第8話 バットとお手頃銘柄と

 私の方を見ている妖精さん。まるで、読み聞かせを聞きに来た子供のように、目を輝かせている。


 愛煙家にとって、タバコトークはなかなか面白いものである。ここに来て、そのことに気付いた私は、自身が吸う銘柄について、仕入れたネタを、ゆっくりと話し始める。


「ゴールデンバット、金色に輝くコウモリが描かれた、このレトロなロゴを持つタバコは、現存する国産銘柄では、最も長い歴史を持っています。

 今から100年以上前の1906年に発売され、その手ごろな価格と、葉の調合の仕方によって若干のムラがある個性的な味に根強い人気が出て、文壇御用達の銘柄になっていきました。

 例えば、生前最後の写真で芥川龍之介が吸っているのもバットですし、芥川の影響を色濃く受けている太宰治や、有名な詩人の中原中也も、バット愛好家だったといわれております」

「文芸雑誌の編集に携わるオサムさんも、その系譜の末裔という訳ねえ」


 妖精さんが、興味深いことを言う。確かに、私自身がバットを好んでいるのは、安いからだけではなく、先人たちへの憧憬もあってのことだから、ある意味私もその系譜の一部なのかもしれない。

 ただ、自らそれを名乗るのは、まだまだ実力不足なので気が引けるが。


「思えば、そう考えることも確かにできますね。

 でも、私なんてまだまだです。

 ちなみに、バットの有名な逸話は、戦前から戦中に固まっていますね。戦中から戦後間もない頃にかけて流行ったヒーロー、黄金バットの話や、ゴールデンバットという名前が英語だからという理由で、何故かコウモリですらない『金鶏』に一時期名前を変えさせられてしまった話なども、やっぱり戦中の話ですし」

「そうねえ」

「多分、その時期にもうブランドイメージが固まってしまったからでしょう。戦後に流行っていく銘柄は、ピース、ハイライト、セブンスター、そしてマイルドセブン、あるいは現在のメビウスへと次々と代替わりしていきます。

 早い話が、軽い銘柄ほど人気が出るようになっていった結果、著名なバット愛好者は、どんどん減っていってしまったのでしょう。残された愛好者は、バットが両切りからフィルターに変わってもなお吸い続ける文士気取りぐらいのものかもしれません」

「なるほど」

「…という状況は、最近また少し変わってきましたけどね。他の銘柄の一部がついに500円に達してもなお、330円の廉価を保っているということが理由で、かえってコンビニなどでも再び置く店が増えてきているようです。

 安くて、かつしっかり香りが入って来るのですから、まあ、人気が戻るのも分かります。そして、皮肉にも、タバコ全体の値上がりによって、バットはバットらしいポジションを取り戻しつつあるのかもしれません」


 私がそう言うと、妖精さんは一息ついた。


「そうねえ。値上がりした結果、かえって安さに目が向くのも、皮肉な話よねえ」

「バットに限らず、旧3級品と呼ばれる、安い葉を使った銘柄は最近、人気を取り戻しつつあるようですね。

 どこか旧国鉄の特急列車をイメージさせるパッケージデザインのわかば、戦後間もない時期のモダニズムを思い浮かべさせるSHINSEI、そしてエコー。

 いずれも、400円未満で楽しめる数少ない銘柄であるため、中には乗り換える人もいるようです」

「そうねえ。確か、ラッキーストライクも、エキスパートカットという廉価銘柄を出してた気がするけど、あれも400円ちょうどで、旧3級品ほどではないしねえ」


 そんなことを話していると、ドアの鈴がチリンと鳴り、人が入ってきた。


「あ、いらっしゃい。センニンさん」


 入ってきたのは、60代ぐらいの男性で、やせ形で…。


「おや、ショウ君じゃないか。君がここに通っているとは知らなかったよ」

「こんばんは、珍聞感文先生」


 私が担当している、作家の一人だった。


「こんばんは。小生は、ここでは何故かセンニンと呼ばれている。大方、君も何か仇名があるのだろう?」

「はい、私はここでは、オサムと呼ばれています」

「ほう。興味深いね」


 そして、私のことを、まるで初めて見た相手でもあるかのように、改めて見回して、言った。


「君は、バットを吸っていて、恐らくは隠れて文章を書いていて、若いうちから様々な理由で苦労し、苦悩を抱えている。オサムの名で呼ばれるのも分かるよ」


 そう言うと、彼は、おもむろに胸ポケットからパイプを取り出した。

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