(10-2) 春にとける花の名前

 これはなんなんだろうと、改めて表紙を確認してみる。


 いつも大量に文字を書き並べてページを埋めてしまう冬華さんの為に、少しでも多く書き込めるようにと探してきたB4サイズの日記帳。表紙にはDIARYと印刷されていて、この中に書かれていることは明らかにこれの使用用途には反しているように思えた。物語を書くなら日記帳じゃなくてノートでも良かっただろうに。


 いない人に文句を言っても仕方がない。

 諦めて元のページを開きなおすと前書きはそれで終わりだった。


 一月一日から始まった物語の舞台はとある片田舎の病院で、何処かで見た事のあるような少女と、何処にでもいそうな少年の交流を日記風に書いたものだった。


 重い心臓病を患った少女は幼い頃から入退院を繰り返し、遂には行き止まりの見えるところまで進んでしまった。道の消えた未来。崖となったその先に向かって歩き続ける彼女に少年は寄り添い、共に崖に向かって歩き始める。彼女の手を握りながら。

 読んでいるだけでも気恥ずかしい。痛々しい妄想だ。


 こんなことを考えてたんですか、馬鹿ですねって今すぐに言ってやりたくなる。

 こんなものを書きながらよくもまぁ平気な顔して話してましたねって、作家より女優の方がお似合いですよだなんて、言ってやりたい。


 描かれた二人は僕らに似ているようで全く違う道を辿っていった。


 病に対し不安定になっていく心。すれ違い、ぶつかり合って、心の距離を縮めていく。


 彗星が爆発された日に、病院の屋上からで少年が落ちて入院した時は頭を抱える他なかった。そこまで一緒にする必要が何処まであったのか。どう考えてもリアリティに問題があるし、展開としてもあり得なさすぎる。だけど、冬華さんは大まじめに書いていたんだろうと思うと少し笑えてしまった。


 それにあの人なら「事実は小説より奇なりっていうでしょ?」ってきっと胸を張る。だけど、そんな姿も、もう見れない。


「……ぁー」


 少し、気持ちを入れ替えたくなった。

 流石に座りっぱなしだったお尻が麻痺している。膝だって、パキパキだ。軽く動かさないとエコノミーなんとか症候群で僕の心臓まで息の根を止める羽目になる。


 カバンを背負い、日記帳を仕舞うと、病院を後にした。外に出ると空はもう夕暮れ時だ。

 見慣れたはずの空がヤケに赤く見えて心を揺さぶる。

 感傷的な気持ちはそれだけで僕らを物語の中に引きずり込む。

 冬華さんの存在を隣に感じたような気がしてふと振り返る。


 当然、そこには誰もいない。


 足を止めた僕を不思議そうな顔でおじさんのランナーが横目に通り過ぎ、僕はまた歩き出す。

 危ないのは分かってるけど、気が流行はやって仕方がない。


 渋々と日記帳を取り出すと歩きながら開き、文字を追う。

 物語の中で少女と少年は交流を重ね、そうしてその日を迎える。


 怖いさえ口に出せない彼女を少年は優しく受け止め、その想いの丈を、理不尽にも神様がそう決めた結末を呪う言葉に寄りそう。


 例え何も出来なくても、傍にいることは出来ると、少年は言った。

 気休めにしかならない言葉でも彼女は、————。



 手術は失敗し、少年は少女の残した手紙を読む。

 最後の日記は少年の言葉で綴られたものだった。




『僕は、彼女に出会い、そうして別れ、多くのものを彼女は残し、そうして死んでいった。


 ここに記されていることは嘘でもなければ本当でもない。彼女の目にはきっとこんな風に僕たちの事が見えていて、彼女の中では僕はきっとこんなにいけ好かない、——だけど、彼女にとって掛け替えのない存在でいられたのだろう。そのことについて僕は気恥ずかしいばかりの負い目を感じつつも誇りに思う。


 この日まで、彼女が笑って過ごす理由となれたのなら。

 それだけで僕らは出会った意味があり、そうして彼女と別れた意味となる。



                          ――私は、彼を好きでよかった。』




 僕は、河川敷に腰を下ろして最後のページを読み終えた。


 小説ではないからかあとがきなんてものは用意されていなくて、そのまま日記帳を閉じる。


 見渡す限りの夕焼けに、言葉は出てこない。

 見上げれば、あの日の彗星がそこに浮かんいた。


 奇跡が起きなかったら今頃、そこにあったハズの終わりを告げる星。


 また夢を見ているのかとも思った。だって、奇跡は起きたんだから。


 だけど、もしそうなのだとしたら何処からが夢で、何処からが現実なのだろう。冬華さんは今もまだ病院のベットの上にいて、原稿を書いているのだろうか。だとしたら今度はどんな物語なんだろう。


 そんな風に考えてみたところでこれは現実で、彗星はそこまで迫っているのに誰一人としてそれを直視しようとはしない。


 死が、終わりが差し迫る。


「こんなところにいたんだ」


 声の主を確認する必要もなく、振り向けば舞花がそこにいた。


 これも幻覚?

 いや、きっと現実だ。

 夢の中にまで、こいつを求める訳がない。


「聞いたんだ? 流石幼馴染だね」

「ざけんな。てか、つよがんなくたって良いよ。それこそ、幼馴染なんだし」


 隣に腰を下ろし、何を言うわけでもなく僕と同じように沈んでいく夕日を眺める。

 舞花にはあの彗星が見えているんだろうか。いや、見えてるわけないか。だってあれは、僕の妄想なんだから。


 かっこつけて、冬華さんの死を受け止めるとか言いながらそれが出来ずにうじうじしてる。世界中を巻き込んだ無理心中を望んでる。


「冬華さんってば、彗星は自分が呼んだとか言ってさ。……寂しかったのかな?」


 いつまで続くのかもわからない病院での生活に終わりを求めたところで何も不思議ではないし、実際、あの人はそう言っていた。


 一人で死ぬのが嫌なんだと。


 約束通り最後まで一緒にはいられたけれど、それでも冬華さんの手は震えてた。

 結局、何もしてあげられなかったんだよなーって、他人事のように思う。


 綺麗ごとを並べたところであの人が一人で死んでいったことに変わりはない。


 最後まで僕は彼女にとっての「読者」でしかなく、何もできないのならせめて傍にいる事ぐらいは、と意地を張り続けた。分かっていたハズなのに僕は僕の弱さに膝を抱える。僕が後を追ったところで意味もないことは、分かってる。


 ここで僕が何をしたって冬華さんの元には届かない。すべては手遅れで、こうなることも僕は知っていた。だから後悔なんてしていない。していないなら、ただ受け止めればいいだけだ。冬華さんが、死んだことを。認めればいいだけだ。もう、全てが終わったのだと。


 そうやってぼんやり彗星を見上げていると踵で足を小突かれた。


「泣いていいんだよ」

「誰がだよ」

「だからつよがんなくていいってば。……葉流は昔からそうだったじゃん。誰かと一緒じゃなきゃ泣けないの、私、知ってんだから。……幼馴染舐めんな」

「……そっか、そういやそうだっけ?」


 言われるまで気付かなかった。父のお葬式でも、祖母の亡くなった晩の時も。僕は結局、誰かと一緒じゃないと泣く事が出来なかったような気がする。舞花が言うように強がってるわけじゃないけれど、一人だと、泣いてしまったら立ち直れないような、そんな予感がしたのかもしれない。


 誰かが泣いてくれるまで、泣けなかった。

 それは冬華さんが亡くなったと聞かされた時だって、同じだ。


 不思議と涙は沸いてこなくて。今もこうして、冬華さんの残して逝った言葉をなぞりながら麻痺した心に甘えてる。


 泣いてしまったら……、……たぶん、泣いてしまったら、二度と冬華さんには会えないのだと認めることになりそうな気がするからだろうか。それとも、ただ単純にかっこつけてるだけ?


 抱えたままになっている日記帳を抱え直し、二度と、聞くことのできない彼女の声を、思い返す。


 もう、既に忘れ始めている彼女の言葉を、改めて刻みなおす。この先、この物語を読み返す度に思い出すであろう言葉として。


 あの人は、最後の最後まで生意気で、怖がりのくせに見栄っ張りだった。そのことを、僕は忘れたくない。過去に、したくはなかった。冬華さんはこんなにも幸せだったと書き記してくれたのに、現実は物語のように綺麗に彩られてはいなくて、沈んた夕日はもう、とうの昔に見えなくなっている。暗くなった空には、彗星は見当たらなかった。いつの間にか、消えて、見えなくなっている。


 彼女が消えた現実が、僕の周りに広がっていた。


「……葉流?」


 舞花の声がする。舞花自身、どう受け止めればいいのか分からないはずなのに。

 少なくとも僕が入院してからの一カ月は、僕ら三人、いい関係だったと思える。なのに、そんな舞花に気を遣わせている自分は何処まで子供なんだ。


「大丈夫、まだ、泣かないよ。……泣いちゃいけない気がするんだ、いまは」


 分かってる。これがどれだけ未練がましい行為かだなんて、気付いてる。

 だけど冬華さんの死を受け入れるのは、まだ、……その時じゃない。

 僕はまだ冬華さんとちゃんとお別れできていないから、泣くとしたらちゃんと、彼女に「さよなら」を言えた時だと、僕は思う。


 だから、立ち上がるべきだ。ここでしゃがみ込んでいても、「物語」は綴れない。



「今度は僕が書いてみようと思うんだ」



 彼女の言葉を、少しでも多く残すために、僕もあの人のように「作家」になる。

 祖母にも、冬華さんにも果たせなかった約束の為に。


 プロとして食べていくとか、そういうことではなくて、……ただ単純に、彼女の物語を、生きた証を、この世界に書いて、残したいと思った。冬華さんのように物語を書ききれるかは分からないし、僕自身、そんな才能はないのだろうけど、だけど、彼女の事を忘れたくないと僕は思っていて、そして、彼女がいたことを、忘れて欲しくはないから。


 僕の父がそうしたように。

 冬華さんがそうであって欲しいと記したように。


 言葉を残し、人々へと繋ぐ。


 でもきっと、それはこれまでも、誰もが意識しないで続けてきた営みの一つで。そういうものが折り重なって、紡がれて、人々の物語となっているのだと僕は思う。

 だから、僕は冬華さんの想いを足取りをもう一度だけ辿る。今度こそ、ちゃんとお別れを言う為に。


 作品のタイトルは――、……そうだな。


「……春にとける花の名前とか、どうだろ」

「なにそれ」

「何処から来るのか誰も知らない花なんだってさ」



 見上げた夜空に季節外れの雪が舞って見えた。



 そんな風に、この世界は、気まぐれで奇跡を起こす。

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