第四話 9-13


    5




 部屋の中は、真っ暗だった。


 電気が全て消されていて、窓もぴったりと閉じられている。


 ただゴーというエアコンの音だけが無機質に響き、ピアニッシモちゃんの巨大なシルエットだけが闇の中にうっすらと浮かびあがっている。怖い。


「あー、ええと、……」


「……」


、そこにいるのか……?」


 ベッドの上のピアニッシモちゃんの方に向かって呼びかける。


「……こっち……」


「!」


 ふいに足下から声がした。


 視線を落としてみると、そこには頭からこんもりと毛布をかぶったが体育座りでうずくまっていた。


 び、ビックリした……てっきりベッドの上にいるのかと思ってたから……


「そ、そんなところにいたんだ……」


「……」


「な、何してたんだ? めいそう……とか?」


「…………」


「え、ええと……」


「……」


「……」


「……」


 長い沈黙。


 やがて……ぽつりとつぶやくようにが口を開いた。


「…………めだった……」


「え?」


「……だめだった……失敗しちゃった……たくさんの人たちが見ている中で……ほんとは〝アキバ系〟じゃないってことを、見せちゃった……」


 それが『ぽろりもあるよ! 〝アキバ系〟大クイズ大会』でのことを言っているのはすぐに分かった。


「……変われるかと思った……お姉ちゃんみたいになれば、〝秘密〟を守りきれば全部がうまくいくと思った……でもやっぱり、わたしは何をやってもだめなんだ……わたしなんかが、お姉ちゃんみたいになれると思ったのがそもそも甘かったんだ……」


「そんなこと──」


「……あるよ……っ……」


 叫び声が俺の言葉を遮った。


「……もともとのわたしは……何もないの……勉強も周りについていくのがせいいっぱいで、ピアノも習い事もどんなにがんばってもお姉ちゃんには追いつけなくて……」


「……」


「……だからって、だれかとすぐに仲良くなれるわけじゃない……おかーさんみたいに、あかるく楽しくみんなに話しかけることができるわけじゃない……ううん、むしろ逆……地味で暗くて話をしてもおもしろくも何ともなくて、周りからは敬遠される……話を合わせようと思っても、〝アキバ系〟のことも何も分からない……それがほんとのわたし……」


「……」


「……ほんとのわたしは……からっぽ……なんだよ……お姉ちゃんみたいな才能もなくて、おかーさんみたいなコミュ力もなくて、〝アキバ系〟についても何にもしらない……わたしは劣等生……おちこぼれなんだよ……」


 そう言うと、は立てたヒザの間に顔を埋めた。




「……高校に入って……こんな自分を変えられるかと思ったけど……だめだった……」


「……お姉ちゃんの道を辿たどろうとしたけど……それも失敗しちゃった……」


「……もう……だめだよ……」


「……明日から……わたしの居場所なんて、ない……」


「……こんな世界なんて……滅んじゃえばいいのに……っ……闇にほうむられちゃえばいいのに……っ……」


「……ノストラダムス……ちゃんと仕事してよ……」




 胸の奥から絞り出すような言葉。


「………」


 劣等生、おちこぼれなんて、何を言っているんだろう。がそうだったとしたら俺なんて人類を通り越してミドリムシかミジンコだ……。そう思っていた時期が俺にもありました。


 だけど……今はそうじゃない。


 確かに俺なんかと比べればはるかにスペックも高いし恵まれた立場にいるのかもしれない。


 でも、自分自身に対する評価なんてものは、だれかと比べるものじゃなくて、自分の中で構築されるものだ。客観的に判断できるものじゃなくて、あくまでもその人自身とその人を取り巻く環境の中で主観的に決められていくものだ。


 周りから何と言われようとも、本人がそれとは違う自己評価をしたならば、それは絶対的なものなのだ。


 そういう意味では、は確かに彼女の中でおちこぼれだったんだろう。


 さんから聞いた話が頭の中でリフレインする──




 *




「──ちゃんはね、


「え……」


 紅茶のカップを手にして、さんの口から出てきた言葉はそれだった。


「もともとね、あんまり積極的な子じゃなかったんだ。人見知りで、大人しくて、どっちかといえば引っ込み思案で……言いたいことも口に出せないような、そんなやさしい子だったの。それがね、悪い方向に出ちゃったみたい。学校の──せいじゆかん女学院中等部の周りのクラスメイトのほとんどが〝アキバ系〟だったってのもあったんだと思う。うまく友だちを作ることができなくて、学校に行くのが辛くなっちゃったみたいなの」


「え、でも……」


 俺が見てきたはそうじゃなかった。


 ひとなつこいモードはもとより、お嬢様モードのだって、物腰が柔らかく穏やかでこそあれ、人見知りや引っ込み思案な面は見られなかった。


 さんが、首を振る。




「……




「え?」


 さんが続けた。


「あの子はね、二つのキャラクターを場面に応じて使い分けてたの。演じてたって言ってもいいかな。一つはお姉ちゃんであるらいちゃんのモデル。上品でおしとやかで大人びていてだれにでも分け隔てなくやさしい、それこそ絵に描いたような完璧なお嬢様の姿。らいちゃんは……普通にそれをやってのけることができる子だったからね。ちゃんにとっては、格好のモデルケースになったってわけ」


 それって……お嬢様モードのことか?


 確かにその姿は、まるでらいさんのようだと周りに言われていた。


「そしてもう一つは……わたしのモデル。自分で言うのもあれだけど、わたしは昔っからだれかと話すのは好きで、どっちかと言えば得意な方だったの。そのコミュニケーションのやり方を、モデルケースにしたんだと思う。てゆうか、あの子が身近で見てきた家族が、らいちゃんとわたしだけだったから……」


 だとするとこっちはひとなつこいモードか。


 ああでも、言われてみればお嬢様じゃない時のさんに似ている。


 最初にさんと出会った時にとそっくりだと思ったのは、外見以上におそらくそのフレンドリーなキャラゆえでもあったんだろう。……


「本来の素のちゃんは……らいちゃんでもわたしでもない、もう一人のキャラクターなんだよ。繊細で臆病で傷つきやすい……それでちょっとだけ物騒な物言いをする子。きみも何となく感じてたんじゃないかな、そのこと」


「……」


 それは……そうかもしれない。


 だから時折違和感があったんだ。お嬢様モードでもない、ひとなつこいモードでもない、隠れキャラみたいながいるような気がして……


 それに伏線はあった。


『わたしなんて、ずっとガリ勉で、コミュ障で、ぜんぜん人と話してこなかったんだから。どっちかといえばぼっちで、友だちといえば家で飼ってるアロワナのミハエルくんとハリネズミのマルガリータさんくらいだったし……』


 スカイツリーで聞いた言葉。


 友だちがアロワナとハリネズミだけなんて冗談もいいところだとあの時は思ったけど、あれは何よりも素に近いの心の声だったんだろう。


 それ以外にも、今になって思い返してみれば、ちょこちょこと物騒な部分が見え隠れしていた。


「それで、おに~さんはどうするつもりなの?」


 さんが問うた。


「あの子は今、自分を見失っちゃってる。〝秘密〟がばれたと思って、らいちゃんみたいになって周りに受け入れてもらうっていう希望が崩れて、揺らいじゃってるんだと思う。はっきり言っちゃえば、一年前とほとんどおんなじ。このままだと最悪、またひきこもっちゃうかも……」


「そんなの、決まってます。を部屋から連れ出します」


 俺は即答した。


「でもあの子は今、迷子のねこちゃんだよ。アイデンティティが分からなくなって、自分の中に閉じこもろうとしてる。それを──」


「そんなの、何の問題もありません」


「え?」


「だって──」




 *

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