(1-3) まだまだ子供な僕たちは


「だーかーらー、これは前に住んでた街で借りたんだってばー。何度言えば分かるのかなぁ、君はー」

「いやいや知りませんって。そんな風に言うなら借りた本のリストでも作っといてくださいよ」

「むなっ!」

「ああもう! 本当に作り始めないでくださいよ!!」


 まだ使っていない原稿用紙の裏側にズラズラと書き始めたのを見て頭が痛くなる。こんなものを片手に図書館の中をうろうろしたくない。


「思った通り、良い仲になったのぅ?」

「なってないよ……」


 話し相手になって欲しいだなんていうのは体のいい誘い文句で、実情は自転車で数分行った先にある市立図書館へのパシリ要員だった。


 最初の頃はそれこそ本当に「祖母との会話に混ざってくる」程度の関係だったのだけれど、「この借りてきた本を返しに行って来てもらえないかしら」から始まり「あの本が読みたい」「この本を探せ」「おいてないならリクエストするのが当り前じゃないの」と口うるさいクレーマー化するまであっというまだった。

 いまとなっては祖母と話す時間よりも冬華さんと口喧嘩する時間の方が長いまである。


「第一! 冬華さんは少しわがままなんですよ!! 病人は病人らしく布団の中で安静にしているべきなのでは?!」

「わー! 言っちゃいけないこと言ったー! 病人差別だ! 明子さんに言いつけてやる!」

「あの人もおんなじこと言いますよ!」


 といいつつもうちの母のことだから「可愛い子の我がままぐらい聞くのが男の子の役目だ」とでも言いそうだけど。ついでに「だから私のわがままも聞きなさい」とか。


「はぁ……」


 なんでこう……僕の周りには変な人しかいないんだろうと頭を押さえる。


「なによぉ」

「なんでもないですよぉ……」


 気の迷いだとしても、こんな人を「大人っぽい」と思ってしまった過去の自分が情けない。人を見る目がなさすぎると言わざる得ない。

 祖母も祖母で僕らのやり取りを聞いて楽しそうなのでタチが悪い。これで療養の邪魔になっているのだとしたらそれを口実に黙ってもらうこともできるだろうに。むしろ火に油を注がんとする勢いだ。


「ほれほれ、急がんと図書館しまってしまうぞい?」

「明日の帰りに寄るよ! それでいいでしょ!?」

「仕方ないなぁ、葉流くんはー」


 女が三人寄ればかしましいというが、二人でも十二分にやかましい。母が仕事中なのが唯一の救いだ。


「それで原稿は進んでるんですか? 応募の締め切り、来月だって言ってましたけど」

「いやいや、締め切りはそうだけど応募するつもりだとは言ってないよ? 完成するとも思えないし」

「はぁ……?」


 彼女、緋乃瀬冬華は所謂「小説家を志す作家擬き」だった。暇つぶしに原稿用紙に文章を綴り、気が向いたときにコンテストへ応募しているという。どこまで本気なのか、どこまで冗談なのか未だに分からないけれど日に日に原稿用紙の枚数は増えていく。一日の終わりにゴミ箱が紙くずでいっぱいになっていないかどうか確認しなくてはいけない程に。


 そんな彼女のことを祖母は微笑ましく思っているのか何も言わないし、僕も何か言うつもりもない。ここでの過ごし方は人それぞれだろうし、主治医であるうちの母が何も言わないならそれまでだ。そもそも僕と彼女の間にはそこまでの関係性も築かれているわけでもないし。


「ちらちら盗み見するのは変態のすることだよ? 見たいなら見たいって言えば見せてあげないこともないんだから」

「なに胸元に指這わせてんでしょーねこの人は。ない胸見せられてもうれしくともなんとも、」


 げふん、と枕が飛んでくるのはもう慣れっこだった。

 その隙に原稿用紙をそそくさと隠してしまうことも。


「……そんな読まれるのって恥ずかしいことなんですか?」


 結局、あれからというもの彼女の書く文章を読む機会は訪れていない。

 勝手に読むのは悪いという自覚はあったし、本気で叩かれたのもあの時だけだ。

 それほどまで読まれることに抵抗があるというのに毎日書き続けてるってのも変な話だと思う。ちらりと原稿用紙を追ってみるが見せてくれる気配はない。

 いつだってそうだ、それまでどれだけ集中して書いていたとしても僕が顔をのぞかせるとスっと自分の後ろに隠してしまう。


 そんなもんかな、という気もするしそこまで気にするものでもないような気もする。

 結局は僕にはわからない感覚なのだろう。


「なんのお話書いてるかぐらい教えてもらえると借りてくる本も目星付けやすいんですけどねぇ……」


 おばあちゃんの隣にある丸椅子に腰かけ、知らぬ存ぜぬを決め込む我儘なお姫様に呆れる。

 言ったところで具体的な指示が飛んでくるなんて思ってない。彼女からのリクエストは話題の小説に関するもの以外は抽象的なものばかりだ。


 二、三回、ここを往復する過程で写真集が多めなものを求めているのは分かってきたけれど、それでもどんな風景を収めたものをご希望なのかは霧の中だ。

 基本的には「君が面白そうだと惹かれたものがいいかな」だなんて乱暴なリクエストだった。それで間違えれば取り換えに行ってこいなんだから理不尽にも程がある。


「人々に忘れられた古いお城で暮らす女の子のお話じゃったかのう」

「おばあさま!」


 ふと思い出したように口を開いた祖母に冬華さんは慌てて声を上げる。

 手に持っていた原稿用紙を机にたたきつけ、顔は真っ赤だった。


「おや、駄目じゃったか?」

「そ……それはおばあちゃんにだけ話した内容なんですから……葉流くんには内緒でお願いします……」


 もごもごと口ごもる様子に祖母は「そうかそうかそーじゃったか」などと陽気に頷く。恐らくは確信犯だ、僕は肩をすくめると両手を挙げた。


「分かりました、聞きませんからご安心を」

「んぅーッ……それはそれでなんだかむかつく……」

「どうしろってんですか……」


 全くもってこのご主人様は何を考えているのやら。


「思った通り、賑やかになったねぇ」


 空気を読まずに踏み込んでくるのは我が母上だ。


「検診のお時間ですよーっと。お母さま、気分のほどは?」

「楽しくさせて貰っとるよ」

「それはよかった」


 世間話でもするように心音などを図る母を背にまだ多少膨れが残る冬華さんと向き合う。

 これと言って話すこともないけれど母の邪魔をするつもりもなかった。何か言いたげな表情に要件を促すがぷいっと顔を背けられてしまう。


 なんなんだよ全く。


 口にこそ出しはしないがまるで年下の我が儘な従妹でも出来たみたいで気疲れしてしまう。

 そこまで気に掛ける必要はないんだろうけど、ばあちゃん、冬華さんの事は相当気に入ってるみたいだし、そうやすやすと無下には出来ない。


「勉強とか、しなくていいんですか」


 ふとそれまでしたことのない質問がついて出た。

 積み上げられている本はすべて図書館で借りてきたもので、それらの中に教科書や参考書らしきものが見受けられなかったのと、自分が期末試験を目前に迎えていたからだろう。何となく「同年代が相手の時に」「世間話程度に」するような他愛のない話題で、それを言ってから失言だったと直ぐに気付いた。

 彼女の表情は、とても分かりやすいぐらいにころころ変わるから。


「あ……えっと……」


 目を丸くしたまま呆然と固まってしまった冬華さんを前に僕は狼狽える。

 病院暮らしが長いのは知っていた。ここに転院してくるまで何処の街でどんな風に暮らしてきたかなんてことは知らなくても彼女が「学校」という場所から随分離れているのだということは言われなくても分かる。分かっているはずだった。入院というものが世界から切り離されるような、いや、隔離されるかのような陸の孤島へと追い置かれることだと。知っていたはずなのについ僕は間違えてしまった。

 だってあまりにも、そう、目の前で笑っていたその姿が、「ここが病室だと」忘れさせるようなものだったから。


「ほーら、それじゃ次はとーかちゃん、お胸だしてー?」

「あ、は、はいっ……」

「思春期真っ盛りのお猿さんは出てったでてったー。今晩は唐揚げがたべたいでーっす」

「……太るよ」

「余計なお世話だこんにゃろっ」


 ていっと軽く蹴飛ばされながら僕はベットから退く。


「んじゃ、また明日ね、ばあちゃん」

「おぅ。おやすみ、葉流やい?」


 母からの助け舟に乗せられ、そのまま病室から逃げるように出ていくと後ろ髪をひかれる思いではあったものの、すこしだけほっとした。

 扉を閉める直前、冬華さんはどういう顔をしていただろうと振り返ろうとする自分がいて、少しだけ嫌になった。

 傷つけてしまった相手のことを、あまりにもよく見えていない。

 どうしようもなく僕はまだ子供だった。



「おーっす、はーる。遅かったじゃん」


 病院の表玄関。自動ドアを抜けた先で壁によりかかるようにして僕に声をかけてきたのは幼馴染の春川舞花だった。

 家が近所。両親が同級生で僕らも同い年。腐れ縁って言葉がしっくりくるご近所さん的な奴だ。


「なにしてんの。部活は?」

「とっくに引退したっつの。これだから万年帰宅部はやだやだ」

「ならますます何してんだよ」


 部活がないなら下校時刻からは既に2時間以上経っていることになる。既に夕焼けも沈み始めようかという頃合いだ。


「いいじゃん、別に。帰るんでしょ?」

「そりゃまぁ」

「じゃ、帰ろうっ」

「まぁ……? うん」


 乗ってきた自転車に跨ろうとして手で押したままの舞花に首をかしげる。


「乗らないの? ああ……またパンク? 直そうか?」

「や、違うっ。タイヤは元気!」

「フレームは直せないよ……?」

「あーっ、いやっ、そうじゃなくてっ……! ほらっ、いくよ!」

「んぁー……?」


 いつもどんくさいというか、要領を得ないところはあるけれど今日の舞花は輪をかけて意味不明だ。

 自分の自転車を押して先を行く後姿を追うと舞花は自然とペースを合わせてくる。


「なんか用事?」


 心当たり、ないんだけどな。聞いてみるけど舞花は先を見たまま口を開かない。

 なんだってんだ。と土手沿いを歩きつつ、このままだと母さんが帰ってくるまでに夕飯を作れないなーとか思い始めた頃、ようやく話し出す決心がついたらしい。

「あ、あのさっ」と無駄に肩ひじを張って声を上げると舞花は足を止めた。


「なに」

「こういうの、聞いていいのか分んなかったんだけど、気に障ったらごめんね……?」

「だからなに」


 僕も足を止めてそれに答える。

 遠くに見える都市部の向こう側に夕日は徐々に姿を消して行って、僕らを横から照らしていたオレンジ色の光はだんだん夜色に染め変えられていく。紺色の、青とオレンジのグラデーションが空に浮かんだ雲で描かれる。

 舞花はじっと僕の目を見つめて、言葉にしなくてもその答えを感じ取ろうとしていた。


 けれどそんなのは無理だ。だって僕はこいつが何を言いたいのか全然分からなかったから。

 だからだろう、舞花が口を開いたとき返答に困った。


「無理してないよね……、葉流……?」


 一体なんのことで、と聞き返そうかと思うほど思考は絡まって。こいつが何に気を使っているのか、思い至るまでに時間がかかった。否、舞花が自分の口から説明するまで気付かなかった。


「おじさんの時の事っ……思い出したりして辛い想いしてないかなってっ……! いや、別に私が何かしてあげれるわけでもないんだけどさっ……、葉流が元気ないときに何もできないのはやだっていうか……元気ないなら無いで力になりたいってか……。ほら、わたし、幼馴染だし? 幼馴染の面倒見るのは幼馴染の義務っていうじゃんっ?」


 ぐさぐさと人の気持ちに土足で踏み込んでくるなぁ、なんて他人のごとのように思っている自分がなんだか面白い。

 そんな風に思わなければ自分の気持ちすら直視できずにいる事が僕自身の答えで、そのことに言われるまで気付かないふりをしていたことがなんとも情けない。


 おじさんーー、舞花にとってのそれは僕にとっての父であり、それは小学生の頃に遡る。


 もう6年も前のことで、だから引きずり続けるにはあまりにも昔のことで、けれど忘れるにはまだ足りない、そんな過去の記憶。


「無駄な気遣いをどーも。平気だよ、僕は」

「けどーー、」

「そこまで子供じゃないって。来年には高校生だよ? 馬鹿にしてんのかよ」

「あてっ」


 自転車を片手で押しながらこついてやる。僅かばかりのこそばゆい気持ちを押し付け返すようにして。

 むぅーっと舞花は舞花で不服そうだけど大丈夫ーー、言われて顧みて、改めて平気だと自分で繰り返す。


 そこまで子供じゃない。子供扱いはされているけれど、気持ちの整理ぐらいは出来ているーー。


 すっかり沈み込んでしまった夕焼けと明かりが灯り始めた電灯を見渡して、夜の始まりはこんなに静かだったんだと少し冷たくなり始めた夜風に小さく身震いする。


「風邪ひくぞ。ほら期末だって近いのに」

「あっ、ちょっ、ちょっと待ちなさいよ! 葉流ぅー!?」


 一足先に自転車を漕ぎ始め、舞花がそうしたように後ろから追いついてくるのを少しだけ待ってペースを合わせる。


 ーー大丈夫。


 繰り返すように唱えて気付かれないように小さく深呼吸した。

 別れは必然。誰にでも訪れる自然なことだ。


 だから大丈夫。


 気持ちの整理は出来ていると、僕は何度も繰り返した。


 見上げた彗星を前に、そんなことを気にしている僕らは本当に小さい存在なのだと言われているような気がした。

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