【SSその③うちの剣士と聖女が盗賊を舐めすぎな件】

 見上げれば、暮れなずんだ夜空に満月がひっそりと輝いていた。ふらふらと覚束ない足取りになっている多くの酔っ払いどもを避けながら、帰路につく。しっとりと冷気を含んだ夜風が、これほどまでに身に染みたことはかつてない。


 それもこれも全ては、見ているこっちが吐きそうになりかける程の恥ずかしいやり取りを、至近距離で見せつけられたせいだ。


 うちの剣士と聖女がしょうもない意地を張りあって、喧嘩ばかりしているのは今に始まったことではないが……今日の口に出すのも憚られる一連のアレは、マジでクソだった。二人同時に顔を真っ赤に染めあげてぶっ倒れた辺りで、俺の忍耐力の限界値を軽々と超えた。


 今日ばかりは、もう、流石に付き合いきれん。とっとと帰ろう。

 

 瞬時に堅く胸に誓ったものの、『ほえええ!? 二人とも大丈夫!? 顔、真っ赤じゃん~~~! ルドもマノちゃんも、そんなに飲んでなかったよね!?』と純粋にあの二人を心配しておろおろし始めたアホ女のことだけが少し気がかりだったが、それも杞憂だった。偶然、知り合いの女騎士と店で出くわしたらしく、アリスが彼女に喜々として飛びついていったのを冷めた瞳で見届けてから、金だけ置いて早々に店を出てきた。


 さて。 

 アホ共も撒けたことだし、家に着いたら、一人でしっぽり飲みなおすかね。


 暗くなってきたとはいえ、夜が更けきるまでにはまだたっぷり時間がある。王都のメインストリートに立ち並ぶ多くの店は、営業中であることを訴えるように煌々と明かりが灯っていた。酒場のオープンテラス席から漏れてくる人々の呑気な笑い声に頬をゆるめた瞬間、後方から、凛とした声に呼び止められた。


「もしかして、ギーク様ですか?」


 振り向けば、亜麻色の髪を頭の高い位置で一つに括った、銀の甲冑姿シルバーアーマーの女が立っていた。凪いだ海のように静かな瞳で、自分を見つめている。


 ん……? このクールな女騎士、どこかで見覚えがあるな。

 たしか、彼女は――

 

「えっと、確か、マノンのところに勤めてる……」

「ええ。お会いしたことがあるのは、結構昔だったように思いますが覚えていてくださったんですね、ありがとうございます。いかにも。私は、マノンお嬢様のところで働かせていただいているルチアと申します」

「ああ、そうだ。ルチアか、久しぶりだな。にしても、よく俺の名前を覚えていたな」

「ええ。あなた方のお話は、マノンお嬢様から毎日のように聞かされていますので」


 アー、ハイハイ、ナルホドネー。どうせ、九割方はルドの話で、おまけ程度に俺とアリスの話が出てくるといったところだろう。容易に想像がつく。


 道行く人々の邪魔にならないよう、すぐ近くの噴水広場まで移動してベンチに座る。少し間をあけて隣にルチアが腰かけた時、彼女の身に着けている甲冑がカチャリと音を立てた。


「本日は久しぶりの依頼クエストだったそうですね。お嬢様、随分と、張り切ってお屋敷を出て行かれましたよ。まるで、好きな相手にデートに誘われたかのように」

「あー……実際に見たわけじゃねーのに、その図がありありと目に浮かぶわ」


 ……ったく。そんなに、ルドに会えることが嬉しくて仕方ないんだったら、素直にデートの一つにでも誘ってみればいいものを。あのクソヘタレ剣士にも全く同じことが言えるけどな。似た者同士にも程があるだろ。


「本日は、もう解散されたのですか? 夜が更けるまでには、まだ、時間があるように思いますが」

「いや、俺だけ先に抜けてきた」

「ああ……成程。いつも、うちのお嬢様がご迷惑をおかけしているようで、申し訳ございませんね」


 瞬時に、全てを悟られてしまった。話が早くて助かるが、呑み込みが早すぎてちょっとビビる。これは、毎日のように、マノンからくだらねー話を聞かされ続けてきたからこそ為せる業だろうか。


「別にルチアの謝ることじゃねえだろ。全部、あの馬鹿二人のせいだ」

「まぁ、そうですね」


 ルチアが、ふふと薄い唇の端を上品にほころばせる。感情の起伏に乏しい彼女らしい笑い方だ。あっさりと主人のことを貶していくスタイルも清々しくて、非常に良いと思う。


「それで? 本日は、なにか進展がありましたか?」

「出会ってから一年以上経っていて、お互い好きで好きで仕方がないのに、今までこれといって何にもなかったあの二人だぞ? 進展なんかあるわけ――」


 ――ないだろ。


 そう喉まで出かけて、とっさに言い淀んだ。


「…………いや? もしかすると、あれは進展といえるのかもしれんな」


 ルチアは切れ長の瞳を瞬かせると、首を傾げた。


「おや、それは大変興味深いことで。一体何が起きたのか、お聞かせ願えますでしょうか?」


 彼女の言葉が、つい先程の出来事を、瞼の裏に鮮明に呼び起こす。


 ギルドに誓って言うが、俺は決して、意図的に盗み聴いたわけではない。


 盗賊シーフの俺から言わせてもらうならば、一連のアレは、盗賊シーフを舐めているとしか思えん愚行だった。


 盗賊シーフとして食い扶持を繋いでいく以上、五感は常に、鋭利なナイフの如く研ぎ澄ませている必要がある。どんな、些細な変化も見逃さず、敵の弱点を洗い出し、隙をついて一気に仕留める。それが、俺らの仕事だ。


 要するに、聴こうとして聴いたのではなく、勝手に聴こえてきた。

 言うなれば、俺は完全に被害者。それも、突然の巻き込まれ事故だった。


 当人同士は互いだけに聴こえるように囁きあっていたつもりなんだろうが、全部丸聞こえなんだよ馬鹿野郎!!


『…………僕、個人としては……その………ささやかな方が、好み、だから』

『………………じゃあ、今度、二人でプールに行ってみますか?』


 クソ。

 端的に言って、クソ。

 あー…………思い出しただけでも、マジでクソだわ。

 語彙力の欠片もないが、それ以外に本当に言い表す術がない。


 付き合いたて絶賛ラブラブ期のバカップルですら、あんな脳みそが蕩けてるとしか思えないようなやりとりはしねえ。アホなのか? ああ、紛うことなきアホ共だったわ。あの二人は、まとめて、とっとと爆ぜてしまえばいいと思う。


 隣のルチアが期待するように瞳を輝かせて、静かに俺の言葉を待っている。

 が、しかし……アレを口外するだなんていう拷問的な所業は、流石にできそうもなかった。


「…………期待させておいて悪いが、やっぱりアレを口外することはできねえわ」

「あら、そうですか。ギーク様は、お優しい方ですね」

「いや。優しいっつーか、それ以前の問題っつーか」


 口にして再現することすら恥になるレベルって意味だったんだが……まぁ、黙っておこう。


「どうか、お気になさらず。いつか、お嬢様を問い詰めて吐かせてみせますので」


 …………マノン、すまんな。

 いや、謝る必要なんてねーか。元はと言えば、身から出た錆だろ。見ているこっちまで死にたくなるようなクソ恥ずかしいやりとりを見せつけてきたお前が悪い。


 ハァ。

 うちの剣士と聖女は、時々殺したくなるほどに、仲がヨロシイことで。


【SSその③うちの剣士と聖女が盗賊を舐めすぎな件 完】

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