砂と業

 かつて少年が遊んだ広場に斃れている、数少ない子供の死体に足を取られた時、彼は受け入れ難い現実の気配に顔を歪ませた。今にも自らの目を潰してしまいたい程の光景を眺めている内に、彼はある事に気付いた。


 ザラドと呼ばれる魔女に襲われたらしい村人達は、皆が目立った外傷も無く息絶えている。若い男も、女も、子供も老人も眠るように逝ってしまったのだ。


「本当は眠っていて、俺を騙そうとしているんじゃないか」


 ライキは自らに言い聞かせた。言葉によって現実からの逃避を試みた少年に、追い打ちを掛けるように否定した者がいた。


「いいえ、村の人達は亡くなっています。五体に巡る力、生命力――もしくは魔力を――全て奪われている。もう起き上がる事はありません。それに亡骸は一日経つと砂のように風化してしまい、痕跡を一切残さない……魔女の業です」


 声のする方に、果たして少年は振り向かなかった。そこに立つ者の正体が分かり切っているからだった。


、この村に」


 お前のせいだ、と言わんばかりの声調だった。


「仲間として連れて来たんじゃなくとも、あんたを追って来たのだとしたら結果は一緒だ。おかげで俺は見たくもないものを色々と見てしまった、責任を取れと言いたいくらいだよ」


 自身の言葉がデタラメな論理から成っているのを、ライキはよく分かっていた。しかしながら理由無く彼女を糾弾する事しか、自分の千々に乱れた心を整える手法を彼は知らなかった。


「俺だってこんなのは初めてだよ。何度も何度も心を落ち着かせようとしている、けれど……むしろ逆効果だ。しかも墓を作ってやって弔いすら出来ない、風に吹かれて消え去る砂を眺める事しか出来ないんだろう。なぁ、教えてくれ、俺は一体どうしたらいい? 誰もいない、人っ子一人いない村で、この先どうしたらいいんだ?」


「……けれども、貴方はまだ生きている」


 彼が振り返ると、追って来た者――ファリナは俯きがちに立っていた。そのなだらかな肩を掴み、「だからどうだってんだ!」と乱暴を働くように強く揺すった。揺れる髪が月明かりに照らされて鈍く光る。ファリナは囁くように言った。


「……このまま、私を殺しても構いません。これ以上事態が好転しないのでしたら、もう生きていても意味が無いのです」


 顔を上げた魔女の目に、憂いと悲愴的な決意を秘めたらしい、小さな輝きをライキは認めた。


「本当に……そう思っているのか」


「はい。私は数えるのに飽きるくらい、このサフォニアで暮らしてきました。忌むべき夜を打破し、新しい世界を夢見たけれど……もう、トラデオの意志が無くなれば……」


 ファリナは近くに落ちていた鎌を拾い上げ(ザラドと闘おうとした者が落としたらしかった)、ライキに仰々しい手付きで渡すと、そのまま座って頭を垂れた。


「私は貴方の選択が正しいと信じています。もちろん、私を殺すという事も……」


 差し出された首を黙して見つめていたライキは、段々と手が震えてきたのに気付いた。出会って一日も経たない人間に命を差し出すなど、全く以て正気ではない。やはり魔の類い、魔女であるからこそ何処か気が触れているのか……。少年の思考は定まり掛けたところで攪拌され、新たな推察が乱入してしまうのを繰り返した。


 ライキの脳内は混迷を極めた。


「あんた、絶対におかしいよ。大した知りもしない俺に殺されてもいいなんて、俺達人間を護ってくれていたのに、その対象に殺されてもいいなんて……」


「……一つ、これだけは言っておきます」


 木々が風に触れ、葉を擦り合ってざわめいた。


「貴方にはこの私を――いえ、このがあります」


 ファリナは続けた。


「貴方はなるべくしてなった選ばれし青年。魔女殺しは誰でも出来る事じゃない、貴方にしか出来ない行為。四人の魔女が持つものと対になる魔力の持ち主――」


 小さく、風音にすら負けてしまいそうなくらいに弱々しい声だった。しかしライキは彼女の言葉を一言一句聞き逃さなかった、無意識に彼は「自分の未来が彼女の言葉で決まる」と直感していたからだった。


「貴方はその資格がある。万民を護る城壁となるか、それとも殺める烈風となるか……全ては貴方が決める事」


 最早ライキの手は……鎌を持つに耐えうる力すら残っていなかった。


 不意に訪れた転機は彼を善悪の境に立たせ、そのどちらも正解であると無責任にも投げ掛けた為に、果たして少年は手に僅かの力すらも送る事が出来ない程に困り果てた。


「鎌でこの首を穿つも良し、そのまま何処かへと立ち去るも良し、気の向くままに辺りを破壊したり燃やしたりも良し、私の服を裂いて心行くまで辱めてから殺すも良し。勿論――」


 いつの間にか、少年の精神は風すら吹かない池のように波一つ立ってはいなかった。調心を行った時よりも、心が安らぐとされる薬草を食べた時よりも、ライキは自身が不気味になるぐらいに安定を取り戻していた。


 想像もつかない程の万別なる未来。


 その一角に触れた瞬間、人間は誰しも心から熱が奪われるも、それでいて込み上げる興奮を客観視出来るのだとライキは思った。


 彼はファリナの言い掛けた言葉を予想し、彼女よりも先に発言した。


「四人の魔女を殺しに行ってもいい――だろう」

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