オキクの復讐

さらしもばんび

第1話

 灼熱の太陽のもとでの応援で噴き出た汗が、白いシャツを濡らし素肌を浮き彫りにする。しかし不思議と高校生の汗は、透明感がある。


 夏の甲子園大会予選。東東京大会も日程が進み、あと1試合勝てばベスト16。観客席から球児たちを見守る生徒達の応援も当然熱を帯びてくる。駒場学園高校は、2点のビハインドで9回の表を迎え、最後の頑張りで2アウトながら満塁の好機を得た。神宮第2球場観客席の5599人の目が、投手とバッターに注がれる中、ひとりの女子生徒だけがブルペンを注視していた。正直に言うとこの女子生徒は、試合の開始から今まで、ブルペンから目を離していないのだ。ブルペンでは、味方の逆転を信じひたすら投球練習をおこなうバッテリーがいた。しかも彼女の注視の先は投手ではなく、広い背中に12番を背負った捕手なのである。


 鋭い金属音とともに白球がライト方向に打ち出された。全選手が、全観客が、そしてブルペンのバッテリーさえもが投球をやめて白球の行方を追っている最中にも、女子生徒は12番の背中を見つめていた。やがて白球は大きな弧を描いて、ライトの外野手のグローブに収まった。ライト側のため息とレフト側の歓喜が渦巻く中で、球児たちは全力走で球審のところへ集まった。整列しながらも、プロテクターを付けたままの12番は、涙にくれる11番の背に優しく手をかける。球審の『ゲーム!』の声とともに、駒場学園高校球児の夏が終わった。しかし、12番を注視する女子生徒にとっては、その球審の声が開始の合図ように聞こえてならなかった。


 7カ月後。


 寒さに曇るガラス窓越しに外を眺めていた菊江は、校庭に制服姿でサッカーに興じている12番の姿を認めた。部活を終えた彼は、髪を伸ばして高校球児の趣はなくなったものの、一段とイケメン度を増している。


「石津先輩。私は初めて坊主頭のあなたを見た時から、あなたのかっこよさを、見抜いていました」


 彼を目で追いながら、菊江はつぶやいた。

 菊江1年の春、グランドで部活をしている彼の姿に一目惚れして以来、彼女の片思いが続いている。人目を避けて河川敷のグランドに通っては、練習する彼の姿を追った。菊江は練習のなかでも特にシートノックが大好きだった。


「ほらー泰佑。声だせや!」


 内外野の部員が、捕手である彼の名を呼ぶ。菊江はこれで彼の名前を知った。そして、彼が内外野の野手に指示を飛ばし、彼の声を知った。


「よっつ!よっつ!」


 彼は、自分の声のキーを一つ上げた甲高い声で、外野へバックホームを指示する。後から知ったのだが、大きい声というより甲高い声の方が、外野によく聞こえるのだそうだ。短い波長の方が観測者まで減衰が少なく届くということらしい。野球選手は経験値からそれを知っていた。実のところ、彼の普通の声すら聞いたことが無い菊江だが、シートノックの声で十分に満足していた。


 部活が終わった今でも、学園で彼を見つけるといつまでも目で追ってしまう。もはやそれは菊江の習慣となっていた。そんな時は、まわりのことをまったく忘れてしまう。今も親友のテレサとナミが、彼を見つめる菊江のだらしない顔にあきれて、ため息をついているのだが、菊江は全く眼中になかった。テレサが読んでいたファッション雑誌を丸めてメガホン代わりにすると、菊江の耳元に近づけてがなりたてた。

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