18:町へ

 今日も賭けチェスに興じていたゴードンとレオに車を出してもらい、町に下りてゆく。霧避けを施した窓越しでも、周りの風景はおぼろげにしか見えないが、それでもセレスにとって基地の外は初めてだ。べったりと窓に張り付き、変わり行く景色を見つめている。

 ――基地の足元に広がる町の名は、フィオナという。

 そもそもこの島は、百年ほど前、迷霧の帳ヘイズ・カーテンの調査中に発見された島だ。フィオナ町はその時点で既に存在していた、いわゆる「先住民」の町である。島が女王国に編入されてからの歴史は浅いが、フィオナの住人は「余所者」である基地の軍人たちも、おおらかに受け入れてくれている。

「じゃ、買い物終わったら連絡よろしくっす」

「おう、送ってくれてありがとな」

 ゴードンたちも整備隊の連中に買い出しを頼まれているようで、俺たちを降ろした足で基地とは反対方向に走っていく。テールランプが霧にまぎれて見えなくなったところで、杖に重たい体を預ける。言い出したのは俺だが、早めに買い物を済ませて楽になりたいところではある。

「よし、まずは、サヨからの頼まれものを片付けちまうか。……セレス?」

 道行く連中の邪魔にならないようにセレスの肩を引き寄せてやると、きょときょとと辺りを見渡していたセレスがぱくりと口を開いた。

「ふおぉ」

「お、おい、大丈夫か?」

「人がいっぱいいますね。すごいですね。目が回ります。すごいですね」

 顔だけはいつもの無表情ながら、声は緊張と興奮で上ずっていた。なるほど、セレスは民間人の「町」自体が初めてだったか。これは今回ばかりは俺がしっかりしないとダメらしい。内心の不安をセレスには見せないよう、今まで寝癖を隠すようにかぶっていた帽子を脱ぎ、セレスの青い頭にかぶせる。

「う?」

「お前の髪は目立つから、それかぶってろ。あと、歩いてる間はどっか掴んどけ、はぐれたら困る」

 特に、俺は足が悪いんだから探し回るにも苦労するわけで。賢明なセレスは俺の言いたいことを一発で理解してくれたらしく、こくりと頷いて、大きすぎる帽子を目深にかぶりなおした。

 そして。

 ひんやりとした指先が、俺の手に絡む。セレスの指は、あまりにも細く、透けるように白く、力を加えたら折れてしまう硝子細工のよう。霧の海を力強く飛ぶ翅翼艇エリトラの主とは思えない、つくられものの繊細さを改めて思い知る。

「行きましょう、ゲイル」

 その声は、普段よりも弾んで聞こえた。『エアリエル』に乗っている時のそれと似ていて微笑ましい。

 商店街の、霧払いの街灯の下、片手に杖を、片手にセレスの手を握る。手が空かないからサヨのメモをセレスに預け、頼まれたものを買いそろえていく。少しずつ増える荷物の袋を腕に提げたセレスは、店のショーウインドウを一つずつ丁寧に覗いていく。

「ゲイル、これは何ですか?」

 という、疑問符つきで。

 今、セレスが青い目で覗き込んでいるのは、玩具屋のディスプレイだった。色とりどりのぬいぐるみが並ぶ中で、ひときわ大きなアザラシのぬいぐるみが、霧の海を泳ぐかのように、天井から吊るされている。

「アザラシだろ」

「はい、それは知っています」

 なるほど、セレスの知識は「魄霧の海を飛ぶ」ことに偏っているから、海を泳いだり飛んだりする生物は知ってるのか。生態を知らないと、探知できても避けられないからな。

「生きていますか? 死んでいますか?」

「いや、ぬいぐるみだよ。綿を布で包んで縫った、つくりもの」

「ほう。よくできています。この鳥や獣もぬいぐるみですか」

 そうだよ、と頷いてやる。セレスはもう一度「ほう」と鳴いて、ウインドウに額をくっつけた。今までは質問が終わった時点で次の店に目が行っていたが、ここはどうもセレスのお気に入りらしい。

「お前、こういうの好きなの?」

「はい。かわいいと思います」

 かわいい。セレスの口からそんな言葉を聞くとは思わなかった。普段何事にも頓着しないから「かわいい」という言葉も知らないものとばかり思っていたが、そういうわけでもないらしい。

「そういや、どんなものが好きかって、今まで聞いたことなかったな」

「飛ぶために必要なこと以外、考えたことがなかったので」

 いつものセレスらしい端的な答えだ。ただ、いつもと違って今回は続きがあった。

「しかし、かわいいものは、いいものであると感じます。これが『好き』なのだというならば、『好き』なのだと思います」

 今日のセレスは妙に饒舌だ。しかも、まだセレスの言葉は続いていたのだ。

「わたしは、かわいらしいものが好きです。ゲイルは、何が好きですか?」

 そう来るか。いや、来るだろうなとは思っていた。俺がセレスの好きなものを知らなかったように、俺も自分の好みについてセレスに語ったことはないんだ。

「飛ぶのは好きだぞ」

「それは知っていますので、それ以外が聞きたいです」

「だよなぁ」

 だが、唐突に「好きなもの」を聞かれてもなかなか困るのだ。いくつか思いつくものはあるけれど、それが本当に俺の好きなものと言っていいのか、考えずにはいられない。

 ただ、一つだけはっきりしているものがあるとすれば。

「青って色が、好きかな」

「空の色、ですか。『向こう側』の色」

「それだけじゃない。霧の薄い日に見渡す湖の深い青とか。『エアリエル』と同調している時に見える、霧を払う冷たい風の色だとか」

 俺にとって「青」がいくら痛みの記憶を伴っていても、悪夢そのものであっても、嫌いにはなれない。絶対に、嫌いになんかなれないのだ。

 セレスは「なるほど」と頷いて、ショーウインドウから視線を外して俺を見上げる。

 青よりもなお青い、瑠璃色の瞳で。

「では、ゲイルは、わたしが好きですか?」

 青いですよね、と付け加えて――、笑った、ような気がした。

 思わず瞬きしてセレスをまじまじと見るが、笑ったように見えたのは一瞬のことで、今はただ無表情に俺を見つめるばかりだ。

 これは……、何と答えるべきなんだ?

 セレスを嫌いと思ったことは一度もない。だが「好き」と言い切ることには抵抗がある。セレスは、単純に「色」からの繋がりで「好き」かどうかを聞いているだけで、それ以上の意図があるわけではない、の、だろうが。

「ゲイル?」

 もう一度。セレスが俺の名前を呼ぶ。

 俺は、少しだけセレスの手を握る力を強め、

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