第 6話 はじめてのおつかい


 レギンとの食事を終えると二階の客室に案内された。

 案内人はあのセクシーな使用人の女性で、機嫌よくお湯の入った桶と布を持ってきてくれたところを見ると、歓迎できる客と認識されたようだ。

 桶から昇る湯気の向こうで女使用人が妖艶な笑みを浮かべる。

 その時、ロプトの脳裏に門番の男の言葉が蘇った。

 『……女を用意してくれるかはアンタ次第だがな』

 女使用人がゆっくりとかがみ込んで桶を部屋の床に置く。

 スカートから彼女のお尻が突き出され、その形がくっきりと見えた。

 思わずロプトは唾を飲み込む。

 女使用人は、振り返ってロプトを見ると、もう一度ニッコリと笑った。


「では、失礼しますね」


 それだけ言うと彼女は驚くほどあっさり部屋を出て行ってしまった。

 いやらしい期待をしていたロプトはがっくりとうなだれる。 

 客室は一人で使うのは申し訳ないぐらいの広さがあった。

 二階だが暖炉もあって、すでに火も入っていて暖かい。

 部屋の中には大きなベッドと椅子とテーブルがあった。テーブルの上には取っ手のついた皿が置いてある。

 皿は粘土を焼いて作ったモノで、皿の真ん中には芯となる紐とそれを支える金属のスタンドのようなものがある。そして皿には油が注がれていて、芯には小さな火が灯っている。

 どうやらこれがランプのようだ。

 ランプを持って部屋を照らしてみると、部屋の隅に宝箱のようなものが置いてあった。

 ちょっとわくわくしながら箱を開けると中身は空で、錠と鍵が入っていた。どうやらこれは荷物入れのようだ。がっかりして蓋を閉める。

 ロプトは入れられる物は何一つ持っていない。

 ナルヴィを作る時に出てきたニッパーや接着剤は、片付けようと思ったら黒い渦が出てきて勝手に回収していったのだ。

 いまさらながら、旅人を歓迎する文化があって助かった、と思う。

 さもなければ食事も取れず、こうして泊めてもらうことも出来なかっただろう。


 ロプトは椅子を暖炉の前に持ってきて座ると、桶のお湯に布を浸してから上に着ていた綿の服を脱いで上半身裸になった。

 暖炉に向いている身体の前は暖かいが、背中側がひやりとした。

 桶からお湯に浸った布を出して固く絞り、腕から順番に身体を拭いていく。

 見覚えのない逞しい身体、脇腹には古傷のようなモノまであるが、まったく覚えはない。


「……封じられた邪神、か。たぶん俺のことなんだろうなぁ」


 ロプトはため息混じりにひとりごちた。

 レギンの言うことを鵜呑みにしているわけではないが、それでも状況が揃いすぎている。

 何より、神ではない、と否定するにはあまりにも自分の事が分からなさ過ぎる。心のどこかで自分は何の特徴もない普通の人間だ、と思っているのだが、それも根拠のある話ではない。

 上半身を拭き終わって服を着る。

 それから、ちょっと迷ったが下のズボンとパンツも脱いで下半身も拭いた。

 尻丸出しのみっともない格好だが仕方がない。


「プラモデル好きの邪神とか、ありえるのかね?」


 ロプトが足元に目を向けると、ナルヴィが床に伏せて、くあ、とあくびをしている。

 プラモデルを作ったらそれが動き出すのは、あまり普通のことではない、と思う。

 身体を拭き終わった布を桶に放り込んでさっさとズボンを履く。

 布が入った桶にはたいした汚れが浮くことはなかった。

 封印されていたにしては、あまりに身体が清潔だ。


「中原の神族か、調べた方が、いいんだろうが……」


 おそらくはそこにロプトの過去を探る鍵がある。

 だが正直、自分の過去を探る必要性を感じていなかった。

 確かに自分が何者か分からない、というのは何とも心もとなく、モヤモヤした気分になる。

 その一方で、そんな事どうでもいいから一日中プラモ作って過ごしていたい、という気持ちもまた強いのだ。むしろそちらの気持ちの方が強い。


「気が進まないなぁ、それよりプラモ作りながらのんびり暮らしたい」


 このままこの村に留まって狩人として暮らすのはどうだろう、と考えてしまう。

 幸いナルヴィは強く賢い、ロプト自身が狩りなど出来なくてもナルヴィに任せれば狩猟は可能な気がする。そしてロプトはナルヴィの狩ってきた獲物の中で気に入ったモノをプラモデル化して作るのだ。

 どうやらこの世界には普通の動物だけでなく魔物と言えるようなモノも存在する。

 思い出されるのは村に入る前に見た、黒犬ガルムだ。

 いま思い出しても震えが走るような恐ろしい相手だったが、ナルヴィは圧倒していた。

 今日は逃げ惑うしかなかったが、準備をすればあれを倒してプラモデル化できるかもしれない。そうすれば、ロプトの戦力は増強されて、何も出来ないロプトでも仕事があるかもしれない。


 プラモデルを作り、プラモデルを遣い、プラモデルに養ってもらうのだ。

 何よりあの犬は中々カッコイイ造形をしていた。作って、色を塗って、出来れば改造してみたい。想像するとワクワクしてくる。

 この気持ちに比べると、自分の過去を探る、というのは何とも気の乗らない話だ。

 どうせ探れば面倒臭い過去が掘り起こされて、自分を巻き込む陰謀が明るみに出て、自分を封印した相手と相対するのだろう。

 思わずため息が出るほど、面倒だ。どうでもいい。

 ナルヴィがするりとロプトの脇をすり抜けて、ベッドの上でくるりと丸くなった。


「そうだなとりあえず、寝るか」


 ロプトは面倒なことは先送りにして寝ることにする。

 いずれはどうするか決める必要があるが、いまではない。

 現状は、金無し、家無し、仕事無し、の三無い環境をどうにかするのが先決だ。

 靴を脱いでベッドにあがると、大きなベッドにはたっぷりと藁が入っており、上には毛皮が乗せられている。潜り込むとかなり暖かい。

 ナルヴィも寒いのかもぞもぞとロプトの隣に潜り込んできた。

 ぽふん、と頭だけ毛皮から出している姿に笑ってしまう。

 ロプトはナルヴィの頭をぽんぽんと撫でて目を閉じた。

 疲れもあったのか、ロプトが眠りにつくのに大した時間はかからなかった。


 

 どこからか聞こえる喧騒にロプトの意識はすっかり覚醒した。

 目を開けると部屋の中はまだ暗い、かすかな光が窓の板戸の隙間から漏れている。

 ベッドから降りて板戸を開けると、夜は明けているがまだ朝早く薄暗い。

 ずいぶんと早起きだな、と他人事のように思いつつ身だしなみを整えて客室から出ると階下の広間に多くの人が出入りしていた。

 その中心にはレギンがおり、ひっきりなしに来る人に指示を出していた。

 どうも様子がおかしい、何か不測の事態が発生しているようだ。


「おお、ロプト。起してしまったか、すまんな騒がしくて」


 レギンは言葉では謝りつつも、険しい表情を崩さない。

 その表情は何か焦っているようでもある。


「こちらこそ眠りこけてすいません。何かあったんですか?」

「うむ、儂の娘のソーラがいなくなったのだ」

「娘さんが? 迷子……いや、人攫いか何かが村に?」


 ロプトの言葉にレギンは首を振る。


「いや、おそらく違うだろう。あやつは山に向かったのだ。『嘆きの山』にな」

「なんで山なんかに?」


 レギンはため息をついた。


「……儂にはもう一人マーニという娘がおってな、ソーラの姉にあたる。今は病に倒れてずっと眠っておるのだが、ソーラはその病を治すための薬草を探しに行ったのだと思う」

「でもなんで急に」

「ロプトが嘆きの山を越えてきた、と言うのを誰かから聞いたからだろうな。嘆きの山には危険な獣が多くいて、熟練の狩人でさえ近寄れない山だ、と言っておったのだが、お前の姿を見て自分でも探索できると思ったのだろう」


 レギンはロプトを頭の上から爪先まで見る。

 ロプトはその視線を感じて、自分の格好を思い出す。布の服一枚きりでマントすら羽織っていない、まるで近所に散歩にでも行くような格好だ。

 これで山越え出来たなら、確かに女性の身でも探索可能だと思ってしまうかもしれない。


「なんか、すいません」

「いや、ロプトのせいではない。マーニが眠り込んで長い。どちらにしろアイツは我慢できずに勝手に山に入っただろう」

「そんなに長い間眠っているんですか?」

「ああ、もう一年以上は眠りっぱなしだ。おそらくは病というよりも何かの呪いなのだろう。食事を取っていないのに身体が衰えることもないからな」


 辛そうに目を伏せるレギン。

 だがすぐにロプトの方を見て笑顔を浮かべた。


「そんなわけでちょっとばたばたしていてな。すまんが朝食は簡単なものになる、今準備をさせるから待っていてくれるか」


 大変そうな時だというのに、あくまでもてなそうとしてくれている。

 それは非常にありがたいが、さすがにこの状況で何もせずに暢気に食事を取れるほどロプトは強心臓ではない。

 それにロプトは、この状況をチャンスだと思った。


「レギンさん、俺も娘さんを探すのを手伝います」

「おお、それはありがたい! だが大丈夫なのか?」

「ナルヴィは頼りになりますから」


 ナルヴィは、まかせておけ、とばかりに吠える。

 ここでソーラを探し当てて恩を売っておけばこの村に住むことが出来るかもしれない。そういう打算でロプトは手伝いを申し出た。

 ただの旅人が、村が気に入ったから住ませてくれ、と言ったところで認められる事はないだろう。ロプトが提供出来るものは今のところナルヴィの狩猟能力だけ、というのも良くない。

 だが長の娘を助けた恩人、となれば話は別のはずだ。

 かなり動機は不純だが、助けようと言う気持ちは同じはず、大目に見てもらいたいところだ。


「レギンさん、何か娘さんの匂いが残っているモノありますか? ナルヴィなら追えるかもしれない」

「分かった、今朝着替えたらしい服があるから持ってこさせよう」


 レギンが指示を出すと女の使用人がキレイな夜着を持ってきた。

 白い絹のような夜着でなんとなく見るのを躊躇われてしまう。


「ソーラはお転婆でな。男のような格好で遠乗りしたりしていたのだ。今もそうした格好で山に入ったのだろう」


 ロプトは女使用人から夜着をおっかなびっくり受け取ると、かがんでナルヴィの前に差し出す。ナルヴィはほんの少し近づいて夜着の匂いを嗅ぐと、そのまま広間の地面を嗅ぎながら歩き回り始めた。

 そして入り口まで行くと、わん、と一声吠えた。

 どうやら案内できるようだ。

 ロプトが夜着を使用人に返すとレギンがこちらを見た。


「ロプト、行く前にそこで朝食を食べて、昼食を受け取っていってくれ。探してくれる連中にも配っている」


 ロプトが振り返ると昨日食事を取った広間にたくさんの食料が置いてあり、狩人のような者たちがそこで簡単な食事を取り、パンやチーズを受け取って出て行くのが見えた。


「分かりました。ありがとうございます」


 ロプトは給仕をしている使用人から粥と塩漬け肉を受け取って流し込むように食べた。この状況でゆっくり食事をするつもりはない。

 堅い黒パンと干からびた乾燥ソーセージなどを受け取ってテーブルを離れる。

 バッグも水袋も持っていないので、それもレギンに借りて荷物を詰め込む。

 そうしてパンパンの荷物と下心を満載にしてロプトは捜索に出発した。


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