勇敢なるオーネス

 街外れの孤児院――そして市民が身を隠す洞穴までの道は一本だけだった。ルーゴの兵士はとうに情報を仕入れており、洞穴に向かう為にはその道を迂回する事も出来たが、ある理由によって「逃げ」とも取られるその策は早々に破棄したのである。


 数々の大小問わず他国を攻め落とし、今や領土を建国当時の四倍近くまで広げた、武勇の国ルーゴ。


 ルーゴの自慢は恐れを知らず、立ちはだかる敵を正面から粉砕して行く「兵士」であった。


 その自慢の兵士がたった一人の敵に対して背を向け、迂回しようとするなど言語道断――果たして彼らは、道を塞ぐ「魔女」との決戦に臨んだのである。


「聞こう、貴様は何者であるか! 何が為に我らの前に身を捨てるのか!」


 眼光の鋭い巨躯の男が一団の中から現れた。


 その立ち振る舞いには自信が満ち溢れ、眼前の華奢な「脅威」に正面から向き合う姿を、集団の後ろに立っていた兵士が「さすが隊長だ」と賞賛した。


「私はアレア、サフォニアのアレア。最早隠す事は無く……。無慈悲に『我が子』を殺めて回る、貴方達を討伐する為に私はここにいる」


 一同はどよめきを隠せず、互いに「噂は本当だ」とアレアを眺めた。


 不思議な服を纏っている以外は、何処にでもいるか弱い乙女にしか見えぬ――兵士達は首を捻ったが、兵長は「馬鹿者」と怒鳴った。


「見た目で欺されるな、最早貴様らは魔女の術に掛かったも同然! いつものように、気を引き締め命を刃に込めるのだ、さもなくば貴様らは殺されるだけだ!」


 アレアは隊長をジッと見つめた。この男、部下の統率に長けている――今までの敵よりも面倒だろう……。


「否、否でありましょう隊長!」


 兵士達を割って歩いて来たのは、精悍な相貌の男だった。彼はアレアを眇めながら、隊長に食い下がった。


「確かに敵は魔女かもしれません、ですが、我々は決して負けません! 個々人が当千の膂力を持った強者達、お疑いならば――!」


 何と自信に溢れた男――アレアは呆れを通り越して尊敬の念すら抱いた。しかし男は発した言葉に微塵の迷いも狂いも無いと言わんばかりに、ただ隊長の目を見つめていた。


「良かろう、しかし手助けはせん。あくまで我々は敵を倒す、それだけの為に来たのだ。徒に兵力を疲弊する事はせんぞ」


「そのお言葉、私はあえて『信頼』と受け取りました――」


 アレアは当初の予想と全く異なる展開を迎えてしまった。四方から襲い来る敵を迎え撃つつもりが、今ではたった一人の敵と一騎打ちとなったのだ。


「素晴らしい勇猛さ、ルーゴの男だけありますね……しかし、こちらも容赦はしませんよ」


 低い声で脅したつもりだったが、男は逆に笑みを浮かべた。


「魔女から賞賛されるとは……に一層励めるというものだ」


 私を打ち倒せる、本当にこの男はそう信じているのだ――。アレアは途方も無い自身への信頼に、ある種の恐怖すら覚えた。


「我は偉大なるルーゴが兵、である! 体術、剣術、魔術を問わぬ、全霊を以て我と闘え!」


「言われるまでも――」


 アレアの双眼が赤く輝いた。しかしその変化に狼狽するのは、戦士オーネスと隊長を除いた者だけであった。




 侵攻を続ける敵兵を見付けてはファリナを刀に変えて斬り倒し、危機が迫った時には刀が一人でにファリナの姿へと変わり、結界を張ってライキを護る……幾度も幾度も魔術的「攻防」が行われた。ライキが彼女の様子に気付いたのは、噴水広場の敵を制圧した後だった。


「ファリナ、どうしました」


 街を焼く火に照らされてもなお、ファリナの顔は青ざめたものだった。美しい両眼の下には薄黒い隈が現れ、明らかな彼女の疲弊を示唆していた。


「いえ、大丈夫です……それよりも他の市民を――」


 咄嗟にライキはファリナを抱き留めた。ユラリと彼女の足が崩れ、そのまま地面に倒れ掛けたのである。


「……えへへ、どうしたんでしょうかね、さぁ行きましょう――」


「一度、何処かで姿を隠しましょう。いや、そうした方が良い」


 度重なる魔力の行使により、ファリナの身体には相当の負荷が掛かっている――しかし彼女は決して弱音を吐かず、魔力を消費し続けた……。ライキは目が眩むようだった。


「……でも」


 ファリナの言葉に耳を貸さず、ライキは細い身体を背負って物陰に隠れた。背中にファリナの存在を感じている間、彼は必死に落涙しまいと堪えた。




 身体が妙に軽く、小刻みに震えている。彼女にボンヤリとした「終わり」が近付いているようだ――。




 ボン、ボンと何処かで爆ぜる音が響いた。


 今もなおルーゴの侵攻は続いている、それはそのまま市民の命が一つ、また一つと消えていく合図と同義であった。


 あまりにも現実味を帯びて纏い付く「危機」に、ライキは耳を塞いでうずくまりたくなった。


 グラネラを護れたとしても、サフォニアの各地を同時に攻められれば……如何に魔女が味方をしているとしても……。


「……ライキ?」


 ファリナはライキの頬に手を添えた。温もりが感じられない、虚弱な接触だった。


「どうしたの……」


 ライキは黙して応答しなかった。頬に触れる冷たい手を、二度と温める事が出来ないのでは――そう考える内に、彼の目は段々と濁っていくようだった。


 最初から分かっていた、俺とファリナ、アレアの三人で大国に立ち向かおうとなど、夢物語もいいところだ――。


 逞しく育ったはずの心が、ミシミシと音を立てて折れてしまい掛けたその時、額に汗を垂らすファリナは両手を広げて言った。


「……おいで、ライキ」


 高い絶望の壁の前に膝を折ってしまいそうなライキを、ファリナは一つも責める事無くその胸に抱き留めようとしていた。


 幼くして両親を亡くし、他者に甘える事を知らずに育ったライキにとって、ファリナの開かれた腕は想像の出来ない温もりへの「門」だった。


「疚しい事では無いです……私に、甘えてみてください……上手く出来ないかもしれませんが……ね? だから――」


 彼女は微笑んだ。近くの建物がいよいよ崩落し、ファリナの存在を秘匿するように粉塵を風によって舞わせた。


「おいで、ライキ――」


 男の身体がゆっくりと動き、そのまま小さくなりながら――魔女の胸へと顔を寄せた。青年らしい、広くてしなやかな背中に、魔女は震えを押さえつつも腕を回した。


「しばらく……何にも考えないで……目を閉じて。それまで……」


 広場に横たわる同胞達を見付け、ルーゴ兵は口々に「奴らを捜せ」と怒鳴った。声を聞いたライキはすぐに身体を起こそうとしたが――果たして背中に回っている腕がそれを抑止した。


「私が護ってあげる」


 ファリナが座る下から、ジンワリと光輪が滲み出た。今しばらく休息を取る「救国主」を守護する為――全ての侵入が叶わぬ結界である。


「温かい?」


 顔を埋めるライキは微かに首肯する、その様子をファリナは実に嬉しそうに眺めていた。彼女の目の隈が、また少し色濃くなった。

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