4-4
――あ……
空中に舞う、翡翠色の欠片。自らの主兵装が打ち砕かれた事を認識した瞬間、機械であることを自認するパラディオンとしては、あり得ないことであるが、その意識に空白が生まれた。
時間にすれば、刹那にも満たない、一瞬。
しかし、そのあり得ない一瞬はあまりにも重い隙だった。
〈守護者〉が背負った炎の翼――可動式スラスターユニットから吐き出される噴射炎が、更に大きくなる。
パラディオンが、一気に押される。
まるで、大地を刃として、パラディオンを摩り下ろしてでもいるかのように。
そして――背後からの衝撃が来た。
轟音と共に小山とでも言うべき岩石が砕け散る。
喉首を抑え込まれたような形で、パラディオンは岩石へとその身体を固定された。
抵抗は出来ない。
左の盾で身体を抑えつけたまま、〈守護者〉は右に持った大槍を掲げる。
――負ける、のか……
抵抗の手段が出てこない。このまま、〈守護者〉の一撃を受けるしか無い。恐らく、それは必殺の一撃。
そして、パラディオンは終わる。
パラディオン・システィマは次の攻性防禦システムを作り出すだろう。だが、それはパラディオン――カルディアとは別のものになるだろう。
――使命を果たせず、ここで終わるのか……
そう考えたパラディオンが抱えていたのは、悔恨でも、絶望でも、恐怖でもない。
ただただ、巨大なる虚無だった。
自分という存在には、何の意味もなかった。
全ては無駄だったのだ。
――だったら、もう……
パラディオンの両腕と首から、力が抜けていく。
無駄なら、もう無駄で構わない。
零なるものは零へと還るべきなのだ。
〈守護者〉に掲げられた大槍が、電磁フィールドの破裂音と紫電を纏う。
そのまま、大槍がパラディオンへと突き付けられた。
――そうか。
このまま、虚無へと落ちていく。あの世などというものは、存在しない。仮に存在するのだとしても、機械であるパラディオンとは無縁な場所だろう。
頭によぎるのは、今までの経験。
そして、希咲依恋の事。
虚無へ落ちるのは、ある意味解放でも有る。有るけれども、一つだけ後悔――未練と呼べるものが、浮かび上がってきた。
――ああ、彼女に謝らなくては。
勝てるかどうかは未知数だと言ったけれども、もしも戻らなかったら、どう教諭に伝えれば良いのか、までは伝えなかった。
教諭といえば、終わらせた課題も提出していない。
練習していた合唱は、どうなるだろう。いや、別に自分が居なくても問題はないだろうが――
思考するのは、機械として、都市の攻性防禦システムとしては、余分に過ぎる事だった。
それら全てが、虚無へと還る。ただの、寒々とした無意味として。
パラディオンへと、電磁フィールドを纏った槍が突き立てられた。
だが――
「何故だ……」
パラディオンは言う。
パラディオンは、起動停止しなかった。
〈守護者〉によって、大槍でその身を完全に貫かれたというのに。
〈守護者〉が、穿いたのは、パラディオンの左肩だったからだ。
結果として、パラディオンの肩から先――左腕は、完全にその機能を停止している。だが、機能の完全な停止――パラディオンの撃墜には程遠い状態だ。
一撃で、パラディオンの中枢を穿いて、撃墜することも〈守護者〉には容易い状態だった筈なのに。
「何故だ――!」
製造されてから、恐らくは初めて――パラディオンはその声を荒げた。
答えが返ってくるとは、考えていない。だが、言わざるを得なかった。
それは、機械が――己と同じ存在が、不合理を行うことへの疑問でもあり、不合理への脅威であり、パラディオン自身にも言語化不可能な何かであった。
その何かが、パラディオンに叫ばせていた。
〈守護者〉は、パラディオンの左肩を貫通して、背後の岩石へと突き刺さっていた大槍を引き抜く。
そのまま、押し付けていた左の盾を〈守護者〉は緩めた。当然、パラディオンはそのままずり落ちるようにして、岩石に背を預けて座り込む。
今度こそ、止めを刺すつもりか――
そう考えたパラディオンだったが、〈守護者〉の反応は違った。
くるり、とその場で回って、パラディオンに完全に背を向けた。
「何故、だ……」
攻撃しろ、とでも言うつもりなのか。右腕の電磁フィールドシステムはまだ生きている。ならば、
だが――右腕が動かない。
機能的には、右腕は生きている筈なのに、動かない。
――どうして……
いや、理由は分かっている。動かして、襲い掛かった所で、反撃を受けることが自明だからだ。
そうなれば、今度こそ間違いなく、パラディオンは撃墜される。
寒々しい、虚無の世界へ、落とされる。
それが理解できているから、パラディオンは動けなくなってしまっているのだ。
――これでは、これではまるで……
「理解したか」
良く通る、まるで歌うような男性の声を、パラディオンは感知した。
その声は、間違いなく眼の前の機体――〈守護者〉から発せられていた。
「何をだ」
「それが、恐怖だ」
「……!」
恐怖。危機感知と、生存のために、知的生命体が獲得した感情。
機械には有るはずがなく、有るべきでないものだ。
「そんな――」
否定しようとして、〈守護者〉に攻撃しようとして、それでもやはり、右腕が動かなかった。
立ち上がることも出来なかった。
――攻性防禦システムとしての、製造目的を果たせ。
言い聞かせてみても、機体が言うことを聞かない。
――動け、敵を倒せ。お前は兵器だ、兵器のはずだ。
「去れ」
パラディオンに背を向けたまま、〈守護者〉は言う。
「なん、だと……」
「去るなら、追わない」
言うと、〈守護者〉はスラスターユニットを蒸かして、大きく跳躍した。
そのまま、〈守護者〉は去っていった。あの巨大な球体の方向へと。
完全に、危機は去った。
「……」
脱力感と共に、パラディオンは警戒を緩めた。緩めたことによって、気付いた。
自らが、〈守護者〉が言っていたのが正しい状況にあったということに。
首を完全に後ろの岩石に預けて、パラディオンは動きを止めた。
完全に、敗北した。その上で、見逃された。
そうであるにも関わらず、一番最初にパラディオンが覚えたのは、安堵であった。
――僕は、僕は……
様々なものが渦巻き、それでも答えは出ず。パラディオンは一度、全てをシャットダウンした。
:――:
夜になっても、雨はまだ止まなかった。
端末で調べた天気予定では、深夜まで降り続けるとのことだった。
自室のリビングで、依恋は何とはなしに窓から雨模様を眺めていた。
食事と風呂を済ませて、その後何かをしようという気にもならず、寝間着に着替えた後はぼーっとしていたのだ。
何だか、妙な退屈さすら感じる。
別に、前はこんな事は無かったと思うんだけれども。
――今日も、帰ってこなかったな……
そんな事を考えて、溜息を吐く。
絶対に、気にしすぎだ。いや、カルディアのやっていることを思うと、それはまぁ、盛大に気を使って当然とも言えるのだけれども。
そして、その事を唯一知っている依恋がこうなるのも、もしかしたら当然なのかもしれないのだけれども。
――まぁ、四六時中こうなってれば、澄花もニヤニヤするよね……
再度、溜息を吐く。
「寝よっかな……」
明日も、隣の部屋も、隣の席も空いたままだろう。
ずっとそのままで、もしかしたらそれに慣れていくのかもしれない。だとしたら、それはやっぱり、寂しいことだと思う。
でも、依恋には何も出来ない。
だったら、何も考えずにベッドに入ってしまうのが一番の気もする。無駄にもやもやとしたものを考え込むこともないし。
そんな事を考えた時だった。
どさり、と何か、重いものが落ちるような音が、外から聞こえてきた。もしもテレビか何かを点けていたら、聞こえないところだった。
――もしかして。
もしかして、と思う。カルディアが帰ってきたのではないか、と。
いや、違うかもしれない、というか、多分違うだろう。なんで、そんな音を立ててるのか分からないし、帰ってきたなら直接自分の部屋に戻るだろうし。
――あ、でも、カルディアなら、先に、私に戻ったことを伝えに来るかな?
だとしたら、この部屋のチャイムを鳴らしていない以上、カルディアが帰ってきたわけではないというのが正解な気がする。
だったら、あの音はなんなんだろうという話になるわけだけれども。
もしかしたら、やっぱりカルディアかもしれないし。初めて有ったときみたいに、燃料切れで倒れてるのかもしれないし。
一応確認するぐらいなら、良いんじゃないかな。
ほら、寝る前に心配事を残して置きたくないし。
「……よし」
ぐるぐると考えた結果、ちょっとだけ確認しよう――というところに思考が落ち着いたので、依恋は玄関に置いてあるサンダルを突っかけて、玄関を開けることにする。
玄関を開けて、首だけを出して、外の様子を確認する。
――えーっと……あっ!
直ぐに、依恋は音の原因を見つけた。それはやはり、壁に背を預けるようにして通路に倒れ込んでいるカルディアだった。
傘も差さずに帰ってきたみたいで、カルディアは完全に濡れ鼠。髪の毛も制服も雨に濡れて身体に張り付いたみたいになってしまっている。
「あはは……」
自分の予想が変な方向に当たっていたこと、カルディアがちょっと間抜けに倒れていること、そして何よりも、カルディアがちゃんと帰ってきたこと。
それら全部がないまぜになって、依恋は苦笑にも似た笑いを漏らした。
――生きて、帰ってきたんだ。
そんな安心感もあって、依恋はゆっくりとカルディアの元へと歩み寄って、彼の隣でしゃがみ込んだ。
「……お疲れ様、ずぶ濡れみたいだし、さっさとお風呂入ったら」
「依恋」
依恋の声に反応して、カルディアが頭を持ち上げる。その表情を見て――
「えっ……」
依恋は、言葉を失った。
カルディアはいつも真面目くさった無表情をしていた。間違いながらも、自分の核心は揺らがないと、そう考えているような所が、顔から見て取れた。
だが、今のカルディアは、そうじゃなかった。
目にうつろで、全く力がない。こちらを見ているはずなのに、まるで焦点があっていない。元から白い肌は血の気が引いていっそ蒼く見えるほどだ。
その様は、まるで、死人のようですらあった。
依恋は声を震わせる。
「何が、あったの……?」
生きて帰ってきたということは、カルディアは敵を倒して勝ってきた、ということの筈だ。なのにどうして、こんな。
あるいは、過労なのだろうか。数日間戦い詰めだった結果の、エネルギー不足。
にしては、あまりにも……
依恋の問いかけに、カルディアは弱々しく答えを返す。
「負けた」
「負けた、って……」
カルディアの短い言葉に、依恋もまた短く返す。
だから、そんなに憔悴しきったような顔をしているのだろうか。だったとしても、そんなに、なんで。
――負けたって、いいじゃん、そんなの。
「生きて帰ってきたんだから、まずは喜ぼうよ。負けてても、良いよ別に。大事なの、そっちじゃないもん」
――そんな、何もかも失くしちゃった――みたいな顔、しないでよ。
胸の内が、焦がされるのを依恋は感じていた。
だが、そんな依恋の言葉を、カルディアは聞いているのか、居ないのか。まるで、うわ言のようにカルディアは言う。
「僕は、何だ」
「え――」
何だ、と言われても、カルディアは――カルディアは、なんなのだろう。
第一〇六八コロニーを守るスーパーロボットで、変な隣人で、クラスメイトで……なんか、そういうものだろう。
そういう、色んなものの集まりがカルディアという存在なんじゃないだろうか。
そんな、依恋の思考は、カルディアの言葉でもぎ取られてしまう。
「僕は、何のために――」
その先の言葉を告げること無く、カルディアは目を閉じた。
「ちょ、ちょっと待って! 大丈夫なの!? ねぇ、カルディア――!」
依恋の言葉にも、カルディアは何も返答しなかった。
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