5-2


「ん……あれ……っと……」

 少しのふらつきを感じながら、依恋はカルディアの後ろから離れて、その対面へと腰掛けた。

 椅子に身体を預けて分かったことだけれども、妙に身体が重たい。ずしり、と椅子に身体が沈み込んでいくような感じがある。

 さっきからのあれこれで、本格的に体調を崩してしまったのだろうか? どうしよう、さっさと休んでしまおうか。

 ――でも、まだ最後まで付き合ってないし。

 そう考えて、カルディアの顔を見る。まだその瞳は虚ろで、少し俯いてテーブルを眺めるようにしていた。

 ちょっと病んでるんじゃないだろうか。

 まだ、こんな状態のカルディアを放り出すわけにはいかない。

「ねぇ、カルディア。人間って、あんたが思ってるようなものってだけじゃないと思う」

 依恋の声に、カルディアが視線を上げる。

「どういう、事だ?」

「何ていうか、人間は幸せに生きてればそれでよくて、目的やなんかなんて無くて、その所為で機械より、弱い……みたいなの」

「そこまで言った覚えはないが」

「でも、概ねそーゆーことでしょ?」

「否定はしない」

 そんなカルディアの反応に、くすり、と依恋は笑いを漏らしてしまった。

 何時も通りのカルディアに近付いたような気がする。

「人間だって、幸せに生きるだけ、じゃ足りないよ」

「だが、人間は、製造されて生まれくるものではない。ならば、製造目的もない。当然のことだろう」

「そうだね」

「ならば、生きること、生き続けること、高い幸福度を保つこと。それだけで十分なはずだ」

 この辺りが、カルディアの機械たる所……人間と人工知能AIの差なのだろうか、と依恋は考えてしまう。

「それじゃ、動物と一緒じゃない……」

「人間は、動物だろう?」

「いや、まぁそうだけど、そうじゃないっていうか……」

 人間的ということは、二つの矛盾する事実を同時に抱えることである――と依恋には考えられれる。

 一つは動物であること/機械的でないこと。

 一つは理性的であること/感情的でないこと。

 機械の思考をするカルディアには、その一面しか見ることが出来ない――のかもしれない。

 つまり、人間とは不合理で、動物的で、実際動物であるのだ、と。

 それは事実だけれども、一面的な視点しか持てていない。

「ならば、どういう事だ?」

「生きること、以外の目的が持てるのも、人間だっていうこと。そしてそのために頑張ることが出来る」

「だが、それはよく生きる、幸福であるためだ」

「まぁ、そういう見方もあるかもしれないけど……」

 ――それだけの人間も、居るけど。

 と、心中からその言葉を漏らすことなく、依恋は続ける。

「それをどっか越えちゃうことだって、有ると思うよ?」

「それは、どういう事だ?」

「自分の命を投げ出して何かをしようとする人間だって、幾らでもいるじゃない?」

「それは、有る種の例外、バグではないのか?」

「そういうわけじゃないと思う……かな」

 命よりも大事なものが有る人間なんて、幾らでも居ると、依恋には思える。それが狂っているというのなら、人間という存在自体が狂っているんだろう。

 首を軽くひねって、依恋は、ほう……と息を吐いた。その息がいつもよりも大分熱い気がする。

 そんな依恋の様子を見て、カルディアは言う。

「依恋……君にも、そういうものは、有るのか?」

「うーん……」

 そう言われると、少し考え込んでしまう。自分にそんなものが有るのだろうか。少し、疑わしくなってしまわないでもない。だって――

 ――いやいや、今はそんな事はどうでもいいから。

「今はない、けど……そういうのを見つけるために、学校とか行くんじゃないかな、私達って」

 依恋には、そう思える。

 いずれ死ぬから、命より大切な何かを見つけようとする。

 ただの動物ではない、何かになろうとする。

 ――人間って、そういう、答えみたいなものを探してるのかもしれない。

 人間のようで人間でない眼の前の少年とあーだこーだと話していると、そういう事をついついと考えてしまう。

 人間と似ていて、それでもうやっぱり少し違うから、少しの違いが、果てしなく大きいもののように見えて、その違いから、人間ってなんだろうとかに考えが思い至ってしまうんだろうか。

 そんな依恋の言葉に、カルディアは反応する。

「そうして、死を超えるものを手に入れれば、恐れず戦えるのだろうか。僕も」

「それは……分かんないけど……」

 言って、目をそらす。カルディアの言葉は真摯なものだ。だからこそ、適当に答えてはいけないと思う。

 とは言っても――

 ――わかんないものはわかんないし……

 となってしまうのも、仕方ないところだろうか。

 わからないものはわからない。そしてなんだか、頭がまわらない。

「そうして答えを見つければ、機械である僕よりも、より強いものになることが出来る……のだろうか」

「それはそう……だと思うけど」

「ならば、パラディオン・システィマが求める、機械でない英雄の条件とは、その答えを得た人間であるということなのだろうか……」

 カルディアは確かに、最初に依恋に会った時に、そんな事を言っていた。

 機械ではなく、英雄が必要なのだと。そのために、パラディオンは鋼の機械巨人スーパーロボットという形をしているのだと。

 機械ならぬ英雄にこそ、人は救われるべきなのだと。

 でも、カルディアの言う通り、パラディオン・システィマの狙いは、それより先の場所にあるのかもしれない。

 もしも、もしもカルディアが、答えを得ることが出来たのならば、機械であろうとする、機械であることの限界を越えて行くことが出来るのかもしれない。

 そういう狙いであったのだとするならば、今の状況は、有る意味では過程――というか、試練なのかもしれない。

 カルディアがこれを乗り越えて完成するための、通過儀礼――

 ――にしては、ちょっと厳しいかな……

 そんな事を、依恋は考える。考えたが、なんだか奇妙な心持ちになってきていた。

 頭の奥がぼぅっとする。

 ゆらりゆらりと、視界が左右に揺らいでいるような気がする。視界の中にあるものの輪郭が、まるで水を使いすぎた水彩画みたいに滲んできている。

「あ、あれ……?」

 なんだろう、頭がふらふらと揺れ動いて、止まらない。これではまるで、ふよふよと海中に浮かぶ海月みたいで……

「……依恋?」

 カルディアの言葉が、妙に遠くから聞こえてくる。頭が熱くなってきた。そのくせに、手足はちょっと冷たい気がする。

 これは、間違いない。

「なんか、私……もうダメみたい」

 そう言って、依恋はテーブルの上に突っ伏した。


:――:


「……」

 話の途中でテーブルに突っ伏した依恋。その様子を、カルディアは観察する。

 目を閉じて、頬をテーブルにくっつけて、息を吐いている。その息が常よりも大分熱を帯びている様子だった。

 椅子を立って、カルディアは依恋に近寄る。

「……依恋?」

 背中に手をやって、その身体を揺すってみる。

「あー……ごめん、辛い……」

 ゆらゆらと首を揺らしながら、途切れ途切れに依恋はそう言う。どうやら、なにか不調が有るらしい――とカルディアは認識した。

 ならば、やることは一つだ。

「精査開始」

 依恋の額に自らの手を当てて、視覚と触覚から、彼女の状態を調査する。

 同時に、体内の医療用ナノマシン――第一〇六八コロニーの住民は、経口摂取型の医療用ナノマシンを取り込んでいるのが普通だ――の情報を解析。

 触れただけでもすぐ分かるぐらいに体温が高く、小刻みに身体を震わせている。

 医療用ナノマシンの診断結果は風邪だ。

「なるほど」

 呟くと、カルディアは端末を用いること無くネットワークにアクセスして、風邪の際の対処法を調べる。

 結果はすぐに出てきた。

「有効なのは、身体を温めて安静にすること。汗を掻くので、水分補給も重要となる」

 なるほど、そういう視点から見ると、依恋は確かに頬を赤らめて、肌を薄っすらと汗ばませている。

「ん、はぁ……ふぅ……」

 抗生物質は、体内の医療用ナノマシンが自動的に合成してくれる。薬の類は、用意する必要はない。

 と、なれば、やることは一つだ。

「すまない」

「ん……あ……なぁ、にぃ……?」

 眠たそうな依恋の声音を聞きながら、カルディアは依恋の背と膝の裏に手を差し入れた。

「あっ……」

 妙な色気を滲ませた、依恋の声。

 カルディアは、ぐったりとした依恋の身体を持ち上げる。背中と膝でその身体を持ち上げる……俗にいう、お姫様抱っこ、の形だ。

「ちょ……何、するのぉ……?」

「ベッドまで連れて行く」

「え、あ……え?」

 困惑を滲ませる依恋、その顔が一段階赤みを増したように、カルディアには見えた。

 ――どうやら、依恋の体調は更に悪化したらしい。

「あ、あの、その……あわわわわ……」

 きょろきょろと目を泳がせる依恋、その体温と心拍数が上がっているのを、カルディアは確認した。

「安心して欲しい。直ぐに済ませる」

「え、ふぁ……ふぁあ?」

 どうにも、カルディアの見立てよりも依恋の体調は良くないらしい。早々に安静にさせなくては。

 寝間着に着替えていたのは好都合だ。流石に、服を脱がせようとなどしたら、怒られる気がするし。

 依恋を抱き上げたまま、カルディアは寝室へと歩いていく。

 そして、ベッドの横まで着くと、依恋をそこへと静かに下ろした。

「ふぁ……その……ぁ……」

 ふぅ、ふぅ……と息を吐く依恋に、毛布と掛け布団を丁寧にかけてやる。すると、依恋は、まるで置いていかれた子供のような、きょとんとした目をしてカルディアを見上げてきた。

 対して、カルディアは言う。

「君は風邪に罹患している。身体を暖かくして、安静にしていると良い」

「あっ……うん……」

 カルディアの言葉を聞いて、依恋は両手で掛け布団を口の上まで持ち上げた。

「その……ありがと……」

「気にすることはない。飲み物を持ってくる」

 カルディアはベッドから離れて、キッチン――冷蔵庫へと、その足を伸ばす。然程広い部屋というわけではない。時間はかからなかった。

 冷蔵庫を開いて、内側から明かりを漏らす。と――

「む……」

 最上段に、飲み物が入っていない。正確には、清涼飲料水の大容量ペットボトルがサイドポケットに入っているのだが、中身が殆ど無い。

 野菜室なども開けて調べてみるが、必要とされるであろう、大量の水分を補給出来る物は無い。

 ならば、どうするべきか?

 ――購入してくるべきだろう。

 とは言っても、まずは依恋に水分を与えるのが重要だ。中身の心許なくなった清涼飲料水のペットボトルを取り出して、冷蔵庫を閉める。

 コップにその中身を移すと、空になったペットボトルをシンクに持っていって、そこに水道水を詰めた。

 水差しの代わりには十分だろう。

 スポーツドリンクの類に比べれば水分の吸収率は悪いが、無いよりはだいぶましな筈だ。

 コップとペットボトルを持って、カルディアは再度寝室へ。

「あ……」

「飲むと良い」

「ありがと……」

 言葉を交わしながら、ベッドの脇、簡単に依恋が取れる位置に、ペットボトルとコップを置いた。

「少し出てくる」

「え……どこ……?」

「飲み物――スポーツドリンクを買ってくる」

「そこまでしなくても……だいじょぶ……」

 ふわふわとした、しっかりしない声で依恋は言う。だが、カルディアはそれを聞くつもりはなかった。

「いや、君にはそれが必要だ」

 首を横に振って、カルディアは依恋に背を向けた。

「あ……」

「すぐ戻る」

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