Chapter 2:不在の空白

13:仮想の蝶

 何が悲しくて、朝っぱらから他の奴の飛ぶ姿を見せ付けられなければならんのか――。

 俺は腕を組んで、仮想訓練装置シミュレーターに保存されている『オベロン』の仮想訓練シミュレーションログを眺めていた。

 俺の横で完璧な「気をつけ」の姿勢をして、微動だにせず待機しているジェムのことは、無理やり意識から追い出す。頼むから集中させてくれ、俺に評価を頼んだのはお前なんだから。

 画面に映る翅翼艇エリトラは、細い体に長い四枚翅を持つ『エアリエル』とは全く異なり、黒を基調にした小型の船体に金色の巨大な飛行翅、という形状をしている。上下に大きく揺れるふわふわとした動きは、ジェムの腕の問題ではなく『オベロン』という翅翼艇エリトラの特徴だ。

 ――とは、いえ。

「お前、ちょいちょい集中切れてね? 敵船を確認する度に、飛び方が急に不安定になるよな」

「……っ、お、おわかりですか。ご指摘の通りです」

「同調率が安定しねーのか? 『オベロン』って飛ばすだけでも難しいもんな」

 翅翼艇エリトラの同調難度は船によって異なる。俺の『エアリエル』は難度だけで言うなら番号持ちナンバード翅翼艇エリトラの中で最も簡単だ。あれは操作性と複座型って仕様が乗り手を選ぶ、頭の悪い船だから。

 それとは対照的に最新型で未だ実験段階の第八番『オベロン』は、極めて複雑な機構と固有の記術兵装を有していることもあり、特別な同調適性を求められる。

 ジェムは俺の問いに対して少しばかり言葉を選んでいたようだが、すぐに顔を上げて、はきはきと答える。

「そうですね。恥ずかしながら、飛行に専念できない状況になると同調が緩んでしまい、高度と速度の維持が難しくなることは否定できません」

「うーん、『オベロン』は『エアリエル』とは全く勝手が違うから見当違いかもしれねえけど、同調率どのくらいで飛んでる?」

「飛行状態で九十パーセント超えを維持することを目標としています」

 ああ、なるほど。つまりいつだって全力なわけだ。ものすごくジェムらしくて心がほっこりするが、それはあくまで今ここが訓練施設の中であり、砲弾飛び交う海の上でないからだ。

「六十パーセント、いや、五十パーセントでも飛ばせるか?」

「かなり不安定になりますが、何とか。同調が緩むときに、ちょうどそのくらいです」

「多少鈍くなってもいいから、その程度の同調率で高度と速度が安定するように訓練した方がいいぞ。『オベロン』の真価は兵装だ、飛ぶだけで同調率食ってる状態じゃ、兵装展開時には確実に足を止めなきゃならねえだろ。そこを滅多撃ちにされちゃ話にならん」

 それはそうだ、という顔をしてジェムが固まる。こいつ、今まで絶対に気づいてなかったな。もう少し頭を使った方がいいと思うぞ。俺に言われたらおしまいだと思うが。

 ただ、些細な問題を除けば、ジェム――ジェレミー・ケネットは、現在生きている中では最大の能力を持つ霧航士ミストノートなわけで。

「いいじゃねーか。お前は飛べるんだ」

「え?」

「『オベロン』を自由に飛ばして、同時にあの兵装を運用するなんて、他のどの霧航士ミストノートにも、それこそ俺様にもできねーんだ。後は、単純に訓練方法と経験の問題だ。自信持てよ、ジェム。お前は飛べる」

 ジェムはしばし口を半開きにしたまま硬直していたが、やがて俄然目を輝かせ、びしっと背筋を伸ばして敬礼する。

「お言葉ありがとうございます、ウインドワード大尉! ご指摘を元に訓練方針を変更したいと思います!」

「お、おう、そりゃよかった。お役に立てたなら何よりだ」

 どうもこの体育会系のノリには慣れないな。陸の上では脱力がモットーの俺としては、ジェムの全力投球ぶりがいっそうらやましい。昔ならともかく、今の俺がそれをやったら一日で寝込むぞ、絶対に。

 そんな俺の引きっぷりに気づいているのかいないのか、ジェムはほう、と息をついて胸元に手を当てる。

「しかし、自分は真に幸せ者であります。青き翅の英雄、ウインドワード大尉に、自分の飛ぶ姿を見ていただけるとは」

「あのなあ、ジェム。俺ぁ、んな素晴らしい人間じゃねーよ」

 本当に。大切な約束一つ守れたことのない俺が英雄だなんて、馬鹿げているにもほどがある。

 だが、俺の鬱屈はジェムに伝わるはずもなく、それどころか、暑苦しいまでにぐいぐいと迫ってくる。

「そんなことはありません! 自分は、ウインドワード大尉の海を飛ぶ姿に憧れて霧航士ミストノートを志したのです。霧裂く翅、疾風の申し子。女王国の最強の剣である大尉と『エアリエル』の姿を一度でも目にすれば、その姿に憧れない方がおかしいです」

 ……まあ、人の考え方は自由だ。俺がとやかく言うことでもない。

 そうは思うのだが、苦々しい表情を浮かべることくらいは許してほしい。

 霧航士ミストノートは、俺を含めて大概がろくでなしだ。だって、そうだろう? 好き好んで、勝とうが負けようが早死にするってわかってる船に乗り込むような連中なのだから。

 俺が英雄であるか否かの議論は横に置くとしても、俺の姿を見て霧航士ミストノートになった、というなら、俺はジェムにとっての死神に他ならない。これから先長らく生きていける可能性のあった命を一つ、霧の女神に捧げたようなもんだ。

 とはいえ、霧航士ミストノート翅翼艇エリトラは、それ自体が一セットの兵器だ。我が国最大の、決戦兵器。その特殊極まりない性質上、それこそ女王国が圧倒的不利な状況か、もしくは女王国の力を誇示すべき場面でしか投入されることはなかった。

 そして、今、霧の海で戦闘はほとんど行われていない――はず、だ。

 このまま帝国との間の交渉が上手いところに収まって、本当に戦争が終わってくれれば、ジェムが必要以上に飛ぶことはなくなる。翅翼艇エリトラで飛ぶ回数が少なければ、自ずと寿命は延びる。

 そうであってほしい、と願いはするが、世の中そう上手くは行かないんだろうな。

 モニタの前に頬杖をついて溜息を一つ。すると、じっとこちらを見下ろしていたジェムが口を開いた。

「そういえば、本日はセレスティアさんは一緒ではないのですか?」

「あ? セレスはサヨんとこ行ってる。今日は初めての実機訓練だからな、体調のチェックだってさ」

 セレス。セレスティア。俺の新しい相棒となるべく送り込まれてきた、人工霧航士ミストノート

 あいつが基地に来てから、一週間。

 あれから同調訓練を繰り返して、お互いの意図が読める程度には同調できるようになってきた。相変わらず俺の『目』は半端にもほどがあるが、流石に一週間ぶっ続けで慣らしていけば、多少ましにはなった。これなら、実戦はともかく単純に飛ばすだけなら困らないはずだ。

「セレスティアさんは、いかがですか?」

「いや、すげーよ。俺がもたもたしてる間にも上手くなってる。俺様いなくてもいいんじゃねーかってくらい気持ちよく飛ぶからな、あいつは」

 これはセレスが飛ぶために造られた人工霧航士ミストノートだから、というだけではなく、あいつ個人の性格であり性質だ。飛ぶことが好き。その一点において、あいつは極めて貪欲に訓練を行い、日々新たな技術を身につけている。

 せめて、俺がもう少し副操縦士としてまともに動ければ、もっと『エアリエル』が取れる行動の幅も広がるんだろうが――。

 そんなことを思っていると、ジェムは一つ、いやに意味深な息をついて言う。

「自分は、セレスティアさんがうらやましいです」

「は? 何で?」

「何でって、ウインドワード大尉と同じ船に乗れるなんて、至上の喜びではありませんか。こればかりは、自分が『オベロン』の霧航士ミストノートであることを残念に思います」

 いやー、本当にぶれないなー、こいつは。

「いや、お前はそれでいいよ。お前と一緒に乗ったら、何かすごく疲れそうだ」

「何故ですか!? 僕の何がそんなに不満なのですか、実力ですか、それとも経験ですか!? 大尉のためなら僕は何でもする覚悟だというのにどうして!?」

「お前ほんと自覚ないよね! そういうとこが疲れんだよ!」

 俺の言葉に、ジェムは「解せぬ」という顔をする。やっぱりわかってないなこいつは。あえてそれ以上を説明してやる気力も起きないけれど。

「とーにーかーくー、お前は『オベロン』の訓練に専念しなさい。セレスはセレス、お前はお前だ。それこそ、いつ何が起こるかわからねーんだから……」

 いつ、何が。

 セレスが来たあの日、俺の前に現れた教団の船を思い出す。乗り手が口走った名前と一緒に。ジェムも同じことを思い出したのか、興奮を一旦引っ込め、硬い面持ちで言う。

「……『原書教団オリジナル・スクリプチャ』の残党が、セレスティアさんを狙っているらしいですね」

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