38頁:いばら姫が目覚める時

 微睡みの中で、どろりと俺の意識は沈んでいる。

 わかっている、これは夢の中だ。夢の中で、空想の世界なのだ。

 現実との境も曖昧になってしまった、そんな不運な世界。そうだよ、童話と読み手が混在している時点で、この世界は不幸でしかなかったんだ。

「……あぁ」

 俺はどこで、道を間違えたのだろう。

 あの時、一人で走らず海里も連れてきた方がよかったのかもしれない。

 あの時、あの夜に消しゴムなんか買っていなければ、俺はあの時のままの生活だったのかもしれない。

 そもそも、俺が後天性の〈キャスト〉でなければ。記憶があれば、こんな事にはならなかったのかもしれない。

 

 それともそのさらに前――生まれる前に、世界から踏み外していたのかもしれない。


「記憶が、流れる」

 まるで濁流のように。例えば豪雨のように。それこそ、落雷のように。

 衝撃と勢いだけが取り柄と言わんばかりに流れていくそれらは、俺の走馬灯のようで。本当に、死ぬみたいじゃないか。

「それも……ありかもな」

 夢だってわかっているからこそ、心は重くなる。だってそうだろ、夢ってのは心の奥底を映し出しているなんて俗説があるくらいだから。

 けど、それでも。

「俺は……俺はまだ、諦めたくないんだ」

 力を込めて、手を伸ばす。

 虚空をもがいて握っても、何もないのはわかっている。わかっているからこそ、俺はその手を伸ばすのだ。大きく口を開いて、言葉を紡いで。


『灰でも――かぶってろ!』


 ***


「んっ……」

 ゆっくりと、意識が浮かぶ。

 目を動かすと視界に入ってきたのは冷たいコンクリートで固められた床と見慣れないステンドグラス、家具などは何もなくひどく静かな空間だった。

「ここは……」

 激しい頭痛と嫌な吐き気が俺の事を飲み込んでいて、思考が鈍る。夢を無理やり止めたんだ、それくらいの代償は覚悟していた。

「さて、と」

 落ち着け、落ち着いて考えるんだ。どうしてこうなったか、どこから記憶がないか考えるんだ。

 確か俺は、あの時ハツカネズミ研究会でシンデレラを読んでいた。そこで物音が聞こえて廊下に顔を出すと、そこにいたのは海里でも研究会の人間でもなく。奇妙な笑顔を貼り付けた長身の、まるでピエロのような服に身をつつんだ金髪の男で――

「あれって、痛っ!」

 そうだ、俺はあいつの奇妙な笛の音を聴いたんだ。そしてそこから先の記憶が、まるっと抜け落ちている。

 馬鹿な俺でもわかるよ、これじゃ完全に誘拐だ。

「ここがどこか……確認しないと」

 ふらりと立ち上がり、もう一度周りを見回す。

 さっきと変わらないコンクリートに囲まれた空間は異質で、孤独な気持ちで押し潰されてしまいそうだ。

「ここから、逃げなきゃ」

 誰がなんのために俺をさらったかはわからないけど、それでも置かれた立場がよろしくないのはわかりきっている。だから、脱出方法だけでも確保しなきゃ。

「にしてもこんな豪華なステンドグラス……堂野木にあったんだな」

 薄暗い中で唯一外の光を取り込んでいるそいつは、逆に浮世離れしたものさえ感じる。

 正直言って、気味が悪い。

「出口は……あそこか」

 古ぼけた両開きの扉を見つけて、身体から自然と力が抜ける。

 よかった、誰もいない内に逃げればこっちのものだ。早く外に出ようと足に力を入れた、瞬間。


 リンッ


「え……?」

 耳に、場違いな鈴の音が響く。

涼しくも重みのあるその音は、鈴の音だけではなく冷たく耳障りな鎖の音も混ざっていて。おそるおそる下へ目線をやると、俺の右足には少し錆びついた鎖と不釣り合いなほどに真新しい鈴が結び付けられていた。その端を目線でたどると、それは近くにあった柱に括られていて。

「これは……」

「お目覚めかな、シンデレラ」

「っ!?」

 両開きの扉とは、反対側。

 俺の背後から聞こえた声を睨みつけると、そこには俺をここへ連れてきた犯人が楽しそうな表情を貼り付けて笑っていた。

「お前は……」

「申し遅れたね、わたしはハーメルンの笛吹きゲイン……気軽にハーメルンとでも呼んでくれ」

 こいつ、自分からカミングアウトしてきやがったぞ。いいのかそれで。

「君がなかなか一人になってくれなかったからわたしも困り果てていたよ……どれだけ待った事か」

「どうして、そこまでして俺を」

「自分が一番、わかっているのではないかい?」

「っ……」

 わかっているかと言われると、答えはイエスだ。おそらく、あのクズ会長を誘い出すための人質だろう。そりゃ、あいつの周りにいる人間で俺が一番弱いからな。狙われて当然の話だ。

「しかし噂よりも大人しいものだな、ここまで静かだと興ざめだが」

「いやいや、気をつけろよハーメルン。そいつはとんだ猛獣だ」

「その声……!」

 ふと現れた人影に、俺は目を見開く。どうしてかって、こいつがいるのは予想外だったからに決まっている。

「そんな顔しなくても、俺は幽霊じゃないぞ灰だらけ……灰村成、だったよな」

「童話、殺し……!」

 そこには確かに、あの夜の童話殺しが笑っていたんだ。

「ここではその名前で呼ぶな……俺はリーだよ、よろしくな」

 そんな、ひどく他人事で笑うリーはあとで殺してやるから安心しろなんて、物騒極まりない言葉を呟いていた。

「……なぁ童話、リー、お前はどうして俺を狙うんだ」

「どうしてって、相変わらず灰だらけは面白い事を聞くね……狙ったから、狙うんだよ」

「そんな哲学みたいな事言われても」

 教えろと言っても、こいつはうんともすんとも言わず教えてくれる気配がない。あぁそうかい、なら俺だって好き勝手言ってやる。

「じゃあ狙ったなら、なんで今までこなかったんだよ。いつでも殺すチャンスはあっただろ?」

「……なに灰だらけ、挑発してんの?」

「……思っただけさ」

「ふぅん、けど理由はない。俺は一人で全国の〈キャスト〉を殺し回っている童話殺しだからな、灰だらけだけには構ってやれないよ」

 冷たい鎖の音が響き、緊張感がコンクリートで囲まれた空間を支配する。

 けど、これでいい。

 そんなホラ吹きを、俺は笑うんだ。


「……違うだろ?」


「は?」

 どうせ俺は人質だ、会長がくるまでは確実に命の保証がある。だから、強く出てやるよ。

「お前は、童話殺しは一人じゃない」

「………へぇ、どうしてそう思うんだ?」

 まるで、挑発されているようだった。いや、きっとされている。ならその挑発、乗ってやるよ。

「そもそもあの夜からおかしいと思っていたんだ……」

 俺のブレスレットを見るこいつの目が。

 あの時口走った言葉達。

 それから、あいつ自身が自分から生み出した矛盾。

「だから、俺はわかったんだ」

 ゆっくりと確実に、嘘であってくれと願いながら言葉を紡ぐ。


「なぁ、いるんだろ――八王子」


「……すごいや、さすがはシンデレラ」

 二人のさらに後ろから聞こえた声には、特に驚かない。だって、わかっていたから。

「ごめんなー、バレたわ」

「気にしないでくれ、灰村は頭がキレると聞いていたからって本当か見たいと言ったのは僕だ」

「……信じたくは、なかったよ」

 あれだけ人間のできた八王子が犯罪者だなんて、信じたくないに世界はそれを許してはくれない。

「いつから、僕が嘘をついていると」

「強いて言うなら、最初から」

 そう、こいつが王子様だってカミングアウトした時から、違和感は存在していたんだ。

「あの時お前は靴を思い会えない苦しみに包まれた、って言っていたけど……作中じゃお前、部下に探させていたじゃないか」

 思いながら座っていただけじゃ〈トラウマ〉にならない事くらい、無知な俺でもこのハツカネズミ研究会で学習した。

 だから、おかしいと思ったんだ。

「本当に、灰村は頭がいい」

 良すぎるのも困りものだな、なんて作り物の笑いを貼り付けながらこちらを向く顔に、もういつもの優しそうな表情はない。

 あるのは、この世のすべてを見下すようなどす黒い地獄で。

「そこまでわかってくれているなら、ちゃんと挨拶をしなければね」

 口元を三日月のように歪めたそいつは、はじめまして、とわざとらしい前置きをし言葉を続ける。


「僕はシンデレラに登場する王子様のお使いの〈キャスト〉で、童話殺し組織〈悪夢のなる木〉の首領イーア……黙っててごめんね」


 その言葉は呪いのようで、耳障りに響き、絶望的な言霊達を紡ぎ出した。


「こうやってお話できて光栄だよ――我らがプリンス、〈アクター〉の成」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る