第3話:姫との蜜談(※誤字にあらず)

3-1

そんなこんなで、姫様がさらわれた場合の〈保険〉である、魔法の護符を受け取った。


………一応、〈密命〉っぽいから、ベアーとしいらさんには、内緒ないしょの方向かな。

部屋を出て、そう考えつつエレベーターのほうへと向かおうとしたところ。

僕の右腕が、くいい、と、見えざる力に、引っ張られた。


その正体は近づく〈気〉の動きで、事前にわかっていたから、抵抗はしなかった。

引っ張られるがまま、そちらへ歩いていく。

……なにせ、下手に逆らおうものなら、右腕を引っこ抜かれかねない。


トコトコと歩いていった先には、カガネアさんがいた。

カガネアさんは、僕に向かって、うやうやしくお辞儀をしてきた。


「申し訳ありません、ニフシェ様。姫様が、ニフシェ様と内々ないないにお話がしたい、とのことですので、お呼び立てさせていただきました」


「内々に、話?」


なんだろう。

キャップとギャノビーさんの前では、言いづらいこと?


……ひょっとしたら、攫われたと思しき、〈歌姫セイレーン〉ニネ=ヴィア・マッハー様のことだろうか。

二人の前で、親しくしている者から真っ先に案じるようなことを口にするのは、組織の長として、はばかられたのかもしれない。

──────しかし、それよりなにより。


「あのう、カガネアさん」


「はい、なんでしょう」


「その……それでしたら、普通に声をかけてくれればよかったのに」


その程度のことで、魔法装具マジック・アーツを使う必要はないのでは、と言外にふくませる僕。

先ほど僕の右腕をとらえたのは、カガネアさんが操る魔法装具マジック・アーツであった。

使用者の意志に応じ、自由自在に伸び動く、不可視に近い魔法の糸。

名は、確か、〈星結の糸ヴァライ・アンカ〉といったか。


その見えざる糸に右腕をぐるぐる巻きにされ、引っ張ってこられたのである。


だが魔法装具マジック・アーツといえば、至宝の類。

どう考えても、誰かを呼び寄せるだけの行為に使うのは、もったいないというか、なんというか。


「……殿方は、いざという時になると、及び腰になられますので。実力行使させていただきました」


くい、と眼鏡を直しながら、冷淡に応えるカガネアさん。


いざという時?

及び腰?

よくわからない返答だった。


困惑する僕などおかまいなしに、カガネアさんは部屋の扉を開け、入室をうながしてきた。


通された部屋は、客人とくつろいで歓談するための、リビング・ルームのようだった。

中央にあるテーブルを囲うように、座り心地の良さそうなソファが置かれている。


「お楽にお座りください。─────すぐに姫様もいらっしゃいます」


「はい」


うなずきつつ、下座しもざと思しき場所のソファに腰を下ろす。


カガネアさんは、立ち去るかと思いきや、座っている僕の背後に、音もなく、するりと歩み寄ってきた。


「……ニフシェ様。これから姫様がなさるであろう、お話についてですが」


「え? はい、なんでしょう」


後ろから、しかも耳元でささやかれるとは思っていなかったので、少し驚いた。

カガネアさんは、淡々と続ける。


「─────姫様は、数百年という永き年月を生きていらっしゃいますが、基本、色恋沙汰には、心底うとい方であらせられます」


色恋沙汰?

いきなり、場違いな単語が飛び出てきた。


聞き直そうと思ったが、カガネアさんの口調には、僕に有無を言わせぬような、冷徹な響きがあった。

ぶっちゃけ、怖い。


「その方面では、姫様は、外見通り、十代前半の娘子並に疎い、と認識しておいてくださいませ。……何故疎いか、という話を、詳しく説明するわけにはまいりませんが─────。ニフシェ様には、そのことを念頭に置いて、姫様のお話をお聞き下さるよう、お願い致します」


「はあ……」


「………ふぬけたお返事ですね」


カガネアさんの眼鏡が、ギラリと光ったような気がした。


「もし、姫様を落胆させるようなことがあれば、八つ裂きにさせていただきますので、そのおつもりで」


どのつもりでいろと!?


100%本気っぽい殺害宣告をしたあと、カガネアさんは、すい、と後ろに下がった。

姫様が、部屋にいらっしゃったのだ。


……あれ、姫様、服を着替えてる?


姫様の服装が、さきほど着ていたドレスから、ずっとシンプルな、蒼色のワンピースに変わっていた。

ギャノビーさんのように、場に応じて、衣装を替えるようにしたのだろうか。

だとしても、この短時間で、わざわざ着替えることもないのに。

若干無礼なことを考えながら、立ち上がって、姫様を迎える。


「わざわざ呼び直してすいません、ニフシェ」


「いえ……。──────それより、お話というのは?」


下手すれば八つ裂きにされかねないほどの話とは、いったいなんなのだろう。

姫様がソファに座られてから、僕も腰を下ろす。


「そうですね、そのう……」


姫様は、言いよどんで、チラリとカガネアさんのほうを見た。

するとカガネアさんは、一礼して、部屋から退出していった。


それを見届けたあと、姫様は小さく咳払いをして、口を開かれた。


「なにから話したものでしょう……」


いつもの姫様らしくなく、どこか言葉の歯切れが悪い。


「このような時に、このようなことをたずねるのは、不謹慎と言いましょうか………いえ、このようなときだからこそ、たずねておかねばならないと、わたくしは思ったのです」


「……はい」


なにやら、思い詰めたような雰囲気。


やはり、ニネ=ヴィア・マッハー様のことか。


意を決したような表情をすると、姫様は、言った。


「年下の殿方に、恋をしている女性がいます」


「───────────────────────────え?」


「…………で、ですから、そのような女性がいるのですっ」


「はあ……」


ええっと……。

ニネ=ヴィア・マッハー様のこと、なのだろうか?


「その年の差は、およそ三百歳以上あります」


「……その女性は、〈人外アーク〉の方なんですね」


僕の愚にもつかぬ質問に、はい、と姫様は真剣な面持ちでうなずかれた。


名前の出せない、〈人外アーク〉の女性。

それはニネ=ヴィア・マッハー様なのですか、と、改めて確認できるような空気ではない。


「─────ニフシェは、どう思いますか?」


…………。

どう、と言われてもなあ…………。


そもそも、ニネ=ヴィア・マッハー様には、お会いしたことはないし。

だけど姫様の真剣な表情を見ていると、安易に、わかりません、なんて言えるはずもない。

まず、〈人外アーク〉という存在の一般論から考えて、一番大切なことを訊いてみる。


「─────その相手の殿方、っていうのは、〈人外アーク〉なんですか?」


「………ええ。その、正確には、〈半人外ハーフ〉の方なのですけれど」


「じゃあ、問題ないじゃないですか」


いくらか胸を撫で下ろして、笑ってみせる。


人外アーク〉の恋愛で、最も難しいケースは、恋人の片方が、人間だった場合だ。


どれほど互いの想いが強くても、〈種〉の違いが生む寿命の差だけは、埋めることができないからだ。

人間の想い人が、確実に先立つ。

その運命を覚悟して臨む恋愛というのは、それは、辛いものがあるだろう。


だが、恋人たちが〈人外アーク〉同士ならば、そういった類の精神的負担は、少ないはずだ。


半人外ハーフ〉の寿命は、概ね純粋な〈人外アーク〉のそれと、さして差はないという。

それならば、普通の男女間の恋愛と、なんら変わりがないだろう。


「うん、別に問題ないですよ。いいんじゃないですか? と言うか、なにか不都合でも?」


「そ、そうでしょうか? ……おかしいとか、変だとか、思ったりしないのですか?」


「おかしいって……それは、人間の恋愛だったら、かなり問題がありますけど。〈人外アーク〉同士の恋愛なら、大いにありうるお話じゃないかと」


人間の老女が、十代の少年に恋をするのとは、訳が違う。

そのあたり、〈人外アーク〉の寿命の認識については、姫様のほうが重々承知されているはず、と思うのだけれど。


「そうですね……問題があるとしたら、あとは当人同士の、お気持ちだけじゃないでしょうか……?」


「当人同士……ですか」


「はい。他人がどうこう言えるものではないと思います」


「それは……そういうものでしょうけれど………」


お茶をにごすような、僕の意見には納得しかねる様子で、姫様は、かすかに眉根を寄せられた。


「─────殿方のほうが、そのような意識で女性を見ていなければ、どうなのでしょう?」


「……と、おっしゃいますと」


「つまり、なんと言いましょうか─────。………女性のほうが、一方的に、その殿方を恋慕しているような場合です」


また難しい、僕には無縁の問題だ。


そういうことは、同じ女性である、侍女のカガネアさんにでも相談すればいいのに……。

と、そこで、カガネアさんに釘を刺されたことを思い出す。

同時に、思い至った。

何故、キャップやギャノビーさんでなく、僕にこんな質問をしてきたのか。


……この質問で一番重要なのは、件の二人の、年齢差だ。

おそらく僕は、姫様の人脈の中では、最年少の〈人外アーク〉。

きっと姫様は、僕ならば、問題の男性の本音に近い意見が聞けると、そう思われたのだろう。


とはいえ、僕にとっては、ない引き出しを、無理矢理探し出すような部類の相談事だ。

姫様を満足させられるようなことは、言えないだろうけど………。


──────────これは、なんとか、頑張って答えないと。


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