11:同調訓練

「じゃあ、早速同調訓練でもしましょうか」

 というロイドの鶴の一声により、昨日の今日で訓練開始と相成った。

 俺もセレスも、訓練以外に特にやることがないのは事実だったので、訓練室へとセレスを案内する。基地司令の癖にやっぱり暇であるらしい、ロイドと一緒に。

「ここが俺たち霧航士ミストノート専用の訓練室……、って、何してんだお前ら」

 部屋を覗けば、壁沿いに並べられた演算機関から伸びている無数の配線に床の半分以上が覆われていて、その配線の終着点である部屋の中心に、鋼の箱――仮装訓練装置が鎮座ましましている。

 で、その訓練装置の入り口で、床に座り込んでチェスを打ってる見慣れた顔があった。

「おーう、ゲイル……、と司令!?」

 褪せた金髪を刈り上げたマッチョ野郎のブルースが、顔を上げたかと思うとびくっ、と大げさに跳ねる。いつも泰然自若としているブルースらしくもない反応に、つい吹き出しちまったじゃねーか。でも、基地司令のロイドがこんな朝っぱらからこんな場所に顔を出すとは誰も思ってないよな。俺も思ってなかった。

 慌ててチェス盤を片づけようとするブルースと、それを阻止せんとする対戦相手、ゴードンの無言の牽制が繰り広げられる。なるほど、ブルースの方が負けてるから、これを好機と見て無効試合にしようとしてんな。

 そんなブルースの涙ぐましい努力のかいもなく、ロイドが呆れ顔でぱんぱんと手を叩く。

「はいはい、見なかったことにしといてあげるわよ。暇なのは仕方ないものね。代わりに、こいつらの訓練終わったら私も参加させてちょうだい」

「えー、それは嫌っす。司令お強いんですもん、絶対カモられるじゃねっすか……」

 そこで初めてチェス盤から顔を上げ、明らかに「嫌」という表情を隠しもしないどころか、ごくごく正直に主張するのは、ぼさぼさ頭にそばかす顔のゴードン。

 ゴードンは誰に対しても素直なのがいいところであり、ちょっと危なっかしいところでもある。若手ではとびきり腕がいいのに、こんな辺境も辺境の整備隊に配属されてるところを見るに、その性格が災いしたんじゃないかと思わなくもない。

 まあ、対するロイドは海千山千の変態たちをばったばったと斬り伏せてきた霧航士ミストノートみんなの先生であるわけで、ゴードンの率直な物言いにも嫌な顔一つせず言い放つ。

「いいじゃない、後でゲイルから取り返せば」

「ちょっと!? 俺様をカモ扱いすんのやめてもらえませんかね!?」

 何でこっちに矛先が向くんだよおかしいじゃねーか。確かに俺、この基地の誰にも賭けチェスで勝ったことないからカモなのは全く否定できないが、ロイドが巻き上げた分を俺から回収するのはどうかやめていただきたい。

 そして、これがこの基地では当たり前の光景であることを知らない唯一のちびっこ、セレスは俺の横で目をまん丸くして固まっている。

 それにやっと気づいたらしいブルースが「おお」といつもの朗らかな笑顔を取り戻して、立ち上がってセレスに向き合う。俺よりも更に背が高く横にもでかいブルースを前にすると、それこそ巨人と小人みたいに見えるな。

「君が司令の言っていた人工霧航士ミストノートだな。俺はブルース・コーウェン。海軍大尉、サードカーテン基地観測隊隊長だ。で、こっちのそばかすがゴードン・ワイト。整備隊所属の一等兵だ」

「人工霧航士ミストノート試作型、セレスティアです。よろしくお願いいたします」

 ぺこりと頭を下げるセレスの頭を、ブルースが遠慮会釈もなくそのやたらとでっかい手でごしごしと撫でながら、俺に向かって言う。

「ゲイル、新入りをいじめるなよ」

「いじめねーよ。お前、俺様を何だと思ってんだ」

「人のことを全く考えない飛行馬鹿」

「うーん、それは否定できねーなー……」

 つい唸ってしまう一方で、ゴードンは駒を動かさないよう、慎重に床に置いていたチェス盤を持ち上げて言う。

仮想訓練シミュレーションは『エアリエル』のモードに切り替えといたっす。すぐ使えるっすよ」

「気が利くわね、ありがと」

「じゃ、俺らも仕事に戻りますかね」

 二人は部屋を出て行こうとするが、「おおっと手が滑ったぁ!」とかいうブルースの声と、ばらばらとチェスの駒が床に落ちる音、それに重なるゴードンの「ちょっと、ゲイルじゃないんすから、そういうのやめてくださいよ!?」という非難の声が聞こえたのは、気のせいということにしておく。

 ぎゃあぎゃあ喚きながら二人が訓練室から出て行ったところで、ロイドがミラーシェード越しにセレスを見上げて言う。

「セレスティア、『エアリエル』の模擬訓練の経験は?」

 ブルースとゴードンの行方が気になるのか、じっと部屋の扉のあたりを見つめていたセレスが、くるりとロイドに向き直って言う。

「時計台では番号持ちの適性検査と、それぞれ短期の訓練は経験しています」

 はきはきとしたセレスの返事に、ロイドは満足げに「なるほど」と頷いてから、俺の方に視線を戻す。

「それじゃ、これからはセレスティアが正操縦士プライマリとして、あんたが補佐で訓練していくわよ」

「えー」

「『えー』じゃないよ、ガキじゃないんだから。これ以上あんたに正操縦士プライマリを任せると、いつ目を離した隙に消えるかわかったもんじゃない」

 さすがロイド。完全に見透かされている。

「もちろん、今のあんたに前任と同じ精度も求めてない。まずは制限ありで、正副の同調を中心に訓練していきましょう」

 そこまで言われてしまっては、逆らっても仕方がない。気は進まないが、きょとんとしているセレスを訓練装置に押し込んで、俺も狭苦しい箱の内側にもぐりこむ。

 箱の中には無数の計器と見慣れた座席が一つ、その座席の首の辺りからは、同調器のコードが垂れ下がっている。

『あー、あー、聞こえてる?』

 ロイドの声が、上部スピーカーから聞こえてくる。司令直々のオペレーションとは人材の無駄遣いにもほどがあるが、元教官としての血が騒いだとみえる。

正操縦士プライマリ、聞こえています』

『副操縦士、聞こえてる』

『オーケイ。只今より、同調訓練を始めるわよ』

 ――同調訓練。

 翅翼艇エリトラは身体的な操縦技術を必ずしも求められない、特殊な船だ。従来の手動式操縦も可能ではあるが、船の真価を引き出すには同調式操縦という技術が必須になる。特に、第八番『オベロン』は手動操縦機能を持たない、完全同調式だ。

 霧航士ミストノートに必要とされる能力とは、操縦の腕前や戦闘に対する知識と技術以上に、この「同調」に関する才能に他ならない。

 同調とは何かといえば、言葉通り、自分自身の魂魄を船体に重ね合わせて、自分の体の一部として扱う技術だ。翅翼艇エリトラに搭載した演算機関によって実現している機能とのことだが、詳細は知ったことじゃない。とにかく、船と同調できれば飛べる。そういうもんだ。

 故に、翅翼艇エリトラの操縦席は簡素なもので、魂魄器官である脳と船体とを繋ぐ同調器と、肉体を固定するための座席、あとは手動操縦用の操縦桿とペダル、最低限の計器くらいだ。と言っても、これらが必要とされるのは緊急時のみで、俺がこれを使う羽目に陥ったことは一度もない。

 同調訓練は、実機で飛ぶ前に、船体との同調の感覚を掴むための訓練だ。これが上手くいかない状態で実機で飛べるわけがなし、仮に上手く飛べたとしても実機での飛行は魂魄汚染による蒸発のリスクを負うという点で、実のところ霧航士ミストノートの訓練は八割方この手の仮想訓練シミュレーションの繰り返しになる。

 そして、俺の愛機『エアリエル』の同調訓練には、もう一つの段階がある。セレスが時計台で『エアリエル』の仮想訓練シミュレーションを経験している以上、ロイドの言葉通り今回はそちらが中心だ。

 もう一つの段階とは、操縦者同士の同調。

 第五番翅翼艇エリトラ『エアリエル』は、現在女王国内に配備されている翅翼艇エリトラの中では唯一の複座型だ。これは主に俺のわがままによるもので、翅翼艇エリトラ最速を実現するための無茶と言っていい。

 正操縦士プライマリは『翼』――操縦を。

 副操縦士セカンダリは『目』――探査を。

 通常一人の霧航士ミストノートが負うべき役割を分割することによって、副操縦士セカンダリ操縦士は機体から与えられる莫大かつ雑多な情報を精査し、正操縦士プライマリ副操縦士セカンダリから与えられる精度の高い情報を元に操縦に専念できるという仕組みだ。ただし、これは正副操縦士が正しく役割を果たし、同時に二つの魂魄の同調が緊密でなければ意味が無い。

 実のところ『エアリエル』自体は最新型かつ特殊な固有兵装を有する『オベロン』と違って複雑な機構を持たず、同調して「飛ばす」だけなら難しくはない。ただ、正副操縦士の足並みを揃える難しさが、『エアリエル』の操縦士の座を長らく一つ空けたままにしていた、といえる。

 ――そう、俺もあいつ以外の誰かと『エアリエル』に乗るのは、これが初めてだ。

 副操縦士セカンダリがいなくとも、正操縦士プライマリさえいれば『エアリエル』の操縦は可能だから、今までは『エアリエル』の内部演算に『目』を任せて誤魔化し誤魔化し飛んでいた。だが、もう、俺のわがままばかり通せる段階でもない、ということなんだろう。

 うなじの辺りに同調器を取り付ける。シートに体を預け、ベルトを締めて全身の力を抜く。同調器を通して脳から魂魄に向けて信号が飛ぶ気配を感じ、瞼を、伏せる。

 そこまでは、『エアリエル』実機で飛ぶ際も変わらない、いつもの手続きだ。ただ、今回は副操縦士セカンダリ側ということで、ここからはまるで勝手が違う。副操縦士セカンダリ側の手続きを一つ一つ思い出しながら、仮想の『エアリエル』の全体像を意識する。

『準備はできた? では、同調訓練、開始』

 ロイドの声と同時に、瞼を閉じたままでありながら、視界が開ける。魂魄が仮想訓練装置シミュレーターと同調し、俺自身の肉体とは違う知覚――仮想の『エアリエル』の知覚を得た証拠だ。

 ただ、普段とは違って「視える」光景には無数の数字や文字、記号が重なって見えてほとんど風景を見通すことはできない。それに加えて、耳にも肌にも膨大な情報を突っ込まれて魂魄が悲鳴を上げる。

 これこそが、『エアリエル』副操縦士セカンダリの「感じる」世界だ。

 この莫大な情報の渦から、正操縦士プライマリの必要とする情報だけを取捨選択してほぼノータイムで受け渡すのが副操縦士セカンダリの役割なわけだが、改めて副操縦士セカンダリ席に座ってみると、あまりの負荷に酷い頭痛がする。

 ――これでも、実際には『エアリエル』が内部演算機関で自動選別した、五十パーセントの情報に過ぎないのだが。

 もちろん、『エアリエル』は考えて情報を選別しているわけではなく、演算機関の機能によって画一的に「頻繁に使われる情報」以外を切り落とす。落とされた中には、本来必要だったはずの情報も少なくない。

 故に、百パーセントの情報を自分で選別できるのが一番いいわけだが、俺には無理だ。人間を辞めたどこぞの馬鹿と同じ真似はできない。

 何とか受け取る情報を選別していけば、視界が幾分クリアになった。視覚に映りこむ仮想の発着場は、俺の見慣れたサードカーテン基地の風景だ。ただし、正操縦士プライマリたるセレスにとっては初めて見るであろう光景。

 それでも、『エアリエル』という船を介して直接魂魄に届く声は、いたって落ち着いたものだった。

「離陸準備。ゲイル、行けますか」

「オーケイ。いつでもどうぞ」

 行きます、と。

 セレスの言葉と同時に仮想の『エアリエル』が熱を帯びる。セレスの魂魄が船体の隅々まで行き渡り、全ての重さを脱ぎさった船体が浮かび上がったのを、全身に伝わる感覚で察する。

 そんなセレスの『目』となるべく、想像上の腕を伸ばす。『エアリエル』の内側に満ちる雑多な情報の中、セレスの中心に当たる気配を探そうとしたその時。

 ――青。

 意識の中に突如として閃いた、いつか俺が見た風景にあまりにもよく似た、「青」の奔流に思わず息を呑む。

 次の瞬間、『エアリエル』が加速して、一気に高みへと上り詰める。全身を震わせ、魄霧を変換した青い四枚の翅翼が風を切って、

 歓喜の、歌が――。

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