6-2

「キャップ……!」


駆け寄って、僕はキャップの身体を揺さぶった。

だが、反応がない。

……なんてことだ。


「どうなの? 大丈夫なの?」


しいらさんが、すっかりうろたえた声で、覗きこんでくる。


大丈夫です、命に別状はありません、とは、うかつに応えられなかった。


キャップの目からは、完全に、意志の光が失われていた。

しいらさんが使う〈魅了の魔眼チャーム・アイ〉の支配下に置かれた者と、同様の目だ。


にわかにはその事実を受け入れられず、うめき声をもらしそうになる。

キャップほどの者を、魔力で操るとは………。


そう、戦慄を覚えたとき。

ドウ、と、後ろで大きな物音がした。


振り返ると、ベアーが、床に倒れ伏していた。

その巨体は人身に戻っており、肩口の傷が開いたのか、早くも床に、血だまりを広げだしていた。


傷口の痛みで、気を失ったのか……?


瞬間、そう思い、ベアーに向き直ろうとした。


だが、その場で凍りついてしまう。


突如として、室内に、何者かの気配を感じ取ったからだ。

今の今まで、まったくその存在に、気づけなかったとは──────!






「やはり、君だったか」






頭上から、穏やかな、よく響く声がした。


───────────ああ。


ある予感を持って、声のした方を見上げる。

そこにいたのは、予感通り……。

聖者のごとき偉容をたたえた、


! しまった────────!

なんてうかつ。

見上げた男の両眼に、視線が吸い寄せられてしまった。


おそらく、これは、キャップの強靱な精神をも打ち負かした、強力な魔の視線。

魅了の魔眼チャーム・アイ〉。


僕なんか、一発KO確実だというのに……!

男の両眼に、魔力の光がひらめくのが見えた。


せめて意志を強く保とうと、歯を食いしばる。


数瞬の緊張────────。


だが、予想した、魔力が心を侵蝕してくる感覚は、襲ってこなかった。


視界の端で、しいらさんの体がぐらりと崩れるのが見えた。

床に倒れる前に、その体を抱きかかえて、後ろへ大きく飛び退く。


しいらさんは、気を失っていた。

自分の〈魔渉力〉より強力な〈魅了の魔眼チャーム・アイ〉で射抜かれたと、認識する暇もなかったに違いない。


「安心したまえ。少し、眠ってもらっただけだよ。もっとも、君にも眠ってもらうつもりだったが────────」


そう言って、男は微笑する。


「………どうやら、私の力は、君には通じないようだ」


────────どういう幸運か。

男の〈魅了の魔眼チャーム・アイ〉の力は、僕にはおよばなかったようだ。


……だけど、本当かどうか、知れたものではない。


今更だが、視線だけは合わせないようにし、改めて、男を見る。

茶色の、長い髪で、着ているものは、古ぼけた枯草色のコート。


間違いない。

あのとき、路上駐車場で見た男だ。


「これを────────」


と、男が、天使の姿をかたどった護符を取り出した。



そう認識した瞬間、脳が沸騰ふっとうした。

突発した怒りを、なんとか理性でしずめる。


「───────使ってみたのでね」


男は、穏やかにそう言葉を続けた。


…………なるほど。

敵を追跡するための魔法装具を、逆に利用されてしまったわけか。


キャップは、おとりに使われたのだ。

───────僕が魔法の護符を使った時、感知できたのは、キャップの居場所だけだった。


キャップの動きは、この集合場所で止まったまま。

護符による、姫様とギャノビーさんの反応が消え、なんの行動もなし、という時点で異常は歴然。

それでもここへ来たのは、情報が欲しかったのと、キャップが敵の手に掛かるわけはない、との一縷の望みを持っていたからなのだが………。


事態は、最悪方向まっしぐらのようだ。


姫様とギャノビーさんは、どうなったのか。


一番気がかりなのは、その点だ。


他にもひっかかることが、ひとつ。

男は、姫様の護符を奪い取っていた。


なのに、護符を持つ、この男の存在は、感知できなかった。

男が、なにかしら、護符の力を遮断しゃだんする細工を施したのか……?

だけど、今、それらを思案してる余裕はない。


「姫様を、どうしました?」


とりあえず、最重要問題を、男にぶつける。


「丁重にお預かりしているよ」


男は、詩の一節でも読み上げるかのように、静かに、だが、はっきりと言った。


──────この野郎、ぬけぬけと……!


再燃する怒りを押し殺して、しいらさんの体を、ゆっくりと床におろす。

それから、さらに問いかけた。


「あなたは、誰ですか」


この質問は適当で、応えは期待していない。

言いつつ、男との間合いを把握し直しただけである。


「〈無名ノウネイム〉」


微笑を浮かべて、男は告げた。


「もはや名前など、意味を成さぬ者だ」


……強いな、これは。

ちょっと、生唾を飲みこむ。


知らず、師匠のことを思い出していた。

傍若無人という言葉が、そのまま人の形をとったような、超絶我儘暴ちょうぜつわがままあばれん坊。


あのヒトはまた、無意味に無敵だったよなあ……。

けれど、目の前の男……〈無名ノウネイム〉は、師匠の持つ風格とは、対極的。


まったく穏やかなたたずまいだった。


そして、まるで隙がない。


無名ノウネイム〉の手が、動いた。


姫様の護符を、僕のほうに、投げてよこしてきたのだ。

フェイントかと思ったが、〈無名ノウネイム〉に動く気配はなかった。


放られた護符を、黙って受け取る。

一目ひとめ、確認してから、そのままポケットにしまう。


「……ニフシェ・舞禅。君は─────〈青の姫ブルー・プリンセス〉の騎士なのだな」


「ええ」


無名ノウネイム〉の問いに、簡潔にうなずいてみせる。


姫様の護符を奪い、僕の名を知ったうえで、そんな話を切り出すのなら、否定してもしょうがない。


「かの姫君が初めて、騎士として選んだ少年。─────なるほど、ベラヒィが固執こしつするわけだな」


ぐえ、怪人ベラヒィ関連か、この男。


僕が心中でそう毒づくと、それを見透かしたように、〈無名ノウネイム〉は微笑わらう。


「彼は────生きているよ」


「そうですか」


素っ気なく応える。

内心は、呆れが二割、残念三割、うんざり五割。

海の藻屑もくずになってたほうが、世の為、人の為だったのに。


「彼との約束でね……協力してもらう代わりに、君の処遇だけは、すべて彼に任せる、と」


なんだそりゃ。

赤の他人が、ヒトの処遇を勝手に決めるなと言いたい。

だが個人的抗議はさておき、軽く、探りを入れてみる。


「僕の処遇なんか、最終的に関係なくなるんじゃないですか?──────とやらで」


怪人ベラヒィが言ってたような単語で、ひとつ牽制けんせいしてみた。


「確かに。……君にこだわることは、無意味ではある。しかし彼は、彼なりに決着をつけておきたいのだろう。そう────救済の前に」


無名ノウネイム〉は、微笑付きの、おうむ返しをしただけだった。


まあ、なにを企んでるか、素直に教えてくれるわけはない。


なら、取るべき手段は一つ。

叩きのめしてから、洗いざらい吐かせる……!


階段を飛び越えつつ、〈無名ノウネイム〉に向かい、体内で練り上げた〈気〉の塊を、掌から撃ちはなった。

白い輝きと破壊力に満ちた〈気〉の塊は、流星のように〈無名ノウネイム〉へとひらめき飛ぶ。


だが、〈無名ノウネイム〉は動じた様子もなく、虫を散らすかのように、〈気弾〉を右掌みぎてのひらで軽く払いのけた。


想定内である。


こちらも、〈気弾〉ひとつで倒せる相手とは思っていない。

〈気弾〉を払いのけた、その直後を狙って〈廻地法かいちほう〉で、〈無名ノウネイム〉に瞬間接近。

無名ノウネイム〉の左半身へと、拳で打ちかかる。


しかし、〈無名ノウネイム〉は、〈廻地法かいちほう〉の瞬間移動に動じた様子もなく、〈気弾〉と同様に、僕の繰り出す拳を、柳のように受け流した。


「たいしたものだ……」


賞賛とも皮肉ともとれない言葉をもらしながら、〈無名ノウネイム〉は微笑する。


余裕とは……やっぱりヤバいかも。

動きを止めずに、拳と蹴りを繰り出しつつも、ちょっと焦る。


自惚うぬぼれるわけではないけど、僕の技は仙境・崑崙コンロン仕込み。

軽々といなされるほど、低い技量ではないつもりだ。


その全速の攻撃が、ことごとく防がれ、弾かれ、らされる。


無名ノウネイム〉は、穏やかな笑みを浮かべたままだ。

いつでも反撃できるが、戯れに防戦に回っている……そんな表情だった。


───────だが、これならどうだ……っ!

首に巻いている織布しょくふに手をかけ、〈気〉を流しこみ、ふりほどいた。


そして、むちを振るうように、〈無名ノウネイム〉へと叩きつける。

無名ノウネイム〉はそれを、右手で受けた。


その顔に、初めて緊張の色が浮かんだ。


織布しょくふの一撃が、予想以上に重かったからだろう。


手首の動きで、うず状にひねりながら、ひるがえした織布しょくふに、再び〈気〉を流しこむ。

織布しょくふは瞬時にねじり巻きあがり、棒状の形になった。


次は、棍のごとく、その織布で〈無名ノウネイム〉を打ち、突き、払う。

それらもやはり受け流されたが、〈無名ノウネイム〉から、余裕の笑みは、消えていた。

……僕が、織布を常に身につけているのは、伊達や酔狂のため───でもあったりするけど────それだけではない。


気功術、〈硬気功こうきこう〉の応用。


〈気〉をみなぎらせることにより、織布を鋼鉄のごとく硬質化させ、武器とするためだ。

しかも、変幻自在の武器に。


───────三度みたび織布しょくふに〈気〉を流す。

棒状の形態を解き、やいば鋭き刀のように、織布しょくふを水平にぎ払う。


今度の攻撃は、〈無名ノウネイム〉を後退させることに成功した。


斬撃ざんげきと見てとったならば、退くも当然。

受けるも弾くも、負傷は必至。

一度間合いを取ろうとするのが、定石であろう。


ここが唯一の好機。


相手は最強。

ならば、こんな奇術めいた技が通用するのは、一度きり。

相手が一旦、身を引いたこの機こそが、最初にして最後の隙……!


織布しょくふに別種の〈気〉を流しこみ、解き放つ。

織布しょくふは、風を受けた炎のごとく、瞬時にうねりをあげた。

───────この織布しょくふは、本来、テント・カバーにもなりうるほど、大きい。


それが、どうしてふところに収められたり、マフラー代わりにできるサイズになっているかといえば。

織布しょくふを武器に変化させるのと同じく、〈気〉の力で超圧縮し、折りたたんでいるためだ。


その圧縮を、一瞬でいたなら───────元に戻る過程は、爆発そのもの。


瞬間的に膨れ上がったその形状は、雲にも似ただろうか。

解き放った織布しょくふは、刹那に〈無名ノウネイム〉をおおい、み込んでいた。

即座に織布しょくふへ〈気〉を流し、そのまま〈無名ノウネイム〉の体を拘束する。


その胸部へ、拳を一撃。

ようやくの、クリーン・ヒット。


道具を使った一連の攻撃は、いささか卑怯っぽい気もするが……。

相手は姫様を拉致し、〈銀星車輪団アリアン・ロッド〉の面々を昏倒させているのだ。

情け容赦をかけてやる必要性は、微塵みじんも感じなかった。


続けて蹴りを側頭部へ見舞い、〈気〉の力を込めた左掌底ひだりしょうていを、下腹部に叩きこむ。

今の連撃を受けて、こたえないはずはない。

たとえ〈人外アーク〉であっても、まともに動くことはできなくなるだろう。


……、もっと容易たやすかったかもしれないけれど。


姫様の安否が掛かっているからとはいえ、ぎりぎり、紙一重の戦いを続けるのは、うまくない。

早く相手の意識を、完全に刈り取らねば──────!


焦燥感しょうそうかんめいたものに突き動かされ、さらに拳を振り上げる。


──────────!?


視界の角度が、唐突に崩れた。


気づけば、僕は、両膝を床に落としてしまっていた。

体の芯から、力が抜けていくような感覚…………!


「ふ……ぐっ」


不様ぶざまうめいて、床に片手をついてしまう。


そうして、床に倒れ込まないよう、体を支えるのがやっとだった。

呼吸が整えられない。


絞り上げられるような苦痛と脱力感を無視して、なんとか〈無名ノウネイム〉のほうを見る。


そのとき、〈無名ノウネイム〉を拘束していた織布しょくふが、

ゆるみ、ほどけ、元の、ただの布きれとなって、床に落ちる。


光が、あふれ出た。


「道具を使われたからとはいえ─────」


何事もなかったかのような、穏やかな声。

賞賛するような笑みさえ浮かべ、〈無名ノウネイム〉は、僕を見下みおろしていた。


「拳を受けたのは、久方ぶりのことだよ」


無名ノウネイム〉の後背から、四筋の白光がのび、ひろがっていた。


……その姿は、まるで四枚の翼を、背に持つかのよう。

頭痛がするほどの、壮麗さだった。


こいつ、は─────!

目の前の男が、何者であるか確信したとき、またも視界が大きく揺れた。


なんとか踏ん張っていた片手からも、力が失われたのだ。

僕は、前のめりに、床に倒れ込んでしまっていた。


「君を、ベラヒィに引き渡すよ」


……よりにもよって、それ、か………………。


もはや見あげることもできず、〈無名ノウネイム〉の声だけを、聞くしかなかった。


「先ほども言ったが……そんなことは、無意味ではある」


無名ノウネイム〉の声は、遠い場所から聞こえてくるように感じられた。


「だが、約束は、約束でね───────」


……どこまでも、下に落ちていくような感覚に、襲われる。


自分の身に、なにが起こっているのか。

それを悟りながらも、僕の意識は、闇に沈んで……………………。

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