insane or innocent ◇2

 硬貨が入った皮袋の中に、銅製のシンプルなブローチがあった。それを留め具が壊れたクロークに使い、前を合わせることにした。

 わざわざ手で押える必要が無くなったので、空いた左手に麻袋を抱えて、今は廃墟の中を歩いている。






 蒼天の下の廃墟の街並みは殺伐としていて、夜の景色とは違って見えた。

 私は未だ、この街のことを知らない。ここに来るのは、夜に血を求めていた時だけだったから。

 道を見ればそこかしこに瓦礫の山があり、見上げた建物はどれも損壊が激しい。明るい陽の下で見ているせいなのか、それは深夜のものより程度が酷く、より無惨に見えた。


 ここから、どちらに行けば良いのだろう。

 大通りを歩きながら、不安感が湧いてくる。

 お金を貰ったので、アルテに何か食べ物でもと思ったのだけど。そもそもこの街の地理が分からないから、どこへ向かえば良いかも分からない。

 一度戻ろうにも、衝動的に飛び出して来たせいで、帰り道さえよく覚えていなかった。

 行きに大きめの通りを歩いた記憶から、似た感じの道を辿っているが、自信はない。方角だけなら合っているはずなのだけど。


「──、────!」

「────」


 遠くから言い争うような声が聞こえてきて、ふと足を止める。見るとこの通りの先の方で、誰かが揉めているのが見えた。

 被っているフードをさらに押えて、思わず脇道へと身を隠す。この辺りの治安が良くないのは、見ていて分かるから。


 どうしよう。このまま行くと絡まれるかもしれない。

 悩みながら、今いる路地の奥に視線を向ける。少し先に見える曲がり角は、向かおうと思っていたのと同じ方向で。

 あそこから迂回できるかもしれない。そう思いながら、奥へと足を踏み入れた。




 ◇




 結局、迷ってしまったらしい。

 踏み入った路地は存外複雑で、曲がり角や斜めに進む道などが多かった。そのうえ人を避けながら進んでいたせいかもしれない。唯一頼りだった方向感覚も、すっかり狂ってしまった。


 ここは、どの辺りなのだろう。あまりに先行きが見えなくて、少し心細くなる。

 廃墟ばかりの一帯はとっくに抜けたみたいで、少し前から周囲の建物は普通になっているのだけど。

 不安を胸に路地を道なりに進んでいると、不意に開けた場所に出た。


 建物の合間にできた、小さな空き地だった。

 何故か微かに血と硝煙のにおいが香ってきて、息を止める。あまり良くない場所に出てしまったのかもしれない。

 血自体は一度だけ、医者から破棄予定の輸血用のものをもらった。だから、この身体はまだ大丈夫なはずなのだけど。

 少し心がざわつくのは、どうしようもないことなのかな。


 思いながら辺りを見渡した時、空き地の隅に一人、誰かが居るのに気がついた。こちらに背を向けて、身をかがめている誰か。


「あ……」


 出た声に慌てて口をつぐむ。けれど聞こえてしまったのか、その人が振り返る。


 服から覗く飴色の肌と、金色の瞳が印象的だった。

 眼光の鋭い三白眼にばかり目がいくが、乱れて少し黒髪のかかった左の目元には、よく見ると小さな泣きぼくろが乗っている。


 思わず惚けてしまった。知っている顔だったから。

 この人、あの時アルテと一緒にいた人だ。

 名も知らぬ彼は、私とフード越しに目が合った途端、不快感を露わにする。


「お前、どっから湧いてきやがった」


 元より鋭い目元に敵意が加わり、声音には棘が混ざって。不意に腕を突き出したかと思えば、その手にナイフが握られていて、固まった。


吸血鬼ヴァンパイアには昼夜関係ねえのか。噂なんざあてにならねえな。なんで居るのか知らねえが、さっさと消えろ。じゃなきゃ消すぞ」


 私に切っ先を向けながら、彼は剣呑に吐き捨てる。


「え、あの違っ、違います……!」


 どうしよう。何か誤解をされている気がする。焦りのままに一歩踏み出すと、彼の眉間の皺が深くなり、それ以上動けなくなった。

 正面から向けられる剥き出しの敵意が、痛い。


「う、違うの。危害を加えるつもりは、なくて、あの……ごめんなさい……」


 じわじわと後悔が湧いてくる。思えば、彼のこの反応も当然だった。あの日、目の前の彼を負傷させたのは紛れもなく私なのだから。

 周囲にも微かとはいえ血の残り香があるし、それを目当てに来たと思われても仕方がないのかもしれない。


「あの、……帰りたいのはやまやまなのですが、道が分からなくて」

「知るか。いいから消えろ、邪魔だ」


 にべもない。

 あまりにバッサリと切り捨てられて、思わずうつむく。やはり、とことんまで嫌われているらしい。


 私はここで会ったのが彼で、少しだけ安心したのだけど。

 治安がいいとは言えない知らない場所で、知っている顔に会えたことに。たとえ、顔見知りと呼べるかすら怪しい相手でも。


 でも、やっぱり立ち去った方が良いのかな。このまま帰れなかったらどうしよう。

 苦しそうなアルテの姿が脳裏に浮かんで、唇を引き結ぶ。何か、したい。してあげたいのに、何も出来ない。

 そこまで考えて、はっとした。

 そうだ。この人はアルテの知り合いだった。


「あ、のっ……!」


 私じゃなくてもアルテのことなら、何か助言をくれないだろうか。思いながらがばりと顔を上げ、無意識に手を伸ばそうとしたその瞬間。

 不意に身体の軸がぶれ、足がもつれた。


 地面にべしゃりと倒れた音は、やけに大きく響いた気がした。


「……」

「……」


 間に流れる沈黙が、痛い。

 ここ最近まで両腕が使えていたから、右腕がないことを忘れていた。重量が減った分だけ重心がずれたのに気づかず、バランスを崩したらしい。そんな分析をしてみても状況は変わらず、感じる無言の視線がつらい。いたたまれない。


 とりあえず、身体だけでも起こそうかと手を動かした時、何かに触った気がして。疑問に思って視線を向けると、そこには小さな鍵が落ちていた。

 あ、と聞こえた短い声にそろりと見上げると、彼が難しい顔をして、私の手元を見ている。

 そういえば彼を初めに見た時、身をかがめていたような気がする。地面に落ちた何かを探すように。


「……もしかしてこれ、あなたのですか?」


 恐る恐る問うと、彼は眉間の皺を深くする。

 長い沈黙を挟んで小さく舌打ちをした彼は、睨むような視線はそのままに、ぶっきらぼうに呟いた。


「…………よこせ」






 少しなら、話を聞いてくれる気になったらしい。

 身体を起こして鍵を渡した後のこと。用は済んだとばかりに立ち去ろうとする彼を呼び止めると、意外にも足を止めてくれて、少し安心する。

 すごく迷惑そうな顔はしているけれど。


「あの、アルテが何も食べていないみたいなのですが」

「あ? んなもん腹減りゃ勝手に食うだろ」


 彼の気が変わる前にと簡潔にまとめたら、意味が分からないと言う顔をされた。

 脈絡、無さすぎたかな。というより、さすがにこれだけだと伝わらないか。


「え、と。アルテが今、診療所に居るのですが、高熱が出てしまって、治らなくて。何か食べるものを買って行けたらと思うのですけど、どこに行けばいいですか」

「……つーかまだあそこ居んのかよ」

「はい。あまり寝られていないせいか、だいぶ体調が悪化していて」

「ほんっとめんどくせえな、あいつ」


 苦々しげに言いながら、彼はため息をつく。


「ほっとけ、いつもの事だ。あいつはたまに熱出すと大抵拗らす」

「……いつも?」

「人が居ると寝ねえし、居ねえとまともに飯食わねぇからな。クソめんどくせえ。そうそう構ってられっか。俺は世話係じゃねえんだよ」

「あの、でもこのままじゃ、治りそうな気がしなくて」


 そう言うと、彼は怪訝そうに眉根を寄せた。


「まだあそこ居んだろ? なら、飯の方はそこに居る女が何とかする。食うもん食ってりゃそのうち治る」

「女……えっと、私?」

「あ? ふざけんなお前じゃ──」


 彼はそう言いかけて、ふと何かに気づいたように言葉を止めた。


「……ひとつ聞く」

「はい」

「診療所に、お前以外の女は居たか」


 私以外?

 言われて思い返してみるけれど、あそこには医者とアルテしかいなかった。言わずもがなどちらも男性だし。

「いなかった、気が」と恐る恐る言った途端、彼の目が据わった。


「~~~~あんのヤブ医者……! あークソッ、揃いも揃ってめんどくせえな畜生、自分のケツぐらい自分で拭きやがれ阿呆共が!」


 突然の怒声に驚き、思わず肩が跳ねた。反応が追いつかずぼんやりとその様子を見ていると、不意に矛先が私に向いて。


「だいったいお前もお前だ、今更すぎんだろ、何日経ったと思ってやがる! さっさと気づけよつーかあいつこそ気づけよ、鈍感も大概にしろ何仲良く自分の首絞めてんだ馬鹿か!」

「え、と」


 確かにあの夜から四、五日経ってるから、気づくのが遅すぎたとは思うけど。


「マジで付き合いきれねえ。なんだあいつほんっと、学習しやがれクソが!」

「……ごめんなさい?」


 勢いに押されて思わず謝る。けどこれ、誰に怒ってるんだろう。


「え、と、気づくのが遅れたのは、私もここしばらく食べてないからで──」

「は!?」


 何とか説明しようと言葉を紡ぐと、途中で予想外に驚かれた。その反応に逆に驚く。最初の態度からして、どうでもいいと流されるかと思ったのに。

 実を言うと、空腹感は一周してほとんど気にならないのだれど。そのせいで思考力が鈍いから、少し弊害を感じている。


「なんで食わねぇんだよ」

「忘れて、ました。正直困ってます」

「……最後に食ったのは?」


 聞かれて目を瞬かせる。気にしてなかった。

 思い返せば古城で何かを食べた記憶はない。ということは、最後に食べたのはこの街に来る前ということだ。それはつまり。


「数ヶ月前?」

「法螺なら切るぞ」

「ほら? …………あ、嘘じゃないです」

「ざけんなだったらその間どうやって生きて、」

「魔法?」


 薄々思っていたことを口に乗せると、変なものを見るような表情で絶句された。


「……信っじらんねえなんだお前、常識ないで済む範囲じゃねえぞ。頭ん中お花畑かよ」

「頭に花は咲かないんじゃ?」

「もういい喋んな頭が痛くなる」


 言われて口をつぐむ。そんなにおかしなことを言っただろうか。

 ……あ、比喩だ。

 数秒遅れてから気がついた。やはり頭が回っていないらしい。


 彼はしばらく難しい顔をして押し黙っていた。

 その後ついたため息は、何だか色々なものが混ざりあったような、とても深いもので。


「……分かった。着いて来い。案内する」


 不本意そうに発せられたその言葉に、思わず瞬く。どういった心境の変化だろう。

 初めに向けられていた敵意は、何故かだいぶ薄れている。代わりに彼の表情は、なんとも言えない微妙なものになっていた。

 それがどう言った感情なのか、よく分からないけれど。


「はい」


 とりあえず、彼の気が変わらないうちに後ろに続こう。

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