第四章 授業(2)

 王宮には大小さまざまな祭壇がある。王宮の祭祀はトゥルナ族が担っており、曄時代、皇帝は早朝の謁見前に神官数名とともに各祭壇を巡って礼拝した。

 だが、瑛に変わってからは信奉する神が異なるため皇帝の巡回はされていない。ただ、王宮の中枢、乾乃宮と坤乃宮の間に挟まれた大極宮には曄の神と共に諸民族の神が刻まれた石碑が祭壇に安置され、瑛の王と臣は毎朝これらを拝んでいる。

 天還祭に向けた機織りは特別に許されてその大極宮内で一斉に行われる。

 王宮の中枢は養花殿の真西に位置する。

 黄色の瓦屋根を葺いた三棟の建物が並び建ち、一番南の建物の前の広場には遊牧民の移動式家屋である穹廬きゅうろがいくつか組み立てられている。まるでそこだけ異文化を切り取って無理やり絵に嵌め込んだような違和感がある。瑛になってできた区域であろう。

 草原ならまだしもここでは家屋ごと移動する必要はない。それに、王宮の部屋はまだ沢山空いていて、要人の家族を住ませるくらいならばどうとでもできる。であるのに、敢えて移動式の穹廬を建てたのは遊牧民出身らしさがある。

 最も大きな穹廬は生命樹や蔓花模様を織り込んだ赤い絨毯で飾られており、貴人の居住家屋であろうことが見て取れた。

「お嬢様、南から乾乃宮、大極宮、坤乃宮です。乾乃宮は王の間があります。政務謁見をしていらっしゃるそうです。坤乃宮は儀式典礼を行う場所です。それで中央のやや小さな建物がお嬢様がたが今から機織りをする大極宮になります」

 音楽隊を先頭とした養花殿の集団が区画を隔てた塀をくぐる。古参のトズが正式な場面で移動する時は音楽隊が音を奏でるらしく、オルツィイはアルマの耳に届くよう声を張り上げて説明した。

 穹廬については触れられなかったが、トズの幾人かが穹廬に渋い顔を向けたので予想通り瑛になって建てられたものであろう。オルツィイは敢えて周囲が不快になる話題を盛り込まなかったのだ。

 大極宮の前に至るとまたトズの幾人かが顔をしかめた。

 天幕が張られ、その内側に止まり木がある。止まり木にはそれぞれ違った色の繋ぎ緒を脚にした鷹類が三羽繋がれている。

「賑やかだな。機織りか」

 ションホルだ。どうやらここでも鳥の世話をしているようで白陶の盆を持っている。

「左様にございます」

 前方を行くトズの女性が答えた。彼女は澄まし顔だったので鷹使坊のションホルを侮蔑していないのかもしれない。

「励むが良い」

 嫌味のない口ぶりだったが、彼を快く思わぬトズの一部は一切を見聞きしなかったかのようにツンと顔を背けて大極宮に入って行った。

 どこからか現れたハルがその光景を目の当たりにしてションホルを笑った。

「面白いほど嫌われてるじゃん」

「ふん、清々しいだろう。侵略者なれば仕方あるまい。ハル、水を持ってきたならこれに注げ」

 ハルは生返事をするとションホルが石畳に下ろした水盆に桶の水を注ぐ。ションホルは小ぶりの白鷹を一羽連れ出すとなみなみと注がれた水の中に放ち、引き寄せた止まり木に繋ぎ緒を括り付けた。

「鳥飼は呑気に鳥の水浴びを手伝えばよろしいので羨ましいですわ」

「天還祭の神布を奉じるわたくしたちとは大違い!」

 ひそひそとトズの嫌味が聞こえる。

「生憎、最も優れた海東青白はやぶさを天の神に奉納するのも天還祭に必要な事柄でな」

 ションホルが的確にひそひそ話をする女性たちを見抜いて視線を送ると、彼女たちはばつが悪そうにして大極宮に立ち去った。

 アルマは今が機だと思って背を向けたションホルに話しかける。

「あの……、ションホル!」

「何だ、アルマ」

 ションホルは水盆の海東青に蓮口で水をかけながら答えた。どうやらアルマの名を覚えているらしい。口調にも棘がなく、敵意を持たぬ者への接し方は案外普通なのかもしれない。或いは、先日拙いながら武勇を見せたのもあり、一目置いてくれたのだろうか。

「大したことじゃないんだけど、この間は加勢してくれて有難う。あたしだけだったらきっとやられてた。改めてお礼を伝えたかったんだ。それだけだよ」

 ションホルは笑顔で応えた。

「お前の勇気の羽翼となっただけだ」

 精悍な、もっと野性味のある笑顔が先入観としてあっただけに、少し甘い雰囲気のある表情が意外だった。



 オルツィイに急かされて大極宮に入る。

 漆塗りを施したこげ茶色の壁の中央に大きな神像がある。髭を蓄えた老人、或いは壮年の男神だ。曄服と冕冠を纏っている。同じような小ぶりの神像を北方の曄式寺廟で見たことがあるが、きっとこれが曄の天の神なのだろう。

 おとがいを随分と上げなければ見えぬほど上背のある神像だが、髪や髭の一本一本は非常に繊細に表現されている。肌はすべらかで肉感の隆起は弾力を感じる。これが石の彫刻だというのだから驚きだ。

 隣には様々な獣が彫られた石の板碑が建てられている。草原地帯で見かける鹿石と酷似しているが、大きさは四五倍以上ある。星、虎、鳥、狐、流紋など万物の図像が刻まれていた。大抵は神話が彫られているものなのだが、神話を多く知らないアルマには何が表現されているのか分からない。

 神像と石碑の前には供物台があって酒や果物が捧げられ、翡翠の透かし彫りを施した香炉の中に練香が焚かれている。その真ん前に大きな竪型織り機が一台、更にその前にずらりと小さな水平型の織り機が並んでいる。

 アルマはオルツィイに誘導され隅の織り機の前に座った。途中で黒髪や茶色の髪をした女性の背後を通り過ぎたが、織り機の前に座っていることを鑑みると、彼女たちもまた王妃候補として連れて来られた曄人か異民族と思われた。

「お隣に失礼いたしますわ」

「はい! よろしくお願いします」

 織り機の前で待機していると、気品のある声に声をかけらた。仰ぎ見ると豊かな巻き毛のトズだった。確か名をドルラルといったはずだ。

 互いに顔を見合わせてぎょっとしたが、背後でオルツィイとドルラルの側仕二人が互いに和やかな挨拶を交わすのを耳にし、気を取り直して会釈した。

 確かエルデニネと対立している怖い人だ。アルマは瞳だけ動かしてドルラルの表情を盗み見た。きっと吊り上った眼は真実を求めるように鋭く、頑なな雰囲気を醸している。誰にも触れさせまいと全身を棘で覆っている花のようでもあった。

「あのー、ドルラル様」

 アルマは恐る恐るドルラルに声をかける。

「ドルラルで結構ですわ。わたくしたちの誰も王の手がついておりませぬもの。未だ誰にも優劣はついてございませんでしょう」

 そういった物言いが高飛車なのでつい敬称をつけたくなるのだったが、彼女の苛烈さは先日で十分理解しているので素直に従うことにした。

「じゃあ、ドルラル。とってもいいにくいんだけど、あたし機織りってしたことないから分からないんだ。あの、教えてください……」

 ドルラルと側仕の二人が固まった。

「したことないとはどういう意味ですの?」

「そのまんまの意味だよ。えっと、糸を通してとんとんしたらいいんだっけ?」

「何をおっしゃられているの……」

「えっ? 違う? ぱったんしてとんとん……?」

 数拍ののち、ドルラルは大げさにため息を吐いた。天は何故わたくしにこの方と組ませられたのでしょう、と聞こえるように独りごちる。

「仕方ありませんわ。足を引っ張られては困りますもの。良いですか、基本は簡単ですわ。経糸に緯糸を通して櫛で整える。それだけです。経糸は既に張ってありますから、この綜絖そうこう――この経糸の下側の糸と上側の糸を分けている部品の間に緯糸を通すのですわ」

 そういって、ドルラルは糸を巻きつけたと呼ばれる部品を上下に分かれた経糸の間に通す。経糸に張られた糸と同様の細くて光沢のある半透明の白糸だ。

 この織り機は二人で織るというだけあって、ドルラル一人では端から端まで糸を通せない。中央まで通したをアルマに手渡すと、アルマはいわれた通りに端まで糸を通した。

「よろしくてよ。もう少し引っ張りなさいな。そんなに力を入れてはだめよ! そう。それで次は櫛で整えますの」

 渡されたのは見た目もそのままの髪を解く櫛であった。そういえば旅の途中で織りかけの絨毯を櫛で整えていたご婦人を見かけたことがある。

 櫛を置くとアルマは杼を通そうとしてドルラルに止められた。

「お待ちなさい。次を通す前に綜絖そうこうを返さなくては。あなた、本当に何もご存じないのね」

「はい……」

「綜絖の端を持ちなさい。奥に返しますわよ」

 織り機の上に渡された木の棒をひねると経糸が上下した。

「通し終える度に綜絖を動かすのを忘れてはなりませんわ。さて、一通り流れは分かりましたでしょう。愚かでなければ覚えられたはず。あとは神への祈りの歌を捧げながら織るのですわ。歌は耳で聞いて覚えなさい。それくらいはできるでしょう?」

「う、うん。有難う、ドルラル」

「足を引っ張られてわたくしまで不出来だと思われたくないだけですわ。来て数日の方をいじめても楽しくありませんもの」

 口調はつっけんどんだが想像していたよりもずっと面倒見が良さそうだ。アルマがはにかむとドルラルはふいっと不機嫌そうに顔を背けた。

 暫くして中央の大きな織り機にエルデニネが座った。彼女に限って一人で織っても二人分織ったことになるのだとオルツィイが後ろから耳打ちした。即ち、優れた者である証左である。ドルラルがあからさまに不快で顔を歪めた。

「光り輝く天つ神よ、凡ての存在を知る万物の父よ、魂と真理を成す者よ、我らは其が一に帰依いたします」

 エルデニネが抑揚が豊かに神に捧げる章句を唱えた。ドルラルのいう歌であろう。大極宮の女たちが復唱する。かたんと織り機の綜絖そうこうが回る音が少しだけ乱れながら宮内に響き渡る。何度も復唱を繰り返すと歌はやがて輪唱のように広がり、次第に綜絖の音が揃ってきた。

(本当だ。歌だ、これは)

 アルマは聞き惚れながら覚束ない手を一生懸命に動かした。

(祈りの歌だ。綺麗……)

 幾つかの章句の繰り返しだったので、気付けばアルマもともに歌っていた。側仕たちも歌には参加している。

 段々と白いうすものが姿を現した。途中で金糸が織り込まれ、半透明の白地に金色の文様が浮き上がっていく。織金しょっきん金襴きんらんといいますの、とドルラルが小声で教えてくれた。

 今はまだほんの細い紐のようなものでしかないが、長い布地になって衣服として仕立て上げられたなら、正に神にふさわしい無垢の衣装になるだろう。

 こんなにも大勢の者たちが美しい祈りを捧げる天還祭というものが見てみたいと思った。

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