第22話 公認がほしい

 力太郎が普段の学校生活でなによりも楽しみにしている昼食の時間を割いてでも「作先生にお願いしに行こう」といったのは、それなりの決意の表れだともいえた。

 ただ、生物部にとって職員室は、なるべくなら近寄りたくない場所だった。牛の飼育が認められているからといって、闘牛をやっていいという免罪符を受けたわけではないことは、部員たちも理解していた。

 そのため、顧問の作を呼び出す役割を担ったのは若葉だった。

 若葉なら、生物部よりも離島留学生のイメージが強いし、担任を受け持つクラスの生徒だ。相談事を持ちかけるように呼び出せば、他の教師たちが生物部を勘繰ることもないと考えたからだ。

 職員室をぐるりと見まわした若葉は、作を見つけると、「先生、ちょっと」と手招きをして職員室から連れ出した。


「闘牛大会の出場を学校に認めさせろって?」


 作を牛舎前まで連れてくると、待ち構えていた力太郎が両手を合わせて懇願した。お願いされた作は心底困った顔をして、頭を掻いている。


「頼むよ先生。闘牛は牛舎に繋いでるだけじゃ意味がない、戦ってこそ価値があるんだ。それに、調教師やってるワッキーの養父の清正オジが、学校から公認をもらえるなら、若力の調教に協力してもいいといってくれているんだよ」

「牛の調教はともかく、闘牛大会に学校公認で生物部の牛を出場させるってのはいくらなんでも無茶だよ、前例がないし危険すぎる」

「そこを何とか!」

 力太郎の隣に並んだ若葉も腰を折って深々と頭を下げる。

「先生、わたしからもお願いします。闘牛の文化を後世に伝えていくことは学術的にも価値があるはずです!」

「学術的って……それに、お願いしたとして却下されたらどうするの? それこそ、生物部の存続問題じゃないか」

「だから、そうならないように先生に知恵を絞ってもらって……」

「僕が知恵を絞るのかよ」

「もともと、誰の牛だと思ってるんですか」


 翔真も加勢し、しばらく押し問答をした結果、とりあえず生物部からの要望書をあげる形で、学校と交渉しようということになった。


「ただ単に闘牛大会に出したい、だけでは不十分だ。学校を納得させられるだけの材料がないと。それをちゃんと考えるんだぞ」


 作はいつになく険しい表情で力太郎たちにそう伝えた。どうにも、先行きは明るくなさそうだった。


     ♉


「とりあえずワッキー、清正オジには近々必ず説明に行くから、少し待ってもらってくれ」

「うん。わかった」


 牛舎から教室に戻る途中、階段に差し掛かったところで「力太郎!」と呼び止める声があった。階上から駆け降りてきたのは、背丈が百八十センチほどはありそうな男子生徒だった。

 この島出身の人間とは思えない切れ長の目と、鼻筋の通った整った顔立ち。長身のわりにすらりと細く、緩くカールした髪をワックスで無造作にセットしていて、控えめに表現してイケメンだ。濃いグリーンのネクタイで三年生だとわかる。彼の姿を目にとめた力太郎が、気安い挨拶を送る。


「おう、トモ兄(にい)か。昼練習だったのか?」

「ああ、来月コンクールだからな。今、まさに追い込み中だよ」

 若葉が二人の間で視線を行ったり来たりさせていると、力太郎が上級生の彼を紹介した。

「この人は、俺の中学の先輩で森山友樹、吹奏楽部の部長なんだ」

「よろしく」と友樹が短い挨拶を返して、にやっと口端を吊り上げた。「力太郎、ついに彼女ができたのか」

「違うって! 同級生の三木若葉。同じ生物部」

 からかう友樹に耳を赤くして力太郎が反論する。若葉も首をすくめて俯いた。

「冗談だよ。それにしても、力太郎が部活をするとはな。どういう風の吹き回しなんだ?」

「実はここだけの話、生物部という名を借りて闘牛を飼育してる」


 声をひそめて力太郎がいうと、一瞬きょとんとした友樹が、大口をあけて笑った。


「ははは、そういうことか。さすが力太郎、納得だ」

「ただ、闘牛大会に出したいんだけど、その前に学校側を説得しなきゃならなくて、悩んでるところ。トモ兄のところは今年も新入部員たくさん入っていいよなぁ。絶対トモ兄目当てで入ってる女子、いるだろ」


 力太郎が羨ましそうにいうと、友樹は眉をハの字にして首を左右に振った。


「まさか。みんな音楽が好きでやってるんだ。それに今、部員は二十名弱だけど、実際に吹奏楽でコンクールに出るには最低でも四十名はいないと、強豪校はおろか、一般の公立高校にすら太刀打ちできないんだよ。今も合奏をビデオで撮って、後で見直して、悪いところを直したりして、なんとかいい演奏にしようとはしてるけど、そもそもの迫力がまるで違いすぎる。うちだって巨象に挑む蟻みたいなもんだ」

 友樹から大きなため息が漏れた。

「みんな演奏は好きなんだ。でも、結果が分かり切っているコンクールじゃあ、どうしても気乗りがしないというか……個々の力はいいものを持っているのに、部員数が少ないせいで、心から演奏を楽しめないんじゃ、もったいないって思う。おれは次のコンクールで引退だけど、あいつらにはもっと演奏できる場を与えてやりたい」

「文化祭は? 文化祭ならコンクールみたいに点数を競うこともないし、楽しいんじゃないの?」

「たしかに、文化祭なら点数は関係ないけれど……観客数がね」

「そうか。うちの文化祭じゃあ、集まってもせいぜい百人ってところだもんなぁ」


 力太郎と友樹はお互いに沈んだ表情で「はぁ」と息をついた。昼休みの告げるチャイムがその空気をさらっていく。


「おっと、授業に遅れる。じゃあな、力太郎!」

 友樹はもとの爽やかな笑顔を浮かべ、軽く手を振って小走りで立ち去った。

「俺たちも急ごうぜ、ワッキー」

 若葉はうなずくと、力太郎の背中を追って、大急ぎで教室へとむかった。


     ♉


 この日の六時限目の授業は日本史の授業だった。教壇に立つ作が、教科書を読みながら、武家社会の封建制度について話していた。


「封建制度というのは、御恩と奉公に代表されるように、将軍と主従関係で結ばれた武士、いわゆる御家人に、将軍が分け与えた領地を統治させていた制度です。そして、御家人はその土地の農民に年貢として税を課すわけですが、農民の中にも、地主と小作農という身分がありました。つまり、将軍を頂点とする、身分のピラミッドが形成されていたわけです」


 作は黒板に大きな三角形を書き込み、教卓に両手をついて教室を見渡した。


「センセー、『武士』と『侍』の違いって何ですか?」


 前方の席で誰かが質問した。


「侍というのは、『さぶらひ』とか『さぶらふ』という言葉が語源になっていて、傍らに控える者という意味だったんだ。それが、江戸時代ごろに主君、つまり将軍に仕える武芸者を指す言葉として使われるようになったといわれているね」


 教室に小さな感嘆の声があがった。質問者は作にちょっとした意地悪をしたつもりだったのだろうが、どうやら先生のほうが一枚上手だったらしい。


「それじゃあ、今度は先生から問題。この島は長く琉球や薩摩の支配下にあったわけですが、この島の農民にも身分制度があったのを知っている人はいますか?」

 作の問いに、若葉は教科書に目を落とす。さすがに、教科書にはこの島の歴史までは載っていない。教室の中ほどに座る女子が手を挙げて答えた。


「ヤンチュです」

「そう。家の人と書いて、ヤンチュ」


 作が黒板に『家人』と書いてこちらに向き直った。


「ヤンチュはかつてこの島にあった農奴制度だといわれている。薩摩藩による統治によって、年貢を納めることができなかった貧しい農民は、地主に借金をする代わりに、自分たちの子供を労働力として提供していた。つまり、ヤンチュは貧しい身分の農民だったんだ」


 若葉は板書を写し取っていたノートに、「家人」と書き込んだ。胸の奥がチクリと痛む。いつの時代だって、割を食うのは金のない者たちだ。


 放課後、チャイムとともに力太郎が普通科の教室にやってきて、「さっさと部活行こうぜ」と急きたてた。

 翔真が桃華に「今日はどうする?」ときくと、桃華は鞄に教科書を詰め込みながら「パス」と短く答えた。


「じゃあ、桃華ちゃん。また明日ね」


 若葉は手を振って席を立つ。桃華も静かに手を振り返した。

 校舎を出て牛舎にむかう途中、開け放った校舎の三階の窓から、賑やかな楽器の音色が響いてきた。運指練習なのか、クラリネットが二オクターブの音階を一気に駆け上がったかと思えば、それに混じってトランペットやトロンボーンなどの金管楽器の芯のあるロングトーンが、校舎をなぞる風に舞った。


「そういえば、吹奏楽部の人たちも大変だっていってたね」

 若葉は三階の窓を見上げながらぽつりと呟く。

「県内ではいろんな音楽イベントがあって、参加の打診はあるんだって。でも、そのほとんどが本土で開催されているから、そういうものにすべて参加していくと、交通費だけでも馬鹿にならないって、部員の親から反対意見が出ちゃって。結局、年に一回のコンクールにしか参加できないんだって」

 翔真がいうと「そっか、たしかにそうだよね」と若葉もうなずく。

「東京にいたときは、そんなこと考えたこともなかった。県外に行くのだって、電車で千円もかからないんだもの。島で何かをしようとすると、本当に大変なのね。桃華ちゃんが東京に行きたいっていう理由もわかるな」

「吹奏楽部も大変だけど、俺たちもまだ問題解決したわけじゃないからな。翔真、何かいい案ないか?」

「そうだなぁ、闘牛大会に出ることそのものが、学校にとってメリットになるようなことだったら、ダメとはいえないかもしれない」

「メリットかぁ」力太郎が腕組みをして唸る。


 牛舎に到着すると、三人の姿を目にした若力がしきりに首を動かしてお腹すいたアピールをしていた。


「とりあえず、先に若力の餌だ。今日は翔真が掃除当番だから、俺とワッキーで餌のついでにコイツを散歩させてくるか」


 目の前に積み上げられた課題はなに一つ解決できていなくても、若力の世話だけは毎日必ず必要になる。力太郎と若葉は牛舎から牛を連れ出すと、学校の裏山にむかった。

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