第八章 兄(2)
出立の前日、シャマルはケリシュガンを手伝って貢物となる玉の作品群をじっくりと検品させてもらった。なるほどこの工房が指名されるわけであり、更にいうと玉はこのアク・タシュ村の白玉洞が指名されるわけである。様々な宝物を護衛の折に見たことがあるが、この村の技術こそが隠された名宝というべきで唸るしかない。古今東西に名を馳せる流行の工房ではないが、歴代職人が脈々と手堅い仕事を納めてきたのだろう。
改めて磨かれた玉を観察すると、シャマルが与えられた石よりもうんと艶やかだ。しっとりとした輝きを持っていて、個性はあるが度の過ぎた主張がない。羊の脂に例えられるように半透明の白色をしているが、光に照らしてみると血が通っているかのようほのかに曙色が出る。
最も大きな塊は自然神の生み出したそのままの姿を観賞してもらうために玉塊のまま貢がれるが、鑑賞に堪えうる姿にするため少しだけ手を入れられ台座が取りつけられた。四五歳の子供の頭ほどの大きさはあるだろう。特別に目を見張る宝物だ。
次に置物。どういった技巧で彫っているのか、シャマルにはてんで想像がつかない。花や幾何学模様の小さな透かし彫りの球の外に、また透かし彫りの球があり、そのまた外に……と、入れ子のように球が合計五つ。一番外側の球にのみ神仙の世界が掘り出されている。
他にも花や龍を立体的に彫刻した香炉や、印面がまだ彫られていない印章も多く贈られるようだ。主題は曄の好んできた花鳥風月や神仙、それから遊牧民の好む獅子や馬までさまざまである。みな生き生きと描かれ、或いは古式に則って文様のように象られていた。
ケリシュガンが削り出した岩塊とシャマルたちが拾ってきた丸い小石がこのように美しく
「アルマが見たら喜んだでしょうね」
あとは馬車に積むだけとなった名品の数々と思い出しながらシャマルとケリシュガンは葡萄酒を飲んだ。仕事の打ち上げと出立の無事を祈って職人の家族が寄り合って宴会を開いてくれたのだ。
倉庫の鍵はきっちりと閉められていたが、作業場は外に開け放たれていて、職人と家族たちが広場に至るまで絨毯に食事を広げている。篝火が焚かれ、気のいい男連中は歌をうたったり、女房と踊ったりして仲睦まじく過ごしている。
シャマルはケリシュガンと工房の傍で酒を酌み交わしながら、遠目に彼らのから騒ぎを楽しげに眺めていた。
この地域は葡萄酒と麦酒の産地らしい。特に葡萄酒は赤い素焼きの大酒瓶に入れられて山の洞窟群で熟成される。
「やっぱりアルマちゃんのことを一番に思い出すんだな、お前さんは」
ケリシュガンは酒好きらしく次々へと酒瓶を空けていく。
「一番身近な人間ですからね。いつも思っていますよ。それにアルマがいなければ今の僕はありませんでしたから。感謝しています」
シャマルは鼻から大きく吸った息を吐く。頬がほてって大きく吸った息が胸の上でつっかえてしまい、少し苦しい。調子に乗ってケリシュガンに注がれるがまま飲み続けていたので酔いが回っているのかもしれない。頭では冷静に物事を考えられているのだが、どうも体はいうことを聞かない。視界もどこか歪んでいるようで、正面を向けない。思ったより自分は酒に強くないようだ。必要のないお喋りをしている自覚はあるのだが、自然と口に出してしまう。ケリシュガンとともに過ごした二週間が思いの外濃密だったからかもしれない。
「んん? それだけか~? 身近な女性ってことはねぇのかこの」
「その話題、気に入ってますね」
陽気さを増したケリシュガンがシャマルの脇腹を肘で小突く。
シャマルとアルマが血の繋がっていない兄妹だと知って以来、どうも二人を男女の仲にしたいらしい。アルマが攫われて以来、シャマルがしきりにアルマを心配していたのもあるのだろう。酒が入っていることもあって日中よりあからさまだ。
両親が同じでない妙齢――をシャマルはとうに過ぎているのだが――の男女に恋慕がないというのはそんなにおかしいことだろうか。傭兵稼業をしている連中には別に決まった異性がいるにもかかわらず仕事で組んでいる男女はまま見るのだが。
シャマルは困った顔をした。
「誤解しています。僕にそんな気は本当にないんです」
ケリシュガンはわざと酒臭い息を吐きつける。
「あぁ~? 妹にしか見えねぇから恋人にはなれねぇってことか?」
「そうですよ。そんなに仲睦まじく見えますか」
シャマルは無礼講もあって許されるだろうと、酒杯を持つ手とは逆の掌で彼の頬を押し戻す。
「ああ、そりゃあもう。血が繋がってねぇなら所帯をもっていいんじゃねぇか」
「それはアルマが可哀相でしょう」
「なーにいってんだ。アルマちゃんだってお前さんがいい出すのを待ってるに違いねぇ!」
馬鹿な、と内心呟いてシャマルは酒杯を空にする。そろそろ瞼が半分降りてきたがケリシュガンはまだ追加の酒を注ぐ気でいた。
「十も離れた男ですよ。それに僕は兄です」
「だから、血の繋がりはねぇんだろ」
「部族によっては同腹母でなければ許されるとありますが、カラ・アット族では同腹・異腹に限らず兄弟姉妹は禁忌なんです。妹に恋をするなんて、天の神に許されたものじゃありませんよ」
ケリシュガンは驚いて酒瓶からシャマルに視線を移した。だが、当の本人は酔っていて気付いていない。酔っていた時のことは聞き流すのが礼儀だろうと、彼は別の質問をシャマルにぶつける。
「なら、兄妹じゃなけりゃアルマちゃんを娶ったか?」
酒杯ぎりぎりまで満たされた酒を零さぬようちびちびと飲みながら、シャマルは職人の女房が皿に分けて持ってきた子羊の肋骨にかぶりつく。緑の香草と薄紅色の胡椒木の実が爽やかで、独特の風味に華を添える。塩味がじわりと舌に滲む。風に当たり過ぎたのか、脂が蝋のように固まり始めているので、勿体ないとケリシュガンにも一切れ手渡す。夜の風が運ぶ草の香りが鼻に入った。
「いいえ。ありません」
シャマルは日頃の慎ましさとは正反対の豪快な食べっぷりを披露しながら答えた。
「僕にはずっと忘れられない人がいるんです」
その様子を見ながらケリシュガンは飲ませすぎたのだと反省した。
「今でもその子が生きてたらと考えてしまう」
シャマルは天を仰ぐ。星々が青白い光をぎらぎらと点している。篝火に照らされてなお輝きを潜めない満天の星々が降ってくるようだった。その中を静かに佇む弓のような天体がある。いつかの夜もこのように祝福じみた美しい星空であったなと思い出して、久しく口にしていない人の名を口にした。
「ユェ……、アン……、僕の月……」
降るような星々にシャマルは眼を閉じた。わずか一瞬のことだった。頭がケリシュガンの肩にのしかかる。羊肉が絨毯の上に滑り落ちた。
ケリシュガンは酒杯を下ろして後頭部を掻いた。
「うーん、聞いちゃいけねぇところにまで引出しちまったかな……」
ボティルから訳ありだと聞きかじってはいたが、エイク族として生きているシャマルが本当はもっと東のカラ・アット族出身だったとは。
「どうりで馬の飼育や扱いが上手なわけだ」
とすると、恐らくアルマもエイク族の旅券を持ってはいるが、別の部族の出身なのだろう。ケリシュガンは二人が用心棒に身をやつしている訳を察した。部族との
作業場の空いた空間にシャマルを寝かせる。仮眠用の毛布を借りてきて上に掛ける。眠りの浅い彼が熟睡している。
「シャマル様は眠ってしまわれたのですか」
作業場の端に敷いた絨毯に座るアイシュが物音に気付いて振り向いた。絶妙な間で話しかけられたので、本当は眼が見えているのではないかと疑ってしまうが、彼女曰く、足音の大きさや足運びの間で誰が来たか判別できるそうだ。彼女は世話好きの女房たちに囲まれて野菜の入った酪の汁を飲んでいた。
「ああ、ちょっと飲ませすぎたようだ」
ケリシュガンはシャマルが起きてこないと予測すると、飲み直そうとアイシュの近くにある空の酒杯をもらう。
「残念です。この機会にお話ししたいと思っていたのですが……」
落胆するアイシュに、ケリシュガンは片眉を上げる。
「シャマルを気に入ったのか?」
「そういうわけでは……。ただ、以前に私の身勝手で不快な思いをさせてしまってから避けられてしまっていたので、改めて謝罪したく思いまして……」
そうはいってもアイシュは照れた顔を隠しきれていない。手にした木の匙をもじもじと弄っている姿はいつもの美しい姿とは打って変わって若者らしい愛らしさがある。
「今度も私の身勝手ではあるのですが、謝罪して、考えを改めた私を見て欲しいのです」
酒も飲んでいないのに上気した顔を見せるアイシュを、周りの女房たちが鼓舞する。
ウシュケの巫女とは孤高の存在だと思っていたのだが違うらしい。或いは、この村の女房連中は気が良いために、通常なら不可触である盲目の巫女をも受け入れているのかもしれない。
「何だあいつ、隅に置けねぇな」
毛布から長い手足を投げ出してぐっすり眠るシャマルを遠目に、ケリシュガンはもう何杯目かも分からぬ酒杯に口をつけるのだった。
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