Brave

永訣の道

 中心街へと走って行く最中に、ライキは幾度も爆発音や悲鳴を耳にした。アトネの町ならばグラネラよりも小規模の為、もしくは悲鳴の上がっている場所へ向かえばルーゴの兵から人々を救い出す事も可能であった。


 しかし――グラネラは広かった。ライキはファリナの刀から得られる身体能力向上の恩恵に頼れども、到底救出が叶わぬ距離が市民とライキの間にあった。


 刻一刻と消えていく市民の命、それを伝える断末魔はライキの胸中を乱雑に掻き混ぜる。


「助けて、助けて!」


 ライキが大通りに入ると、そこでは両手を挙げて降伏をする市民達を、見慣れた甲冑の兵士が槍を向けて威嚇していた。


「歩け! こいつらは王宮に連れて行け、纏めてにする!」


 もぬけの殻と化した王宮は、今やルーゴ国の捕虜収容所にまで成り下がっているらしい――ライキの目は怒りを通り越し、哀しみの色が差していた。


 何故サフォニアをここまで蹂躙するのか? どうしてサフォニアが侵略を受けなくてはならないのか!


 無意識に彼は兵士達へ叫んだ。


「貴様ら! その人達を解放しろ!」


 兵士の一人はライキの接近に気付き、そして手に握られている刀を見て「敵襲!」と周りに報せた。残りの兵士達はすぐに槍をライキに向けたが、捕虜が逃げぬよう見張り役の兵が三人、なおも市民に槍を向けたままだった。


「若造一人だ、すぐに処理せよ!」


 一際豪奢な甲冑の男が命じると、「おう」と野太い声で兵士達は呼応した。敵は見張り役も含めて全部で一〇人、決して油断はせず、しかし確実に仕留めるのみ――ライキは更に間合いを詰めて行く。


「蛮勇だ、若造!」


 槍の穂先がライキの足下に迫る。


 太股に向かって来る穂先に触れそうになる瞬間、ライキは地面を蹴って飛び上がると同時に一閃、槍の柄を両断する。


 兵士は即座に腰に提げていた剣を抜こうとしたが――その目論見は脆くも崩れたのである。ライキは空中で刀を振りかぶり、そのまま兵士の頭から一気に振り下ろした。


 ズッ、と不気味な音が立ってから間もなく、兵士は倒れ込んで絶命した。


「何と!」


 ライキの持つ尋常ならざる戦力を悟った兵士達は腰を落とし、その内の四人が槍をライキに向けて走り出した。


 殺到する槍がライキを串刺しにしようとした矢先、彼は素早く屈んで傍の二人の足を薙ぐ。落ちた槍を拾い上げると、ライキは離れた位置に立っている豪奢な甲冑の兵士に目掛けて投げ付けた。


「た、隊長!」


 彼らの呼び掛けは無意味だった。隊長と呼ばれた男の喉には深々と槍が突き刺さり、二度、三度咳き込むと、ドウと音を立てて仰向けに倒れたのである。狼狽する兵士達が最期に見たのは、ヒラヒラと舞うように迫る刀の粘るような輝きであった。


 向かって行けば返り討ちにされ、逃げようとすれば投擲された槍によって突き刺される。どうしようも無い戦力差に震え上がった兵士達は次々に命を落とし、果たして残り一人となった。


「く、来るな……そう、そうだ! こいつを殺してやるぞ!」


 兵士は恐怖に顔を歪めつつも、すぐ傍で頭を抱えていた子供の首を掴むと、剣を抜いて細い首筋に向けた。


「うわぁぁあ! お父さん、お母さん!」


 普通ならば――人質を取れば大抵の敵は怖じ気付いて攻撃を取り止める、兵士は度重なる侵略で得た「常識」を盾にしたのである。


 しかしながら相手はかつて魔女の親子を殺めた男ライキ、彼にとって子供を盾にするという行為は「激昂」への引き金に過ぎなかった。


 が吹いた。熱風ではなく、冷たい心地良い風だった。


「……そうか、どうしてもお前は、彼女を怒らせたいんだな。よし、そのままやってみるがいいさ」


 市民達は叫んだ。人質を気にせず兵士に接近するライキの異常さ、そして放たれる殺気に彼らは恐慌したのである。


「お、お前は! 子供が死んでも構わないのか!」


「やってみろと言っているんだ、抗えるんだったらな」


「……訳の分からない事を言って俺を止めようってか、後悔するんじゃねぇぞ若造が!」


 刃先が子供へ向かって行く、とうとう子供は叫び声すら上げずに気絶していた。市民達は一様に顔を伏せて眼前の処刑に目を背けていたが――一向に首を斬り裂く音も血の滴る音も聞こえない。やがて恐る恐る一人の男が顔を上げると、兵士の手首を握り締める少女が立っていた。


 目は街を燃やす炎よりも赤く輝き、表情はまるで猛獣の如き憤怒の相貌、そして纏う服は不可思議な紋様に沿って発光している。一人の男が呻くように言った。


「……ま、魔女だ。魔女が来てくれたんだ」


 サフォニアに伝わる魔女伝説には、魔女の姿を描写する場面は一切無かった。しかし男は少女を「魔女」と表現した。


 突然に現れた謎の少女から、噴水の如く放たれる侵略者への明らかな怒気、眩しい程の眼光と神秘的な服装……これらの要素を受け止めるに相応しい存在は、サフォニアの国には「魔女」しかいない。


「あ、ああぁあ……」


 ガタガタと震える兵士は、ゆっくりと少女の顔を見やる。途端に「ヒィ」と女のような叫び声を上げて逃げようとするも、果たしてその場で足を滑らせるだけだった。驚異的握力によって握られた彼の手首は、そのまま決して破れぬ手枷と成った。


「何者だ、お前は何者なんだぁ!」


 剣が地面に突き刺さった。既に兵士は何かを握る力の介入すらが認められない、ただ奇形の果実のように形作るだけであった。


「……私、それだけ――」


 ルーゴの国民はサフォニアに伝わる魔女伝説を、下らないお伽話と誹るのが常であった。お伽の国から来た女、この言葉が如何なる驚愕と恐怖を兵士に与えたのかは想像に難くない。


「嘘だ、嘘だそんなのは! 伝説に過ぎない、ただのお伽話でしか――」


 兵士はピタリと口を閉じ、脱力して項垂れた。少女が手を離すと兵士はドタリと倒れ、そして二度と動かなかった。


「ライキさん、無茶はしないで」


 少女は気絶する子供を抱いて額を撫でて言った。


「分かっていました、さんが来ている事が。あの方法が一番安全だと考えただけです」


 アレアは子供の親を呼んだが、老婆が「もう死んじまったんだ、その子の親は」と涙ながらに言った。


「こやつらにね……殺されたんだ、父親も母親も……。この子は何も悪い事をしていないのにね……可哀想に……」


 老婆の話を聴き終えた瞬間に、アレアの表情が歪み――落涙した。


 怒り、哀しみ、慈愛、殺意……複雑な感情の坩堝と化した彼女の顔を、市民達は心配そうに見つめている。


 魔女が泣いている。


 名も知れぬ一人の子供の為に泣いている――。


 声に出さずとも、彼らは伝説に生きる魔女が「国の母」である事を理解しているようだった。


「逃げる場所はありますか、何処か心当たりでも……」


 涙を拭ってアレアは市民達に問い掛けた。しかし皆は俯き、一人が「無いよ、何処にも」と力無く答えた。生まれ育った街で流浪の身分に落ちるなどとは夢にも思わなかったであろう市民の顔は、暗い絶望に満ちていた。


「孤児院、分かりますか、街の外れの」


「あ、あぁ……」


 アレアを魔女と見抜いた男が答える。他の者もうんうんと肯定した。


「そこまで何とか、逃げる事が出来ますか」


「何とかな……道は孤児院まで一本だ、敵も孤児院の場所なんて知らないだろうし……」


「孤児院の後ろに森があるんですが、その奥に洞穴があります。そこには孤児院の者もいますから、そこまで避難してください、きっとここよりは安全だと思いますから……」


 彼らはパッと明るい表情を見せ――しかしすぐに「迷うかもしれない」と顔を曇らせた。


 敵に街を攻め込まれ、至る場所で人が死ぬ光景を目の当たりにした彼らにとって、洞窟まで避難する事がひどく難しい行為に思えるらしかった。


「魔女さん、正直俺らにそれが出来るか……不安で仕方ないんだ。この通り年寄りもいれば小さい子供もいる、またいつ敵が来るかも分からない……怖くて怖くて……」


 ライキは困り顔のアレアの肩に手を置いて言った。


「皆さんを洞穴まで連れて行ってください、そこで貴女が護っている方が皆さんも安心するでしょう」


「で、でも……! だけでは一体何人いるか分からない敵を倒す事など……あまりに危険過ぎます!」


 市民はライキの他に誰かいるのか、と辺りを見渡し、それから不可解なアレアの言葉に首を傾げている。


「大丈夫です、逃げている人達を見付け次第、安全を確保してから洞穴に向かうよう指示をします」


 それは解せないと言わんばかりに、アレアは顔をしかめてライキを睨め付けたが、果たして彼の表情から「決意」を読み取ったのか、アレアはゆっくりと頷いた。


「皆さんを洞穴まで案内した後は、途中まで戻って他の市民を迎えに行きます、ですが……ライキさん、必ず無茶は止めてください。危ないと思ったら……洞穴まで戻ってくださいね」


「分かりました……アレアさんも気を付けてください。――では」




 ライキはアレア達を残し、燃え盛る街を駆け出した。


 初めて訪れる街の造りを、通りの数を、裏道の有無を彼は知らない。ただ――聞こえる悲鳴を頼りに、主人の危機を察して走る忠犬の如く駆けるだけであった。


 ライキは思う。


 もうアレア達と合流する事は叶わぬ、と。


 敵に背を見せて洞穴まで逃亡などすれば……後に訪れる悲劇は目に見えるようだった。


 敵を討たんと飛び出した者が、今度は災禍を抱えて舞い戻って来るなど、考えただけでも恐ろしい!


「ファリナ、もう戻れません、構いませんか」


 一振りの刀に問い掛けるライキ。


 美しき魔刀は彼の運命を掻き乱し、魔女を、多くの敵を殺めて来た。幾度か、ライキは刀を――そしてファリナを恨みもしたが、今では微塵の恨みも感じてはいない。


 俺もある意味で、魔力に酔ったのかもしれない――ライキはトラデオの村を思い走った。


 息を切らしながらも疾走する彼の耳元で、柔らかい声色で「彼女」が囁く。いつの日か、廃れた宿屋の一室で共にオガリスを楽しんだ、あの時の声色だった。


 二人なら、何処までも。


 遠くにルーゴの兵が見える、数人の女性を追っているらしかった。ライキは刀の柄を撫でると、速度を緩める事無く走って行った。

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