第41話 会見

 町役場の会議室に姿を現した謙三は、集まった記者たちに一分もの間、慇懃に頭を下げ続けた。

 闘牛大会の取材に訪れていた新聞社やテレビ局が、思わぬスクープをものにしたと役場に詰めかけたため、記者会見形式で説明をすることとなったのだ。

 普段、滅多にテレビカメラが入ることなどない殺風景な役場の会議室に、何台ものカメラが並んでレンズをむけているということ自体が、まるで現実味のないものだった。

 顔をあげると、謙三は神妙な表情で席に着く。テーブルの上にいくつものマイクやICレコーダーが置いてあった。


「まず、さきの夏の町長杯争奪全島一闘牛大会において、一名の高校生が怪我をされました。幸い、命に別状はないものの、右足を骨折する重傷となったことは、大変残念なことです。一日も早い回復をお祈りするとともに、闘牛連盟と連携して事故の再発防止に努めていきたいと考えています」


 謙三はまず見舞いの言葉を口にし、そして会場に集まった記者たちに目配せをする。


「今日皆さまにお集まりいただきましたのは、大会中に、私に対するいくつかの疑義が呈される場面があり、それについて、明確に説明を果たす責任があると感じ、このような場を設けた次第です。

 私が皆さまにお話しすべき点は二つ。一つは、私の婚外子について。そして、もう一つは、公費の私的流用の疑惑についてです」


 一呼吸をおいて、謙三は取り澄ました表情を崩さずいった。


「結論から申し上げますと私には婚姻関係にない女性との間に生まれた子がおります」

 カメラのフラッシュが稲光のように青白い光を一斉に放った。

「婚外子ではありますが、不貞行為によるものではありません。ですが、ひとりの女性とその子のあたり前の幸せを奪ったのも事実です。

 もう二十年以上も前のことです。当時、私は奥島会理事長でもあった肥後義虎先生の議員秘書をしていました」


 その名を聞いて会場がざわついた。肥後義虎といえば、泣く子も黙る奥島会病院の理事長であり、この島で最初に国会議員になった島の権力者だ。


「東京の大学を出たあともふらふらとしていた私を、先生は同郷のよしみということで、議員秘書として雇ってくださいました。ご存知の方も多いかと思いますが、先生は選挙のたびに、家族はもとより病院の職員や看護師までもが、選挙応援に駆け付けるわけなんですが、その中でたびたび顔をあわすうちに、私は一人の看護師の女性と恋仲になりました。

 その後、私は先生の勧めもあって、この島の町議選に立候補することにし、そのために東京から島に帰ってきて、彼女とはそれきりになりました。

 島に帰った私は町議選に当選し、さらに家内と出会い、今の娘も授かったのですが……帰郷前に東京でお付き合いをしていた方にも、子どもができいたと知らされたんです」


 謙三は困ったような、照れたような表情でほんの少し眉を下げ、咳ばらいを一つ挟んで続けた。


「本来であれば、私は彼女の子を認知すべきでした。ですが、彼女から連絡を受けたとき、私はちょうど町議選に立候補している最中であったこと、そして、今の妻と結婚を前提として交際をしていたこともあり、私は、彼女が私に認知を求めない、といったことに甘えてしまった。もう一人の我が子を、我が子として受け入れてやれなかった。これが、指摘された婚外子の真実です」


 ふたたびシャッターの切れる音が繰り返される。すこし間をとると、謙三は今度は表情を引き締めた。


「その養育費を公費から不正に流用しているという指摘がありましたが、それについては根も葉もない話であるということは、先に伝えておきたいと思います。しかし、順をおって説明する必要はあるでしょう。

 私の婚外子は、先ほど説明したように、私が認知していなかったため、父親の戸籍はありませんでした。しかし、せめてある程度の養育費だけでもと、東京で働いていたときの蓄えから送金していました。もちろんこれは私費です。

 しかし、私はその子の名前すら知らされておらず、ただ、単純作業として彼女の銀行口座に毎月の送金をするのみです。ところが、数年前、一度だけ酔った彼女から連絡があったのを覚えています。『娘が保護された』と。私はそれを児童相談所に保護されたと解釈しました。児童相談所では虐待など、親元に返すことが危険と判断した場合は、両親でさえ子どもの居所を知らせません。ましてや、戸籍上は他人である私にどうすることもできなかった。私はこのときになって、初めて、我が子を助けてやることもできないのだと、自分が犯した過ちの重大さを思い知りました。

 奇しくもそのとき、この島で離島留学生による放火事件が発生しました。彼もまた、家族との接し方に悩んでいました。

 このふたつの出来事によって、私は子どもと家庭の在り方について深く考えさせられました。

 近年、日本の多くの自治体では、虐待や育児放棄によって、家を離れ施設で暮らす子どもが増えている。彼らの多くは何の落ち度もないのに、ごく普通の幸せから遠のいた場所で過ごさねばならない。

 離島留学制度は、そうした子どもたちにも、この島でごく普通の幸せというものを感じてもらいたいという想いがあった。島の生活が普通かどうかと問われれば、都会にはるか及ばない不便なものです。けれど島には、誰かを助け、また助けられ、互いに支え合い生きる『ユイ』の精神が根付いている。その心に触れることで、子どもたちに家族や島の人たちとのつながりを感じてもらうきっかけになればと考えていた。しかし、私が意図するところとはまったく別に、私たちは離島留学生であった彼の心を傷つけてしまった」


 そこまで一息で話をすると、気持ちを落ち着かせるようにすぅっと息を吸った。


「我々は、この一年半の間、離島留学プログラムを一時停止してその在り方を考えました。そして、この春にふたたび一名の離島留学生を受け入れることになった。

 詳しくは個人のプライバシーにかかわることなので説明は差し控えますが、すくなくとも、我々が彼女に対して役に立てるのならば、という思いはあった。受け入れ先の選定においても、二年前の事件の反省を踏まえ、留学生をきちんと『家族』として受け入れてもらえる方を選びました。

 我々はこうした経緯で今年度の離島留学生を受け入れたのであり、公費の私的流用という指摘については、それが当てはまらないということは明言しておきたいと思います」


 質疑応答に移り、記者の一人が挙手をして質問をした。


「その受け入れた離島留学生が、町長の子どもだという指摘がありますが、もし、そのことを知っていて、あえてその受け入れを実施したというのならば、間接的に公費の私的流用にあたると思われても仕方ないのではないかと思いますが、どうですか」

「私はその子の母親から名前も聞かされていませんでしたし、苗字もとりわけ珍しいものではなかった。そもそも、子どもがどこでどのように暮らしているのかさえ知らなかったのですから、事前には知りようがなかった。逆に、どうやって彼が親子関係について知りえたのか、私としてはその方が大いに問題だと思っています」

「では、質問を変えます。もし、指摘されているように、留学生との親子関係が立証されたとすれば、町長はどのようにされるつもりでしょうか」


 謙三はゆっくりと視線をあげる。ちょうど天井と壁の境目くらいを夢見心地な表情で眺めながら、ほんの少しだけ口端を持ち上げた。


「もちろん、血を分けた我が子であるなら、家族として迎え入れる準備はあります。家内も娘も、それはすでに了承していますから」


 会見場の一番後ろで傍聴していた翔真と力太郎は、謙三からのその一言を聞くと、そっと会議室を出ていった。

 薄暗い階段を駆け下りて町役場の玄関を飛び出したとたん、真夏の太陽が容赦なく降り注いだ。

 やけどしそうなほど熱くなっている自転車のサドルに慎重にまたがると、滝のように蝉が鳴きしきる役場通りを、フェリーターミナルを目指して、翔真は目一杯ペダルを踏みこんだ。

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