Chapter 4:空色の君と

35:足跡は確かに

 騒々しい足音が、すぐ横を行きすぎる。

「……いいぞ、出よう」

 物陰に隠れて息を殺すセレスの背中を叩く。セレスは無言で頷き、俺の手を取って歩き出す。走ろうにも、俺の足がついてこないから仕方ない。

 靴底を引きずりながら、身を隠すべき場所を『虚空書庫ノーウェア・アーカイブ』に要求。応答に従い、基地の連中には見つからないよう、抜き足差し足『エアリエル』の待つ発着場に向かう。

 応答を一つ受け取るたびに、頭痛が深まる。『エアリエル』のできのいい解析機関を借りてすら、要求と応答には限界がある。それを全部生身で続ける負担はあまりにでかい。今までは連続で『虚空書庫ノーウェア・アーカイブ』を覗くこともなかったから、意識すらしなかったが――。

 嫌な汗が額を伝う。セレスも俺の様子がおかしいことに気づいたか、くい、と俺の右手を引く。その青い眉尻は不安げに垂れ下がっていた。

「ゲイル、大丈夫ですか」

「大丈夫、じゃないなぁ……」

 虚勢を張るのも億劫なので、正直に答える。

 だが、ここで見つかって、独房に連れ戻されちゃ意味がないのだ。この手を掴んでくれたセレスのためにも。俺を信じてくれたロイドのためにも。何より、セレスと共に飛びたいと望む俺自身のためにも。

「でも、あと少しだ。多少の無理は、大目に見てくれ」

 セレスの背を、もう一度叩く。セレスは、じっと俺を見上げた後、きっぱりと頷いた。ここは無理をしてでも前に進まなきゃならない局面だと、セレスもわかってくれたらしい。それ以上は何も言わず、手を引いてくれる。

 その間も、基地内には通信が飛び交っている。早口に語られるのは近海の戦況だ。

『「オベロン」、教団戦闘艇と交戦開始!』

『報告にあった教団の要塞母艦、遠方に確認』

『観測部隊は「オベロン」の支援に徹するべしとの指示』

『正体不明の攻撃により観測艇一隻が中破、第六番翅翼艇エリトラと見られます』

 次のポイントに身を隠したところで、セレスは小声で問うてくる。

「ケネット少尉は、大丈夫でしょうか」

 観測隊の基地待機組が言い争う声に耳を澄ませながら、俺の見解を答える。

「微妙だな。戦闘艇はいくらかかってきてもジェムの敵じゃねーが……」

 飛び交う喧騒には、先ほどから「要塞母艦」という物騒な単語が混ざっている。情報を総合するに、どうやら俺たちが捕まえた連中が吐いてくれたらしい。現在の教団の拠点は、第三の帳近くに隠してあった要塞母艦なのだと。

 ……俺も人づてに聞いたことはあった。三年前、教団の残党狩りが行われ、奴らが『虚空書庫ノーウェア・アーカイブ』の知識を元に開発した兵器のほとんども押収された。だが、唯一、建造途中だったとされる要塞母艦の行方だけがわからなかった、と。

 迷霧の帳は、その魄霧の濃度ゆえに記術頼りの探査も狂う。故に、サードカーテン基地の監視海域ぎりぎり外のあたりを彷徨うことで、追っ手を撒いていたということだろう。その要塞母艦が姿を現したということは、本気でこの基地を潰しにきていると見ていい。いやはや、面倒くさいことになったもんだ。

「しかし、『ロビン・グッドフェロー』は積極的に戦闘に参加していないようですね」

「だろうな。奴のこだわりが、今回ばかりはありがたい」

 もし、ここでトレヴァーが本気で立ち回っているなら、とっくに『オベロン』や観測艇を無視して基地そのものに攻撃を仕掛けている。本来、『ロビン・グッドフェロー』は敵地に潜入しての拠点爆撃を意図した船なのだから。

 だが、絶対に奴は「そんなのつまらない」と言い切るに違いない。長らく恋焦がれた相手とやりあうために、奴はここまでやってきたのだ。だからこそ、今は力を温存して待ち構えている。

 俺たち二人が、目の前に現れるのを。

「とはいえ、トレヴァーがいつまで待っててくれるかもわからねーからな。急ぐぞ」

 俺の側を観測部隊の連中が通過したのを確認して、セレスを促す。

 ついに発着場の扉が見えた。重たい足をどうにか引きずり、扉の裏に張り付く。

 当然だが、扉の向こう側には人の気配がする。声からするに、整備隊の連中だ。流石にこればかりは、今までのようにやり過ごすのは無理だと『虚空書庫ノーウェア・アーカイブ』も告げている。

 セレス一人ならともかく、俺が出て行って『エアリエル』に乗り込もうとすれば、抵抗されるに決まってる。俺とセレスで、できる限り素早く相手を無力化する方法を『虚空書庫ノーウェア・アーカイブ』に要求、しようとして。

「行きましょう、ゲイル」

「おい、セレス!?」

 セレスが、俺の手を一際強く引いた。策もなく出て行ってどうする、という抗議すらできないまま、俺たちは隠れる場所もない発着場に飛び出してしまう。

 見れば、既に、整備隊の面々が『エアリエル』の周囲に集っていた。そいつらの視線が、一斉に俺に向けられて、思わず背筋が凍る。おいおい、独房から直行だったから、武器一つ持ってないんだぞ。これでタコ殴りにでもされようものなら、飛び立つどころじゃない。

 緊張に身を竦める俺を、一番扉に近い位置に立つおやっさんが鋭く睨めつけて。

「待ってたぞ、ゲイル」

「……え?」

「遅いっすよ! もー、途中で捕まっちゃったかと思って冷や冷やしたんすから!」

 ゴードンが声を上げ、周りの連中が笑いながら頷く。一瞬前の緊張が嘘のような和やかさは、流石の俺にもわかる。

 ……って、どういうことだ。

 呆然と立ち尽くす俺の前に大股に歩み寄ってきたおやっさんは、そのごつごつとした手で、俺の胸を叩く。

「飛ぶんだろう? 『エアリエル』の準備は済んでる。お前の分も含めてな」

「だけど、俺は」

 おやっさんだって、俺が捕まる瞬間を見てたじゃないか。俺がゲイル・ウインドワードじゃないと、思い知ったはずじゃないか。どうして俺なんかを待っていた?

 口をぱくぱくさせるばかりの俺を見上げて、おやっさんはよく響く声で言う。

「セレスが、言ったんだ。お前と一緒じゃないと飛ばないと」

 セレスに視線を落とせば、セレスは真っ直ぐに俺を見上げて、こくこくと頷いていた。その一貫ぶりにはただただ感服するしかない。本当に、俺が捕まったことにも、俺がセレスを遠ざけようとしたことにも、何一つ納得していなかったと見える。

「もちろん、お前の正体を考えれば再び『エアリエル』に乗せるなどあり得ない話だ。銃口が俺たちに向けられるという、最悪の事態も考えた。だが」

 おやっさんは、いつだって険しかった表情を緩め、白い歯を覗かせる。

「最低でも俺は、今までお前が見せた全てが演技だったとは思えなかった。そんな器用な奴でもないだろう、お前は」

 おやっさんの後ろでレオとゴードンがニヤニヤしながら頷く。っていうか何で皆ニヤニヤしてるんだ。俺が何をしたっていうんだ、とそちらを睨めば、ゴードンは両手を挙げながらもへらへら笑いながら言う。

「いや、今まで正体バレなかったのは正直すげーと思うっすよ。すぐ顔に出る上にカッとなりやすいのに、英雄殿を演じきったことには心から感服っす」

「全っ然褒めてねーなそれ!」

 くっそ、めちゃくちゃ馬鹿にされてるじゃねーか。俺を何だと思ってるんだ。あえて聞かないけど。怖いから。

 おやっさんも、周りの連中と同じように、いつになく愉快そうに笑いながら俺の胸をもう一度叩く。

「この基地に来る前に、お前が何をしてきたのか。どうしてお前が正体を隠して『ゲイル』としてこの基地にやってきたのか。そんなことは俺たちの知ったことじゃない」

 おやっさんの目は、どこまでも真っ直ぐで。

「俺たち整備隊にとっては、お前と過ごした一年が全て。それだけだ」

 真っ直ぐな言葉が、この胸に届く。

「お前が常日頃から言う通り、俺たちは船を万全の状態に整える。お前たち霧航士ミストノートはその船で飛ぶ。今こそお互いの役割を果たす時だ。そうだろう、ゲイル」

 確かにそれは、俺自身の主義だ。ゲイルではない俺の考えだ。本当は飛べない俺にも万全な翼を用意してくれる皆に、感謝を忘れてはならないと。

「おやっさん……」

 セレスも言っていたじゃないか。俺がこの基地で過ごした一年間は、嘘じゃない。

 胸の中に渦巻く何もかもを押し殺して、ゲイルという仮面を被ってこそいたけれど、その時に俺が感じたこと、俺に周りが感じたこと。何もかもが嘘だったわけじゃない。

 嘘じゃないってことを、皆わかっていて、俺だけが目を背けていた。

 だけど、今、やっと飲み込めた気がした。俺がゲイルとして歩んできた足跡は、俺を否定するものじゃない。それどころか、俺がここに生きてきた、何よりもの証拠だった。俺一人が、それに気づいていなかっただけで。

「……ありがとう、おやっさん。皆も」

 自然と、感謝の言葉が、口をついて出る。

 すると、横合いからゴードンが「ひいっ」と変な声を上げる。

「殊勝なゲイルとか気持ち悪いにもほどがあるっす」

「うるせえゴードン! お前、後で砂利の上で鋼板抱いて正座な!」

 こいつはどうあっても混ぜっ返さないと気がすまないのか。俺が言えたことでもないのはわかってるが、一瞬ちょっとぐっと来てしまったのが馬鹿みたいじゃないか。

 多分、俺はとてつもなくぶすっとした顔をしてたのだと思う。「美男が台無し」と絶対に思ってもいないことを言いながら、レオが俺に何かを投げつけてくる。薄青に白のラインが入ったそれは、俺のパイロットスーツだ。

「ほら、とっとと着替えろ。んな格好じゃ飛べないだろう?」

 おやっさんの言うとおりだ。「悪いな」と応じて、改めて俺の手の中に収まったそれをしばし眺める。もう、二度と袖を通すこともないと思っていたのに、わからないものだ。

 その時、つい、と袖を引かれてそちらを見れば、セレスが俺をじっと見上げていた。

「ゲイル」

「あ?」

「嬉しいのですか。笑っています」

 ……なるほど。俺は俺自身が思っている以上に、顔に出やすい性質らしい。片手で緩む頬をさすりながら、溜息混じりに言う。

「ああ、そうかもな」

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