覇気の正体

 それから二人は姉弟を追って駆けていた。全力ではなく、常に余剰分の体力を残した走り方は、迫る「不穏」に如何なる時でも対応出来るよう警戒しているからだった。


「ライキ、理解していると思いますが――」


 息を弾ませるファリナは、ライキを案じるような声色で言った。


「はい……頭では理解しているつもりです」


「……でしたら、大丈夫ですね」


 二人は黙して子供達を追い続ける。その最中に、ライキはある事を不安に思っていた。




 果たして、俺はあの姉弟をも斬り捨てる事が出来るのだろうか――。




 ニールマンゼを殺害した後に、慈悲で子供達を見逃す事も考えたライキであったが、すぐにその甘い案が身を滅ぼす毒針となるのは容易く予想出来た。親を殺されれば、必ず復讐を企てるはずだ、実の親を殺されていない俺ですらがそうなのだから……。


 痛い。助けて。逃げ惑う子供達の小さな喉から絞り出される声が、自分の精神を破壊しに掛からない訳が無い。それでも俺はやらなくてはならないのだ、物事を見る視点を、転換するのだ――。


「ライキ……大丈夫ですか」


 はい、と答えたライキの顔は晴天のように青かった。青々とした肌に浮かぶギラギラとした目は、陽光を落とす加減を知らない太陽に似ている。ライキは自らの「呵責」から脱却しようと藻掻いていた。


 やがてライキ達は遠くから扉を強く閉める音を聞いた。ガチャリと重たげな施錠の音がそれに続いた。


 廃村ユーメイトに隠遁する魔女の家が――果たして二人を静かに出迎えた。粗末な造りではあるものの所々が手入れをされており、明らかなを醸していた。庭と思しき広場には収穫を間近に控えているであろう野菜が、そして横に石碑のようなものが建っている。


「ここにニールマンゼはいる……弱ってはいるけど、刺々しい匂い。ライキ、どのように行きましょうか」


 ライキは家の周囲をなるべく音を立てずに歩き回った。窓の無い家は異様ではあったが、こちらの姿を捉えられない分有利に立ち回れると彼は踏んでいた。裏手に勝手口らしき扉と槌を見付けた時、ライキは一つの作戦を思い付いた。


「ファリナ、この家に小さな結界を張る事が出来ますか?」


 ファリナは眉をひそめて悩み、しばらくしてから「やってみます」と頷いた。


「結界を張った後、俺はわざと大きな音を立てて槌で玄関を破ります。その間にニールマンゼは勝手口から子供を逃がそうとするでしょう、そこに意識が集中している時が突入の好機かと」


「気を付けてくださいね……それと、刀が結界に振れれば破れてしまいますので、注意してください」


 ライキは槌を手に取り、玄関の前に立つと無言でファリナに合図を送った。意を得たりとばかりにファリナは両手を家にかざし、ゆっくりと目を閉じた。次第に家を囲むように柔らかな光輪が現れ、果たして準備は整った。


 やるぞ、俺はやるぞ――。


 生唾を飲み込み、ライキはを開始した。


「出て来い、そこにいるのは分かっているぞ!」


 ライキの怒鳴り声に肩を震わせたファリナは、淀んだ泥濘の如き目で彼を見守っていた。しかし中から反応は無い。


「出て来ないと玄関を破ってやる、さぁ行くぞ!」


 渾身の力で扉に向かって槌を振ると、古木がへし折れる音が響いた。もう一度程叩けば、完全に扉は粉砕出来そうだった。


「……ひっ」


 押し殺すような悲鳴が家内から聞こえる。弟の声らしかった。ライキは頭の底が熱くなる感覚を覚えた。


「まだ出て来ないのか! いい加減覚悟を決めろ、玄関からは出られないぞ!」


 玄関は使えない、だから勝手口を使え――ライキは親子に念じた。扉をよく観察し、次の一撃で完璧に粉砕出来る場所を定めてから更に怒鳴った。


「よし、お前達の魂胆は分かったぞ。家の中で死にたいんだな、そのまま待っていろ!」


 全神経を家内から発される音に集中する。果たして微かな足音が聞こえ、それは勝手口の方へと向かっているようだった。


 それで良いんだ魔女よ――。


 息を吸い込み、手に力を込めて槌を振るう。彼の思惑通り扉は吹き飛ばされ、屋内を見渡す事が可能となった。すぐにライキとファリナは玄関から侵入すると、そこには勝手口から逃げ出そうとする、あの姉弟の姿だけがあった。


「子供だけか……?」


 勝手口の扉が開き、姉弟は外へ走り出す。その瞬間、雷鳴のような音と閃光が姉弟を襲った。


「ぎゃっ」小動物に似た声を発した弟が結界によって弾き飛ばされ、強く頭を打ちその場で昏倒した。


「一体何処に――」


 その刹那、ライキは途方も無い程の殺意をすぐ傍から感じた。即座に振り向くと、憤怒の相貌で刃物を振りかぶる女の姿があった。ファリナとよく似た紋様の服を纏うその女こそ、ライキの標的であるニールマンゼ本人であった。


「ああぁあああぁっ!」


 獣のような声を上げ、ニールマンゼはライキの喉元に刃物を振り下ろす。咄嗟に彼女の手首を掴み、襲い来る凶刃を食い止めたライキであったが、ジワジワと迫る刃先から魔力ではない別の力――何かを護ろうとする覇気――を感じた。


 ライキは身体を横に素早くずらし、ニールマンゼの力を床に受け流す。魔女が身体をくの字に曲げて体勢を崩した瞬間、ライキは彼女の横腹を思い切りに蹴り飛ばした。ニールマンゼが壁に打ち付けられ、振動で棚から瓶が何個か転げ落ちる。ライキは駆け寄ったファリナの手を取り念じた。


 刀になれ――。


 ごく短い、しかし単純かつ明確な殺意を帯びた詠唱は、ファリナの肢体を光に包み、美しき純白の刀へと変貌した。ライキは子供達の方を一瞥する、まだ姉が弟の身体を揺すって泣いていた。


「……ファリナ……! まさか……人間を使って……うっ」


 咳き込みながら壁伝いに立ち上がるニールマンゼからは、ザラドのような「魔力による圧力」を感じられなかった。楽な闘いになりそうだ――とライキは思い、同時に違和感を覚えた。




 明らかにザラドよりは容易い相手だ。しかし、魔力とは違う別の何かが彼女の身体が纏っているように思える――。




「どうして……私を……子供達を……!」


 再びニールマンゼは刃物を構え(両手で握り、前方に突き出す発作的な構えだった)、激烈な殺意を帯びた目でライキを睨め付けた。そしてライキは――理由は分からずとも、震えと怯えを感じた。出所がハッキリしない感情が、ライキの喉元をそっと絞めていくようだった。


「お母さん、お母さん! ハルタが動かない、ハルタが動かないよ!」


 ニールマンゼは娘の泣き叫ぶ声を聞いた瞬間――両目から涙を流し、しばらくの沈黙の後、ライキに呪詛の言葉をぶつけた。




「殺してやる」




 怨恨が溶けた水を被ったような感覚が、ライキの全身を駆け巡った……。

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