三〇〇年分の怨嗟

「た、助けてくれ、助けて――」


 野太い男の声だった。兵士達はその方を見やって一様に悲鳴を上げた。声の主は身体中に針のようなものが突き刺さっており、歩く度に蠢くそれらは異様な毛虫のそれに似ている。やがて男は「あ、あぁ」と力の抜けた声を上げて斃れた。


「あはははは! 何ともだらしがないのはルーゴのお家芸かな!」


 この声は……。ライキは間を置かずにある名前を呼んだ。アトネの町に暮らし、波動を操る謎の魔女――。


! レガルディアなんでしょう!」


「おやおや、その声はいつぞやの」


 ギギギッ、と鉄と鉄を強く擦り合うような音が辺りに響くと、ライキと兵士達の間の空間が渦を巻くように変異し――渦の中心から笑顔の少女が現れた。


「今日は店じまいなんだよお兄さん、この調子だからさ――」


 馬鹿にしやがって、とレガルディアを罵る兵士達はしかし、その場から動けず徒に剣を向けるだけであった。あまりに異様な登場の仕方、そして衝撃的な仲間の死を見届けた今、果たして彼らの足はレガルディアへの接近を拒んでいたのだ。


「お婆さんは大丈夫なんですか――」


「お、嬉しいね、お婆ちゃんは元気だよ。に負ける程、私達は……もう弱くない」


 果たしてレガルディアの言葉はルーゴの男達を激昂させた。一人の兵士は「小娘が」と怒鳴りながら、剣を彼女の脳天へ向けて振り下ろそうとした瞬間――ゴホッと一度咳き込んでから前のめりに倒れた。口からは夥しい程の血が溢れている。


「小娘なんて言われる筋合いは全く無いよ、むしろ君達からすれば曾お婆さんでも足りないぐらいだ」


 荒唐無稽な軽口に過ぎない――しかしこの一言を発する事が出来る兵士は一人として現れない。やがて後方にいた兵士の一人が、「もしかして」と震えた声でレガルディアを指した。


「お前……か?」


 サフォニアの魔女伝説は隣国のルーゴにまで伝わる程有名な「お伽噺」であり、ルーゴ人は「素敵な魔女の国」と皮肉を込めて渾名を付けた。


 他の兵士達は目を丸くして互いに「まさか?」とレガルディアを見つめる。対する魔女は「半分正解で半分間違いだね」と答えつつ、ゆっくりと兵士達へ両腕を広げた。まるで走って来る子供を受け止める母の如く、何処か慈愛に満ちた動作にもライキは思えた。


「確かに私は魔女、それも一級のね。しかし生まれはサフォニアじゃあないんだ。……昔々、ずっと昔に私の国は滅ぼされた。何処だと思う? 貴方達の胸をご覧よ」


 それぞれに兵士達は胸を見やる。そこにはルーゴの国旗が描かれていた為に、彼らの身体はカタカタと震え出した。


「貴女も……昔にルーゴによって――」


 そうさ、とレガルディアはアレアに微笑んだ。


「昔っからルーゴにはお世話になっているんだ、私は受けた恩を忘れない性格でね、いつかお返しをしなくちゃならない……と悩んでいたんだよ」


 一人の男が絶叫した。レガルディアを魔女と推測した男だった。彼の身体には夥しい数の黒い縄のようなものが蠢き、グルグルと甲冑を駆け巡っている。やがてライキはその縄が何たるかを特定した。


「あれは……虫か?」


 ヒィ、ヒィと女のような声を上げて兵士は身体を何度も払うが、次第に虫達は彼の顔を覆い――果たして彼はピクピクと痙攣をしながらその場に倒れ込んだ。


 悍ましき魔術であった。


 対象者の身体から化け物に似た虫を発現させ、そのまま襲わせて命を奪う術をレガルディアは会得していた!


 アレアは「魔力じゃない?」と驚嘆しながらも兵士の悲惨な最期を見届けていた。


「ご名答。これは魔力なんてものじゃない、相手の持っている波動を操り術を起こす……言うなれば自滅を誘う『呪術』のようなものさ」


 果たして兵士達は一目散にその場から逃げ出そうと走り出したが、すぐに皆がピタリと立ち止まり、身体から溢れてくる虫と格闘を始めた。


「あはは、痛い? 痛いだろうね、でもさ、私の村の人達だって、国の人達だってこの何倍も酷い事をされたんだ……だから、絶対に貴方達を逃がす訳無い」


「……もう充分でしょう、これ以上はやり過ぎだよ」


 高笑いするレガルディアに縋り、アレアは術の行使を中止するよう求めた。しかしながらレガルディアは「何を今更」と彼女を振り払った。その目に「怨嗟」が滲んでいるようだった。


「これが防衛、これが闘争。あちらさんも反撃があると理解した上での蛮行なんだ、それを赦してやれって? やり過ぎだって? 甘い、甘いにも程がある。お姉さん、このサフォニアを護ろうってんなら、


 レガルディアは両腕を天に向けると、「迎えに行きな」と叫んだ。寸刻を置かずに彼女の足下からは無数の虫が現れ、噴水のようにアトネの町の四方へ飛んで行った。


 一分も経たずにあらゆる場所から男達の叫び声が木霊し、アレアは耳を塞いでその場に立ち尽くしている。


「私は……今度こそ、何と言われようと皆を護る、たとえ悪魔と呼ばれても大いに結構。慈悲無き侵略には冷血の報復を、悪鬼の進撃には憤怒の魔女が防壁を。これが私の準縄さ。思い知れルーゴの兵よ、……三〇〇年越しのお返しだ――」




 アトネの町から叫び声が聞こえなくなった頃、狼狽した様子の町民がライキ達の元へ歩み寄って来た。


「ざ、雑貨屋のお嬢ちゃんじゃねえか……大丈夫だったか? 今、敵が虫に――」


「うん、大丈夫。怖がる事は何も無いよ、虫はこの町を護っているんだからね」


 町民達は顔を見合わせ、安堵と困惑の入り交じった表情で斃れている兵士を足で突いた。揺れる甲冑の音は生気が無く、無機的な響きだけが町民達の耳に届いた。


「助かったのか、俺達は助かったのか?」


 次第に町民の一人が血に濡れたライキの刀を認め、「あんたがやったのか」と指差した。


「いえ、俺は殆ど力になれず……」


「いやいや、そんな事は無い! あんた達はこの町を救ってくれた、逃げるだけの俺達を助けてくれた! ありがとう、本当にありがとう!」


 三人は町民達に囲まれ、溺れる程の感謝の言葉を浴びた。中には泣きながらひれ伏す老人の姿もあった。その老人は震える声で「伝説の通りだ」と言った。


「伝説じゃ、伝説の魔女が助けてくれたんじゃ! サフォニアは魔女の国、この国は決して滅びはせん、この老人にも痛いぐらいに分かるぞ!」


 果たして大きな男が勝ち鬨を上げた。「この町は魔女に護られている!」他の者達も諸手を挙げて万歳をした。町民の声は隣国までも届くぐらいに、大きくいつまでも響いていた。


 しばらく希望の渦の中にいた三人はその場から離れ、町の外れまでやって来ていた。


「さぁ、次があるんだろう? お兄さん、そしてサフォニアの魔女さん?」


 ライキは顔をしかめて刀を握り直す。この町以外にもルーゴの手が伸びている、その魔手を払い除けなくてはならない――。


「アレア、行きましょう、次の戦場へ」


 しかしアレアは納得がいかぬと言わんばかりの顔付きだ。そして隣で微笑むレガルディアに「聞いてもいい?」と振り返った。


「何かな?」


「貴女にとって、魔女とは何か……教えて」


 うーん、と腕組みをしてからレガルディアは「そんなに難しい事じゃあない」と笑った。


「簡単だよ。人間だけじゃどうしようも無い時、『仕方ないな』と渋々腰を上げて闘う存在……そんなもので良いかな」


「じゃあ、あの術は? ハッキリ言って呪いにも似た術を、貴女は正しいと言える?」


「言えるね。全く以て正しい事を私はしたつもりだよ」


 レガルディアは続けた。


「魔女だって生きている、考えたり泣いたりもする。神様は平等で正当主義かもしれないけど、魔女にはそんなの関係無いよ。自分勝手で構わない、誰かを護りたいから護る、どんな手を使ってでも後ろ指を指されても、全てを懸けて護ってみせる……それは同時に――」


 波動の魔女はライキの刀を一瞥し、それからアレアを見やった。


「『母』っていう生き物の習性なんじゃないかな」


 それじゃあ、とレガルディアは手を振ると、彼女の身体の周囲が風の吹く水面のように揺れ動き、やがて彼女の姿は消失した。呆然としていた二人であったが、遠くから「おーい」と男の呼ぶ声によって我に返ったのである。声の主はライキ達をアトネまで運んだ男だった。


「やっぱり生きてたか! 良かった良かった……本当に良かった」


 さあ、もう逃げようぜ――と男は引いてきた人力車の荷台を指したが、ライキはかぶりを振って申し出を断った。


「ど、どうしてお前らは言う事を毎回――」


「ごめんなさい、私達、助けなくちゃならない人達が一杯いるの」


 アレアは「本当にごめんなさい」と彼に頭を下げ、それから岩のような手を取って自らの額に触れさせた。


「何をしているんだ――」


「私達を待っていてくれたんだよね? ありがとう、ありがとうね」


 背伸びをして男の頬を撫でるアレア。小麦色の男の顔が赤く染まっていく。


「お願いがあるの、聞いてくれる?」


「……出来る事ならな」


「アトネの町は大丈夫、今はとっても安全な場所なの。だから……もし、町の近くに住んでいて、何かの事情で動けない人達がいたら……貴方がアトネまで連れて行って欲しいの。出来るだけでいい、お願い……」


 男はしばらく黙り込み、舌打ちをしてから「やれって言うんだろ」と顔を背けた。


「分かった分かった、分かったよ! お前らはどうしたって何処かに行っちまうんだろう、魔女だか何だか知らねぇが、金輪際俺とお前らは他人同士だ! 畜生、冷たい奴らだもんなお前らは!」


 荷台を蹴り飛ばし、男は凄まじい勢いでそれを引いて何処かへと走り去って行った。逞しい岩肌のような背中は、しかし人恋しそうな寂しいものであった。


「ライキさん、今の人、とっても優しいね」


 アレアは段々と小さくなる男を見つめ、嬉しそうに微笑んでいる。


「はい、あのような男はそうそう出会えませんよ」


 太陽が頂点に達した。強い陽光は一人の男と一人の魔女――そして妖艶な白刀を包んでいる。三人は再び移動を始める。彼らの行く先にはサフォニア随一の都市、グラネラがあった。

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