第八章 兄(6)

「オルツィイもエルデニネ殿も意外とこういった話は気になるようだな」

 ハドゥは落ち着きながらも楽しげに感心する。

「ならば俺から話して聞かそう。俺は古い物語を採集しているので、この話もションホルから聞き及んでいる」

「何の話……?」

 話が飛躍しすぎて分からないアルマに、反対にハドゥがきょとんとした顔をする。オルツィイとエルデニネはごくりと生唾を呑み込む。

「何って、お前たちの話だ」

「あたしたち? あたしとションホル?」

「ああ」

 それ以外の誰も想定していないように彼は頷いた。そして、三人の反応をよそに語り始める。


『昔の話。天の神が地上の女に恋をした。

 絹のように美しく長い髪、夜空の星を集めたような瞳、かもしかのような手足に獅子のように反りあがる胸をした美しい乙女だ。女は天候を知り、薬草を知り、書物を知り、冬の越し方を知る賢い女だった。

 女はまだ未婚だったので、天の神は鳥の姿で天を飛び、牧草の上で人の姿に化けて女に懸想した。天の神もまた恐ろしく美しい青年で二人はすぐに恋人になった。

 だが、それを見ていた草木たちは己の主である地の女神に告げ口をした。天の神は人間の女に浮気をしている。そう聞いた女神は怒りで大地を割り、水を干上がらせ、作物を枯らせた。

 天の神は妻の怒りを鎮めるため彼女の好きな柘榴を贈ったが、女神はそれだけでは許さず呪いをかける。空に星の川がかかる時だけ人の姿になれるが、その他は動物の姿で過ごさねばならない呪いだ。だから天の神はいつも鳥や動物の姿をして描かれる。

 それからというもの、天の神は星の川が出る時だけ人間の女の元に通った。人間の女はやがて神の子を宿した。天の神は地の女神と他の女神から人間の女にだけ子を与えるとはずるいではないか。妻を平等に扱っていないとそしられ、羽をむしられてしまう。参った天の神は女にこう告げる。

「そなたに会うのは星の川が最も美しい時期の三日間にしよう。しばしの別れだ」

 天の神が新しく見繕った羽を広げて星の川を撫でると、紺色の空と星の川が粘土のように固まって青い石になった。彼はそれを砕き、三つに分けた。

 一つは天の神が、一つは地上の女が、そしてもう一つは腹の子が。約束の石として贈った。その石は天の血を受け継いだ男児の家系に代々伝わる。それがブルキュット族の始祖に伝わる神宝である。』


 ハドゥは語り終えて満足げだった。

 アルマはどきっとして思わず懐に隠したラズワルドの首飾りを握った。細部こそ違えどアルマが聞いてきた古老の話とそっくりだ。否、ハドゥは“ブルキュット族”だと明言したのだし、ションホルも自分はブルキュットの生き残りだと言ったのだから、話し手が違うだけで元を辿れば同じ伝承なのだろう。

「アルマがラズワルドの首飾りを持っている、とションホルから聞いた」

「首飾りとは、お嬢様が前に大切なものだと仰っていた……?」

 三人の視線がアルマに刺さる。

 ションホルが訪れた晩にアルマは衣服を乱されて胸元の首飾りを見られていた。彼も思うことがあったらしくまじまじと見ては驚いていた。確かにこの首飾りはそうそうあるものではない。盗難の心配をしていかなる時でも身から離すことはまずない美しく貴重な石だ。

「俺もラズワルドの首飾りを見たことがある。ブルキュット族の貴種にのみ受け継がれるというものだ。赤ん坊の掌ほどの大きさの石がついている」

「ちょっと待ってください、それって、まさか――」

 オルツィイが思考を整理できないまま、慌ててハドゥに尋ねた。

「ションホルだ。アルマ、お前はあいつの異母妹いもうとだろう」

 全員が驚きを隠せなかった。アルマ自身とて例外ではない。鼓動が早鐘を打つのに耐えながら、アルマはハドゥに尋ねた。

「待ってハドゥ様。どうしてそうなるの?」

「ん? 首飾りはラズワルドではなかったか」

「ううん。ラズワルドだよ」

 アルマは胸元から紺色の大きな石を取り出した。

「ならばションホル――アルトゥンの探していた生き別れの妹だ。あいつもラズワルドの首飾りを肌身離さず首からかけて大事にしている。離れ離れになった妹と同種のものだと。嘘かどうかはその首飾りの割れ口を合わせれば分かるのではなかったか」

 これと同じものをションホルが持っている。ならば何故彼は教えてくれなかったのか。ハドゥのいうようにその場で欠けた口を合わせれば、自分たちが紛れもなく兄妹であるかはっきりとしたはずだ。

「アルマは今いくつだ? アルトゥンは十六の年に五つの妹を郷里に残してしまって後悔していた。お前が今十七、十八ならば計算もあう」

 年齢をぴったり当てられてアルマは言葉に詰まった。歳の差もあうのならばいよいよションホルがずっと探していた実の兄かも知れない。しかし、実の兄が反乱軍の首魁で、曄国を滅ぼし新たな国の王になっているなど誰が想像しただろうか。

 横でオルツィイがションホルが王様と呼ばれるのを聞いて戸惑っている。彼女だけが未だションホルが瑛帝であることを知らなかったからだ。

(もしかして知っていて、敢えてあたしに伝えなかったの)

 ションホルが兄であるかも知れないという事実が胸に詰まる。近い内に住処を移動させるといっていたのは、後宮から姉妹の館へ移らせるという意味だったのだろうか。もしそうなれば、アルマの素性が公になり、部族や旅券を偽っていることや、遥か昔に連れ攫われたことが明るみに出る。

 シャマルがどういう理由で己を連れ去ったのかは不明だが、これらのことが公にされると彼に不利ではないだろうか。何の罪状もなしに放免される都合の良い展開があるだろうか。

 そう考えると胸がつぶれそうだった。シャマルが利益だけを勘定して幼いアルマを誑かしたとは到底考えられない。仮にそうだとしても、アルマは実の兄よりも義理の兄の元へ帰りたい。例え想いが報われなくとも。

 だが、真面目な性格のシャマルが実の兄との再会を知ったらば、己を実の兄の元に返してしまわないだろうか。

「アルトゥンは妹を天還祭で出会った男に託したといっていた。アルマも天九閣で見ただろう。黒馬族――カラ・アット族のキジルという男だ。あの手配書を恩赦にしなかったのはやがて妹を連れて来るであろうと考えているからだ」

 アルマは漸く気づいた。

 天九閣への訪問は確かにションホルがアルマの希望を影で叶えたものであった。だが、同時に、配下のハドゥやハルに妹の真贋を観察させるものではなかったか。手配書の一室には彼らの強制があって入室したわけではないが、おびき寄せられて手配書を見た己の反応を観察していたのだとしたら。にもかかわらず、己の記憶が覚束ないせいで配下が真贋をはかりかねたとしたら。

「お、お嬢様……? ご気分がすぐれませんか?」

 オルツィイが肩を震わせるアルマの顔を覗き込んだ。

「あたしは確かに十八歳だよ。ハドゥ様は天九閣の時、あたしにわざと手配書を見せるよう移動を促したの?」

「……。そういう側面もあった。直接妹であるか尋ねてもしも邪心を持つ者が王を利用しては困る」

「あたしがそう見えるっての?」

 アルマは何だか無性に腹立たしくなってきた。

 ションホルが妹だと推測しながら接していたのであれば、アルマだけに優しかったのも、接触が多かったのも分からなくはない。しかし、アルマからしてみれば知らない地に来て、一番初めに優しくされた男だったのだ。シャマルに気があるにも関わらず、少しはときめいてしまった自分が恥ずかしい。思わせぶりなションホルも腹立たしいのだが、自分のたわいなさにも腹が立つ。その上、邪心を持つ者かと疑われていたなんて。

「それは違う。お前が外戚になって権力を振りたい女には見えない。だが、王という地位は何かにつけて万が一に備えなくてはならない。迂闊に身内かと聞いて頷く人間は数多くいる。親しい間柄を装って隙をついて命を狙う輩も少なくない」

 ハドゥはアルマの怒りを鎮めようと否定した。アルマにとっては自身の名誉がかかっているが、ハドゥや他の瑛の者たちにとっては皇帝こそが最も守るべき存在なのだ。

 もっともなことだが、アルマは納得したくはなかった。丸め込まれようとしている気がした。眉間のしわが深く刻まれようとした時、白い手の甲がすっと顔の前に割り込んだ。

「ハドゥ様。そのお話はまた次にいたしませんか」

 エルデニネだった。すらりと伸びた指先の運びは言動を抑え止める合図にしては優美だった。赤茶色に染まった髪や眉と違って指先の白さは元のままだ。爪が輝いて真珠のように見える。

「今、アルマ様は冥夜之儀を終えてお疲れです。今日一日お務めがないのは、明日からの務めに備えて心身の滋養を蓄えるようにと設けられた休息の時ではありませんか。それにこういったお話はハドゥ様がいくら両者を庇いだてしても、皇上ご本人にどういったおつもりでいらっしゃるのかお聞きせねばアルマ様も納得いかないでしょう。少なくともわたくしならばそうです」

 エルデニネ言葉にアルマの怒りは静かに鎮火された。天の癒しの雨のように心にゆっくり染み渡る彼女の声が怒りを小さな種火のようにしぼませる。

「ん。一理ある」

 ハドゥは納得すると気まずそうに再び衝立の奥に引っ込んでしまった。

 エルデニネは肩の力を抜いて手を下した。表情からは見て取れないが、ハドゥに意見するのに緊張していたのだろう。ほっと息を吐く。

「あ、有難うございます。エルデニネ様」

 礼を述べると彼女は人差し指をアルマの唇の前に差し出して、

「いいえ。アルマ様。ニーネとお呼びください」

と、笑った。

「お疲れのところに大仰なお話を出されては気も休まりません。疲れている時や焦っている時は誰しも心の糸が容易く絡まってしまうものです。きっと妹を見つけた皇上もそうでしたでしょうし、アルマ様もそうでしょう」

 あまりにも美しい笑顔にアルマは少し照れくさくなった。

 赤茶色に髪を染めても彼女の美しさは変わらない。月のような髪が陽のようになっただけで、白磁の透き通る肌も、夜空の星を集めたような銀の瞳も、涼やかな印象も変わらない。ただ、俗世とかけ離れた清冽な幽玄の人は笑顔になると天の女王のように美しい。あまり表情を表に出す人ではないから、その笑顔の威力たるや余計に強烈だ。

「まずはお休みください。一昼夜の起床はご自身が思っているよりも心身の力を多く使っております。そして、次に覚醒したならば、わたくしと少しお話してくださいませんか」

「はい」

 柔らかな紗に撫でつけられている気分になりながらアルマは答えた。エルデニネは満足げに笑うと肘を一直線に張り、右手の甲に左の手のひらをつけて頭を垂れる。地位が上の者に対してとる養花殿の礼儀作法を行うということは、彼女は真にアルマの側仕として働く意思なのだろう。

「オルツィイ。わたくしに仕事を教えてくださいませ」

 主の願い出に、オルツィイも緊張しながら頷いた。エルデニネは茶杯を下げると教えを乞いに己の側仕の元へ下がっていった。

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