Arrival

かくして彼女らは来たり

 少女と別れて村に戻ったライキは、その足でレーネに薬草を手渡し――亡きジリの家に向かった。


 村の伝統として、家主が死んだ場合その家は村の共有物となる。その為トラデオには空き家が何軒もあるので、交代で掃除や補修といった最低限の管理を行っていたが、ジリの家だけは皆が「魔力に酔いそうだ」と粗末に扱った。


 彼の家を護っているのは、今ではライキとワリールだけだった。


「確かこの辺りに古い本をしまっているはずだけど……」


 埃を被った本棚(ジリは小汚い木箱を本棚と言い張っていた)をまるで泥棒のように物色する内に、少年は一冊の本を見付けた。ジリ特有の、古めかしく癖のある字で『家帳』と銘打たれていた。


 中にはジリの日記らしい文章や日常で使える占いの仕方など、題名とは程遠い内容ばかりであった。


 知りたい事は載っていないと諦めて本をしまい込もうとした時、ライキは「続く私達の子らに」と書かれたページを発見した。少年は読みづらい文章を目で追う内に、辺りの虫や鳥の声、村人の笑い声が聞こえなくなった。




 トラデオの三方を見守り、四方を結界にて守護する魔女こそが『旅の魔女』。彼女は時々村を訪れ、垣根の森で逗留する。この森は村人を気遣うあまり村での滞在を拒否する魔女を労り、一人の男が用意した聖域である――。




 文章が終わりに近付く頃、ライキは驚嘆のあまり息が止まる思いだった。彼は何度も何度も読み返し、全ては真実であると確信した。




 魔女は雪のように白い髪を持ち、夜明けのように煌めく目をしている。魔女はファリナと名乗った。これは全て誠であると、我が父ジラルドは語った。息子である私も、父の話を信じたい。ジルディン筆――。




 ライキは晴れた日の夜に散歩をするのが好きだった。


 名も知らぬ小さな虫の、姿を見せぬ鳥の声を聞きながら、スウッと村の家々を吹いて行く夜風に当たるのが好きだったライキはしかし、寝床で横たわり天井を見つめている。


 今晩はどうにも外に出る気になれない、照明代わりの蝋燭に火を灯す事すら億劫がり、ライキは昼間出会った少女を、ジリの家で得られた嘘のような真実を、そして少女の正体を思った。




 必ずや貴方は旅を始め、私は続けるのです。より良く生きる為に、幸せに死ぬ為に――。




 少女――旅の魔女――はそう言葉を残し、トラデオの人間は決して立ち入らない「垣根の森」へと歩き去った。


 村の人間は――特に慣習を愛する老人達は――大きな森の一部をそう呼び、禁足地として何人も立ち入りを禁じた。ライキは以前にジリから「奥部に入れば魔女が怒る」と伝え聞いたが、彼は眉唾だと笑った。


 だが禁足地である真意を知った今、笑われるのはむしろ自分だと、彼は自嘲気味にため息を吐いた。


 今のトラデオに、「旅の魔女が来た」と聞かされて心から信じる者が何人いる?


 語り手の後継者すら決められぬ村人達を見て、彼女は何を思う――?


 少年の胸に不定形の暗い感情が浮かび上がり、段々とその黒い靄は堆積を増していく。外に広がる暗闇とはまるで性質の違う漆黒、暗黒はファリナという幸薄い魔女など一呑みにしてしまいそうだった。


 果たして――ライキは起き上がり、夜の湖畔を目指す事にした。明かりすら持たずに歩き出した彼は、月明かりを頼りに覚束無い足下を睨みながら進んだのである。


 村と原生林との境界辺りで、彼は動物に似た金切り声を後ろに聞いた。魔力に酔ったと邪険に扱われていた老婆モラネが、両手を千切れんばかりに振り回している。


「うるせぇなババア! 黙って家で寝ていろ!」


「とうとう魔力に染まったんだよきっと!」


 口々に老婆を罵る村人達は、狂乱する彼女を取り押さえようと近付くも、すぐに「危ない」と飛び退いた。ライキが騒ぎの方へ向かってみると老婆の手には鎌が握られており、月光を反射した刃の部分がユラユラと輝いた。


「来るんだ、来るんだ! 腹を空かせて奴らが来るんだ!」


 モラネは一心不乱に鎌で宙を斬り、彼女を鎮圧しようとする村人達の接近を許さなかった。


「どうしたってんだ婆さんは」


 ライキ達の後ろから面倒そうに歩いて来たのは、魔女伝説を信仰するワリールその人であった。この日初めて彼と会ったライキは、少しだけ心が軽くなったように感じた。


「ワリール、モラネ婆さんがおかしくなったんだ。来る、来るって叫んでいるんだよ」


「来る? 何が来るんだよ、動物か何かか?」


 一層モラネの動きは激しくなり、見えない何かと闘っているようだと推測したライキは、彼女の目がいつもの虚無的なものではなく、活力に溢れた精悍な眼になっている事に気付いた。


「あんた達! もう大丈夫さ、私が護ってやるからね! あんた達は私の可愛い子供さ、絶対にには渡さないよ! 知っているのさ、私は、私だけはね! あの女は……この村の人間を使って――」


 なおも鎌を振り回すモラネの頭を、一人の男が棒で強く殴り付けると、彼女は低い呻き声を上げてその場に卒倒した。


 他の者達は「怪我人が出なくて良かった」と互いに労り合いながら、荷物を運ぶようにモラネの身体を持ち上げた。


 その瞬間、ライキは背筋が凍るような感覚に襲われた。




 もうすぐ始まるのです。あの人達が楽しみにしている収穫の夜が――。




 昼間、ファリナは闘えと迫られ困惑する俺にこう言った。彼女が本当の魔女だという事は、ジリの家帳の内容からも明白だ。だとすると――彼女の「もうすぐ始まる」という言葉も、恐らくは嘘ではなく……。


「ワリール、ここを逃げた方がいい!」


 ライキは彼の太い腕を取り、湖の方を指し示した。そこへ逃げて行けば安全なはずだと少年は思った。しかしワリールは首を捻りながら「いきなりどうした?」と訝しんだ。


「嫌な予感がするんだ、もしかするとこの村は見付かったかもしれない!」


「誰に見付かったんだ? 役人か、傭兵か? こんな辺鄙な村まで来ないだろう」


 この男はファリナの張った結界の話すら忘れたのかとライキは憤った。


 自分の言葉が足りず理解を得られていないのでは、という懸念をする余裕が彼には無い。乱れた心は強風に煽られる、頼りなく弱々しい若木に似ていた。


「他の皆も早く! じゃないと今に――」




《魔女が来る――》


 聞き慣れない声が……闇の中から届いた。

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