようにしないといきなりフルテンにしたら壊れる時があるからね」

「フルチン?」

「そこにはあえてツッコまない」


「飯塚さーん! バレちゃった!」

 美島は飯塚のスタジオに入るなり報告した。

「やはり宗崎さんの目はごまかせませんでしたか」飯塚も苦笑している。

「でも本当の目的は受付のお姉さんを怖がらせる事だったんでしょ?」

「まあ、そうなんだけど」

「だったら目的は果たしたんじゃないですか?」

 

 美島は考える。

 そうだ、当初の目的な未散を怖がらせる事だったはずだ。

 だったら、この悪戯は最後までやらなきゃな。


「いやー、未散ちゃんこの前はゾッとしたねえ」

 いつもの5th STREETの受付。

 美島は今日も仕事終わりに遊びに来ていた。

「ホントに誰もいなかったのイタロー?」

「うん、達ちゃんとも確認したよ。未散ちゃんも後で行ったんでしょ?」

「そうだね、他に出入り口もないしね」

「でさあ、ここの楽屋って『鬼門』にあるんだよね」

「鬼門?」

「そう」

「それがどうかしたの?」

「鬼門はあの世に繋がってるんだよね」

「何言ってんの?」

 口では強がってるが、ビビっているのは顔に表れていた。

「未散ちゃんの名字って『鬼塚』じゃん? そもそも鬼の語源って『隠』で、見えないものなんだよね」

「でも鬼って決まった姿あるじゃん。ツノ生えてて、縞模様のパンツ穿いて」

「あれはね、鬼門が昔で言うと『艮(丑寅)』の方角にあるからなんだよ。今で言う北東ね。だから牛みたいなツノがあって、虎模様のパンツ穿いてんじゃないかって昔の人が当てはめたんだよ」美島はだんだんノッてきた。

「だからさ、あそこの楽屋から『見えない何か』が現れてもおかしくないんだよ」

 未散は顔面蒼白だ。


 いろいろ言ったが、実は美島は5th STREETの楽屋が本当に鬼門なのかどうかは知らない。

 そもそも方向音痴なので、方角なんか気にした事もない。

 つまり口からでまかせを喋ってたのだ。


「悪い奴だなあ、佳太は」

 宗崎も話を聞いていたらしい。

「未散ちゃん、本気にしたかな?」

「女の子はオカルト信じちゃう子多いからねえ」

「怖がってお店辞めちゃうような事は無いよね?」

「そんなんで怖がってたらここで10年も働けないよ」

「え? どういう事?」

 美島は驚いて聞き返す。

「ここ、怪奇現象はしょっちゅうあるから」

 今度は美島が固まってしまった。

「いつも入口に盛り塩してるの気付いてない? あれがいつもいつの間にか湿ってるんだよね。こんな空調がしっかりしてる部屋なのに」

「それって…」

「一回、その盛り塩踏んじゃった人がいてね、その人次の日に骨折しちゃったし」

「達ちゃん、もういいから…」

「もちろん、落ち武者とか俺の髪の毛のエピソードとかも本当だよ。いつも俺が最初にお店開ける時、誰もいるはずないのによく気配感じるし、一度なんか階段を何かが降りて来る感じもあったし」

「それ以上言うと、俺がここに来れなくなるから!」

「佳太は大丈夫だよ。そういうのがいたとしても、まったく感じないじゃん」

「まあ、確かに今まで一度も見た事ないけど」

「二十歳超えるまでに見た事なければ一生見ないって言うしね」

「そうだよ! 感じなければいないのと一緒だもんね!」


 宗崎は、自分も5th STREETで働くまでは一度も見た事無かったって事は黙ってようと思った。

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