3頁:ユリの花でも毒はある

「なんだよ、お前ら……」

 吹き抜ける風はまだほんのり肌寒い、そんな夜の箱庭で。

 睨み合うのは絶体絶命の俺と、そんな俺を殺そうとしている童話殺し。それから――

「じゃあ月乃、戦況が変わったところでもう一度聞こう。どっちが勝つかは」

「浮いてるの」

「失礼極まりないぞそこ」

 のんびりした喋り方の、見知らぬ男女二人組。

「なんだよメガネくん、興が冷めるじゃないか」

「それは失礼……さぁ続けて」

「いや、殺人だぞ止めろよ」

 どいつもこいつもネジが外れていて、俺としてはいい迷惑だ。

 どこからどうツッコめばいいかわからない状況に顔をしかめれば、眼鏡のそいつは俺の方を見つめ仮面のような表情を向けてきた。正直、気味が悪い。

「そこまで警戒するな。堂野木どうのぎ高校二年八組、灰村成」

「俺のっ……!」

 どうして、俺の名前を。

「そんなの、堂野木の生徒ならわかる話だろ」

 なるほど、敵は一人だけじゃなく三人だったというわけか。俺は腰を低くしていつでも動けるよう体勢を整え、ゆっくりと三人を見据えた。童話殺しの炎を見ても動じないのだから、おそらく並の〈キャスト〉ではないはず――

「あ、そんな身構えなくて大丈夫だよ! ただ道に落ちてた生徒手帳見ただけだから!」

「こら月乃」

「色々言いたい事はあるがさっさと返せ」

 ちょっとでも警戒したのが恥ずかしいじゃないか馬鹿野郎。

 やり場のないイラつきに悶々としていると、二人は何かに気づいたように顔を見合わせそうだよね、と俺の位置でなんとか聞こえるくらいの小ささで何かを話していた。

「自己紹介がまだだったよ、僕は宮澤・G・クルト。長い名前だから気軽に会長、と呼んでほしいね。以後お見知り置きを」

「月乃はね、月乃だよ!」

 あまりにもその場に不釣り合いな二人の挨拶はどこまでも浮いていて、俺も童話殺しもこれには肩を落としてしまう。いや、この現状を見てくれ。俺に至っては死ぬか生きるかの境目だぞ。

「さて、少年。助けがほしいと聞いたが」

「俺何も言ってないけど」

 言葉を投げられたのは、間違いなく俺の方。

 少しだけ戸惑って辺りをキョロキョロと見ていれば、会長と名乗ったそいつはいかにも楽しそうにクスクスと笑っていた。なんだか馬鹿にされている以前に子どもに見られている感じがして、本当に不快だ。

「なに、あんたが俺を守ってくれるわけ? かいちょーさん」

「そんなまさか、あいにく僕は〈キャスト〉ではないものでね」

「おい」

 ならばどうして顔を出した、この一般人は。

「なになにメガネ、俺の邪魔するの? 読み手が首を突っ込むのはおすすめしたくないな」

 一方童話殺しといえば、いかにも嫌そうな表情で会長をジッと睨んでいた。殺意こそなくなってはいないが、どうやら邪魔をしたおかげで矛先は俺から逸れたらしい。

 少しばかり安堵し肩から力を抜くが、それも一瞬の話。

「いや、僕が邪魔をする気はないよ」

「なら静かにしてて……トランクみたいに燃えたくなければさ」

 童話殺しはすぐに俺へ殺意を戻し、右手に力を込めている。その顔は怖いくらいにしかめっ面で、トルコの神様どころかお姫様と結婚するはずだった人間とは思えないくらいだ。

 いや、だからこそ空飛ぶトランクはあのような結末なのかもしれない。あの後こいつが来るのをずっと待ち続けているお姫様には悪いが、俺だったらこんな奴と結婚するのは嫌だ。

「物語は見る角度によって結末が変わるとは……有名な話だしな」

「聞こえてるぞ灰だらけ、『俺はトルコの神様だ!』」

「ちょ、まっ、熱い熱っ!」

 どうやら機嫌を損ねてしまったみたいで、俺に向かって大量の火花が降り注ぐ。避けても避けても量は増すばかりで、このまま持久戦になれば俺に勝ち目がない。

「おぉ、頑張れ頑張れ」

「ふぁいとー!」

「茶化すだけなら帰れこの読み手が!」

 きっとこの二人は楽しんでいるのだろうけど、俺としては迷惑以外の何物でもない。

 地面を蹴り上げ避けても全部となるとかなり難しいもので、残念だが俺も運動神経が万能かと聞かれれば首を傾げてしまうレベルだ。そんな、無傷なわけはなく。

「痛っ!」

 どこからかともなく飛んできた火花は勢いを味方にし、まるで刃物のように俺の皮膚を切り裂く。火傷だけではないその痛みに、俺は抑えきれないうめき声をもらした。

「苦戦してるようだな、灰村」

「だか、黙って!」

 そんな中で耳に入り込んできた会長の声はいかにも喧嘩を売っているような気がして、腹立たしい以外の何者でもない。

「よし、灰村……一回下がってろ」

「下がってろって、お前に何ができるって……」


「言っただろ、助けがほしいと聞いたって――月乃」

「はいはーい、『私は月に、還らない!』」


 瞬間、夜の街が光に包まれたのだ。

 明るすぎるそれは太陽とはまた違ったもので、かと言ってこちらには害も何もない。強いて言うなら、あまりの眩しさに直視した童話殺しが苦しんでいるくらいだろうか。

「あ、アァァァ、この、オンナァア!」

「いや、違う……これは……!」

 明らかに眩しさが理由じゃない、童話殺しの苦しみ方はまるで業火に焼かれているかのようだったのだ。

「熱いよねー、お兄さん熱いよね、けどそれはトランクのお兄さんがみんなにやった事だよ?」

「きさ、ま、邪魔はしないと……!」

「かいちょーが邪魔しないであって、月乃は邪魔しないなんて一言も言ってないよ!」

 どうなっているのか、蚊帳の外の俺にはわからない。ただ言えるのは、彼女の〈トラウマ〉が俺の思っている以上に重く苦しいものであるという事と、それが対象にのみ発動する〈トラウマ〉である事くらいだ。

「えっと、なるるんだっけ、ひどい怪我だけど大丈夫?」

「誰がなるるんだ」

 くるりと可憐に振り向いたのはユリの花のようだったが、残念ながらさっきの〈トラウマ〉を見た後だからかそれすらも彼女の持つ怖さに見えてしまう。

「動かないで、月乃ががんばるから」

 何を頑張るのだろうかと思いつつ言われた通り動かずいると、彼女は俺の前で祈るように手を重ねていた。女神のようなその容姿に見とれていると、同じく女神のような唇から零れ落ちたのはさっきと同じ言葉で。

『私は月に、還らない』

「は、待ってなん……で?」

 けど明らかに違う、決定的に違う何かがある。童話殺しみたいに苦しむ理由もないくらい暖かく、優しい匂い。

 そう、例えるならそれは。

「月の、光」

 まばゆい光はどんな満月の夜よりも明るくて、どんな明かりよりも暖かくて。それらは徐々に俺の身体に馴染み、傷を癒していく。

「すごい……」

 さっきまであった切り傷や火傷、身体の疲れまでもがまるで最初からなかったかのように消えていくのがわかった。

「月乃は忘れちゃうお話、痛いのは忘れようよ」

「お前……」

 その言い方や表情、言葉に込められた感情がどこか悲しく、俺は言葉を詰まらせる。

 相手を苦しめ、相手を癒す。

 もしかしたら彼女の〈トラウマ〉は、並の童話では比にならないほど悲しみに溢れたものかもしれない。

「今日は元気だから絶好調!」

「まさかの気分に左右されていた」

 ……いや、ある意味どんな〈トラウマ〉よりもおっかないな、これは。

「けど月って、それにあの言葉……」

 月に還らない、なんて反抗的な話だったかはいささか疑問に思うが、そこは触れてはいけない部分だろう。そしてそれを差し引いてでも少女が月に還るなんて話、少なくとも俺は一つしか知らない。

「なぁ、もしかしてだけど、お前の〈トラウマ〉は……」

「物分かりがいいのは助かるよ、なるるん」

 月乃と名乗った彼女はそっと呟くと、俺の方に向きながら優しく微笑む。その可愛らしくあどけない表情は世の男を虜にしてしまいそうなもので、あまり男女のスキキライに興味がない俺でも目を奪われてしまうくらいに童話の通りだった。


「月乃は姫岡月乃の月乃、姫岡はかぐや姫の姫だよ!」

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