第8話 朝ご飯
白いワンピースに着替えを済ませたリナさんと、まだパジャマ姿のミウちゃんと共にキッチンへ移動すると、美味しそうな味噌汁の香りが届く。
見れば、セーラー服の上にエプロンを着た優子が、食卓に朝食を並べてくれている。
「優子、おはよう」
「……おはよう」
何故だろう。いつも元気に挨拶を返してくれる優子が今日は冷たい。
母さん似の大きな瞳が半ば程まで閉じられ、口が真っ直ぐ横に閉じられている。
何か優子が怒るような事でもしたっけ?
「おはようございまーす」
「お、おはようございます」
僕に続いてリナさんが挨拶をすると、優子が戸惑いながら言葉を返す。
怪訝な顔をしながら、僕とリナさんの顔を交互に見つめてくるのは一体何故だろうか。
「あっ! そういう事かっ!」
「ん? 優ちゃん、どうかしたん?」
「ううん。それより、僕は朝食の準備を手伝ってくるから、リナさんはミウちゃんと一緒に座っておいて。あ、そちら側の席が良いかな」
リナさんに父さんと母さんの席を勧め、僕はキッチンに姿を消した優子を追う。
「優子。ちょっと待ってくれ」
「……何をかしら? お兄さん」
「冷たいっ! 視線も言葉も表情も冷たいっ! あのさ、今朝の事は誤解なんだ」
「今朝の事って何? お兄ちゃんが何も無いって断言したから信じて泊めた外国人の少女と、同じベッドで朝を迎えていた事?」
何? って言いながら、もの凄く具体的な内容が返ってきた。しかも、ちゃんと僕と認識が合っているしさ。
「そう、その事。あれは、いつの間にかリナさんが僕のベッドへ潜り込んでいただけであって、優子が想像しているような疾しい事なんて、何一つ無いんだって」
「ふぅん。つまり一方的に、リナさんがお兄ちゃんのベッドへ来ただけであって、お兄ちゃんには何の非も無いって事?」
「その通り! そういう事なんだよ。流石、優子。僕の事を良く分かってくれているよ」
「なるほど、分かった。じゃあ、それはそれとして、一先ず朝ご飯にしようよ」
おぉ、流石は優子だ。僕の言い分をちゃんと理解してくれた。
僕は元々一人でベッドに入っていたし、目覚めてから隣に半裸のリナさんが居ると分かってから、故意に身体を触ろうとはしていない。
それから、リビングへ来る前にリナさんが着替える時も、僕は背中を向けていた。
だから僕は無実。そう、全て濡れ衣なんだ。
一先ず、優子の誤解を解く事が出来た事に喜びながらリビングへ戻り、人数分の麦茶を用意していつもの僕の席へと着く。
ちなみに、普段は父さんが座っている隣の席に、リナさんがミウちゃんを抱きかかえながら座っていた。
「お待たせ。和食だからお茶にしたけれど、食後で良ければコーヒーもあるので」
「ありがとー。じゃあ、食後にミルクを貰って良い?」
「ミルク? 良いけど……あ、ミウちゃんの分か」
ミルクという言葉に、ミウちゃんが「みうくー!」と反応しているので、きっと正解だろう。
そんな事を考えていると、お盆を手にした優子が現れる。
「お待たせしました。一先ず、これで並べ終えましたので、食べましょう」
それぞれに白いご飯が盛られたお茶碗が手渡され、テーブルの上には玉子焼きや、おひたしに、きんぴらごぼうなどのおかずが並ぶ。
優子も席に着いたので、皆でいただきますをして、大皿から好きなおかずを皿に取る。
リナさんは日本へ来た事がると言っていたからともかく、初めて来たというミウちゃんが、小さな手を合わせていたのは意外だった。
日本には住んでいない口ぶりだけど、二人とも日本語が上手だし、日本の習慣もあるみたいだ。
「あの、リナさんって、どちらの出身ですか?」
「ウチ? トランシルヴァニアやで。優ちゃん、妹さんに言ってなかったん?」
言ってなかったも何も、僕だって初めて聞いたのだけど。
というか、トランシルヴァニアなんて国、聞いた事がないんだけど。凄くマイナーな国? それとも、どこかの都市名? とりあえず、ヨーロッパ圏って事で良いのだろうか。
だけどミウちゃんは流石にフォークとスプーンだけど、リナさんに至っては箸を使って、豆腐の味噌汁を飲んでいる。
欧州に味噌なんて在るのかなと思っていたけれど、ミウちゃんが興味を示し、それに気付いたリナさんが少し飲ませ、
「おいちー」
普通に気に入ったようだ。
金髪幼女と味噌汁の組み合わせはミスマッチだけど、美味しい物には国境が無いという事だろう。
「あ、優子。そう言えば、琴姉ちゃんは?」
「うん。起こしたけど、起きなかった。私はもうすぐ部活に行かないといけないから、後でお兄ちゃんが起こしてきてー」
玉子焼きに箸を伸ばしながら、優子に了解の意志を示す。
普段の優子は、僕が起きなければ容赦なく布団を引き剥がすけど、琴姉ちゃんはそこまでされて起きなかったのだろうか。
それとも、流石の優子も遠慮して、声を掛けただけに留まったのかな? いずれにせよ、朝ごはんを食べ終えたら起こしにいこうか。
その後、暫くリナさんと優子が会話しながら食事を続け、
「ごちそうさま。じゃあ私は部活に行ってくるから、お兄ちゃん後はよろしくね」
そう言って、自分の食器をキッチンへ。
その後、戻って来た優子がリナさんを正面から見つめ、
「リナさん。いろいろ至らない所もあるかと思いますが、兄をよろしくお願いいたします」
思わず僕は自分の耳を疑う。
「あはは。優ちゃんには、ウチの方がお世話になってるよー。今は少し記憶が混乱しているみたいだけど、普段はミウの面倒もしっかり見てくれるし、それにとっても優しくて、すっごく頼りになるもん」
「そうですか。育児は夫婦の共同作業であって、どちらか一方だけが負担すべきではないと私は思っているのですが、普段は兄がちゃんとミウちゃんの面倒をみていると聞いて、安心しました」
待って、待って。リナさんも、優子も一体何の話をしているの!?
慌てて立ち上がった僕は、優子の傍に駆け寄り、廊下へと連れ出す。
「優子、今の言葉はどういう意味なの?」
「そのままの意味だけど?」
「いや、でも僕はリナさんとは何の関係も無いって言ったよね?」
「うん、聞いたよ。その上で今の状況から判断したけど、私はリナさんが言っている言葉を全て否定出来ないんだ。お兄ちゃんの事を知っていたし、家も知っていたんでしょ?」
「それは……そうだけど」
「朝だって、リナさんが勝手にお兄ちゃんのベッドへ潜り込んで来たって言うけど、娘を連れて赤の他人のベッドに潜り込んだりする? 私なら絶対にしないよ?」
まぁ確かに。リナさんが一人で……でも僕のベッドに潜り込むだなんて有り得ないけれど、ミウちゃんと一緒にっていうのは尚更有り得ないか。
「それとさ、ミウちゃんがお兄ちゃんの事をパパって呼んでいるでしょ? 最悪、リナさんがお兄ちゃんをたぶらかそうとしているとしても、二歳にも満たないミウちゃんが演技なんて出来ると思う?」
「……無理、かな」
「うん。だから、お兄ちゃんとリナさんの意見が完全に一致するまで――つまり、お兄ちゃんがリナさんの夫だって認めるか、もしくはリナさんがお兄ちゃんの事は勘違いだったって認めるまで、リナさんとミウちゃんには家に居て貰おうと思うんだ」
「えっ!? ちょっと待ってよ」
「ダメ。お兄ちゃん、私は保育士を目指しているんだからね。リナさんやミウちゃんが納得しないまま家から追い出すような事をしたら、私はお兄ちゃんの事を鬼畜って呼ぶから」
そう言い残して、優子が部活へ行ってしまったのだった。
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