Ⅰ-105 いつでもどこでもシャッターチャンス

「よく見るといいのです、これこそが新アイテム…ジャパリフォン!」

「ジャパリフォン…って、何それ?」

「その名の通り、”けいたいでんわ”というやつなのです」


 渡されたカタログのような本には平べったい機械の写真。

 外の世界では、”スマートフォン”という名前で呼ばれていたと記憶している。

 もちろん、実物をこの目で見たことはない。


 今日は大切な用があると神依君に呼び出されて、イヅナとキタキツネも伴って図書館まで来ている。


 二人も連れてくるようにと神依君には強く念押しされた。

 何をするつもりだろう…ちょっぴり不安。


「電話だってことは分かるけど…もしかして作るの?」

「まさか、作るのは工場のラッキービーストなのですよ」

「お前は好きなデザインを選ぶだけでいいのです」


 ぐいぐいとカタログを押し付けられる。

 この押しが強い雰囲気、博士たちから感じるのは久しぶりだ。


「そう言われても…そもそも必要かな…?」

「いる、絶対いる!」

「き、キタキツネ?」


 ひょっこり飛び出すキタキツネ。

 熱い視線と突き刺さる視線がチクチクと背中に届く。 


「ボク欲しいからほら、選んで!」


 …なんでキタキツネが急かすんだろう。

 

 今朝の様子を思い出してみればキタキツネはやたらと上機嫌だった。

 一枚噛んでいるとみて間違いない、だから何だって話だけれど。

 

「ええと…キタキツネのを選べばいいの?」

「ノリアキの好きなのでいいよ、ボクはお揃いにするから」


 そもそも遠く離れることも少ないから電話なんて持つ意味もないと思うけど、キタキツネにとってはそうではないのかも。

 あるいは、イヅナと僕を繋ぐテレパシーへの憧れかもしれない。


 兎にも角にも、四六時中呼び出し音が鳴る未来だけは避けたいと思う。


 僕はカタログのページをめくり、キタキツネっぽい色の機種を探す。

 しかしキツネ色とは思っているより派手なもので、落ち着いた色の多いこのカタログには見当たらなかった。


「…決まらない?」

「もうちょっと…ね」


 …一つ気になっているものがある。


 綺麗なのスマー…ジャパリフォン。

 よりにもよって、白い機種。イヅナと同じで真っ白、頭の中も、真っ白。


「…どうしたの、ノリアキ?」


 ぴたっと背中に張り付くキタキツネ。

 腰に腕を回し、熱い息の混じる声はトーンを落としている。

 キタキツネは、どうしてこうも勘が鋭いのだろう。


「わかるよ、ずっと一緒にいるんだもん」

 

 これならテレパシーなんて、キタキツネにとっては妬く程のものでもないのかもしれない。


 ともあれキタキツネの機嫌が悪いことだけは僕にも察せたから、白い携帯はやめにしよう。


 しばらく悩んで、結局僕は暗い赤色を選ぶことにした。

 血のように暗く重々しい紅の彩りに、意味もなく心を惹かれたから。




―――――――――




「わぁ…綺麗…!」


 およそ一週間後、オーダーメイドで製造された三台のジャパリフォンが温泉宿に届いた。


 二台は赤く、一台は白い。

 気が付かぬ間にイヅナも頼んでいたらしい。


「ふふ、イヅナちゃんはその色で良かったの?」


 僕と同じ色の携帯をひけらかしながらキタキツネが言う。

 

「念のため持つだけだよ、私はこんなもの無くたっていいから」


 ひらひらと構わぬ様子のイヅナは、そのままの調子でキタキツネの尻尾を逆撫でる。


「キタちゃんも…に頼ってちゃダメだよ?」

「…余計なお世話」


 プイッとそっぽを向いて部屋から出ていく。

 …僕の手を強く引いて。


 イヅナは何も言わずに、しかし真剣な眼差しで見守っていた。

 見失う間際にテレパシーで一言、『今日のご飯は私が作るよ』。


 それを、今伝える必要はあったのかな…



「これ、どうやって使うの?」

「説明書ならあるけど…」


 なにせ僕も初めて使うタイプの機械で勝手が分からない。

 そんな人のために、この世界には”説明書”というものがある。


 キタキツネが開いて、一言。


「…読めない」


 紙の束が宙を舞い、雪の中へと消えてしまう。見たところ随分と遠くまで行っちゃったみたい。

 健気な赤ボスもまた、それを取るために遠くへ消える。

 

 勉強のおかげで簡単な文章は読めるようになったキタキツネだけど、流石に電子機器の説明書となると話は違う。


「じゃあ、僕が読んであげる」


 ジャパリフォンは三台、説明書も三冊。

 取りに行った赤ボスには悪いけど、僕の説明書で事足りる。


 説明書に挟まれた初期設定用の小冊子。

 これを読めば、最初にすることは大体分かるはずだ。


「ええと、”セルリアンでも分かる初期セットアップ”……?」


 下の方に小さく『作:偉大なる博士』と書いてある。博士はセルリアンを何だと思っているのかな。


 もしかして、神依君のこと…?


「神依君、頭は悪くないはずなんだけどな…」

「ノリアキ、早くこれで遊びたいな」


 キタキツネはその辺の事情に興味がない様子。

 さっきから動かないジャパリフォンで楽しんでいるくらいだもの。


 偉大なる博士作の小冊子は、意外にも分かりやすく手順が示されていた。

 

 これなら案外セルリアンでも理解できるかもしれない。今度会ったら食べさせてみよう。

 …神依君にじゃないよ?



―――――――――



 設定はものの数分で終わる。

 むしろ充電に数十倍くらいの時間を使ったが、それはもはや仕方がない。


「…よし、こんな感じかな」


 ポチっと電源を入れれば、いつでも使うことが出来る。

 せっかくだから、試しに何か機能を使ってみよう。


 …何が良いかな、そもそも何があるのかな?


 分厚い方の説明書にも目ぼしいものは書いていない。

 精々、カメラの使い方が書いてあるくらいだ。


「でもカメラか…そういえば、使ったことないな」

「カメラ…って何?」

「写真って言う…景色を絵に残したものかな、それを簡単に作れる機械だよ」

「それがこの中に入ってるの?」

「そう…便利なものだよね」


 パシャリ、何の変哲もない雪山の景色がメモリーの中に収められた。


 明日も来年も多分、この景色は変わったように思えない。

 だけど、この景色は今この瞬間だけ存在する。

 その確かな証拠が、紅く小さな機械に残された。


「それでも…何も変わらないけど」


 もう一枚、今度は空に向けて。

 浮かぶ綿雲はもうそこを過ぎてしまった。

 

 雲に隠れた太陽は、本当にそこに有るのかな。


「……変なの」


 そんなの有るに決まってるのに、気分が浮かれてるのかな。

 ふわふわ…移ろいやすい雲のように。


「ねぇ、げぇむもあるよ…!」

「え、あるの?」


 ほんのりと笑みを浮かべ、キタキツネは画面を見せてくれた。

 楽しそうにビートを刻むリズムゲームだ。


「…LOSTっていっぱい出てるよ」

「……あ」



―――――――――



「ノリアキ、“でんわ”してみようよ…!」

「折角だもんね、でも…こんな近くで? 本当に繋がってるか分かんないかも」

「……じゃあ、ちょっぴりだけ離れる」


 心底不服そうにキタキツネは距離を取った。僕をじっと見つめて、体がすごく前のめりになっている。


 “離れる”という言葉は、想像以上にキタキツネの胸を締め付けている。


 僕も少し怖いと思ってしまった。


「…じゃあ、掛けるよ?」

「…うん」


 彼女の目線がジャパリフォンと僕の間で泳ぎに泳いで、時々溺れてグルグル回る。 時折、恥ずかしがるように顔をジャパリフォンで隠した。


『~♪』


「っ!」


 前触れもなく震え出した携帯飛び上がり、キタキツネは恐る恐る応答のボタンをタップする。

 

『…もしもし』

『も、もしもし…?』

『良かった、ちゃんと繋がってるね』

『…ノリアキの声が、ふたつ聞こえる』

『僕も、キタキツネの声が二つ聞こえるよ』


 部屋の端っこに立つ二人。

 お互いを見つめあいながら、まるで遠くにいるかのように話をした。


 天気の話、ゲームの話、最近起きた出来事の話。

 それと、初めて会った時の話。


 こんな会話になるなんて思ってもいなかった。きっかけというものは予想できない偶然を運んでくる。

 いつでも出来る陳腐な話がとても楽しかった。


 そして、時間は矢のように過ぎ行く。



「…あれ、動かなくなっちゃった」


 突然通話が途切れて、どこを押しても反応しない。

 指先で弾いてみても、うんともすんとも言わないのだ。


「電池切れ? …って、もうこんな時間」


 気が付けば日は傾き、橙色の光が雪に反射して差し込んでいる。

 

「ほんとだ…もう夕ご飯の時間」

「…そうだね」


 しょんぼり充電ケーブルを繋いで、キタキツネと僕は居間へと向かう。

 

 彼女のはまだ使えるらしい。電池のやりくりが上手なんだな。

 …何というか、流石はゲーマー。




―――――――――




「ふう…」


 背中に落ちる雫を拭き取って寝巻を身に着ける。

 濡れた髪の毛をタオルでわしゃわしゃ、立ち上る湯気は尻尾から。


 何となしにジャパリフォンを手にして、夜の景色を写真に残した。


「三日月も…嫌いじゃないかな」


 とびっきりにズームして一枚、枠いっぱいのお月さま。

 本物と見比べていたら、意地悪な雲が隠してしまった。


 月があった場所にジャパリフォンを重ねると、逆さまになった月が僕を覗き込んだ。


「…あはは」


 

 ひとしきり夜の景色を再確認した後、昼間撮った写真を確認しようとアルバムを開く。

 

 画面に浮かぶ丸かっこ。

 その中に閉じ込められた数字が僕の頭に引っ掛かった。


「200枚? …そんなに撮ってたっけ」


 数えながら撮ってた訳でもないし、夢中になってたからそれくらいあっても不思議ではない…のかな。

 

 雪原の写真を探しにスクロール。

 真っ白な写真が僕の目に飛び込む。


 真っ白な…僕の写真だ。


「………え?」


 雪原はない、綿雲もない、青い空さえ写っていない。

 僕の映った写真だけが、ペタペタ貼り付け並べられる。


「…まさか」


 咄嗟に電話帳を開くと、僕の電話番号が登録されていた。

 つまり、これはキタキツネのジャパリフォン。


 同じ色だから間違えて持って来ちゃったみたい。

 お揃いも時には困りもの、だからイヅナは白を選んだのかな。


「……」


 震える指でもう一度アルバムを開く。

 キタキツネが僕のどんな姿を写真にしたのか、どうしても気になってしまって。


 広がるように現れる切り取られた時間の数々。

 

 写真を撮っている僕、空を眺める僕、雪を手にする僕。

 何かしている時の写真から、何気なく仕草を取っている写真まで、キタキツネは見境なくその記録の中に収めていた。


 もしくは、最初からそのつもりだったのかもしれない。

 ジャパリフォンを持つことを強く推していたのはキタキツネだったから。


「…ノリアキ?」

「っ! あ、キタキツネ…?」


 後ろから突然話しかけられ、驚き向き直って背中に隠す。

 うとうとした様子のキタキツネは、あろうことかジャパリフォンを探していた。


「知らない? ここに置いたはずなんだけど…」

「…多分、これかな」

「あ、ノリアキが持ってたんだね」


 キタキツネに渡して、彼女が画面を光らせる。

 その液晶の上に、僕の写真が大きく映しだされた。

 

「……見ちゃった?」


 何故か観念したように微笑む。

 僕も何故か今すぐにでも白旗を掲げたい気分だ。

 

「……」


「……」


 なんだか気まずくて話しかけづらい。

 

「ええと…風でも浴びない?」

「…うん」


 キタキツネも同じ気持ちだったようで、僕達は縁側に腰を掛けてゆっくり落ち着こうとした。




―――――――――




 ――キタキツネの横顔を見る。


 こちらを向いた横目と目が合って、瞳は吸い込まれそうなほどに美しく星空を跳ね返していた。


「…ノリアキ、怒ってる?」


 不安げに細まる目、手首を握りしめる指がわずかに力強くなる。


「ううん…ただ、びっくりしちゃった」

「そうだよね…ごめんね…」

「いいんだよ、撮りたいならいくらでも」


 キタキツネの手を握り返して、両手と尻尾で包み込む。


 そこにキタキツネの尻尾も加わると、雪山の風に当てられているとは思えないほど暖かい。


 尻尾のだけじゃなくて、心臓と血が擦れて生まれる熱が全身を駆け巡ってゆく。


「ノリアキ…いい?」


 キタキツネが僕に体を預ける。

 もっと、暖かい。

 

「ねぇ…キタキツネ?」

「……?」

「写真も悪くないけどさ…僕は、ずっとここにいるよ」


 腕を回して、ぎゅっとキタキツネを縛り付ける。

 ほっと、息を漏らす音が耳をくすぐる。


「…ありがとね、ノリアキ」


 ゆっくり体を離すと、朱に染まったキタキツネの顔が近づく。

 今度こそ本当に離れて、僕達は月を見上げた。



 ――――パシャッ!



「え…?」

「ん~~ッ!」


 シャッターの音に振り向くと、不意に唇が塞がれる。


 ぷはぁとイヅナが声を上げ、白いジャパリフォンをひらひらと振ってついさっき撮った写真を見せてくれた。


「…僕しか写ってないね」

「当然でしょ、というかズルいよキタちゃん、抜け駆けなんて!」

「もう、今日こそはって思ってたのに…」


 空気が何だか軽くなる。

 三人でいると、ほんのりと心が安らぐ。


 前までは安心なんて考えられない関係だったのに、時間は不思議だ。


 ただ今は、これを作ってもらってよかったと本当に思っている。

 

 

 その時強い風が暖簾を揺らし、雪の中から赤ボスが出てきた。


「…ノリアキ、説明書ヲ見ツケテキタヨ」

「あぁ…ご苦労様…」


 濡れてぐしゃぐしゃになった説明書を見ると、写真に撮ってみたくなった。

 今日という日の、他ならぬ記録の一つとして。


「…あれ、そういえば僕のジャパリフォンは?」

「私が持ってるよ、はい…どうぞ」

「なんでイヅナが…?」


 …まあ、いいか。


 パシャリ。

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