26頁:見下ろせなくてもいいんだ

「ジャックと豆の木の、作者?」

「あぁ」  

 そんな言葉をぶつけられた豆原は、何を言いたいのだと言わんばかりの顔で眉間にしわを寄せて首を傾げていた。

「どうしてそれを、僕に?」

「確認だよ……それに俺みたいなイレギュラーではない限り、作者くらいは答えられるはずだよな?」

 少しだけ挑発をして、笑いかける。

 豆原もそれに引っかかった様子で、そりゃわかるよ、と少しだけ語気を荒らげていた。

「なんて言ったって僕の生みの親だから、ジャックと豆の木はジョゼフ・ジェイコブが書いたお話さ」

「本当にそうか?」

「…………え?」

 俺が聞きたいのは、彼ではない。

 もっと前、彼より前の話だ。

「ジョゼフ・ジェイコブは書いた一人に過ぎない……本当の、核心とされている作者は誰だ?」

「それは……」

「まさかなるるん!」

 どうやら月乃の方が、理解するのは早かったらしい。そうだよ、その通りだ。


「……最初からそんなの、いないんだ」

 

 今現在日本でもっとも有名なジャックと豆の木は、確かにジョゼフ・ジェイコブのものだ。しかしそれは、あくまでも日本の話。本来のジャックと豆の木は作者不詳の、日本の竹取物語と同じような扱いになる。

「俺のシンデレラは作者こそ多いが、明確にわかっている。月乃は置いといて……海里の長靴をはいた猫はペローだし、真紅の赤ずきんだって派生は多いけど、それでもしっかりと作者は明確にわかっている」

 じゃあ、豆原は?

「……僕は」

「けど成、それだと一つわからない事がある」

 横槍を入れてきた海里は真剣な目で俺を見ると、そのまま言葉を繋げてきた。

「豆原はそれ以外は普通の〈キャスト〉だ。なのにどうして今まで、作者不詳なのがわからなかったんだ」

「それも、月乃と一緒だよ」

 月乃は初めて出会ったあの夜に、俺に言っていた。


 ――うん、月乃はかぐや姫、忘れられなくて忘れちゃう呪いのお話。


「忘れられているんだよ、そもそも作者がいない事を」

 ジャックと豆の木はイギリスの大英美術館に保管されている、アングロサクソンの民話が元になっている。つまりジャックと豆の木は、アングロサクソンの誰かが書いたものであり特定の作者を意味しているのでないのだ。

「〈克服〉にはどの作者が書いた作品かってのが明確になっているのが前提らしいけど……豆原、ジャックと豆の木に明確な作者はいるのか?」

「それは……」

 答えられない様子を見て、不安は確信になる。

「……ただ、ただ忘れただけだ、灰村くんだってあるんじゃないかい?」

「否定はできないかな」

 そもそもとして、俺はシンデレラかどうかも定かではないんだ。そりゃ否定なんてできるはずがない。けど、お前は違うだろ……豆原。

「俺にはわからないけど……俺のクラスの香嶋が、グレーテルが教えてくれたんだ。〈キャスト〉は物心がついた時には、すべての記憶が鮮明にあるって」

 ならば俺や是木みたいなイレギュラーではない限り、作者や内容がわからないのは普通ありえない。それこそ、月乃のように何かが欠けていないと。

「なぁ、そうじゃないのか?」

「…………そうかもね」

 悲しそうに俯くその表情は、受け入れたくないと言わんばかりのもので。俺だって気づきたくなかった。けど、俺だって気づかなきゃ研究会を辞めるかどうかの瀬戸際だったんだ。

 そんな事を思いながら溜息をつくと、豆原からじゃあさ、なんて話を切り替えるワードが聞こえる。

「じゃあ仮に、もし本当に作者がわからないなら……僕は、どう〈克服〉すればいいのさ」

「それは……」

 言葉が、詰まる。

 どう〈克服〉するか、それはわかりきっていてわかりたくない事だ。

 確認の意味も込めて視線を会長へ動かすと、まるで空気が読めないとでも言いたげな顔で一言そうだな、と言われてしまった。お前そこは、もう少し優しく言ってやってほしかったよ。

「仕方ないだろ、できないものはできない」

「おまけに言葉でズバッと言いやがった」

 最初も思ったけど、お前絶対に敵が多いよな。

 そうだ、自分を自分で理解するのは案外難しい。それは、読み手の中でも散々学んできた事。

 会長の言葉に諦めがついたのだろうか。豆原は寂しそうに目を細めるとそっか、と小さく呟いた。

「紙の中の時に原因があるなら、どうにもならないよね」

「……ごめん」

「灰村くんが謝る必要はないよ」

 僕が弱いだけと続けるその表情は、どうしようもなく痛々しい。

「けどすごいや灰村くん……どうして、僕の〈克服〉できない理由がわかったんだい?」

 僕自身がわからなかったのに、と力なく笑う豆原に俺はだって、と言葉を続ける。お前、本当に気づいていないのか?

「豆原、お前高所恐怖症にしてはフェンス越しに下を見ても普通だったじゃないか」

 あの三人がきた時に真っ先に逃げようとした豆原は、フェンス越しに運動場を見てもさほど動揺をしていなかった。むしろ、あれはどちらかと言えば逃げられないことに対する動揺が大半を占めていたように見える。

「いいか豆原」

 だから俺は、目の前の弱気なジャックに言葉を紡ぐ。


「お前は高所恐怖症じゃない、〈克服〉できないのを高所恐怖症のせいにしているだけだ」


 高所恐怖症以外にも、読み手の世界に生まれてしまったのだから不自由はあると思う。紙の上だからこそできていた事はある。けど、できるものをできないと言うのはどこの世界にもナンセンスだって、俺は思うから。

「〈克服〉がどれだけ大切か俺はわからない……けど、生きていればどうにでもなるんじゃないかなって」

「先輩、それは〈キャスト〉としてどうかと」

「そこちゃちゃを入れない」

 わからないのはわからないし理解もしたくないんだ、だからいいだろ。

 不服そうに真紅を睨んでいると、突然豆原が吹き出しそのままゲラゲラと笑いだしたんだ。それはもう、涙が出るくらい。

「なんだよ、俺変な事言ったか?」

「違う、違う、ごめんよ気分を害したなら」

 そんな事を言いつつもいまだに笑っている豆原は、優しく俺の目を真っ直ぐに見つめ口元を緩める。

「君は本当に、〈キャスト〉らしくないよね」

「……悪かったな」

 俺だって、そう思うさ。

 どんな〈キャスト〉よりも〈キャスト〉っぽくなくて、どんな読み手よりも読み手っぽくない。

「君のおかげで元気が出たよ……ありがとう」

「こちらこそ」

 こぼれ落ちた感情は、どうしてだか感謝の念。

 今回の件で俺だって沢山の事を教えられたんだ、その感情くらい出てくるさ。

「……けどやっぱり、〈克服〉させるって言ったから申し訳ない気も」

「話を折るようで悪いが、灰村」

 ふと、そんな風に名前を呼ばれる。

 何事かと思いそちらに顔を向けると、会長は少しだけ楽しそうに目を細めそれがな、と言葉を続けてくる。

「こいつが〈克服〉をする方法が、一つだけ残っている……長日部、嫌そうな顔をするな」

「だから、俺は賛成じゃないっていつも言っているだろ」

 その会話で、なんとなくだが想像はついた。

「……会長の、グリムの力ってやつ」

「いかにも」

 海里がしきりに反対していた、会長の強制的に〈克服〉をさせる力。

 それがどんなものかわからず、自分の事でもないのに身体が自然に強ばるのがわかった。

「どうする豆原、僕は無理強いはしない」

「それは……」

 豆原も、額に汗を浮かべながら目を泳がせていて視線は下に落としている。あの話を聞いてしまったんだ、誰だって躊躇はすると思う。

「僕は……」

 ちらりと、まるで様子を伺うかのように海里に目線を移す。

「……好きにしろ」

 海里はそれ以上何も言わず、背中を向け屋上から降りて行ってしまった。

「好きに、しろって……」

「ごめん豆原、ここにきてあんなぶっきらぼう晒しやがって」

「なんで灰村くんが謝ってるの?」

 条件反射だよ、この馬鹿野郎。

 海里の去った方を睨みながら舌打ちをしていると、横にいた豆原はその舌打ちに負けないくらいの声で何やら言葉を転がしていた。

「……豆原?」

「……だよね、うん」

 何かを決めたように前を見据えると、豆原は真っ直ぐに俺ではなく会長の方へ身体を向ける。

「……会長」

「なんだ、ずいぶん早く決心がつくんだな」

「早いんじゃない……きっと、僕の中では決まっていたんです」

「豆原……」

 俺も、月乃も真紅も。それ以上は何も言えずその様子を黙って見ている事しかできない。これはジャックと豆の木の、豆原自身の決断だから。

 弱気なジャックは照れくさそうにこちらを一瞥すると、一つずつ丁寧に、言葉を紡ぎ出す。


「ジャックは……僕は――」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る