09:黙っていることしかできない

「……何でわかった」

「見てればわかるよ。グレンフェル大佐が止めてるのに毎日『エアリエル』で飛んでる辺り、ほとんど自殺志願としか思えないけど」

「んなことねーよ、今日は仕方なかったといえ、普段は最低限の同調しかしてない。汚染はほとんど進んでないはずだぜ」

 ただ、サヨの「自殺志願」という言葉は、俺のあり方を正しく示しているとは思う。俺というよりも、霧航士ミストノート全般のあり方というべきか。その中でも俺が極端に走っているのは、理性的にはわかっている。あくまで、理性的には。

 とはいえ、サヨも俺の性質はわかりきっているわけで、ゆるゆると首を横に振る。

「まあ、あんたの飛び狂いを今更どうこう言う気はないよ。ただ、ここしばらくの衰え方は異常だよ。魄霧汚染とは別に、きちんと人並みの生活送れてる?」

 サヨの言葉に、俺は思わず苦い顔をして目を手元の書類に落とす。そこに書かれていたのは、几帳面なサヨらしい事細かな記録だ。他でもない、俺についての。

 俺自身の希望でこのサードカーテン基地に転属になったのは、今からちょうど一年前。

 それまで俺は首都の軍本部、時計台にいて、サヨの世話になっていた。言葉通りだ。セレスにも説明したとおり、俺は今から三年前、先代の『エアリエル』を失って、俺自身も致命傷を負って人事不省に陥っていた。

 ――それ以上に大きなものを失ってしまった、という事実からは目を逸らす。

 かろうじて意識を取り戻した後は、時計台の軍病院でサヨの治療を受け、丸々二年をかけて、不完全ながらも立って歩ける程度の体と二代目の『エアリエル』を取り戻し、飛ぶ感覚を思い出すためにこちらに移ったわけだ。時計台どころか女王国内でも一、二を争う再生術士であるサヨがこんな辺境にいるのも、俺の経過観察という理由が大きい。

 あの時、わざわざついてこなくても大丈夫だ、と軽くあしらおうとした俺に対し、サヨはこちらを睨み殺しそうな目つきで言ったものだった。

『ゲイル・ウインドワードという「救国の英雄」の生死は、女王国全体の士気に関わる重大事だ。あんたの身勝手でぽんと蒸発されたらたまったものじゃないから、あたしが見張ろうってんだよ』

 大げさな、と言いたいところではあったが、二年間の寝たきり生活で、嫌というほどその重みはわかってしまったので、笑い飛ばすこともできなかった。

 我らが女王国は、長らく隣国である帝国との戦争の只中にある。今はとある馬鹿のせいで停戦状態にあるが、その馬鹿が死んだ今、どうなるかわかったもんじゃない。

 だから、かつて帝国との戦争で、もしくは件の馬鹿率いる『原書教団オリジナル・スクリプチャ』との抗争で、不敗を誇った霧航士ミストノートゲイル・ウインドワードは女王国の武力の象徴であり、帝国にとっての脅威であり続けなきゃならない。

 別に、戦うために飛んでいたわけではないのに。

 俺は、俺自身が知らない間に、望んでもいない「英雄」という称号を与えられていた、というわけだ。

 お前のことは女王国の誰もが見つめていると。身勝手な行動は慎まなければならない立場なのだと。誰もが俺にそう言って、俺を縛ろうとする。

 で、そんな息苦しい日々から離れるためにも、サードカーテン基地への転属を希望した。今まで戦争にも教団のあれこれにも巻き込まれたことのない西の辺境において、俺の「英雄」としての名声は、大した影響を及ぼさない。知られてこそいるが、その程度だ。

 それで、多少は楽になったはずだった。はず、だったのだが。

 手元の書面は、刻一刻と俺の体が限界に近づいていることを、厳然たる数値として突きつけてくる。魄霧汚染の深度もそうだが、それ以上に心身の異常を見て見ぬ振りしてきたツケが回ってきている、ということを俺よりも正確に把握しているのが、この名医サヨ様だ。

 今更、サヨを――そして俺自身を誤魔化したところでいいことはない。一つ、深く溜息をついてから、口を開く。

「……ここしばらく、ほとんどまともに寝られてねーんだ。寝ると、悪い夢、見るから」

「悪い夢?」

「あの頃の」

 その一言だけで、サヨの表情が強ばる。それはそうだ、「あの頃」のことはサヨにとっても苦い記憶でしかないはずだから。

「いつ頃から?」

「夢を見るのは前からだけど、眠れないほど頻繁になったのは、ここ一ヶ月くらい」

「そういうことは早く言うんだよ馬鹿。もうあんたの介護は御免だよ」

 サヨは額に手を当てて深々と溜息をつく。それは俺だって嫌だ。寝たきりだった二年間はめちゃくちゃ辛かったし。体も辛かったが、何より精神的に堪えたのだ。

「薬が少しよくないかもね。変えてみるよ」

「ああ、頼む」

 なるべくサヨに余計な心配をかけたくはないのだが、この際仕方ない。俺の調子が悪いと、セレスにも迷惑がかかるだろうし。薬でどうにかなるなら、その方がいい。

 話はこれで終わりと見て、杖に体重を預けて立ち上がる。用もないのに入り浸っていると、サヨから悪口雑言を投げかけられるのは目に見えているので、素早い退散は俺の心を守る手段でもある、のだが。

「……あ、そうだった。俺もサヨに用があったんだ」

「あんたが? そりゃ珍しいね。何だい」

 これを、俺が言うのはものすごく気が引ける。だが、言うことと言わないでおくこと、どちらがこれからの精神衛生に悪いかといえば後者なので、仕方なく口を開く。

「お前の服を譲ってくれ」

「ゲイル……、ついにあんたも変態性癖に目覚めちまったんだね……」

「ちげーよ! 何で当たり前のように俺が着ること前提なんだよ!」

「冗談だよ。あの子のかい? あんたの服着てたもんね」

 俺を見上げてにやりと笑うサヨ。俺をおちょくるのがそんなに楽しいかお前は。何となくわかってたけど。いつもの頭痛とは違うタイプの頭痛を感じながらも、頷く。

「あいつ、服持ってきてないらしくてさ。サイズ合わないかもしれねーけど、無いよかマシかと思って。もし今着てないやつとかあったら、譲ってくれねーかな」

「わかった。見繕っておくよ。仲間にも声かけとく」

「そりゃ助かる。持つべきものはいい友達だ」

 いい性格の、と言いたかったがぎりぎりのところで堪えた俺を誰か褒めてほしい。

 サヨは紅を引いた口元に笑みを浮かべ、やれやれとばかりに大げさに肩を竦めてから、打って変わって低い声で言う。

「……無理はするんじゃないよ」

 俺は、その言葉に対して笑った。今の俺には、ただ、笑ってみせることしかできなかったから。もちろん、サヨの冷たい視線が突き刺さったのは言うまでもない。

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