私以外を

「お手伝い、致しましょうか」


 なおも少女は問い掛けてくる、その風貌は異質なものだった。


 身に纏う衣服は灰色で複雑な刺繍が施されている、目は夕暮れの水面のように金色で、そして――髪は恐ろしい程の純白さだった。


 一切の他色の介入を許さない、そう彼女の髪が語っているようであった。


「……貴女は、村の人間じゃないでしょう」


 分かり切っている事だったが、それでもライキは正解の分かっている質問を投げ掛ける事で、何とか平常心を保とうとしていた。そして彼の思惑通り、少女は「はい」と短く返答した。


「じゃあ結構です、貴女は国の役人ですか」


「いいえ」


「では町の方から?」


「いいえ」


 かぶりを振る毎に揺れる白髪が、彼女の輪郭と辺りの風景との境を曖昧なものに変質させるようであり、ライキはますます不気味に思えた。


「この近くに住んでいるのですか」


「ええ、今はそうなるのかな……」


 しばらく少女は沈黙し、その虚ろな目をほんの少しだけ見開いた。


「トラデオの人ですか」


 ライキは「そうです」とすぐに返事が――出来なかった。


 トラデオの名前を知っているのは村民、それ以外は余程の物知りかよく学んでいる民俗学者である。通っていた学校でも名前を出せば皆が首を捻ったし、教師も辞典を持ち出して来たぐらいだった。


 しかし目の前の少女は確かに「トラデオ」と言った。異質さは充分にあるものの、その風体は学者らしからぬものである。


「どうしてその名前を?」


「以前に――」少女は懐かしむように目を細めた。


「来た事がありますから」


 少女は散歩でもするかの如くライキの傍を通り過ぎ、大きな倒木を指し示した。


「探しているのは、きっとの草でしょう。そこに生えていると思います」


 ウルジアという名前を知らないライキは、しかし少女が思い浮かべているものと自分の求めているものが一致していると確信した。理由は分からなかった。言われるがままに倒木を起こすと、果たして目当ての薬草が生えていた。


「どうしてこれを探していると分かったんですか?」


 少女は一株、手に取ってからライキの目を見つめた。


「これは働く者の薬。労働によって傷付いた手や足、溜まった疲労を和らげる効能を持ちます。この湖畔にしか生えていない、貴重な植物。そしてこれを知る者はトラデオの人だけです」


 完全に開き切らない、何処か眠たげな目を見つめる内に、ライキは深い穴へと吸い込まれてしまいそうな感覚に陥った。自分と同じ、もしかすると年下かもしれない眼前の少女から、不思議な神聖さすら感じた。


「……仮にトラデオの人間しか知らないとします、でしたら貴女は何故――」


 少女の口角が微かに上がった。その微笑はライキの洞察を喜んでいるようだった。



 湖面が風で揺れ動き、生み出された波紋は次第に大きくなっていった。


「教えた? よく理解が出来ません、だってこの草の存在は昔から村に伝わっているんです、貴女は見たところ俺と同じくらいの年齢ですが」


 ライキの責め立てるような詰問にも動じず、少女は「見た目はね」と倒木に腰を掛けた。


「貴方は、魔女伝説を信じていますか」


 魔女伝説。ライキが久しく耳にした言葉だった。


 ジリが死んでしまった去年から、トラデオの村では次第に魔女伝説を熱心に語る者が減っていた。ワリールはその後、老人達に許可を取らず勝手に語り手の真似事を始めたが、すぐに彼らの耳に入り、「慣習を壊すな」と中止を余儀なくされた。


 ライキはその光景を見て、「じゃあお前らがやれ」と怒鳴ってやりたくなった。語り手は「魔女に魅入られる」とされ、寿命が縮むと恐れられていたのだ。


 果たして、トラデオの村から本当の「魔女伝説」は失われたも同然であった。


「はい、もちろんです。でも……」


「でも?」


 小首を傾げる少女は、枝に留まる小鳥のように無垢なものだった。年頃の女性と話す事に慣れていないライキは、気恥ずかしくなってそっぽを向いた。


「去年から語り手がいなくて……段々と伝説について話す人も減ったんです」


 ライキは目明け日に伝説の続きを聞いてからというものの、村を四人の魔女から護り、また彼女達を打倒する者が現れる事を望んだ「旅の魔女」が気の毒でならなかった。


 魔女を倒そうと考える勇猛な人間が存在するかはともかく、せめて彼女が願った未来を語り継ぐのは当然だとライキは思った。


 慣習、慣習……と声高に叫ぶ老人達はそこを理解しているのか、ライキは何度も憤った。


「ですが、他の村や町ではまだ熱心に語り継ぐ人がいるはずです、今の話はこの村だけの事ですから――」


「いいえ、他の場所ではいけません」


 その場に立ち上がり、少女は凜とした声で言った。


「伝説の続きを語り継ぐ、トラデオでなければ」


 知るはずのない外部の人間から聞かされた、伝説の続きという言葉。ライキの心臓が痛いぐらいに高鳴った。


 この少女は何者だ、一体何処から何処まで知っているんだ――。


「あ、貴女は一体……」


 少女は俯いてしばらく押し黙り、やがて意を決したように顔を上げた。黄金に染まる目は煌めき、雪のように白い髪は風になびいた。


「ファリナ。私はファリナ……。……恥を忍んでお願いがあります」


 呆然とするライキの手を取り、少女はゆっくりと頭を下げた。




 私以外……四人の魔女を殺してください――。

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