8頁:不本意すぎるお邪魔します

 きっかけは、ささいな事だったのだ。


 普通物心がつく頃には〈キャスト〉としての記憶が鮮明に現れるらしいが、俺にはその兆候が皆無だった。だからこそ俺は、自分が〈キャスト〉であるなんてちっとも考えていなかった。

 

 あれはそう、確か幼稚園のお遊戯会だっただろうか。

 はなさかじいさんをやる事になった俺のクラスは、その日お遊戯会の練習を抜け出し裏山へきていた。走り回る友達を見ていた俺は、お遊戯会で使う灰に見立てた紙吹雪を抱き憂鬱な気分になっていたのを、よく覚えている。

 みんなは練習が嫌と言っていたが、俺はお遊戯会が楽しみで仕方なかったのだ。主人公であるおじいさん役に選ばれていた俺は、周りの奴らと遊ぶのよりも劇の練習がしたいという気持ちと周りのみんなに付き合いが悪い奴と思われたくないという板挟みで頭がいっぱいいっぱいだった。

 そんな時だ、茂みから野犬が出てきたのは。

 飢えていたのだろうか、よだれをたらしながらも低い音を鳴らしこちらへ近づくその姿はさながら狼で。

 みんな怖いって逃げようとしたが、腰が抜けて動く事ができなかった。そうだよ。俺達はあの時、確かに食い殺されると思ったんだ。

「やだ、おれ死にたくない……!」 

 かく言う俺も、もちろん例外ではない。純粋な感情は素直に死への恐怖を持ち、手は震えながらも紙吹雪を握りしめていた。

 怖くて、恐くて。

 手のひらから零れ落ちながらも必死に掴み投げた紙吹雪は、野犬に投げつけてもちっともダメージにはならない。むしろ相手の神経を逆なでていているのが見てわかる。


「やだ、あっちいけ……灰でも、『灰でもかぶってろ』よ!」


 子ども心に貫いた言葉は、深くは覚えていないがきっと祈りの言葉だったのだろう。けど、理由はどうであれその言葉を偶然にも選んでしまったおれを、俺は今でも恨んでいる。どうして、よりによってと。

 強く目を閉じていたため状況を理解していなかったが、それでも辺りが妙に静かになったと思い恐る恐る目を開ける。

 そこにあったのは――

「みんな……?」

 野犬だけではない。その時俺の後ろで震えていたみんなも全員ピクリとも動かない、異様な空間だった。

 そして途端に脳内へ流れ込んできたのは、日本とは思えない香りと自分のものではない記憶。

「なに、これ」

 あまりにもリアルな灰の匂いと女性の笑い声。くるくると回っている視界は、おそらく踊っているからだろう。断片的だがそれは確かに、人形劇や絵本で見た風景で。


「シン、デレラ……?」


 舞踏会のきらびやかな景色も、セリフもほとんど絵本で読んだものほとんど同じ。俺の記憶の中には確かに、シンデレラとしてのものが存在していた。

 それが俺には、ずっと自分が読み手だと思っていとのもあり理解できず信じたくもなく。残された世界でただ、茫然と立ちすくむしかなかった。


 ***


「なるほど……それで自分がシンデレラだとわかった、という事か」

「本当に俺の記憶かはわからない。けど確かに、あれはシンデレラだったんだ」

「一つ疑問なのだが、その野犬はどうなったのだ。確か灰村の〈トラウマ〉は十二秒しか持たないはずでは」

「その十二秒でぶん殴った」

「やだこの幼稚園児ゴリラ」

 人間みな追い詰められたらゴリラになるさ、冗談だけど。

 長い話で冷めかけた紅茶を一気に流し込むと、溜息一つ。別に、探せばどこでもありそうな話だ。成長してネットで調べた話だが、どうやらごく稀に記憶が後天的に現れる場合もあるらしい。俺も、きっとそれだろう。

「だから、そんな特別な事では」

「わかっていないな、灰村」

 まるで水を差すように投げられた言葉に首を傾げていると、本当に灰村は幼稚園児だなと笑われた。今のは馬鹿にされたってわかるぞ。

「いいか。たとえ後天性の〈キャスト〉であっても、記憶は断片的なものにはならない。つまりお前は、完全なイレギュラーなのだ」

「は……?」

 突き付けられたのはネットには載っていない内容で、思わず顔をしかめてしまう。じゃあなんだと言うのだ、俺の〈トラウマ〉はどうして断片的なのだ。

「かいちょー、何かわかる?」

「そうだな……」

 月乃の言葉に形だけ考えているポーズを取ると、口元は三日月を作りながら俺の顔を見てきた。

「わからん、さっぱりだ。〈克服〉の話もしようと思ったが、これではしても意味がない」

「張り倒すぞ」

 そんな笑顔で言うな。こっちは生まれて十数年この事に悩まされてきたんだぞ。

「そう慌てるな、話を最後まで聞かないのが灰村の悪いとこだ」

 俺をなだめるように紡がれたものは心なしか優しくて、言葉を飲み込んだ。

「知りたいと言っていた昨日の事について、約束だから教えよう」

「……」

 一瞬、緊張感で世界が凍りついたように感じた。冷たくて硬い何かで支配された世界で、会長はゆっくりとそれらを溶かすように語り出す。

「昨日のあいつはご存知の通り童話殺しだ。そしてなぜあれだけの騒ぎが問題になっていないかは――堂野木が異常な空間だからだ」

「異常な、空間」

「あぁ、気づかないか? この街は〈キャスト〉が多すぎる」

「……あ」

 言われてみれば、確かにそうだ。

 これだけ広いはずの世界で、この堂野木には名の知れた童話が揃っている。おまけに〈キャスト〉の相互扶助団体がこんな極東にあるのも、いささか疑問に思う。

「〈キャスト〉が溶け込む現代でも、これだけの〈キャスト〉が集結している地域は類を見ない。何かの因果か、それとも引き寄せられるのか」

「……理由、わかってないのか」

「あぁ、だから言っただろ、堂野木は異常な空間だと」

 異常だからこそ〈キャスト〉の起こした事件も、それほど騒ぎにはならないらしい。早い話が死者が出なければいつもの事だ、というわけだろう。きっとそれ、外では通用しないぞ。

「〈アクター〉に関しては、僕達研究会も調査中だ。わかっているのは童話の概念が揺らいでしまうくらいのもので、善にも悪にも成り代わる存在らしい事だけ」

「概念が、揺らぐ……」

 童話はすでに決まったもの、揺らぐなんて聞いた事がない。

 それが謎の恐怖心を生み出していて、背筋を何か生暖かいものがなでていく。怖いとかそういうのではない、それよりも恐ろしく、禍々しいものだ。

「俺、これからどうすれば……」

 こんな世界で童話殺しなんかに狙われては、生きている心地がしない。これじゃ、いつ殺されても文句は言えないだろう。

「あいつが狙う〈アクター〉ってのさえわかれば、打開策があるかもしれないけど……」

「そうだな、そこで一つ決めた事がある」

 会長は何やら含みのある言い方で言葉を投げてくると、楽しそうに目を細めた。

 何かいい案でも、あるのだろうか。


「〈アクター〉の正体がわかるまで、お前の面倒を研究会で見る」


「…………何言ってんの」

 もう一度言おう、何言ってんの。

 あまりに突飛したその言葉に、状況反射で手が出てしまいそうだ。決めた事って、俺はまだ何も言っていないぞ。

「簡単な話だ。灰村は〈アクター〉の事を知りたい。僕達は〈アクター〉の正体を探している。相互関係が生まれたではないか」

「変な事言うんじゃなかった……!」

 薮蛇だったよ、俺。

「俺が〈アクター〉について知りたいのは、自分の身を守りたいからだ。〈アクター〉自体に興味があるわけじゃないし、面倒なんか見てもらわなくても」

「本当に、いいのか?」

「なにがっ」

「童話殺しは灰村をえらく気に入っていた。自分の身を守るにも、〈アクター〉が何かわからなければ自衛もできないぞ?」

「それは……」

 ぐうの音も出ないぞ、これは。

「ここにいれば、一人でいるより調べる事ができるだろう。もちろん、他のメンバーも含めお前を全力で守ってやる」

 どうだ、悪い話ではないだろなんて言われたのは明らかに取り引きで、思わず眉間にしわが寄る。だって、考えてみろ。これじゃ明らかに俺に断る理由がない。

「それに、灰村の〈トラウマ〉でこれから先を生き抜けるかと心配だからね」

「……会長って、敵が多いんじゃないか?」

「そりゃ、会長職に敵は付き物さ」

 そうじゃないよ、脳内お菓子の家。

 明らかに挑発された気がしたがどうやら気のせいだったみたいで、純粋に心配しているようだ。それはそれでどうかと思うけどさ。

「さぁ、どうする灰村」

「俺は……」

 どうすると言われても、どうにもできない。

「俺は、俺自身が誰か知りたいだけだ。別に誰かと仲良くなりたいわけでは」

「なるるん」 

 くい、と服の裾を引っ張られた。

 何かと思いそちらを見れば、そこには少し涙目で上目遣いの月乃がいて。

「なるるん、一緒にいれないの……?」

「……おいそこのクズ、月乃使うのはずるいぞ」

「あ、バレたかい?」

 当たり前だ。

「どうする、灰村」

「……俺は」

 本当は、わかりきった答えだ。

 俺だって、俺の事が知りたい。知りたいからここにいるんだ。

 だからその挑発に、乗ってやるんだ。


「わかったよ……俺の〈トラウマ〉か〈アクター〉についてわかるまで、ここの世話になる」


「契約成立、だな」

「やったー、なるるん仲間入り!」

 俺の言葉に帰ってきたのは、月乃の飛びっきりの笑顔と会長の嬉しそうな顔で。

「よし月乃、灰村を捕まえておけ」

「らじゃー!」

「って、お?」

 突然変わった声音と肩に突然かかった強すぎる力に、最初何が起こったかわからなかった。声した方へ目線をやれば肩を押さえつけているのはバズーカ女こと月乃で、声の主はご存知会長。

 二人はまるで獲物を見つけた飢えた獣のように俺の事を一瞥すると、にやりと不気味な表情筋を浮かべていたのだ。

「そのまま逃がすなよ、今入部届を持ってくるからな!」

「いそげかいちょー!」

「……はい?」

 何言ってんの、こいつら。

 理解出来ずにその場で座っていると会長は奥に取り付けられていた扉の中へ入り……あ、戻ってきたぞ。

 片手にはペラペラのコピー紙で何かが印刷されていて……ん、入部届?

「悪いな、何も言わずに名前と必要事項を書いてくれ!」

「別に、存続が危うかったとかそういうわけじゃないからね!」

「いや、そういうわけだろ!」

 結局は自分達の都合じゃないか!

「そういう理由なら俺は」

「ここにさきほどの会話をすべて録音したボイスレコーダーがあってな」

「この用意周到眼鏡!」 

 どこに隠していたとかデータを消せとか言いたい事は沢山あるが、きっとこんなこと言っても通用しないだろう。あぁほら見てみろ、二人とも明らかに勝ち誇った顔をしてるぞ。

「灰村」

「は、はい」

 名前を呼ぶ声すらも含みがあり、嫌な予感しかしない。


「ようこそハツカネズミ研究会へ、歓迎するよ――か弱きシンデレラ」


「はは、ははは……騙された、やっぱりなし!」

 俺の腹の底から湧き出た叫びは、堂野木中に響かんとばかりのもので。


 そう、これが始まりの話。

 俺、『シンデレラではないシンデレラ』の灰村成とハツカネズミ研究会の出会いで。

 そして〈アクター〉を巡る童話の一節にすぎないなんて――この時はきっと、誰も想像していなかっただろう。

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